今明かされる、[NIKE]のビジブルエアの進化。

by Mastered編集部

EYESCREAM.JP内で絶賛連載中の1ヶ月限定マガジン、週刊『俺とエアマックス』の中でも再三お伝えしている通り、[NIKE(ナイキ)]を[NIKE]足らしめている存在の1つが、スニーカー界の伝説的デザイナー、ティンカー・ハットフィールドが開発した『エア マックス』。しかし、[NIKE]のビジブルエアの物語は、ハットフィールドのデザインからすべてが始まった訳では無いのである。そんなビジブルエアの知られざるストーリーが本日、[NIKE]によって公開された。

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EYESCREAM.JP内で絶賛連載中の1ヶ月限定マガジン、週刊『俺とエアマックス』の中でも再三お伝えしている通り、[NIKE(ナイキ)]を[NIKE]足らしめている存在の1つが、スニーカー界の伝説的デザイナー、ティンカー・ハットフィールドが開発した『エア マックス』。しかし、[NIKE]のビジブルエアの物語は、ハットフィールドのデザインからすべてが始まった訳では無いのである。そんなビジブルエアの知られざるストーリーが本日、[NIKE]によって公開された。

ビジブルエアの物語のスタートは、1985年にナイキチームに加わり、現在は[NIKE]のクッショニングイノベーション・ディレクターを務めるデヴィッド・フォーランドの存在無しには語れない。あらゆる意味においてフォーランドは世界随一のビジブルエアの専門家であり、この30年に渡ってこのテクノロジーを未開の領域へと推し進めることに専念してきたのである。また彼は、現在僕らが『エア マックス』と呼ぶものの実現への道のりが、困難を伴うものであったことを誰よりもよく知っている存在でもある。

最初に力を入れていたのがビジブルエアの実現。当時はまだ内蔵型(エンキャップ)エアの試作品を手作業で作っていたのだが、ある時、ビジブルエアの歴史にとって大事な瞬間に直面することとなる。それは、バッグを回転させてその継ぎ目をバッグの周囲ではなくて上下に配置したらどうなるかという問いかけだった。

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後日、フォーランドはこの時のことについて、「その瞬間私の頭の中の“電球”がピカッと光り、『それならできる』と思ったのです。その場で新しい試作品を作り始めました。 」と語っている。

そして初めてのビジブルナイキ エア テクノロジーの試作品が生まれ、『ナイキ エア マックス 1』がそれを搭載した初のプロダクトとなって登場。この発売前までは、エアソールは大きさよりも薄さを求めて進化していた。

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「エアソールユニットは薄くなり続けており、生産も簡単になってきていました。」とフォーランド。

「しかし、ソールにもっとたくさんのエアを入れて、足の下に強力なクッションがあるという感触を生み出したいと思いました。」

エアの上を歩いているという感触を高める為、フォーランドはすぐにやり方を変えることにした。

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「とくに87年から93年に発売された歴代のエア マックスを見ると、一つ一つのモデルの違いは、新しくなるにつれてエアが大きくなっていき、それとは逆にフォームの量が少なくなっています。フォームはへたる一方、エアは性質が変わらないからです。」とフォーランド。

エアの容量を大きくする過程で一つのアイディアが生まれた。それは、アウトソールとエアソールユニットの間にあるフォームを排除することによって、もっとエアソールを大きくする余地が生まれるのではないか、というモノ。そして、それが初めて形となったのが、180度の角度で露出するビジブルエアソールを採用した『エア マックス 180』。これもフォーランドにとっては簡単な仕事では無かったという。

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「言うは易し、行うは難し、です。エア マックス 180は、エア マックス スニーカーのなかで最も難しかったものの一つです。」とフォーランドは振り返っている。

当時、『エア マックス 1』、『エア マックス 180』と『エア マックス 90』には前足部にもエアソールユニットが入っていたが、フォームに内蔵されており、外からは全く見えない状態であった。フォームを使わないランニングスニーカー開発を目指す中、一つの画期的な発明が生まれる。ブローモールディング(射出成形)と呼ばれる新しいエアソールの製法だ。『エア マックス 93』に初めて使われたこのテクノロジーは、気圧に頼ることなくエアソールを立体的に作ることを可能にし、これにより前足部の曲線に合わせたエアソールを作ることが可能に。このイノベーションをフルに活用したのが2つのブローモールドのエアソールを使った『エア マックス 95』で、結果、週刊『俺とエアマックス』第1号でも紹介した初の前足部ビジブルエアの登場となる。

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1997年、フルレングスエアソールの実現は生産、開発、デザインに伴う絶え間ない努力により可能となった。その最初の1歩は、かかとと前足部分が繋がったエアユニットの製作、その次は、フルレングスの立体成型用の型に、エアソールユニットを作る溶解性のフィルムを入れて、 成型のために一定時間保持する方法を見つけることであった。その後、膨大な試作品製作を経て、新幹線をデザインのインスピレーションにした『エア マックス97』が生まれたのだ。

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フルレングスエアが実現すると、エアのアイディアはさらに広がっていくかのように見えた。しかし、その一方で、[NIKE]はチューンドエアを含む新しい形のクッショニングテクノロジーにフォーカスするようになる。このエアクッションを応用したイノベーションは1999年の『エア マックス プラス』で初めて登場したが、間も無くこのコンセプトは『ナイキ ショックスへ』と進化を遂げていく。

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次なるイノベーションは2006年に登場した『エア マックス 360』で、ついにシューズ生産の方程式から完全にフォームを取り除くという目標が達成される。『エア マックス 360』製作にあたり、フォーランドのチームはフォームの代わりにケージド エア テクノロジーを用いてエアを安定させ、プロジェクト開始から20年を経て、ついにフォームのないマックス エア スニーカーを実現した。

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しかし、すべてをエアにするという達成は、エア マックス進化の最終地点では無かった。[NIKE]はたしかに夢を達成したが、これをもっと良いものにするための答えを求め続けている。やがて、フォーランドとチームは、フォームをなくすことから屈曲性を高めることにフォーカスするようになる。『エア マックス 2015』では管状の構造を取り入れることでエアソールに屈曲溝を組み込み、これまででも最も屈曲性に優れたエア マックスクッションに仕上げている。

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長い道のりを経て、フォーランドはイノベーションにはリスクがつきものであると実感している。

「初めてのブローモールドのエアソールユニットを作った時のことを覚えています。あまりにも一生懸命すぎてそれが人々に受け入れられるかは全く考えていませんでした。初めてのエア マックス スニーカーが発売になって間もないある日、空港にいたときの思い出があります。研究室の技術者と電話で話をしていた時に、エア マックスを履いて歩いていく人を見かけたのです。電話ボックスからその人を見ながら、『買ってくれた人がいるんだ。いまあそこを歩いているよ。』と話していました。 リスクは大きかったけど、その見返りはさらに大きかったです。エア マックスの旅は始まったばかりの頃でした。」

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