週刊『俺とエアマックス』 第2号 – AIR MAX 90 –

by Mastered編集部

EYESCREAM.JPが[NIKE(ナイキ)]の言わずと知れた名作中の名作エアマックスシリーズより、毎週1足をチョイスし、全4回に渡ってその魅力を独自に再定義していく1ヶ月限定マガジン、週刊『俺とエアマックス』。

大好評を博した第1回『NIKE AIR MAX 95』に続いて今週登場するのは、『NIKE AIR MAX 90』。

1 / 2
ページ

俺とエアマックス – AIR MAX 90編 –

AIR MAX 90 OG (1990)

AIR MAX 90 OG (1990)

1990年初頭、三代目となるエア マックスが登場した。通称エア マックス90。それは1987年に誕生した初代エア マックスの正常進化型というべき存在であり、エアユニットをはじめとするソールテクノロジーは初代のそれを継承しながらも、主にアッパーデザインのアップデイトにより、安定感の向上と外観のリフレッシュをはかっていた。

そしてこのエア マックス90は、非常に成功したモデルとなった。その理由は、ナイキ エアに対する評価と認知度が高まったことにあるだろう。1990年は、ナイキ エアが大ブレイクする時代へと突入する、その転換期だったのである。

1972年に誕生したナイキは、わずか数年でアメリカのスポーツシューズ市場におけるトップブランドの座へと登りつめた。それは確かな性能と快適さ、そして時代を見極めるセンスがあったからこそなのだが、1980年代に突入すると強力なコンペティターが次々と現れ、その牙城を崩しにかかったのだ。ライバルたちはナイキのテクノロジーを参考にしながら、急速にプロダクトのクオリティを高めてきた。またフィットネスやダンスなど、新しいジャンルのスポーツが人気となり、それらに対応する製品も新たに開発する必要があった。

そうした’80年代の熾烈な競争をくぐり抜ける中で、ナイキが出したひとつの答えは「エア」だった。1978年に登場したナイキ エアという独自のクッショニングシステムを、ナイキのもっとも重要なテクノロジーとして再定義し、その性能を磨くばかりでなく徹底的に周知させることにしたのだ。

AIR MAX 90 OG (1990)

AIR MAX 90 OG (1990)

1985年にはエアジョーダンが登場。そして1987年に初のビジブルエアを搭載したエア マックスが登場し、ビジュアルからストレートに機能を連想させることで、ヒット商品となった。「エア」はやがてナイキの代名詞となり、もっとも高性能で最先端のシューズ、というイメージを人々に焼き付けていった。そして’90年代のナイキ エア全盛期へと突入していくのである。

僕が10代を過ごした東京のストリートシーンでは、’80年代後半からアメリカンカジュアル、通称アメカジが猛威を振るっていた。それまで主流だったドメスティックブランドを軸とするデザイナーズブランドブームが、黒一辺倒で洗練されたものだったのに対し、ジーンズやワークウェア、ミリタリーウェアなど、土臭くて質実剛健なアイテムに人気が集まったのだ。

しかしその足元はワークブーツなどが主流であり、ナイキのシューズを選ぶ人はほとんどいなかった。当時のナイキのイメージといえば、あくまでもスポーツブランド。今では考えられないことだが、ファッションとしてナイキのシューズを取り入れる人は少なく、ナイキは真剣にスポーツに取り組む人が選ぶブランドと考えられていた。

©matt stevens

©matt stevens

実は僕自身、はじめて履いたナイキ エアがこのエア マックス90だったのだが、やはり運動部の練習のために手に入れたものだった。高校生になり、トレーニング用のシューズも少し気の効いたデザインが欲しくなった時、エア マックスはもっとも輝いて見える存在だったのだ。

そして何より、エア マックスは履き心地が素晴らしかった。大容量のエアバッグが地面からのショックをやわらげると同時に、反発力にかえてくれる。まるで空中を飛び跳ねるような感覚、といっては大袈裟かもしれないが、「エア」という言葉の響きもともなって、実際そんな風に思ったものだ。その履き心地の良さは、練習の疲れを軽減させてくれるような気がして、もうほかのクツには戻れないとさえ思った。

またその安定感や通気性の良さも素晴らしく、ランニングシューズとはいえ様々なトレーニングに対応し、足のムレも防いでくれたのが最高だった。ムレないということはつまり、マメが出来にくいということだ。

同世代で同じような感覚を抱いていた人は、きっと大勢いたことだろう。僕らのまわりの運動部仲間でも、エア マックスの着用率が異様に高かったことを覚えている。

©matt stevens

©matt stevens

そしてその印象を裏付けているのが、アッパーに配置されたプラスティックパーツの存在。シューレースの締め上げを確実にするために配置されたこのパーツが、当時としては目新しく、ハイテクとまではいえないものの、確実に新世代のスニーカーであることを主張しているように思えた。

白いメッシュが薄汚れて、グレーになってきたとしても、オレンジ色のプラパーツだけは鮮やかな色をたもち、エア マックスをスタイリッシュな存在のままにしてくれたのだ。

AIR MAX 90 OG (1990)

AIR MAX 90 OG (1990)

翌1991年、後継モデルの4代目エア マックスが登場した頃から、ファッションシーンでも俄にナイキが注目される存在になってくる。本格的なブレイクはさらに’95年にエア マックス95が登場してからになるのだが、それでも’70年代のヴィンテージから最新のエア マックスやエアジョーダンまで、ナイキはもっとも注目されるスニーカーブランドとなっていた。

しかし当時のシーンで求められていたのは、スポーツシューズの王道から一歩外れた、斬新なデザインやカラーリングのモデル。白を基調とし、オーセンティックなスポーツシューズの王道を踏み外していなかったエア マックス90は、まだまだファッションとして注目される存在ではなかったといえるだろう。しかし2000年代になり、エア マックス90は再び脚光を浴びることになる。

ナイキ スポーツウェアとして、ナイキがライフスタイルカテゴリーにも注力するようになってから、エア マックス90はかつての姿そのままに蘇り、僕らの前に再び姿をあらわした。そして満を持してのオリジナルカラーの登場。’90年代のスポーツクラシックは、20年の時を経たことで、とてもスタイリッシュに目に映るようになっていた。

©matt stevens

©matt stevens

時代を読むという感覚において、ナイキは卓越したセンスを持っていると言えるだろう。かつての体育会系スポーツシューズが、最先端のスポーツファッションギアとして、第二の人生を歩みはじめたのだ。

そして現在はオリジナルのエア マックス90をベースとしながらも、最新のソールテクノロジーやアッパーテクノロジーを注入した、リミックスモデルが続々と登場している。エア マックス90はナイキの永久定番として、その座を確固たるものにしたという印象だ。

僕に取って忘れられない’90年代の記憶の一部であるこのスニーカーは、これからも甘い思い出の残り香を漂わせながら、まだ見ぬ新たな表情を僕らに見せつづけてくれることだろう。

Text:Takatoshi Akutagawa
Edit:Keita Miki

次のページに続きます。