週刊『俺とエアマックス』 第4号 – AIR MAX ZERO –

by Mastered編集部

EYESCREAM.JPが[NIKE(ナイキ)]の言わずと知れた名作中の名作エアマックスシリーズより、毎週1足をチョイスし、全4回に渡ってその魅力を独自に再定義していく1ヶ月限定マガジン、週刊『俺とエアマックス』。

大好評を博した第1回『NIKE AIR MAX 95』第2回『NIKE AIR MAX 90』第3回『NIKE AIR MAX 1』に続き、最終号となる今回登場するのは、先日いち早くそのリリースをニュースとしてもお伝えした"The One Before The 1"、『NIKE AIR MAX ZERO』。

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俺とエアマックス – AIR MAX ZERO編 –

NIKE AIR MAX ZERO

NIKE AIR MAX ZERO

これまで筆者のパーソナルな想い出を交えつつ、その歴史や存在意義について存分にお伝えしてきた本連載『俺とエアマックス』であるが、この最終回ばかりは少し趣が異なる。

なにせ、今回のお題である『NIKE AIR MAX ZERO』は、29年もの間眠っていたティンカー・ハットフィールドのスケッチを元に産み出されたもの。当然その間、『NIKE AIR MAX ZERO』の存在を知る者は、ティンカー・ハットフィールドと内部の極一部の人々だけだった訳である。

そこで今回は、ハットフィールドのスケッチを実際に見つけ出し、『NIKE AIR MAX ZERO』を現代に蘇らせた[NIKE]のデザイナー、グレアム・マクミラン(Graeme McMillan)のインタビューをお届け。『NIKE AIR MAX ZERO』の生みの親とも言えるマクミラン自身に、彼目線での『俺とエアマックス』を語ってもらった。

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—まずは『NIKE AIR MAX ZERO』が生まれた経緯について教えてください。

グレアム・マクミラン:2014年3月26日、ナイキは初めてエアマックスデーを通して、エアマックスファミリーの誕生を祝いましましたが、2015年には何かさらに特別なことをしたいと考えました。そこでアイディアを見つけるため、歴代のエアマックスの資料が保管されているナイキ・アーカイブ部門をまず探ることにしたのです。エアマックスに、現代のカルチャーやイノベーションにも通じるものがあることを示すヒントを見つけたいと思っていたのですが、そこで偶然にものちに『NIKE AIR MAX ZERO』となるスケッチを見つけたのです。

—アーカイブ部門では具体的にどのようにスケッチを発見したのですか?

グレアム・マクミラン:このプロジェクトがスタートする2ヶ月ほど前に、他のミーティングのためにアーカイブ部門を訪れたんです。そこには、様々なモデルの初期の試作品やサンプルなど、エアマックスの資料が展示されていました。たくさんの古い資料や試作品があり、まるで考古学資料を掘り返すように、その場にいないと普通はみられないものばかりでした。

実はアーカイブ部門に行く前にもこのスケッチを見たことがあったのですが、当時はその意味を十分に理解していませんでした。チームの1人が、それは『NIKE AIR MAX 1』開発当初のアイディアだったと気づき、デザインチームに伝えたのです。実現しなかったプロダクトのスケッチでした。でも、もしこれを世界中の人々にも見てもらえれば、エア マックス・シリーズが生まれるまでの道のりに光を照らすことができるのでは無いかと考えたのです。

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— 以前にもスケッチを見たことがあるとのことですが、このプロジェクトがスタートする前に、『NIKE AIR MAX 1』に先駆けるエアマックスが存在することをご存じだったのでしょうか?

グレアム・マクミラン:具体的にどんなことがあったのかは知りませんでしたが、『NIKE AIR MAX 1』が完成する前に幾つかのバージョンや、初期的なコンセプトスケッチなどがあったことは知っていました。ただし、情報をしっかりと掘り下げて調べるまで、このスケッチにまつわるストーリーは知りませんでした。

— では、はじめてこのスケッチを目にし、それに関するストーリーを聞いた時にはどんな想いを抱きましたか?

グレアム・マクミラン:最初は、これはある意味では『NIKE AIR MAX 1』をもっと現代的にしたものなのではないかという印象を受けました。デザインを『NIKE AIR MAX 1』よりも少しシンプルにしたような、そんなイメージでしたね。また 、他のシューズに繋がる幾つかの要素も見受けられました。例えば『NIKE AIR HUARACHE』のようなインナースリーブや、『NIKE SOCKRACER』のようなすっきりした甲皮部分など、スケッチには後に生まれた様々なシューズのディティールが見受けられました。実際にティンカー・ハットフィールドと話をして、このシューズのあらゆるディテールが快適さとフィットを高めるためのアイディアだったことに気付きました。

— ティンカー・ハットフィールドという偉大なデザイナーが30年前に描いたスケッチを、実際のプロダクトにするという仕事をあなたが担当するとわかった時にはどのように感じましたか?

グレアム・マクミラン:憧れのデザイナーであり、同時にスニーカーデザインの重鎮である彼が描いたスケッチを受け継ぐというのは、私にはすこし身に余る仕事にも感じました。なぜなら、デザインが意図したことに忠実に、そのデザインにふさわしいものを作る責任があるからです。さらに現代のイノベーション要素を付け加え、『NIKE AIR MAX 1』が発売になった1987年にはできなかった方法でシューズを作る責任もあります。それを達成するため、快適さ、フィット性と軽さというコンセプトを元にフューズ製法、エンジニアードメッシュやナイキフライニットなど、当時は存在しなかった現代的な製法やイノベーションを融合させました。一日中快適に履いていられるものを作るという、もともとのアイディアを実現するべきだと考えたのです。

— ティンカー・ハットフィールドとの対話の中で、作業を始める時に指針となったり、新たなアイディアをもたらしてくれた印象的な言葉は何かありますか?

グレアム・マクミラン:ティンカーは、「もともとのデザインの目的は異なる素材や製法を用いて、とびきり快適なものを作ることだった」と言いました。私たちはそのアイディアを、当時には存在しなかった新しいイノベーションの視点から考えることにしました。また、ティンカーは、当時彼が望んでいたフィットを実現出来る素材を見つけることができなかったとも話していました。具体的には、ソックスのようなフィットを望んでいたのにも関わらず、それを実現できるだけの適度の伸縮性のある前足部用の素材を見つけられなかったのだそうです。

An icon for every icon. Wear Your Air 3.26. #airmaxday

Nike Sportswearさん(@nikesportswear)が投稿した動画 –

— 『NIKE AIR MAX ZERO』のデザインプロセスを、最初から順を追って説明して頂いてもよろしいですか?

グレアム・マクミラン:最初の仕事は30年前のコンセプトスケッチを現実のものにすることでした。最初から2つのことを常に考えていたのです。1つ目は、「デザインの意図を叶えるためには、どのようにしてシューズを組み立てるべきか」ということ。そして2つ目は、「どのようなミッドソールとアウトソールを使うか」ということ。その頃ちょうど、これまで作った中でも最軽量の『NIKE AIR MAX 1』、『NIKE AIR MAX 1 ULTRA MOIRE』のデザインを仕上げたところで、これはオリジナルよりとても軽いモノです。 前足部の素材の重なりを減らし、ポリウレタン素材を型に注入して作る製法をやめて、代わりにファイロンのフォームを使っています。その製法がソールに使えるとわかったところで、次の問題はアッパーの素材と作り方でした。 素材を切って縫う一般的なアッパーを作りたくはなかったので、代わりに薄いフィルムをメッシュに重ねるフューズ製法を採用することにしました。また、単繊維の糸を使ったメッシュも採用しましたが、これも1987年にはなかったものです。これにより、通気性を落とすことなくすっきりとしたつまさきを作ることが出来ました。同時にツートン素材のように見えるので、シューズに立体感も加わります。

— ティンカーは現代のイノベーションを使って作った『NIKE AIR MAX ZERO』にどのような感想を持ったのでしょう?

グレアム・マクミラン:最初にスケッチを描いた時、そのシューズの前足部分を実現するための素材が存在しないように感じていたので、このコンセプトにはとても賛成してくれていましたよ。

— それでは最後に『NIKE AIR MAX ZERO』とそれにまつわるアイディアを一言で表現するとすれば?

グレアム・マクミラン:「革新的」。

Text&Edit:Keita Miki

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