週刊『俺とエアマックス』 第3号 – AIR MAX 1 –

by Mastered編集部

EYESCREAM.JPが[NIKE(ナイキ)]の言わずと知れた名作中の名作エアマックスシリーズより、毎週1足をチョイスし、全4回に渡ってその魅力を独自に再定義していく1ヶ月限定マガジン、週刊『俺とエアマックス』。

大好評を博した第1回『NIKE AIR MAX 95』第2回『NIKE AIR MAX 90』に続いて今週登場するのは、『NIKE AIR MAX 1』。

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俺とエアマックス – AIR MAX 1編 –

NIKE AIR MAX 1 OG

NIKE AIR MAX 1 OG

ナイキ エア。その歴史のはじまりは、1970年代まで遡る。ポリウレタンプラスティック製のエアバッグにガスを封入したものを、シューズのクッショニングにつかうというアイディアは、NASA(アメリカ航空宇宙局)の研究員だったマリオン・フランク・ルディという人物によって考案された。そして1977年、そのアイディアがナイキに持ちこまれたことで、ナイキ エアの開発がスタートしたのだった。

1970年代、ナイキはまさに破竹の勢いで市場を席巻していた。もともとオレゴン大学陸上部のコーチであったビル・バウワーマンと、その教え子で中・長距離選手だったフィル・ナイトによって設立されたナイキは、陸上競技用のトレーニングシューズをもっとも得意とし、その履き心地の良さで他社をリードしていたのだ。

その開発力の源となっていたのは、バウワーマンの経験に裏打ちされた数々のアイディア。『ナイキ マラソン』で採用されたスウッシュファイバー(間にフォームを挟んだソフトなナイロンアッパー素材)や、『ナイキ コルテッツ』で採用された三層ソール、そして『ナイキ ワッフルトレーナー』で採用されたワッフルソールなどは、どれもバウワーマンが考案したものであり、ナイキシューズの履き心地を良くすることに貢献していた。

しかし1970年代も後半にさしかかると、ライバルメーカーたちは履き心地に重点を置いたランニングシューズを次々と開発し、ナイキはさらなるテクノロジーの開発に力を注ぐ必要に迫られる。まさにそうした時期にあらわれたのが、エアだったのだ。

©matt stevens

©matt stevens

はじめてナイキ エアを搭載したシューズが発売されたのは、1978年のこと。『ナイキ エア テイルウインド』という、トレーニング向けのランニングシューズだった。
テイルウインドは、既存モデルとかわらないアッパーデザインを持ち、アウトソールも従来のワッフルソールを採用していたが、ミッドソールだけはまったく新しいものとなっていた。従来のモデルはミッドソールがEVA(エチレンとビニールアセテートの化合物によるフォーム素材)製だったのに対し、テイルウインドはポリウレタンフォームでミッドソールを成型し、その内部にガスを封入したエアバッグを搭載していたのだ。

テイルウインドの履き心地は、従来のランニングシューズのそれとは、明らかに一線を画すものだった。この頃のエアバッグはまだ圧力が低かったこともあり、ポリウレタン独特のしっとりとした感触と相まって、まるでソファの上に乗っているようなソフトな履き心地をもたらしたのである。機能的にはランニングシューズに不可欠な反発力が足りないなど、まだ課題は残されていたものの、感覚的な履き心地の良さは十分実感できた。そこでより優れたエアソールを目指し、ナイキ エアの開発は本格的に加速していくのである。

1980年代に入り、様々なエアソールをトライしていく中で、ナイキ エアの機能性はどんどん高まっていく。エアバッグの圧力を高めることで反発力も改善し、その性能は特にトレーニングシューズにおいて、有意義なものとなっていた。
しかしその効果を一般に知らしめることは、何よりも難しいことでもあった。『ナイキ コルテッツ』の三層ソールや、『ナイキ ワッフルトレーナー』のワッフルソールは、見た目にその違いがわかった。しかしナイキ エアは、一見普通のソールと見分けがつかない。実際に着用してみるまでは、頭でイメージするしかなかったのだ。そこでナイキは、ナイキ エアの効果を視覚的に訴えかける方法を、模索しはじめるのである。

©matt stevens

©matt stevens

最初にナイキ エアを視覚的にアピールしたのは、NBAシカゴ・ブルズに所属していたマイケル・ジョーダンだった。彼は1985年に発売された自らのシグネチャーシューズ、『エア・ジョーダン』を履き、高く飛び上がってシュートするアイコンをモチーフにして、エア=反発力というイメージを人々に植え付けた。
しかしエアの効能は、反発力だけではない。そしてまた、エア・ジョーダンだけの機能でもなかった。そこでナイキのデザイナー、ティンカー・ハットフィールドが、大胆な提案を持ち出した。それが物理的にエアを見えるようにするという発想。彼のスケッチには、ソールの一部が切り取られ、エアバッグの側面が露出したシューズが描かれていた。

ティンカー・ハットフィールドのデザインは、当初は賛否両論だったという。何しろ中身が見えているソールなんて前例がない。しかしそうした反響があったのも、彼のデザインが革新的で、インパクトのあるものだったからこそ。そしていくつかのスケッチの中から選ばれたひとつが、発売されることになった。1987年。初のビジブルエア搭載シューズ、『ナイキ エア マックス』の登場である。

ナイキ エアは「見える」存在となったことで、その性能を高くアピールすることに成功したと言えるだろう。またエア マックスはその名の通り、大容量のエアバッグを搭載し、当時としては極めて高い衝撃吸収性と反発性を実現。まさにエアの上を歩くような履き心地を体感できるシューズに仕上がっていた。視覚から想像する性能の高さと、実際の履き心地がリンクしたことで、エア マックスは大きな反響を呼び、人々にナイキ エアの存在を広く知らしめることに成功したのだ。

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実際1980年代後半を振り返ると、ビジブルエアこそがナイキ エアだというのが、ことさらシューズに詳しいわけでもない、一般的な僕らの認識だった。外からエアバッグが見えていなくても、ナイキ エアを搭載したシューズがあるということを知ったのは、それから何年も後のこと。それくらいビジブルエアは視覚的にわかりやすく、ナイキ独自のテクノロジーであることを、強くアピールしていたのだ。

近年、エア マックスのエアユニットは大容量化が進み、ミッドソールのほとんどすべてがエアバッグとなった。そういった最新のエア マックスに比べれば、『ナイキ エア マックス 1』のソールはまだまだクラシカルで、エアバッグもヒールに搭載されているだけだし、ポリウレタンフォームが占める割合も大きい。しかしエアソール全盛時代へと突入する以前の過渡期だからこそ存在した、クラシックとモダニズムの絶妙なバランスが、現代のライフスタイルにとてもマッチしていると言えるだろう。

連綿と続くエアマックスヒストリーの第一歩は、たしかにこのシューズによって印された。そしてナイキを代表する偉大なヘイリテイジとして、『ナイキ エア マックス 1』はいつまでも存在し続ける。ライフスタイルウェアという、新たなフィールドの上で。

Text:Takatoshi Akutagawa
Edit:Keita Miki

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