— 藤井さんは気になってる人、誰かいらっしゃいますか?
藤井:同業者では、あまりいないかな……。もちろん、面白いものを作るなって人は沢山いるんですけど。特に気にしているってことでも無くて。
BIM:俺らの世代くらいの人っているんですか? 番組を作ってるような人で。
藤井:ほとんどいないんじゃないかな。まだ名前が出るような立場に立ってないと思うよ。けっこう基礎的な部分を下積みをしないとだから。30歳前後とか、早ければ20代後半くらいならいるかも。
BIM:藤井さんも番組制作に携わるようになったのはその年代からだったんですか?
藤井:自分メインの番組はそうですね。入社2年目で1本作ってはいるんですけど、それはたまたまで。ちゃんと作ったのは29とかかな。それでもちょっと早い方だと思います。
— なるほど。じゃあ、また次に行きましょうか。
藤井:BIM、クジ引いてよ。
BIM:はい。えっと、「どんな青春時代を過ごしたか」。
藤井:僕は中高男子校で。音楽が好きだったからクラブとかにも行ったけど、わりとインドア派で、外でワイワイするよりは家が好きだったかな。
BIM:俺はずっとヒップホップが好きな友達がいなかったから、ひとりで掘ったりしてて、あとはずっと部活やってました。高校はアメフトで、中学はバスケ。
藤井:ヒップホップは冬の時代だったのかね。俺らのときは逆に高校生はみんなヒップホップだったから。BIMのときは何が流行ってたの?
BIM:バンドですね。銀杏BOYZとか(マキシマム ザ )ホルモンとか、日本のバンド。
藤井:僕らはちょっと下の世代がメロコアで、僕らの世代はほとんどヒップホップだったかな。スーパー高校生ブームみたいなものがあってDJやるのが流行ってたし、高校生がやるパーティも全部ヒップホップだったし。
— BIMさんはそんな環境で、バンド側には揺れなかったんですか?
BIM:バンド、やらなかったですね。ただその頃に、同世代で「格好いいな」って思ってたSTRANGE-MACHINEってバンドがあって。そのバンドのメンバーが今はD.A.N.にいますね。昔、格好良いと思っていたバンドの人が今もシーンにいるのは嬉しいことですね。あとは、バトルの方にrkemishiくんっていうラッパーがいて。ちらっと話したことあるぐらいなんですけど、同い年でやってるラッパーで初めて知ったのは彼ですね。あとはKANDYTOWNの前のズットスレテルズ、BANKROLL、YaBastaとか、そこらへんの人たちがいて、その後に俺らとか、GOKU GREENくんとかが出てきたって感じで。今でこそ「同世代、多いよね」って言われるけど、青春時代はそんなに多いと思ってなかったです。
— 疎外感みたいなものがあったんですね。意外です。
BIM:だから、いまだに高校の同窓会行ったら、「まだチェケラやってんの?」みたいなことを言われますよ(笑)。クジ、もう一個引いても良いですか?