Wassup VERDY – VERDYに訊く、Girl’s Don’t Cryとあれこれ –

by Keita Miki

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— ただ、自分達の世代にとっていわゆる”裏原宿”のカルチャーってちょっと後追いにはなるじゃないですか。なので、メロコアやハードコアに関してもそうですが、リアルタイムというよりはちょっと昔のことを掘っていく作業になりますよね?

VERDY:そうそう、存在を知った頃にはもうHi-STANDARDは活動休止していましたしね。ただ、その流れからHAWAIIAN6とかBBQ CHICKENSみたいなバンドを知ることが出来たし、それはファッションに関しても同じことが言えるのかな、と。

— グラフィックデザインへの興味・関心のきっかけについてはいかがでしょう。

VERDY:それも結局は音楽が入り口にはなっているんですが、そこからスケートボードに関連したアートワークやJim Phillips(ジム・フィリップス)を好きになって、同時に7STARS DESIGNとか、SKATE THINGさんの存在を知って……。そう考えると音楽と当時の雑誌からは本当に色々なことを教えてもらいましたね。

— 自分で絵を描くようになったのはいつ頃から?

VERDY:子供の頃から、ずっと絵は好きで描いていました。授業中、ノートに落書き代わりにバンドの絵を描いてるような感じ(笑)。いざ、高校卒業が迫って、進路のことを考えたときに「グラフィックデザインを勉強したいな」と思って、専門学校に入学したんです。専門学校に入学してからはバンド活動も始めて、ライブハウスで友達になったバンドのアートワークを描いたり、自分達が出演するイベントのフライヤーを描いて、ギャラとしてドリンクチケットを20枚もらう……みたいな(笑)。そうして身の回りのものを自分で描き始めたのが、最初になります。そこから仕事としても少しづつ依頼を頂けるようになって、様々なバンドのデザインに携わる機会が増えていきました。

— 東京に拠点を移したのは何故ですか?

VERDY:裏原カルチャーの影響もあり、以前から東京には漠然とした憧れを持っていました。それとバンド周りのデザインの仕事をしていく中で、ファッションやもっと大きな仕事もしたいと感じるようになって、「どうやったら大きい仕事ができるんだろう?」と考えた時、「やっぱり面白いことは全部東京で起こっているんだよな」ってことに気付いて。もちろん大阪は好きだし、そのまま大阪にいることも選択肢の1つではあったと思うのですが、自分のチャンスを更に広げるために東京に拠点を移すことに決めました。そういう意味では、自分は東京を拠点とした東京のアーティストであって、生まれ育ったのが大阪って感覚なのかもしれないですね。

— VERDYさんから見た大阪と東京の違いは?

VERDY:大阪はとりあえずアメ村周辺にいればクラブ、ライブハウス、アパレルと何でも揃っちゃいますけど、東京は色々な場所に独自のカルチャーがあって、それぞれの街に、より個性があるように感じます。ただ、今でも大阪で定期的にイベントやポップアップを開催していることには理由があって、それは大阪にいた頃に感じた「面白いことは全部東京で起こっている」って感覚に対する、ある種のアンチテーゼでもあるんです。「大阪でもこんな面白いことが起こったら良いのにな」って当時思っていたことを、今自分自身で大阪で実践している感じというか。機会があればこれからも大阪でも、大阪以外の土地でも積極的に色々な面白いことをやっていきたいですね。