柿本— そうして『ハッシュ!』を完成させた後、橋口さんは鬱病と戦うことになる訳ですけど、その根本の原因に関係する事件があると聞きました。橋口さんは今現在も尚、詐欺被害にあわれている。その詐欺被害というのが実は『ハッシュ』と『ぐるりのこと。』と聞きました。それは一体どういうことなんですか?
橋口:なんてことない話で、理由は単純にストレスですよ。『ハッシュ!』を作るのは案外すぐ出来たけど、宣伝に1年半かかったんです。映画が完成して試写をやった瞬間から「本年度ナンバーワン」と言われて、カンヌにも行ったし、マスコミの取材が1年半途切れることが無かった。1年半、膨大な量の宣伝をこなす中で小説も書く。それがとにかく大変で。映画祭、海外のキャンペーン、日本公開、地方のキャンペーン……自分の意に沿わない宣伝も沢山やらされた。ふと気づいたら「この先、映画やって何がある。何もない。死ぬしかない」って、そればかり考えてる。そんな状態になってました。自分でも理由が分からない。波に吞まれたような感じでした。そのうち、この先どうやって生きていこうかって考えていたら、ふと「ボディービルダーになろう!」って思ったんです。
(一同笑)
橋口:それからジムに通い出して、トレーニングは全部自己流。食事は1日5食、ツナ缶をどんぶりめしにかけたものをおやつに食べるっていう生活を半年続けました。ダンベルを持って泣いたのは、後にも先にも、あの時が初めてですね。あまりにも重くて(笑)。自分が生涯で持ったことの無い重さで。周囲の人は、「何であの人泣いてるの?」って不思議だったと思います(笑)。まぁ、別にマッチョになってモテたいとかそういうのは全然無くて、本当に自分の肉体しかすがるものが無かったんでしょうね。自分の肉体とひたすら格闘することしか思いつかなかった。その結果、それまでジムで鼻にもかけてくれなかったマッチョが「あの、ポテンシャルすごく高いですよね」とか、「サプリ、何摂ってるんすか?」とか話しかけてくるくらいまでにはなりましたよ(笑)。
鬱から抜けたのは、ある秋に、僕の家の近くにある大きなイチョウの木を見たとき。黄色のイチョウに、青い空の色がスコーンと抜けていて、世界はなんて美しいんだろうって思ったんです。鬱の時って色彩の感覚とかが無くなるんですけど、その風景を目にした時に「あっ、抜けたかな」と。それからですね、また映画をやろうかなと思うようになったのは。鬱の時に感じた色々な事を、なんとか形に出来ないかと作りはじめたのが『ぐるりのこと。』でした。
柿本— 『ぐるりのこと。』も宣伝は大変だったんじゃないですか?
橋口:いえ、『ぐるりのこと。』に関しては『ハッシュ!』での経験もあったので、はじめから「意に沿わない宣伝はやりません」と宣言していて、そこまで大変では無かったです。お陰様で評判も良くて、ストレスも無かったし、映画は大ヒット。ただ問題はその後ですよ。日本公開の後に年末の賞レースも控えていたし、最高の年末になるかなと思っていたんですけどね。冒頭でお話しした”ある出来事”というのがこれなんですが、今度は鬱じゃないですよ。映画の制作会社の代表、つまりはプロデューサーが『ハッシュ!』と『ぐるりのこと。』の印税を盗んでいたことが分かったんです。本来ならば『ハッシュ!』の段階で気付くべきだったんですが、ぼくはその時、鬱だった訳で、印税のことなんてすっかり頭から抜け落ちていた。そもそも、『ハッシュ!』での宣伝の件があったので、もう2度とその会社とは仕事はしたくないと思っていたんだけれど、別の会社と契約したらそこがあまりにも酷くて、「さぁ、どうしよう」ってなった時に再び彼が声をかけてきたんですよね。まぁ、「橋口は鬱にしとけば印税の事には気付かない。橋口に作らせた映画は売れるし、印税も盗める。」とでも思ったんでしょうね。その時の僕はそんなこと全く知らないので、『ハッシュ!』の時のような意に沿わない宣伝をしないことを条件に作ることにしました。でも結局、宣伝に関しても、「DVD発売の宣伝のために」っていう名目でまぁ理不尽なことをやらされましたよ。「DVD発売のためにイメージソングを作れ」、「DVD発売のために小説を書け」と次から次へと無理難題を押し付けられて、映画の宣伝以上な訳です。僕もありえないなと思って、「やりません」って言うんですけど、一切聞いてもらえない。今思えば、全部僕を追い詰めるためだったんでしょうね。一番キツかったのは、ある映画賞の後の打ち合わせで精神病を描いた映画のDVDを渡されたとき。「なんですかこれ?」って聞いたら、「精神病のDVD。宣伝のために見て。」って言われました。意味が分からなかった。
もちろん、僕が鬱で一度死にそうになったことを知っていてですよ?。 とにかく彼は「橋口を追い詰めて、なんとか鬱にさせよう」と思っていたんです。なぜかって、『ハッシュ!』の印税を盗んでいたことがバレたくなかったし、『ぐるりのこと。』の印税が欲しかったから。
柿本— というか、とんでもない事件じゃないですか?その会社とは契約書は交わしていなかったんですか?
橋口:交わしてないですね。そういう会社だし、そのプロデューサーはそういう人間なんですよ。とにかく容赦がない。僕が生涯で唯一お付き合いしたオランダ人のパートナーがいるんですが、彼が心臓発作で無くなった時、そのプロデューサーはわざわざ電話をかけてきて、「○○、死んじゃったね」って半笑いで言いました。たぶん落ち込んでる僕をもっと落そうとしたんでしょう。そんなことを次々とやられたんです。この人が何故こんなことをするのか、僕には到底分からなかったけど、いくら考えても分からないから、当時はとりあえず『ぐるりのこと。』の印税が入ったら、1人でユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行って、帰りに神戸に寄って鉄人28号の銅像を見ようって思ってました(笑)。
ところがその印税がいつまでたっても入らない。でも、まさか身近で仕事をしている人間に印税を盗まれるなんて発想は無かったし、その時は印税が入らないことと、プロデューサーの理不尽な行動が全く結びつきませんでした。それから半年後くらいですかね、さすがにおかしいと思って、色々と問い詰めたら「盗みました」ってあっさり認めましたよ。「泥棒じゃないですか」って言ったら、彼は「だって、そうしないとやっていけないんだもん」って半笑いで答えました。もうこうなれば戦うしかないと思って、弁護士を雇いましたが、その弁護士もひどくて……。五人の弁護士に相談しましたが訴えることすらできない。この国は、法治国家ですらなかったのかと絶望しました。その悪夢のような数年間の間に、僕は一度人生を失ったんです。冒頭でお話ししたように自分の信念すら失いました。自分の胸の中にある言葉を探しても、そこには「クソ」っていう言葉しかないような状態で、もうこの先映画は作れないなと思いました。
柿本— そんな状態からもう一度、こうやって作品を作ろうと思ったのは何がきっかけになったんですか?
橋口:ある人が僕にワークショップを開催することを薦めてくれて。こんな人間が若い役者さんに何を教えられるんだろうとは思ったけど、僕は間違っていないし、狂ってもいない。今までと同じことををすれば良いと思って、ヤケクソで行きました。とにかくどん底だったから自分の全てをさらけ出した。異様なバイアスのかかったワークショップだったとは思うんですが、生徒たちから返ってきたものはとっても美しかった。僕に伝える力はもう無いと思っていたんですけど、「あぁ、伝えることは意味が無い事ではないんだな」って思えたんです。その力だけはまだ僕に残っていた。そこからです。もう1回やれるかなと思って、ワークショップの中であり得ないぐらいの低予算で映画を撮って、すごくきついけれど1つ1つ「良いものが出来た」っていう実感の積み重ね。ヒットするとか、売れるとか、そんなことはどうでも良くて、気持ちの良い人たちと楽しく良い仕事をする。なんかおやじみたいなこと言いますけど、腹いっぱい食べて笑っていれば、人間なんとかなるもんですよ。
柿本— 本来必用のない、欲や歪んだ概念が削ぎ落とされ、ほんとに純粋なところに一度立ち戻ったんですね。
橋口:審査員の仕事もずっと断っていたんですけど、最近久々にやらせてもらったら、20代の人たちがプロだとかアマだとか関係なく、自分のスタイルで面白い作品を作っていてすごく良かったですね。特に良かったのが『くらげくん』という映画なんですが、この作品には”絶望のその先”をみてる視点があるんです。「世の中ってこんなにひどい。でも、それって当たり前じゃん。当たり前の中で自分たちは生きていて、こうして作品作っている。僕たちに絶望してる暇はない。絶望のその先に行きたいんだ」って視点を今の20代の人が持っていることにすごく感動して。僕も『ぐるりのこと。』で同じことをやったつもりだったんですが、この人たちには必要ないんだなって。僕も絶望なんかしてる暇は無いって思うことが出来ました。僕の同世代の監督と言うと平野勝之、園子温、岩井俊二、成島出っていうのが同期なんですけど、例えば平野は『監督失格』で8年間不倫していたAV嬢の不審死の現場にカメラを持って行って、撮ってる。普通だったら絶望してますよ。でも、それでも平野は撮るんだなって考えた時、”作る”って道を選んでしまった人はそこから逃げられないんだ、足踏みは許されないんだって。みんなその先に行こうとしてるんですよね。
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