20年間の音楽評論家としてのキャリアの中で、大半の時間は自分がやっちゃいけないと思うことをあえてやってきたような気がします。
西村:今、話の中に出て来たパフォーマティブという部分ですけど、僕はタナソーさんのそういうところが凄く好きなんです。そのスタイルはロッキング・オンにいた時から確立されていたんですか?
田中:いや、全然。ロッキング・オンに入社したのが1991年なんだけど、当時の『rockin’on』には読者の投稿原稿を掲載するページがあって、言うならば『rockin’on』はそのページが評判になって売れた雑誌なんです。当時の編集長であり、ファウンダーでもある渋谷さんは「知識を持った音楽評論家が書いたものよりも、何も知らなくても、表現と自分が共振する部分のリアリティをしっかり持っている素人の書いたものの方が説得力がある」というコンセプトを掲げていて、編集部内でもその考え方が支配的だった。感情的、エモーショナルな部分が最重要視されていたんです。ところが、入社した当時の僕は非常にドライで、クールなものを書こうとしていた。というか、そもそも書きたくなかった。当然、最初の半年くらいで大きな壁にぶつかりました。僕は広告代理店あがりだし、1980年代前半のニュー・アカデミズム・ブームの影響を強く受けているから、どうしてもそういうものが書けなかったんです。でも書かなきゃならない。当時のロッキング・オンは今みたいに大きな会社じゃなくて、経理の人間が入金の支払いサイトのことすら知らないお気楽な会社だったんですけど(笑)。その中で社員を統率しているものは何だったのかと言うと「面白い原稿」、「ウケる原稿」だったんです。要はそれを書ける奴が偉くなる。新卒の連中と横並びで入社した26歳の僕からすれば、たまったもんじゃないですよ(笑)。
だから、書き手としてと言うよりも、一社員としてデカい顔をするためにはとにかくウケる原稿を書かなきゃならなかった。実際、読者からもウケないんですよ。「広告代理店の企画書みたいなドライなものを書いてるんじゃねぇ」って言われる。まあ、あっさりと転向しますよね(笑)。あしたのジョーは泪橋を渡るためには人も殺すし、殺した人間の戸籍も売る、魂も売らなきゃならない。なので、すべてを捨てて、とにかく直接的でエモーショナルな原稿を書くことに専念したんです。すると、いきなりウケた(笑)。その当時、人気があったガンズ・アンド・ローゼズ、プライマル・スクリーム、マニック・ストリート・プリーチャーズといったバンドを1つずつボロクソに書いた。すると、カミソリが送られてきたり、自分の体を切った血で書いた呪いの手紙が届いたりはしましたけど、あっという間に大人気。だから、20年間の音楽評論家としてのキャリアの中で、大半の時間は自分がやっちゃいけないと思うことをあえてやってきたような気がします。後悔があると言えばある。自分がこうあるべきと思う批評から距離を置いて、泪橋を渡るためにロッキング・オンの最初の4年間は過ごしていたし、『snoozer』にしてもそう。
『snoozer』の版元であるリトルモアには今でも本当に感謝してるんです。雑誌を1冊作ってもそのお金が会社に入って来るのは6ヶ月後なんです。先ほどお話したように『snoozer』の1冊の制作にかかるお金が1,500万から2,000万くらいだったので、3冊作ったら約6,000万のお金が掛かります。ということは、諸々含めて、1億円くらいの資金がないと始めることが出来ない。1億円ものお金を33歳のガキに預けてくれたわけですから、僕は何が何でも『snoozer』を軌道に乗せる必要がありました。その状況で自分が考える「あるべき批評の形」を貫くことはとても出来なかったし、それが出来るようになったのは本当に『snoozer』の終盤の方。不思議なもので、そういう今までの後悔をもう一度やり直そうと思った時期と、the sign magazineの話を小林から貰った時期と、西村君と出会った時期っていうのは全部重なっているんですよ。もしかしたら、そういった偶然で始まった関係性みたいなもののひとつのアウトプットが今回の[DIGAWEL]のコレクションなんじゃないかって気はしています。
西村:『THE CHUMS OF CHANCE』もまさしくそういうことなんだと思います。僕らも批評を求めていたし、そこから色々なものがクロスオーバーしていった。皆がそれぞれのタイミングでクロスオーバーしていく。もしかしたら、流行って、そういうものなのかもしれないですね。今、ファッションの世界では90’sがトレンドになっているけど、それを編集者、批評家、誰でも良いけど「何故それが流行るのか、それは何に対するカウンターなのか」ってことをそれぞれに語ったら、もっと面白くなると思うんです。逆に言えば、今のファッションの世界にはそれさえもない。
田中:西村くんと話すようになった頃、僕は音楽批評の世界がどうしようもないって話をしていたんだけど、西村くんの話を聞いて、音楽業界の状況の方がまだいくらかマシだなと思えた。例えば、ポップ音楽の世界だと、ホワイト・ストライプスというバンドがいて、1st、2nd、3rd、それぞれのアルバムにどんな変節があって、どういう理由からそうなったのかとかっていう最小限の評論はまだ存在しています。ただ西村くんの話を聞くと、自分のコレクションが過去のコレクションとの繋がりや、時代という横軸の中で語られたことはほとんどないって言うんですね。それは大変だねって話です。だって、極論すれば、「ヤバい!」と「キテる!」しかないわけでしょ。
西村:そうそう、例えば音楽の世界だとUKとUSのシーンを並べて語ることってよくあるじゃないですか。それを元に世代論とかが生まれたりもするんだけど、それは絶対に洋服の世界にもあって然るべきだと思うんです。もちろん、クリエイションは過去との繋がりの中で生まれていくものなので、横軸と縦軸、両方が必要なんだけど、どうしてもファッションの世界では上澄みの部分だけが”流行”として切り取られがちな気がしていて。
田中:どうなんですか? メディア側の問題はさておき、実際に洋服を着てる人たちが洋服を何かしらの語るみたいなことはファッションの世界にはないんですか? 例えば、音楽だと、年末にSNSなんかで「自分の年間ベストを発表します」みたいな投稿をしている子たちも少なからずいるじゃないですか。そういうのを見ると、「要するに、これは批評ではなく、承認欲求の発露なんだな」って感覚もあるにはあるんだけど、同時に健康的だなとも思う。何らかのアングルは提示せずとも、チャートというのは、レコメンドなり、キュレーションだけはあるわけだから。
— WEARみたいなアプリは非言語的ですけど、ひとつの批評の形ではありますよね。
田中:要するに、ミックステープと同じ感覚ってこと? いや、やっぱり個人チャートか。
— そうですね、自分はこう着るというひとつの批評ではありますけど、言語化はしない。言語化するとなると、それこそ「ヤバい!」とか「キテる!」とか、そういう世界になってしまうと思います。
田中:でも、世間一般的にそこを言語化すること自体は、不粋、不必要っていう空気感もあるんでしょうね。じゃあ、ユーザー同士での衝突はあるんですか?
西村:そこで優劣を競うのは不粋って感覚がなんとなく存在していますね。ブラックミュージックのようにお互いに褒め合うことで質を高めていくみたいな部分はほとんどない。あの人はあの人、私は私らしく。
田中:それってもっとも最悪なパターンじゃないですか(笑)。なるほどな、競争を嫌うっていうのはどこも同じなんでしょうね。
西村:タナソーさんと話していて、この人、面白いなと思ったのは、昨年の年末にディアンジェロのアルバムが出たじゃないですか? で、世界中が大絶賛してた。それで、「the sign magazine の年間のチャートにはディアンジェロは入れるんですか?」って訊いたんですよ。そしたら、「そんなの入れないよ。だって、ディアンジェロが年間一位とか、当たり前すぎて、少しも面白くないじゃん」って言ってて(笑)。
田中:面白けりゃいいんですよ(笑)。正しいか間違ってるかっていうのはホントどうでもいい。でも、音楽を聴く人も、洋服を着る人も、多分、正しくないと不安なんですよ。自分が間違っていたらどうしよう?っていう。とかく誰もが安心したがってる。でも、間違わないと面白くないでしょ。常識ではありえないことが提示されないと、変化なんて起こらない。納得の範囲に自分を近づけていく行為なんてクリエイティブでも何でもない。安心を目的にしているものなんて本当に退屈ですよ。