対談:田中宗一郎(the sign magazine) × 西村浩平(DIGAWEL)

by Mastered編集部

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仁義を果たして自分が作りたくない本を作るもの嫌だし、自分がやりたいことだけをやって人の道を外れるのも嫌だった。

— 色々なところでお話はされていると思うんですが、田中さんがthe sign magazineに参加することになった経緯について改めて伺えますか。そもそも音楽雑誌『snoozer』をお辞めになったことも含め。

田中:20年間、紙のメディアをやって、出来ることはやりきったというのがひとつ。もちろん、経済的な問題もあって。それは音楽業界全体の構造の問題でもあります。例えば、『snoozer』は定価780円のA4変形本ですが、200ページ強のボリュームがあって、1冊作るのに大体1,500万円くらいのお金が掛かります。すっごく贅沢な本。今じゃ絶対に作れない。そのうち、印刷も含めた実際の制作費が約半分。要は700~800万円くらいの制作費をかけて作っている。その制作費を捻出するためには780円の本を2万部売って、さらに広告収入を得ることが出来ないと成り立たない。でも、当時はメジャーレーベルから僕が広告としてお金を引っ張ってくる形は成り立っていた。ところが、2006年くらいから世界的にメジャーレーベルがサーブするアーティストや作品よりもインディーレーベルがサーブするものの方が圧倒的に面白くなったんですね。海外のインディーレーベルは彼らなりの新しいビジネス・モデルを見つけたんだけど、日本にそのやり方は上手く輸入されなかったんです。余談ですが、日本でインディーレーベルと言うとDIYで、「金じゃない!」みたいなイメージが先行していますけど、海外のインディーレーベルは死ぬほど金にうるさいですから(笑)。日本のレーベルと契約する時だって、信じられない額のアドバンスとロイヤリティを要求したりする。逆にメジャーレーベルというと”金にまみれた悪”みたいなイメージがあるかもしれないけれど、組織は大きくなれば、どうしたってどこかイーブルになるものです。メジャーレーベルの中にも面白いA&Rはいるし、彼らが確固たる意志を持っていれば、とてもフェアな形で楽しいことが出来ます。実際、彼らとは十数年に渡って良い関係が築けたと思っているし、リスクをお互いにシェアして、大きく打って出るということが出来た。

例えば、2万部の雑誌の表紙に2,000人しか知らないアーティストを持ってくるっていう発想は一般的には音楽雑誌の常識にはないんですよ。でも、『snoozer』という雑誌はそういうバクチを積極的にやっていた。それをメジャーレーベルがアドバタイジングという形でリスク・シェアしてくれることで、2,000人しか知らないアーティストを4万人に伝えることをやっていたわけです。ところが2006年くらいから、それがやれなくなった。自分としてもそれくらいの時期から、メジャーレーベルのアーティストをほとんど取り上げなくなって、インディーレーベルのアーティストが8~9割くらいの本を作りたいくらいに考えていたんだけど、そっちからお金を引っ張ってくることがどうにも難しい。要は、自分たちが本当にピックアップしたいアーティストをメインで取扱うことが出来なくなったんです。何よりもそれが大きかった。例えば、メジャーのA&Rが「このアーティストの作品をどうしてもやりたい、予算も計上するよ」と言ってくれても、実は俺はインディーの音源の方が最高だと思っている。そういう状況で、リスクを背負うと言ってくれているレーベルの記事を小さくして、一切リスクを背負いたくないレーベルの記事を大きくしたら、さすがに道義に外れるじゃないですか。仁義というものが成り立たなくなる。インディ音楽が最高に面白くなってきた2000年代半ばからずっとそういうダブルバインドな状態が続いて、結局は辞めることにしました。仁義を果たして自分が作りたくない本を作るもの嫌だし、自分がやりたいことだけをやって人の道を外れるのも嫌だった。まあ、あんな贅沢な本じゃなきゃやれたんだけど、貧乏臭い本を作るのもやっぱり嫌だったんです。

あとは、ウェブメディアと紙のメディアって、明らかに特性が違うじゃないですか。それぞれがやれること、やれないことはすごくはっきりしている。それを試してみたかったっていうのも理由のひとつですね。ただ正直なところ、新たな媒体を自分から始めるというモチベーションはなかった。そもそもthe sign magazineは僕が始めたメディアではなく、昔『snoozer』で一緒に働いていた小林祥晴という男が始めたメディアです。受け手側の立場にたって考えると、50代の男が何かを「新しく始めます」って言っても、それに興奮なんてしないですよ(笑)。ローリング・ストーンズの再結成を喜ぶのはローリング・ストーンズをずっと聴いてきた人たちか、少しだけ乗り遅れた人たちであって。若い連中じゃない。でも、言うならば、小林は『snoozer』というバンドでそれまでずっとローディーをやってくれていた人物です。そのローディーが自分でバンドを作って、フロントマンになった。それってすごくエキサイティングなことじゃないですか。だったら今度は俺がローディーをやるよ、と。自分よりも新しい世代が何かを始める。それに自分が乗っかって、サポートをするのであれば面白いと思ったんです。『snoozer』を辞めて、the sign magazineに加わるまでの俺なんて、ほぼ世捨て人ですよ(笑)。なんとなく個人で何かをやることになるんだろうと思っていたけど、大義名分がないと、何のモチベーションも沸いてこない(笑)。大学教授になるとか、本を書くとか、いろんな選択肢があって、それぞれいろんなところから誘ってももらったんだけど、どれもどうにもやる気にならなくて。

西村:ね、面白い人でしょ? こんな面倒臭いローディーはなかなかいないですけど(笑)。

田中:the sign magazineで何をキュレーションするのか?って部分はすべて小林が決めているんです。俺はそれに対して文句も言うし、必要があればサジェッションもするけど、僕の役割は大きく言うとふたつ。ひとつはポップ音楽を世の中に広める際のモデルを、産業、経済の側面からどう再定義するか、そこの部分をサポートすること。洋服、映画、音楽、小説、すべては経済の一環じゃないですか。ビジネスの一環だからこそ、需要と供給のシステムにおいて、何かしらアンフェアだったり、上手くシステムとして機能していなかったりすれば、表現そのものに悪影響を与える。そういうビジネス的な新しい坐組みをウェブ媒体を通して、どうやって作っていくのか?ってことを、主にアイディアを出しながらサポートしています。もうひとつは、批評をもう一度、1からやってみようということ。批評こそがもっとも重要なんだ!と声高に言うのではなく、もっとカジュアルでパフォーマティブな形でやってみたい。どちらにせよ、アイディアを投げ続けるという役割なので、責任を持たなくていいから、すごく楽しいですよ(笑)。

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