いま食べるべきカレーは、世田谷にある。最注目4店の店主に聞いた、ちょっとディープなカレーのはなし

by Osamu Hashimoto and Yugo Shiokawa

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その2:駒沢大学・Indian canteen AMI 店主 伊藤恵美さん

Indian canteen AMIは、他のお店とは少し違った魅力をもっている。それは”AMI”と名付けられた所以でもあるし、“Restaurant”や“Hotel”、“Dhaba”(どちらも“食堂”の意)ではなく、”Canteen”というあまり聞き慣れない単語にも表れている。

伊藤さん(以下敬称略)「店の名前の“AMI”は、アンミー(Ammi)がインドでお母さんっていう意味(ウルドゥー語)なんですけど、『インドの家庭のカレーを提供したいな』と思ってこの名前にしました。インドにはいろんな料理や、それを食べるお店があるけど、みんな結局『家のカレーがいちばん美味しい』って言うんです。”Canteen”ってつけたのも、食堂という感じでもないし、食事をするだけのスペースにしたくなかったというのもあって、“学食”とか“社食”っていう意味のある単語を選んだんです。パキスタンに住んでいたとき、学食のことをCanteenって呼んでいたんですけど、先生も生徒がつまらなそうに授業を聞いていると『Canteenに行ってサモサでも食べながら授業やろうか?』って言うような場所。だから、食堂よりもちょっとゆるい感じのCanteenを使ったんですけど、そんな店の名前と自分とがブレない店にしたかった。将来的には食事だけじゃなくて、他にいろんなことができればいいとは思っているんだけど、今は日々がいっぱいいっぱいで(笑)」

やさしさと刺激、色あざやかなビジュアルが共存するプレートをはじめ、壁に書かれたウルドゥー語や、まるでウェス・アンダーソン映画の世界に迷い込んだかのような、個性ゆたかな調度品に囲まれた店内はもちろん魅力的。だけど、このお店に通いたくなる最大の理由は、伊藤さんのキャラクターと笑顔があってこそ。喫茶店の居抜き物件ゆえ、決して充実しているわけではないキッチンで忙しく調理や皿洗いをしていても、伊藤さんはよく笑い、歓迎し、気持よく送り出してくれる。そう、まるで“アンミー”のように。

伊藤「洗い物もたまったりするけど……いまは自分ひとりで、友達がたまに手伝ってくれたりするくらいの感じでいいかも。(もしスタッフが増えたら)助かるんだけど、そうしたらわたしはホールのことを全然しないで単純に料理を作るだけになっちゃうから、それもつまらないかなって。最初からひとりでやるつもりだったし、結局作るのはわたしだから。もし人が増えて、いっぱいの注文をまわせたとしても、それだと作るのが大変になっちゃうでしょ?(笑)。ひとりでまわせるくらいが、今の自分の力量にはちょうどいいんですよ。そうじゃないと、注文が入ったときに「また鍋がすっからかんだよ…」って、疲弊しちゃう。だから、並んでもらったり、それで帰っちゃう人がいるのは申し訳ないと思うんだけど、作らなきゃいけない量とかも考えると、それでも食べてくれる人がいるくらいが今はちょうどいいです」

もともと好きで集めていたといううつわをはじめ、伊藤さんの審美眼が光る素敵な調度品たち。
カウンターのタイルも素敵です。

伊藤さんと話をしていると、不思議と心地よくなってくる。会話のリズムやトーン、それに聞いてはいけなそうなこともポーンと飛び出してくるストレートさ。真面目さと適当さのバランスも絶妙だ。そして、それはインドに対するスタンスも同じ。

伊藤「大学の時に、言語でウルドゥー語を選んだんですよ。たいしたきっかけもなく、たまたま学校のパンフレットにいろんな国の写真が載っているなかで、単純に行ってみたいと思ったのがインドとベトナムだったんです。そんなだから、1年目から楽しかったわけではなかったんだけど、大学1年の途中でインドにはじめて行って、それからですね。大学を卒業するときには、ずっとインドにかかわって生きていこうと決めてました。でも逆に、インドに関わる仕事だったら業種はなんでもいいと思っていたから、宝石なんてまったく興味がなかったのに、インドと取引している宝石会社に就職したんです(笑)。そのあと勤めたヨガの会社に入ったのは、OLをしていたときにヨガをはじめたのがきっかけですね。通ううちに『教えてみない?』って誘われて、会社に内緒で週末はヨガを教えはじめて。そっちが忙しくなってきたころ、一度まっさらになろうと思って会社を辞めて、3ヶ月間くらいインドのマイソールに行ったんですね。それもたまたまそのヨガのシャラ(ヨガを学ぶ場)がマイソールだっただけで。だから、全体的にたまたまなんです。意図せぬ感じで進んでます(笑)。大学卒業時に決めたことは自分の意思だけど、南とか北とかそういうのは全然考えなかった」

インド料理を商いにしている人は、あたりまえかもしれないけれど、往々にしてインドが好き。入口は人それぞれながら、各々のタイミングでインドを歩き、食べ、接し、さまざまなインドに魅了される。しかし伊藤さんが、インドから受けた影響の最終的なアウトプットとして、料理を選んだのはなぜなのだろう?

伊藤「料理はね……漠然と、最後はインド料理をやりたいと思っていたんです。それはずっと変わらなかった。よく雑誌なんかで、南インドのカレーとしてくくられることがあるんだけど、正直懐かしいのは北インドやパキスタンの料理だったりするんですよね。でも、作るのは南(インド)の料理のほうが好きだったから(笑)。インド料理は宗教的にベジタリアンの人がいるし、ピュアベジ(タリアン)だったらにんにくとか玉ねぎも使わない。でも、そういう人向けのごはんがちゃんと美味しく存在していて、そこにおもしろさを感じていて。自分でも肉のカレーよりベジのカレーが好きなのは、そういうところだし。最初のころは肉のカレーもやっていて、お客さんも『肉のカレーもっとやらないの?』って聞いてくれるんだけど、自分が作っていて楽しいのは野菜のカレーだし、肉は他にもいっぱいやる人がいるからいいかな、って(笑)」

チキンカレーと、クートゥという緑豆を使った南インドの煮込み料理。
ワンプレートへのこだわりを聞くと「洗い物が減らせるから」と、伊藤さんは笑う。

お店がオープンしてから2年とすこし、そのあいだに伊藤さんは何度か営業時間や形態を変えた。

伊藤「カレー屋になろうって決めてから1年間くらい、他のお店を手伝っていたことがあって。雇われていたし、言われたことをその通りにやってるつもりだったのに、『伊藤さんは(レシピを)すぐ変えちゃう』って言われて(笑)。1年のあいだに、こんなに人生でけちょんけちょんにされることってないな?ってくらい怒られた(笑)。でも、今はひとりでやっているから、誰もそういうことを言ってくれないじゃないですか。だから、今思えばありがたいなと思います。自分ひとりだと、全部自分に返ってくる。疲れてくると本当に態度とか悪くなっちゃうんですよ。最初のころ、お客さんが来てくれているのに、心の中では『まだくるのか!』って(笑)。とてもありがたいことなのに、そう思っちゃうんです。それっておかしいじゃないですか? 来てくれているのに『来ちゃったの?』みたいに思っちゃうっておかしいし、そういうのが受け入れられない。お客さんに話をしている途中で、『あれ、今おかしいこと言ったな』って気づいて、あやまったりしたこともあります。『さっきはこう言っちゃったんですけど、よく考えたらおかしいですよね。ごめんなさい!』って。申し訳ないって、チャイを出してみたりとか(笑)。とにかく、忙しすぎるのは精神衛生上よくない。だから、疲れながら店を(多く)開けるくらいだったら、ちゃんと休んで身体と心を整えたほうが、自分にとっても、お客さんにとってもいいと思うんです」

ひとりで店を切り盛りする場合、それをコントロールするのも当然すべて自分になる。週に何日休むか? 昼も夜もやるのか? 体力的に問題ないか? それで生活していけるのか? などなど。もちろん、営業していくなかで変わっていくことだって多い。でも、伊藤さんもIndian canteen AMIも、変化を恐れることはない。

伊藤「つねにいい空間を提供したい。自分がいい状態で、できるだけ長く店を続けていきたいし、クオリティももちろん良くしていきたい。その先にいろんなことがあると思うから、まずは日々のことをちゃんとやっていきたいですね。1年目は本当にがむしゃらだったので、あまり憶えていないんですよ。2年目にやっと休みを1日増やしたり、見直すことができました。一度しばらく店を休んで、インドに行ったのも良かったんですよね。そのときに、すごく規則正しい生活に戻ったから。朝はやく起きて、夜もはやく寝る。ごはんもちゃんとお腹が空いたときに食べる、っていう。そのときに自分の疲れた状態と健全な状態っていうのが自覚できたんです。だから、インドから戻ってきて営業を再開したあとやっぱり忙しくて、『また(インドに行く前の状態に)戻っちゃってるな』って思った時に、夜の営業をやめたんです。そういう感じで、わたしも変わっていくし、お店も変わっていく。料理ってダイレクトにいろんなことが伝わっちゃうから、まずは作り手である自分が健全じゃないと。そのためには自分も努力しなくてはいけないなって。だから、大きな野望みたいなものはなくて、いかにいい店にしていくか、っていうことだけですね。そうすれば必然的に料理のクオリティもあがるだろうし、そのなかで余裕ができれば、誰かとなにかやろうみたいなことも、考えられるようになるのかもしれないです」

店舗情報

Indian canteen AMI
住所:東京都世田谷区弦巻2-8-15
TEL:非公開
営業時間:12:00~19:00(18:00ラストオーダー 火曜日は14:30ラストオーダー)
定休日:水曜日・木曜日 ※臨時休業あり

営業時間やメニューはFacebookページを確認のこと。
https://www.facebook.com/pg/indiancanteenami/