— 映画化まで蜷川さんが7年待ったっていうことも含めて、そういう念というかいろいろ入ってるのかもしれませんね。
蜷川:それはほんとにキャストもそうで、じゃあ(沢尻)エリカが何年か前だったらこの役をやったのかとか、復帰して映画を何本かやったあとだったらこれだったのかとかっていうこともあると思うんですよ。他のキャストにしても、(寺島)しのぶちゃんがあと何ヶ月か遅れたら妊婦だったんで無理なんじゃなかっただろうかとか、3年後の(水原)希子はどうなんだろうとか。タイミングも気持ち悪いぐらい合ってるし、みんなこの人たちがこういうふうに集まったっていうのはすごいことですよね。
— でもそれも監督の力ですよ。
蜷川:出てっ!って(笑)なんかタイミングだったりいろいろあるんでしょうね、私の調子もすごくよくて、これが子育て真っ最中だったら絶対できなかっただろうし。意外と、(311の)震災後に取り組んでるっていうのも大きく影響していたりすると思うんですね。やっぱりあのときにいろんなものが見えたじゃないですか。実際に起きた物理的なこともものすごくショッキングなことですけど、その周りのこと、東京にいた自分たちの周りのことだけ考えても、いろんな人たちの動きって鮮烈に残ってるんで。直接的にはここがこうなんですっていうのではないですけど、意外とあるんですよね、その後に作ってるっていうのが。
— それはすごく感じますね。ポスト311という要素がすごく入っている映画だと思います。そういう現在性がすごく事件として入っているというのもあるし、さらに本質を射抜くような真実性というかね、それが入ってると思うんですよ。エンドクレジットが流れるのを見ていて浮かんだ言葉っていうのが、シェイクスピアの『マクベス』冒頭の魔女の有名な言葉で「きれいはきたない、きたないはきれい」っていうあの台詞だったんです。あれってもう本当に本質的な言葉じゃないですか。それがこの映画の根幹として入っていて、たぶん蜷川さんは、映画っていうフォーマットでしかそこを追求できないし深堀できなかったと思うんですよ。
蜷川:そうなんですよね。
— たぶんそれは蜷川さんの表現者としてのテーマとかなり重なる部分があったと思うんですよね。美はずっと写真で撮ってるから、もう一方のそっちが、どんどん溜まってたと思うんですよね。
蜷川:その通りなんですよ。なんとなく、「きれいでかわいい中に毒があるね」って言われることはあったんですけど、実は割合的に真逆だったんです。きれいだってことにそんなに燃える体質じゃなくて。それは村上隆さんに言われてほんとにそうだなと思ったんですけど、「蜷川の写真には怒りがあんまり見えないよね。でも映画だとすごく出てるんだよな」って。ああ、ほんとだわって思って。写真で出来るんですかね、それが次の私のテーマです。……って、売れなさそー(笑)。
一同笑
— (笑)。いやでも世間の感性だったり流れも変わるかもしれないですよ。
一同笑
— それもタイミングなんでしょうね。いろいろターニングポイントってあるじゃないですか。
蜷川:間違いなくターニングポイントですね。でもそれを止まって考えるんじゃなくて、日々のことを考えて超前進していきたくて。これで撮らなくなって「山にこもってろくろを回します」って、わかりやすい話ですけど、そうはなりたくなくて。この渦巻く中にいながら次のステップにいきたいんですよね。そうじゃないといけないタイプだと思ってるんで、この世界にいながらどう次に進んで行くかっていうのが……まだ見えないんですけど。
— なるほど。ジャパンの美っていう言い方もできるし、ジャパンのポップっていう言い方もできるし。でもそれには裏表がいろいろあるわけじゃないですか。今回は映画でしか深堀できないところを深堀して、でも、テーマだと思うんですよねそれは。で、映画を作って、撮影して、もう旅だったと思うんですけど、戻ってきたところでその美に対する気持ちというか、そういうところは変わりましたか?
蜷川:ほんとまだ終わってなくて、2月に撮ったんで、その後すぐ編集して、できた1週間後に初号だったんです。それからバンバンマスコミ試写まわって、宣伝が始まって、エリカが休業して。で、頑張って宣伝してたら、私の周りにも記者が来るようになって。で、まだ絶賛キャンペーン中なので、なんかまだ終わってないんですよね。作品はできてるんですけど、それに手を加えることはもちろんないんだけど、完結してなくて。初日終えたら完結するんですかね、どうなんでしょうね。どこでこの物語が完結するのか…。