— 今作の表題曲”here”はラストの一つ前に収録されていますよね。”here”で歌われている内容は、KOJOEさんの今の心境にとても近いものだと思いますし、これがラストになった方が、アルバムとしてはまとまりが良いと思うんです。けど、そのあとに続く”Everything”では冒頭のサンプリングからも、何かに違和感を感じているKOJOEさんがいるのかなって。
KOJOE:たしかにいますね。
— その違和感というのは、USも含めたヒップホップシーン全体に対する違和感なのでしょうか、日本のシーンに対しての違和感なのでしょうか?
KOJOE:特にそんなシーンに対してっていう訳でもなくて、普通に人生で全てを何かに対して捧げたけど、全然見返りのない人って沢山いる訳じゃないですか。いくら頑張っても、全員に結果が残る訳じゃないから。俺自身、音楽に対してもライフスタイルに関しても、まだ人生の全てなんて捧げられてないと思うけど、人生に対して出し尽くしちゃったなみたいなことを感じてる人も沢山いると思うし、少なからず俺も多少感じることはあったんで。”Everything”はそういう曲なんですよ。俺も音楽に関しては毎回これ以上ないよってくらい出し切ってるつもりなんで、フラストレーションがあるんだと思います。答えにはこれから気付くのかな。葛藤しながら作った作品でもあるので明確な答えはまだ何もなくて、自分でまだ自分自身を見つけている途中でもあります。皆、違う誰かになりたいとか、誰かと同じような結果を残したいとか、思うかもしれないですけど、十人十色で人生ってのはある訳だし、自分の”here”っていうものを知らずに、他の人の何かばかり追っかけていても、絶対に幸せにならないと思うんです。自分が今持っているものを赦してあげて、自分自身を愛してあげることってのは、結構大事だなと、ここ何年かで気付かされて。
— ”to my unborn child”のリリックの一節で、「音楽っていう職業」って歌ってるじゃないですか。KOJOEさんの中での「音楽」と、1つのジャンルとしての見た時の「ヒップホップ」にはどんな違いがあるんですか?
KOJOE:俺はラップもすごく好きなんですけど、歌もすごく好きで。ヒップホップ自体も音楽なんですけど、音楽しかやってなくて、すごく音楽が大好きなやつは、ヒップホップのことをちょっと舐めてると思うんですよね。舐めてるというか、音楽的に成熟しきれてないなと感じてると思うんですよ。ラップは声ひとつで、別にリズムに乗れなくても、面白いことしたら勝ち上がれる世界でもあるし、音楽って認めていない人も中にはいると思うんです。ラップにも、歌詞と言葉で人を感動させたり、大切なことを伝えたりってのがあると思うんですけど、音楽は本当にメロディーひとつで勝負してる人が多いから、近いけど違う世界のものであるというか。例えば俺、AaronとかOliveくんはすごくジャズだと思うんですよ。音楽的に「超やばいな」と思っていて、俺的にはある意味、先生というか。今までずっとラップで偉そうなこと言ってたけど、2人に出会ってからは「俺、音楽のことをあんま知らねーな」って思って。ディグって昔のやばいレコードは持ってるけど、それじゃそこらへんの評論家と一緒だし。実際自分で体現できないと意味ないなってことを、彼らと出会って強く感じたんです。
だから、そこが音楽とヒップホップとのちょっとの違いなのかもしれませんね。ヒップホップは気合いでやれば誰でも成り上がれる。それはそれで素晴らしいけど、成り上がったあとに、やっぱり音楽として認められたり、俺たちが思う格好良い日本のラップが、一般の人のカルチャーの中に本当に浸透するためには、もっと音楽性が無いといけないんじゃないかなってのは最近良く思う事ですね。やっぱり、中途半端にポップでチャラチャラしてる感じだと、世間一般の人からは「ヒップホップってYo Yoだよね」みたいに言われる訳で。それに対しては「いやいや、ちょっと待てよ」というか、やっぱり音楽的に舐められてるのかな、ヒップホップはって思います。でも、誰もが感動するようなヒップホップが作れれば、ヒップホップが音楽になる日も来るんじゃないかな。今でも音楽なんですけどね。でも、本当にヒップホップに興味がなくて、AKBとかにしか興味がないような奴が、感動するような曲を作れないとダメじゃないですか。