去る9月に渋谷 SOUND MUSEUM VISIONにて行われたAaron Bondaroffが主宰するニューヨーク発のインターネット・ラジオ、Know Waveのパーティー。そのDJとして来日したのが、オルナタティヴ・ディスコDJデュオ、Rub N TugのEric Duncanと、[Bianca Chandon(ビアンカ・シャンドン)]、[Call Me 917(コール・ミー 917)]を主宰することでも知られるカリスマ・スケーター、Alex Olson。
イギリスのPalace SkateboardsとTheo Parrishのリンクが象徴するスケートボードとアンダーグラウンドなダンスミュージックの新たな関係性が育まれつつあるなか、2人がDJブースで紡いだビートの行方は果たして?
世代を超えて、カッティングエッジなセンスでフロンティアを切り開く師弟のような2人に話を訊いた。
Photo:Ko Tsuchiya、Interview&Text:Yu Onoda、Translate:Akeem the Dream、Edit:Keita Miki
つまるところ、どちらもサブカルチャーだって事だと思う。(Eric Duncan)
— アレックスとエリックが知り合ったきっかけは?
Alex:エーロンが間に入ってくれたんじゃなかったっけ?
Eric:いや、初めて会ったのは、ロサンゼルスで5年くらい前にやった(エリックとトーマスのDJデュオ)Rub N Tugのパーティーだよ。でも、本当に話すようになったのは、エーロンや[Sarcastic(サキャスティック)]のポール・Tっていう共通の友達がいたからなんだけどね。だから、まぁ、僕たちが出会ったのは、必然だったよね(笑)。
— Rub N Tugのパーティーしかり、ここ最近のアレックスはアンダーグラウンドなディスコやハウスにかなり入れ込んでいるけど、それはいつから?
Alex:どうなんだろう。ある意味では、子供の頃からずっと聞いてきたといえるのかもしれないね。映画のサウンドトラックや、ラジオ、家でかかっている音楽として、90年代のハウスミュージックは自然と耳にしていたし、親父(伝説のスケートボーダー、スティーヴ・オルソン)の車で一緒に聴いたりすることもあった。そんななか、耳触りのいいコマーシャルなトラックから入って、どんどんディープなものを求めて掘り下げて聴くようになったんだ。そして、その流れは、頻繁にニューヨークへ行くようになってから更に加速していったね。
— ニューヨークは70年代以降のディスコ、ハウスカルチャーの中心でしたもんね。
Alex:そうだね。あと、ニューヨークでDJをやってたアンディ・ブラウン(DJ、スケーターであり、主宰していた匿名の人気ブログ「BoyslifeNYC」が電子書籍化。現在は小説家として活動し、間もなく処女作『None Of The Bad Ones』を刊行予定)っていう友達がいるんだけど、彼が、当時、メタルにハマってた僕にディスコのことを色々と教えてくれたことも大きかったね。
— [Bianca Chandon]の2015年春夏コレクションでは、ディスコ、ハウス・カルチャーの礎を築いたニューヨークの伝説的DJ、ラリー・レヴァンと彼が不動のレジデントを務めたクラブ、Paradise Garageがモチーフになっていました。
Alex:あの時代のニューヨークは、いい音楽を沢山生み出したし、アンダーグラウンドなディスコ・カルチャー発祥の地だったというところにも大いに触発されたんだ。あと、(3D Skateboardを立ち上げた)ブラインアン・アンダーソンからもらったトム・ビアンキの写真集『Fire Island Pines, Polaroids 1973-1983』も大きかったね。ファイア・アイランドというのは、ニューヨークにあるゲイのリゾート島なんだけど、当時はディスコ・カルチャーと結びついて、頻繁にパーティが行われていたんだ。その写真集に載っている人たちは、基本的に裸なんだけど(笑)、彼らの着こなしが最高に格好良いんだよ。そういったものがビアンカの最初のインスピレーションになったよ。
— 80年代、ロサンゼルスのスケートパークで[Sarcastic]のポール・Tと出会ったエリックはどんな音楽を聴いていたんですか?
Eric:パンクロックは当時のスケートビデオで全部覚えたんだけど、80年代に聴いてたのは、ヒップホップだったね。でも、80年代の終わり頃、ヒップホップがポップ化して退屈に感じるようになったこともあり、ヒップホップでサンプリングされていたようなソウルミュージックに興味を持つようになった。そこからラテンやジャズを掘っていったんだ。その後、音楽それ自体の魅力に、というよりは、違法でアンダーグラウンドなパーティーカルチャーに惹かれて、レイヴに行くようになるんだけど、当時イギリスに住んでいたDJ Harveyを招聘したサンフランシスコの(伝説的な野外レイヴ)「ウィキッド」で彼のプレイを聴いて、初めて、音楽的に共感出来たんだよ。そして、その直後に移住したNYで、ディスコやテクノ、ハウスにどんどんのめり込んでいくことになるんだけど、スケートと音楽の関係ということでいえば、ちょうど同じ時期、リック(ハワード:Girl Skateboardsの創設者)に頼まれて、(スパイク・ジョーンズが監督を務めたスケートビデオの名作)『Mouse』の音楽を担当したんだ。映像を見ながらセレクトしたわけじゃないんだけど、当時のガールのライダーは全員友達だったから、それぞれのライダーをイメージして選んだ曲をカセットテープに録音して、送ったのをよく覚えてるよ。
Alex:エリックがスケートをやってたことは知らなかったな。
Eric:ハーヴィーやポールしかり、多かれ少なかれ、僕の周りはみんなスケートカルチャーに触れてるよ。
Alex:パンクロックとスケートの関係がそうであったように、ダンスミュージックにもDIYの側面があるもんね。
Eric:そうそう。つまるところ、どちらもサブカルチャーだって事だと思う。スケートにしても、パンクやヒップホップにしても一番面白いところはアンダーグラウンドにあって、自分たちがやっているダンスミュージックもアンダーグラウンドであるからこそ、同じように魅力を感じてるんだと思う。
Alex:ハウスのトラックもドラムマシーンさえあれば簡単に作れるわけだしね。楽器を覚えてジャズの曲を作るには最低6年ぐらいはかかるわけでしょ? でも、良いか悪いかは別としてホームメイドのトラックはすぐ作れる。そう、ハウスのトラックは”作れる”っていう感覚があるよね。インターネットがあるからクリエイティヴな会話はいつでも出来るし、Instagramがあるから、自分の作品を宣伝することも簡単に出来る。そういった手軽さもギターやベースの勉強をすることより、ダンスミュージックの制作に魅力を感じる理由なのかもしれない。