「95年」から「永遠」へ。
今明かされる制作秘話と、20周年を祝した新たな『AIR MAX 95』。

by Mastered編集部

2 / 5
ページ

「ある雨の午後」のスケッチをカタチに。

OG_mock_43724

それから数か月、ロザーノの描いたスケッチは引き出しに眠り続けていた。事態が急変したのは、エア マックス 95に関する最初のブレインストーミングが、ロザーノにとって不満な形で終わった時だった。ロザーノはブレインストーミングの後、エアマックスファミリーを活性化するためには、何か本当にユニークなものが必要だと考えた。間もなく彼の頭の中でひらめきが起こり、あの雨の日のスケッチが日の目を浴びることとなる。スケッチを青写真にロザーノとチームは前足部のビジブルエアの実現を目指した。優れた保護性を求めるランナーに究極の空力クッションを提供するためである。

ただ、ここまでは進歩したものの、ロザーノの頭には1つの疑問が残っていた。それは、他のプロジェクトに関わっている時に、ティンカー・ハットフィールドが常に自分に投げかけてきた「いいデザインだね、それで自分の伝えたいことは何?」という疑問。皆さんご存じの通り、結果的にその答えは、ナイキのデザインライブラリーにあった解剖学の本から見つかることとなる。そのあとの作業は簡単だった。「私のやるべきことは、最も納得のできる繋がりを選んでいくことでした。」とロザーノは語る。こうして人間の肋骨、背骨、筋肉や皮膚を主なインスピレーションに、エア マックス 95の最初の試作品が出来上がったのだ。

Edited-Sketch_43522

しかし、エア マックス 95の最大の魅力でもあるその個性は、同時に最大の障害でもあった。デザインが検討される段階になり、ロザーノとチームはまだ自分たちがすべての障害を乗り越えていないことに気づかされる。その外観があまりにもユニークであったため、エア マックス 95が市場でどう受け入れられるのか、その可能性に疑問を持つ意見が出たのだ。「好みの分かれるデザインだったのです。ただ、そのように感情的な反応を得られる時、そこには何らかのつかみどころがあるということも事実でしょう。」とロザーノは説明する。当初、その進歩的なデザインの中に、ナイキの象徴とも言えるスウッシュロゴは全く含まれていなかった。加えて、前足部のビジブルエアと黒いアウトソールという、ナイキにとっての初めての2つの試みも懸念材料となった。ところが、ロザーノとチームはあきらめることなく、ついには反対派を納得させることに成功する。

IM1472_43567

デザインの工程も最終段階を迎え、遂に発売時に打ち出すカラーを決める時が来た。当初、ロザーノはシューズの他の部分と同様、色にも機能を持たせたいと考えていた。「オレゴンでは雨の日も、トレイルでも走ります。すると5マイル(約8km)走っただけでもシューズがものすごく汚くなりますから、それをなるべく目立たないようにしたかったのです。」。グレーを中心的なカラーの1つに取り入れようと決めたのも、彼の大きな自信の表れであった。なぜなら、当時のランニングシューズの市場ではグレーは売れない色だというのが定説だったからだ。こうしてロザーノは黒とグレーを泥などで汚れやすいシューズのベースに使い、上のほうに向かって明るい色合いへと移っていくような独特のカラーリングを完成させた。ちなみに、エア マックス 95の象徴的な色にもなったネオンイエローには、ナイキの歴史的なレース用ユニフォームに思いをはせる意味も込められている。この色が現在でも陸上スパイクやクロスカントリー競技用シューズに使われ、大きな注目を浴びているのは、周知の事実であろう。

2079_2080_1_43568

このように毎回の検討会で浮上したさまざまな難題を何度も乗り越えながら、ロザーノとチームの忍耐力で、エア マックス 95は何とか生産までこぎついた。そこから先は既にご存じの通り。ロザーノの自信作は間もなくロンドンからニューヨーク、そしてさらに広がりを見せ始めた新しい音楽のムーブメントにも例えられ、特徴的な気の強さを感じさせるサウンドはシューズの大胆な外観にもつながるかのようであった。ユースカルチャーの中でもエア マックス 95は絶大な支持を受け、エアマックスシリーズはナイキの定番的存在となっていくのである。ランニングカテゴリーの賭けは成功を納め、フットウェアの原動力としての地位を取り戻すと同時に、世界中の若いデザイナーの心も惹きつけた。20年という熟成期間を経てもなお、セルジオ・ロザーノのコンセプトは現代デザインに影響を与え続けているのだ。

次のページに続きます。