「95年」から「永遠」へ。
今明かされる制作秘話と、20周年を祝した新たな『AIR MAX 95』。

by Mastered編集部

そのスニーカーは、"伝説"だった。

そのスニーカーは、"革新"だった。

そのスニーカーは、"現象"だった。

そのスニーカーは、"奇跡"だった。

かつて世界中のスニーカーヘッズを熱くさせた[NIKE(ナイキ)]の名作中の名作『ナイキ エア マックス 95』が本年、発売から20周年を迎えた。これを祝して、来る7月16日(木)、20年という時が経過した今なお、絶大な人気とアイコニックな存在感を誇る同作が、2つの新たなバージョンにアップデートされて店頭に登場。

「95年」から「永遠」へ。本特集では、この春にEYESCREAM.JPでお届けした週刊『俺とエアマックス』に引き続き、その偉大なる軌跡と今明かされる制作秘話、そして新たに登場する2つの『ナイキ エア マックス 95』の魅力をたっぷりとお届けする。

Text&Edit:Keita Miki

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はじまりは「ある雨の午後」。

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“はじまり”についてここで話をする為には、まず当時の時代背景を説明しなければならない。1990年代頃、かつて栄光を誇ったナイキランニングの盛り上がりはある程度沈静化し、代わりに台頭をはじめたナイキバスケットボールにその地位を譲る状態であった。バスケットボールの人気が高まり、世代を象徴するようなカジュアルスタイルを生み出す一方、ランニングチームはそこに何とか追いついていこうと悪戦苦闘していたそうだ。そんな中、エア マックス 95のプロジェクトは1970年代後半から80年代初頭にかけての、ランニングカテゴリーに存在した熱気を今一度盛り返すためのツールとして始動。そのため、エア マックス 95は大胆で挑発的、且つこれまでに存在しなかったようなものになることが求められていたのである。

そもそも、エア マックス 95の持つ独特の強さはナイキのフットウェアデザイナー、セルジオ・ロザーノが生み出したもの。エアマックスプロジェクトに携わることが決まったその日から、ロザーノは自分の信念とチームへの信頼を頼りに、数えきれないほどの修正を繰り返した後、ようやくエア マックス 95を生産へと導いたのだ。しかし、1994年以前のロザーノはまだランニングの仕事をしてはいなかった。主にテニス、トレーニングとACGを担当していたのだが、そんな彼にとって、突然の変化は決して意外なことでは無かったという。というのも当時のナイキデザインチームはかなり小規模であり、1人のデザイナーが幅広いカテゴリーを扱うのは一般的なことだったからだ。こうして、ナイキでのキャリアをスタートさせてたった4年のロザーノが、最新のエア マックスのプロジェクトを率いることとなったのだが、実は彼のコンセプト開発はそれ以前からすでに始まっていた。

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彼がエアマックスプロジェクトに採用されるずっと前の「ある雨の午後」、ビーバートンの風景からロザーノはあるアイディアを思いついた。その時のことを「池の向こう側にある木を眺めていると、雨が地面を侵食していく姿が思い浮かんできたのです。そして、もし地中に完璧なプロダクトが埋もれていて、このような雨の侵食で発掘されたとしたら面白いなあと思ったのです。」とロザーノは振り返っている。この想像をもとに、彼はグランドキャニオンの岩の壁に見られるような筋のあるシューズのスケッチを描き、アイディアの引き出しにしまっておいた。

これがエア マックス 95の真の”はじまり”である。

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