藤井健太郎のoff-air 第1回:渡辺淳之介(WACK 代表取締役)

by Keita Miki

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渡辺 淳之介
音楽プロデューサー
1984年生まれ、東京都出身。レコードレーベルのA&Rとして活動し、惜しまれつつも解散したBiSをはじめ、幾つかのアーティストの成功を支える。退社後は株式会社WACKを設立し、”楽器を持たないパンクバンド”・BiSHの舵を今日まで撮り続けている。アパレルブランド・NEGLECT ADULT PATiENTSのデザイナーとしての顔も持つ。

— 渡辺さんは早めに挫折を味わわれたワケですね。

渡辺:僕はとにかく音楽をやりたいっていうのが1番だったんですけど、レコード会社よりテレビ局の方が給料高そうだなみたいな感覚もあって。で、1回僕高校中退してたから大検受けて、なんとか大学に行って。高校を中退したとき、「俺、本当にフリーターしかやれないんだろうな」って思ったんですよ。やっぱり周りのヤンキーはたくさんフリーターになってたから。「俺はもうあっち側には戻れないのか……」っていう飢餓感もあって、とにかく有名企業に就職してやる! みたいな感覚だったんですけど、高校中退してるぐらいなので、根がダメだったんでしょうね。

— ちなみに高校を辞めた理由は何だったんですか?

渡辺:単純に中2ぐらいから学校にほとんど行ってなかったんですよ。で、遊んでたのもそうなんですけど、少し目立ってたんでしょうね。多分スケープゴートだと思います。

藤井:(笑)。

— 見せしめだったんですね(笑)。

渡辺:当時の1個下の後輩と仲がよくて、今も結構遊んでるんですけど、そいつは小中高一緒だったんですよ。で、そいつに言われて気づいたんですけど、僕のいた前後3代で僕しか辞めさせられてないんです。別にそんなに悪いことはしてないのに。

藤井:ジャッジを下された明確な理由はないんですか?

渡辺:うーん……。あ、でも僕のことをすごく嫌いな先生がいたのかなと思ったんですけど、3月31日に呼び出されたんですよ。そのまま進級できると思ってたのに、いきなり。しかも行ったらなぜか色々なものが既に用意されてたんです。この学校だったら編入できるぞ、みたいな資料とか。たぶん最終ジャッジはそこだったのかなと。最後まで戦ってくれた先生もいたっぽかったんですけど、3月末に呼ばれて、これ何も準備できないじゃん、みたいな。

藤井:でも明確な理由がないと親とかも納得しないんじゃないですか?

渡辺:いや、親は恐縮しきってて、「お前学校行ってねぇし、言うこと聞かねぇしな」って言われて。で、まぁ単位足りないだけなんですけど、学校は基本的に自主退学を促すんですよ。留年っていう選択肢を巧みに選ばせないうように(笑)。先生方が「留年なんかしたらなぁ、大変だからなぁ……(チラッ)」って。

藤井:(笑)。