海人くんとのこと

by Keita Miki

昨日、ブランド側からプレスリリースが配信され、既にいくつかの媒体でニュースになっているので、ご存知の方も多いとは思いますが、SON OF THE CHEESE(サノバチーズ)の創設者である山本海人さんが2024年5月15日に逝去されました。

基本的にMasteredではよほど関係値の深い人でない限り、訃報は取り扱わない方針でして(記憶にある限りでは訃報を出したのはFebbくんが亡くなった時ぐらいかと思います)、今回の件についても広く公にならない限りはサイト上に何か書くつもりはありませんでした。が、故人とは生前とても親しくさせてもらっており、正式なプレスリリースが出て色々なファッションメディアに記事が掲載される以上、自分も海人くんのことを記しておくべきだと思い、こうして筆を執っています。

とはいえ、ニュース記事として海人くんの訃報を伝える気にはとてもなれなかったので、from editorsという編集部のブログ的なカテゴリーで自分の想いを書かせてもらいますね。僕なりの訃報です。月並みな言い方にはなってしまいますが、まだまるで感情の整理が出来ていないのです。乱文、ご容赦ください。

正直、今も海人くんがいなくなってしまった実感は全く沸かないですが、こうしてPCのディスプレイと向き合い、海人くんのことを色々と思い出しながら文章を書いていると悲しくて仕方が無いし、涙が出ちゃいます。

さて、何から話しましょうかね。

冒頭でお伝えしたとおり、プレスリリースが出たのは5月17日ですが、仲間内には5月15日当日中には海人くんが亡くなったことは伝わっていました。もっと言えば、海人くんに残された時間があまり多くないというのは、結構前から分かっていたことでした。

それでもなお、いざこうなってみると喪失感がエグいです。寂しいです。悲しいです。

海人くんと遊んだことがある人は、みんなそう思ってるんじゃないですかね。

以下、僕なんて海人くんとの付き合いは全然浅い方で、もっと昔からお知り合いの方はたくさんいらっしゃると思いますが、少しだけ海人くんとの話を綴っていきます。

先に配信されたプレスリリースの文章を一部引用すると

山本海人は、東京の一等地にトレーラーハウスとスケートプールが隣接したコミュニティースペース「SON OF THE CHEESE」を誕生させたことが話題となり、その後「SON OF THE CHEESE」を人気アパレルブランドへと昇華。さらには渋谷・並木橋にある本店を中心に日本各地に展開するサンドイッチスタンド「BUY ME STAND」や、蕎麦とバーを融合させ、そこに遊び心をプラスした「SOBER」、古き良き日本のキャバレーの雰囲気を生かした歌舞伎町にあるショーパブ「THE 27 CLUB」を手掛けるなど、一介のデザイナーに留まらず店舗やブランドのプロデュースまで活躍の幅は多岐に渡りました。

とあります。が、そんなことはぶっちゃけどうでも良いのです(爆)。海人くんは自分にとって良き悪友でした。

Masteredのサイト上に残っているSON OF THE CHEESEの最も古い記事が2013年9月のものなので、出会いは恐らくその頃。まだMasteredの屋号がEYESCREAM.JPだった時代の話です。

当時、「クラスカ(今は無きHotel CLASKA)の裏におかしな奴がいる(褒め言葉)」と既に話題沸騰だった海人くんですが、初めて会ったのはSON OF THE CHEESEの展示会……ではなく、渋谷か新宿あたりの雀荘でした。

作っている洋服を見る前に卓を囲んだデザイナーは、後にも先にも海人くんぐらいですかね。

とても印象的だった当時のサノバのルック↑。酒井若菜! みんな大好き!!

この時代からMasteredでもお馴染みのスタイリスト・竹崎さんがスタイリングを担当していたこともあり、人見知りな僕も海人くんとはすぐに仲良くなりました。俗に言う馬が合うってやつです。

まぁ、こんな感じのエピソードと思い出はここには到底書けないようなものも含めて(笑)、本当に山のようにあるのですが、海人くんほど気持ち良く、粋に、都会的に遊ぶ人は僕の周りにはいませんでした。

いなせな男。これぞ真のシティボーイ。ドラクエの遊び人レベル99って感じです。

先ほどのプレスリリースの文章に出てきたBUY ME STANDもSOBERもTHE 27 CLUBも、そしてSON OF THE CHEESEも海人くんにとっては広い意味での”遊び”だったんじゃないかなと思っています。

「今度サンドイッチ屋やろうと思ってんすよ。へへへ」

「今度蕎麦食えるバーやろうと思ってんすよ、雀卓突っ込んで。へへへ」

「今度歌舞伎のキャバレーいじろうと思ってんすよ。へへへ」

会うたびに色々と”新しい遊び”の写真とか資料とか諸々を見せてくれましたね。毎度、純粋にとてもワクワクしたし、海人くんのそういう姿が自分は大好きでした。

あと、この文章を書くにあたってiPhoneから過去の写真を探してたのですが、海人くんと遊んでる時の写真って本当に全然残ってないんですよね。海人くんと過ごす時間が如何に楽しかったかって話です。気の置けない友人たちとの楽しい時間は、写真なんて撮る気にならないみたいです。

福岡で遊んだ時の、例のすっぽん屋のすっぽんと、すっぽんの生き血(ショット)。

アレのアレなお花見参加後の反省会。残ってた唯一の写真がこれでした、海人くん、なんかすみません(笑)。それに、こんなことばかり書いてると全然知らない人からしたらデザイナーじゃなくて、ほんとにタダの遊び人みたいに見えちゃいますよね。

でも、海人くんは誰に対しても媚びないし、一貫してダサい奴、くだらない奴とは付き合わないってところが最高にクールだったと思います。皆さん、良い男だったんですよ、山本海人さんは。唯一無二。

海人くんには色々な人を紹介してもらいましたが、しょうもない人を紹介された記憶は一度もありません。海人くんの周りにいる仲間はみんな最高。

Don’t kill my vibe.

また向こうで遊びましょう。

本当はもっと書こうと思ってたことが沢山あるんですけど、長すぎても良くないし、あまり湿っぽいのは好きじゃないと思うんで、最後に感謝だけ伝えさせてください。

長い間くそお世話になりました。

故人のご冥福を心よりお祈りいたします。

Mastered 編集長
三木系大