去る4月23日、代々木上原の地に1軒のショップがオープンしたことをご存知でしょうか? その名はマイトリー(MIGHTRY)。かつて『リボルバー(REVOLVER)』をスタートさせたARATA氏が、2007年より展開しているブランド、『エルネスト クリエイティブ アクティビティー(ELNEST CREATIVE ACTIVITY)』を中心にクリエイティヴ・ライフを提案するユニークなショップです。
そこで今回、当Clusterではこのショップのオープンに際して、中心人物であるARATA氏に独占インタビューを敢行。俳優として数々の映画、ドラマに主演、出演し、多くの賞を獲得していることは皆様ご存知かと思われますが、今回はあくまでもデザイナーとして、そして稀代のファッションアイコンとしてのARATA氏が、“今、思うファッション感”について、たっぷりとお話を伺ってきました。
それでは、自身のブランド、ショップの展望はもちろんのこと、“チーマー”、“渋カジ”、“音楽”果ては“パリコレ”、“子育て”についてまで、延べ1万字以上にも及んだ特濃インタビューをとくとご覧あれ!
「もっと、洋服作りとかモノづくりは自由でありたいなと思っていて、それは今まで10年以上洋服屋をやってきた中でたどり着いた、僕なりの結論でもあるんです」
— この度は初の直営店オープン、おめでとうございます。まずは今回、このマイトリー(MIGHTRY)というお店をオープンした経緯についてお伺いしてもよろしいですか?
ARATA:2007年に『エルネスト クリエイティブ アクティビティー』として活動をはじめてからは、3人でマンションの1室を借りて、ずっと活動を続けていたんです。古着であったり、アウトドアであったり、各々得意な分野はあったんですけど、みんな自然が好きだという部分では共通していて、戯れながら楽しくやってきた感じです。
でも、やっぱり3人とも心のどこかで「いつかは、事務所とお店をあわせた様なモノを作ってみたい」という想いをずっと持っていて。ブランド的にきっちりとしたお店というよりも、誰かの家に遊びに来たような感覚を持てるお店にしたいとか、実際にプロダクトを見て、触って、体験できるような空間にしたいっていうような、ビジョンやアイデアはどんどん膨らむ一方でした。
それでようやく、4年目にしてどこかにお店を作ろうという話が具体的になって。時間をかけて色々な場所を探していたんですけど、地域は良いけど空間がイマイチとか、“もうちょっと”っていう場所が多かったんですよね。でも絶対に妥協はしたくなかったので、だったらここは無理せずにもう少しこらえようと。
そうこうしているうちに、ちょうど代々木上原の物件を見つけて。とにかく最初に見た時、このデッキにすごく惹かれたんですよ。
— このデッキは元々あるものなんですか?
ARATA:実はそうなんです。手すりや枠は後から自分達が付け足したんですけど。
このデッキを見てから、自分たちの作りたい空間のイメージが、より鮮明に膨らんでいったんです。あとは、上にも天窓が付いていたりして、自然光の入り方もすごく良くて。すぐ「ここに決めよう、ここで腰をすえてやっていこう」と思いました。
お店としてももちろんですけど、「この空間なら気持ちよく仕事が出来る」と思えたことが、大きな決め手になりましたね。とにかく、「一日中気持ちよく活動出来る空間」ということが大前提でした。空間が良くなかったり、無理をしていると良い仕事が出来なくなるので。最高の状態でモノ作りをしたかったんです。
— なるほど。内装がかなり特徴的だと思うのですが、これはどなたが手がけられたんでしょうか?
ARATA:内装に関しては僕の仲間であり、盟友であるNGAPが手掛けてくれました。もう15年以上の付き合いになるし、僕が原宿で活動していた時からお世話になっている大先輩なんですが、NGAPにお願いすると最初から決めていたんです。僕の中で流木を使って内装を作りたいってビジョンがあったので、それをあらかじめお伝えして、あとはNGAPがマイトリーのイメージを感覚で解釈して、こういうデザインにしてくれました。
この空間にある木は、全部自分たちで拾ってきたものなんです。色々な海辺のポイントや、解体中の古民家に足を運んで集めました。このラックなんかは、良く見ると穴があいてるんですけど、じつは元々雨戸なんです。こういう何百年もある古民家に使われている木の方が、今のものよりも断然、丈夫なんですよ。そういう古き良きモノをそのまま使うのも、自分たちの信念というか、大切にしていることの1つなんですが、そういうのを全部NGAPがくんでくれて。棚や床は古民家の雨戸とか、壁材を再構築して出来上がっています。
— 製作時間はどのくらい掛かったんですか?
ARATA:2ヶ月くらいですかね。ちょうど3月の頭にペンキを塗り始めて、当初は4月1日にオープン予定だったんですが、ちょうど3月11日にあの地震がきて。途中で二週間ぐらい作業をストップしたんです。社会的にもお店を作っているような状況ではなかったですし。
「本当にこのタイミングでお店をオープンしてもいいのかな?」とか、「これからどうしていこう?」ということを僕らも話し合ったんですけれど、結果、「今、止まってしまうことが一番良くないんじゃないか」という考えに至って。自分たちに出来ることは、自分たちが次に活動していける場所を作って、いつでも動けるようなベースを整えておくことなんじゃないかなと。
それからは本当に少しづつですけど、ペンキを塗って、木をバラしてとか、そういう作業をしていましたね。ある程度素材がそろった段階でNGAPも活動を再開してくれて、なんとか4月の末にオープンを迎えることが出来ました。
— そうだったんですね。お店に初めて伺った時、内装の中でもこの鳥の巣のようなレジカウンターが非常に印象的でしたが、これははじめからARATAさんのイメージの中にあったものなんでしょうか?
ARATA:流木を使うっていうテーマはあったんですけれど、僕もまさかこうなるとは思っていなかったです(笑)。最初は、何を作っているのか全然分からなかったんですよね。「とにかくここに流木を打ち込んでくれ!」って言われて、わけが分からず打ち込んでいたんですけど、気づいた時には「あっ、鳥の巣だ」って(笑)。
でも、この“鳥の巣”っていうのも実はNGAPの心配りで、『エルネスト クリエイティブ アクティビティー』のエルネストって言葉の意味をNGAPなりに解釈して、デザインしてくれたんです。このエルネストって言葉は“el”と“nest”っていう2つの単語を掛け合わせた造語なんですよ。“el”っていうのは“elevated”。「意気盛んな」という意味で、“nest”は「巣」とか「巣窟」。“creative activity”を付け足して、志し高き者たちが集まり、織りなす創造的活動っていう意味合いがあるんです。
そういう所をNGAPが広げて、まさしく“nest”を作ってくれたわけですが、本当に想像もしていなかったので、正直度肝を抜かれました。でもこのような空間で仕事ができるっていうことが純粋にうれしかったですし、通常は捨てられてしまう素材をこういう形で再利用していけるっていうのを目の当たりにして、色々と勉強させてもらいました。NGAPとの仕事は技術的にも精神的にも、すごく学ぶべき部分が多いです。
といっても職人気質なので、僕らみたいな素人にはそう簡単には触らせてくれないんですけどね。そういう意味でも、今回はNGAPから空間作りのいろはを学べる、すごく価値のある時間でした。
— 実際にお店に来る客層はどんな感じなのでしょうか?
ARATA:まだオープンして1ヶ月なので、こっちもまだまだ手探りなんですが、これまで『エルネスト クリエイティブ アクティビティー』が置かれている空間って、都内ではセレクトショップしかなかったんです。なので、こういう形で自分たちの世界観を表現できる場所がやっと出来て、それを楽しみに待っていてくれた方々は、ありがたい事に足を運んでくれています。
あとは、代々木上原っていう場所もあるんでしょうけど、子供連れの主婦の方とか、おじいさん、おばあさんとかがこの鳥の巣を見て「これは何ですか?」って入ってきて、洋服とか内装の作りをしっかりと見ていってくれるっていうのはありがたい。中の空間自体がディスプレイというか、しっかりと外に見せることを意識した上での空間作りだったので、反応してくれるのはとても嬉しいことです。
他の内装についても、「なんだろう、この作りはどうなってるんだろう」って、面白がってくれるお客さんが多いです。床に置いてあるマットも一見芝生に見えるんですけど、じつは毛糸で出来ていて、お店用で作家さんに作ってもらったものなんですよ。
他には、入り口の扉のイヌワシの絵も半田ごてで絵を描く友達のアーティストにお願いして書いてもらったり。
今、NGAPからこの空間を受け渡された時点で、僕らにとって、このお店は100%のモノなんですけれども、ここから200、300、1000%にしていく要素がたくさん残っているので、すごく楽しみです。
— では続いて『エルネスト クリエイティブ アクティビティー』のコレクションについてお伺いしたいと思います。まず、今シーズンのテーマについて教えていただけますか。
ARATA:今、エルネストではテーマというものを1年間に1つに絞ってやっています。というのも、テーマを漠然と掲げて、そのテーマに縛られた服作りをするっていうのがあまり得意ではないんですよね。もっと、洋服作りとかものづくりは自由でありたいなと思っていて、それは今まで10年以上洋服屋をやってきた中でたどり着いた、僕なりの結論でもあるんです。
もちろん、一時期はテーマを掲げて、そのなかで洋服作りをやるっていう時期もあったんですけど、今の自分の感覚はそういうものに縛られるよりも、もっと自由に作っていきたいという感じ。でも、お客さんにコンセプトを伝えるためには漠然とした何かを提示したほうが多くの人に伝わりやすいし、その世界観をより理解してもらえるっていうのは分かっているので、そこでどうするかと考えた時に、僕は役者の仕事もしてるっていうこともあって、やっぱりどこかでモノづくりと、役者の仕事を重ねあわせたいなと思ったんです。
それで2度目の展示会から、「1年を通して、物語を綴っていくように展示会を行っていこう」というアイデアが浮かんできて。1年間で3回展示会をやっているんですけれども、今回は“VISION QUEST(視覚の冒険)”っていうテーマの元、ストーリーを展開させています。その3回目、サードフィールドにあたるのが、今のラインナップですね。なので、次の秋冬で新しいステージというか、新しい物語に移行する感じです。
あまりそういう風に展示会をやっているところを見たことが無かったですし、僕も手探りで始めたんですけど、この方法だと1つのテーマをじっくりと3回に分けてやっていけるので、1回1回のプロダクトをすごく丁寧に作れるんです。
テーマを毎シーズン変えていくと、やりきれなかったことがどうしても出てきてしまうんです。だけど、この形だと始めの1回が終わっても、まだ2回残ってる。だから、次の物語を作りながら、ファーストフィールドでやりきれなかったことをセカンドフィールドでやって、またそこで膨んだアイデアをサードフィールドに活かす。そういうモノづくりの仕方が僕の中では無理がないというか、とても自然なんですよね。
1回の展示会で1テーマを掲げていた時は、1つの展示会に何十っていう型を押し込んでいく作業が辛い時期もあって、後悔もすごくあるので。そういったことが無い様に1つのテーマを3回に分けてやっています。
— 今のラインナップの中で、特に思い入れの強いアイテムや、自信作は何かありますか?
ARATA:まずは『キーン(KEEN)』に別注をかけた“YOGUI”ですかね。プライベートで気に入って履いていたものを、自分のプロダクトとして別注できたことは、すごく大きな喜びです。
あとは『アイリーライフ(IRIE LIFE)』とのコラボレーションシリーズがこれからリリースされていくんですけど、それがイチオシですね。オリジナルの“BOOKTREE CAMO”という迷彩のテキスタイルを彼らなりに再構築してもらったんですが、この色味とかは僕の感覚では絶対に作れないですから。オリジナルとは全然違うものになっていて、面白いです。
— なるほど。少し話題は変わりますが、ARATAさんのファッション遍歴的なことについて少々お聞きしたいと思います。一番最初にファッションに興味を持ち始めたのはいつごろなんでしょうか?
ARATA:たぶん高校生ですかね。中学生まで、僕はずっとサッカー少年だったので、サッカーしか興味ないって感じだったんですよ。高校生になって、17〜8とかですかね。当時は原宿、渋谷界隈にすごく良い古着屋さんがたくさんあったので、1人で色々な雑誌から情報を集めて、古着屋巡りをはじめました。
当時はインターネットも無いから、自分で動かないと情報が全然手に入らなかったんですよ。その分、雑誌もすごい貴重で、少ない雑誌の中でも古着を扱う雑誌っていうとかなり限られるんですけど、情報をとにかく集めて、どんどん自分の地図に詰め込んで、それを頼りに毎週、原宿、渋谷に通ってましたね。だんだん「ここの商品は先週と変わってない」とか、「新しいモノはここラックの一部だな」とか分かるようになるぐらい通い続けてました(笑)。
そういうのって純粋に洋服が楽しい時期ですよね、本当に。お店の店員さんからデニムのイロハを学んで、買い付けの裏話を聞いたりとか、そういうのが雑誌を読むことの何倍も楽しかった。そういう話が楽しみで、足繁くお店に通っていたのが僕の10代でしたね。
— ARATAさんの10代のころっていうと、ちょうど渋カジブームの辺りになるんでしょうか?
ARATA:そうですね、僕が20歳になるちょっと前くらいにいわゆる、“第一次渋カジブーム”ってものがやって来ました。僕も東京の生まれなんですけど、やっぱり渋谷に行く時は、ドキドキしてましたよ(笑)。今からじゃ考えられないですよね。
でも、当時は人が厳選されてましたし、街自体もオシャレだった気がします。原宿〜渋谷って流れが、良い意味で統一されていました。渋谷にも原宿にも古着があって、デパートが渋谷にあるから、その影響で段々と服装が変わっていくぐらいで、今みたいに極端に違うってことはなかった。今は渋谷も原宿も区域単位で全然いる人たちが違うし、めちゃくちゃじゃないですか。当時はいる人たちがまだ面白かったですよね。で、夜になると「あの人の履いてるブーツ、超かっこいい!」とか思いながら、遠くからチーマーを見てました(笑)。
すごくドキドキしましたし、「いつ自分がやられるんだろう…」って思ってましたね。でも、そういうバイオレンスも必要なんですよ。夜は夜でクラブも沢山ありましたし、当時は新宿や渋谷のロカビリーやパンク、モッズのイベントに行って、音楽を楽しんでいました。DJの人に「今かけてる曲なんですか?」って聞いてはメモして、次の日にレコード屋でそのレコードを探す。そういう掘り方をしてましたね。
— 洋服だけでなく、音楽も追いかけていた、と。
ARATA:いわゆるファッションというカルチャーはひとつのカテゴリーだけじゃすまないと思うんです。だから音楽から学ぶこともかなり多かった気がします。当時はパンク、ファンク、ロカビリー、サイコビリー、ハードコアなどの音楽をクラブに聴きに行って、目の前で喧嘩が繰り広げられて、自分も飛び火をくらって、時にはやられて(笑)、みたいな繰り返しだったんですけど、とにかくそこに来ている人たちが信じられないくらいにオシャレなんですよ。「そんな着こなし、絶対自分には考えられない!」ってぐらいの。
例えば、つなぎ(編集注:いわゆるオールインワン)にネクタイをするとか、そういう感覚は全部クラブカルチャーからの賜り物というか。雑誌には載ってないんです。僕にとって、雑誌はあくまでもお店の情報だった。クラブだったり、一緒に音楽を楽しむ仲間たちであったり、音楽を入り口に洋服を勉強していったのが、10代の頃ですね。セックス・ピストルズのジョニー・ロットンがしてるアクセサリーのレプリカを置いてる店にいったりとか、レコードジャケットをもって古着屋にいって似ている洋服を探したりとかそういう楽しみ方もしていました。
— その後、モデルとしてファッション誌を賑わす存在になるわけですが、それ以前と以降でご自身のファッションにも変化はありましたか?
ARATA:19歳のときからモデルの仕事をするようになって、いわゆるデザイナーズブランドに触れる機会が増えていったんですが、そこで改めて洋服っていうのは本当に面白いなって思ったんです。今までは古着や、音楽の要素から洋服を学んでいたんですけど、今度は世界中のデザイナーたちが作った洋服に出会って、新しい楽しみ方が出来るようになった。
僕はベースが古着だったり、音楽から学んだ着こなしの仕方だったりするので、デザイナーズブランドを買っても、ついつい古着と混ぜて着てしまう。それが逆にすごく自分らしいスタイルになっていって、クラブでみんな全身古着の中、僕はジャケットだけデザイナーズブランド、みたいな感じが段々と面白くなって。
そうやって、人と違うことの面白さとカッコよさっていうのを楽しんでた、若さ故って感じですね(苦笑)。みんなカッコイイんだけど、みんなと同じ感じはヤダなぁ〜って。今話しているのは小さなクラブの中での話ではあるんですけれど。でもその小さな空間の中でも、当時はクラブにいくとなったら、みんなとびきりのオシャレをして行ってたんで。「次は絶対誰も思いつかないような格好をしよう」とかって、そういう対抗意識の中で洋服をミックスしていく感覚が自然と身につきました。
— 当時、ARATAさんが良く通ったお店とかがあれば教えていただけますか?
ARATA:名前は覚えてないんですけど、マンションの1室にあった古着屋とか…とにかく、キャットストリート中心に枝分かれしてる小道まで、本当に楽しかったですね。
その当時の経験は本当に色々なところに繋がっているんですよ。当時、モデルを経て、洋服屋をやってるっていう人が周りにいませんでしたし、やっぱり最初はナメられるんですよ。「モデル?そんなやつが洋服やってんじゃねぇよ。」みたいな。
でも、段々と話していくうちに、先ほどお話したような自分のベースだったり、趣味だったりと何かがリンクしていたりとかして。そういうところから、信頼関係が出来ていくんです。今ではそういうのは少なくなってしまったかもしれないですけど、当時は沢山あったんです。
みんなそれぞれ違うことを表現しているけど、ルーツが一緒だと、それだけで意気投合できる。
もちろん、その頃からずっと現役でがんばってやってらっしゃる方もいるんですけど、当時と比べると今はすごくクラブ文化が衰退していて、無くなってしまったクラブやイベントも多いですよね。アンダーグラウンド・カルチャーを楽しむ人が少なくなってきている。これは、すごくもったいないことだと思います。
こんなの昔から散々言われていることなんですけど、インターネットの普及は良いこともたくさんあるけど、反面、悪いこともあって。結局、一番大切なのは自分自身が現場で体感することだと思うんです。ファッションも音楽も、何であれ、それが生活の中で趣味を楽しむことの基本じゃないですかね。
家の中で画面を開けば何でも情報が手に入って、Twitterで数分前の出来事を瞬時に知れるって使い方によっては素晴らしいことだけど、それによって現場を知らずに知った気分にだけなってる。知ったかぶりだけが蔓延して危険な状況だと思う。当時は自分で掘るって当たり前でしたけど、今は無理してでも自分で掘り下げろ!って声を大にして言いたい。何物にも代えられない本当の楽しみ方がどんどん薄れてしまうのは、大袈裟じゃなく文化の衰退と同じですから。
このお店もネットや写真で、それこそ、このインタビューでも見ることは出来るけど、実際にここに来ないと、木の匂いだとか、壁に入ったNGAPの細かな仕事っていうのはわからないと思いますし。お店だけじゃなくてそれがすべてに通じるというか、何よりも現場が一番勉強になりますよ。
僕はいまだにインターネットで買い物をしたことがないんです(笑)。それは昔の癖っていうのもあるけれど、好きなものが置いてある場所に自分が行かないと、どうしても納得できなくて。自分の欲しかったもの以外のプラスアルファがレジ横とかに置かれてるっていう状況を期待してるっていうか。
それに、店員さんや来ているお客さんと偶然、何かが繋がって、そこから新しいものが生まれていくっていうリンクがファッションを楽しむ基本にあると良いんだろうなって思うんです。
— ARATAさんのファッションのルーツを語る上で、アンダーグラウンド・カルチャーの存在は絶対に欠かすことができないというわけですね。ちなみに、役者を目指すキッカケというのは何かあったんでしょうか?
ARATA:役者に関しては、僕は最初から目指していたわけでは無くて、是枝裕和監督との出会いがキッカケになったんです。不思議と役者には興味がなくても、場末の映画館で上映されているような、わけが分からない映画には興味があったりとか、日本の1970年代の白黒映画に無性に惹かれた時期もあったりして。
そういうのも音楽と同じように、メインストリームに垂れ流されていない何かを掘っていくことが楽しかったんですよね。雑誌に載らない古着を自分が見つけて、モノはすごく良いんだけど、サイズが合わなくて90%はいつも買えないとか、そういう悔しさが次に繋がる。
でも、あの時代がそのままもう一回来ればいい、というわけでもないと思うんです。それは90年代ならではの特徴であって、各々の好きなモノとか、経験してきた事を今の時代なりにやっていくっていうことが、新しい空間やモノを生んでいく為に大切、というのはつねに意識しています。
— 先ほどデザイナーズブランドの話が出てきましたが、特に影響を受けたデザイナーやアーティストはいらっしゃいますか?
ARATA:僕が20代のころに影響を受けたというか、すごく面白かったのが、いわゆる“アントワープの6人”を中心とした、ベルギーのデザイナー達ですね。『W<』、『メゾン・マルタン・マルジェラ(Maison Martin Margiela)』、『ラフ・シモンズ(RAF SIMONS)』といったデザイナーたちは本当に面白くて、「デザイナーズブランドってこんなに面白いことをやるんだ、自由だな」って心の底から思いました。
あまりにも興味を持ちすぎて、当時僕はモデルをやっていたんですけど、パリコレのシーズンに自分のフォトブックを持って、単身飛び込みでオーデイションを受けに行ったくらいです(笑)。やっぱり大半はダメだったんですけど、運よく『W<』が僕のことを面白がってくれて、ショーに出演させてもらえました。
今思うと、なんでそんなことしたんだろうなって思うんですけど、逆に、純粋に好きで好きでしょうがないって想いだけだったから、何とかなったのかもしれないですね。今だったらビビって出来ないですけど(笑)。
— なるほど、パリコレ出演にはそういう経緯があったんですね。
ARATA:本当に勢いだけですね、完全に初期衝動のみです(笑)。僕は洋服作りもモデルもDJも、本当に全部が初期衝動なんですよ。役者だけですね、人との出会いがキッカケになって、今も継続してやっているのは。
— モデルについてはどんな経緯でやることになったんですか?
ARATA:スカウトされたんです。洋服が好きだったから、何をするかは当然分かってたんですけど、まさか自分がやるとは思っていませんでしたね。
でもファッションが好きだから、スカウトされた時はすごく嬉しくて「やるやる!!」って感じでスムーズに決まりました。音楽が好きだからレコードを集めて、いつの間にか数が集まったから、自分でもDJをするようになってとか、全てその時の初期衝動でやってきてるんですよ。今でもきっと、それを一番大切にしてると思います。初期衝動って感覚は意識しちゃうと出来ないので。
— 役者をやってみて、ファッションに対する考え方が変わった点というのは何かありますか?
ARATA:役者の現場だと、いわゆる専門職の方たち、例えば美術さん、大道具さん、小道具さん、装飾さんとか、それぞれの世界のプロフェッショナルが集まったひとつの集団なんですよね。役者もそのなかの一部門というか。そういう人たちの現場で働く服装を見ると、必ずそれぞれの部署に見合った着こなし方をされてる。僕はそれにすごく刺激を受けました。段々と「現場着の、現場着たる使い方」みたいなものを目の当たりにして、そこでまたひとつ大きな勉強をしましたね。
こういう作業をするときは丈の長さはこういうものがいいとか、自分で切りっぱなしにした裾がちょっと斜めになってたりとか、そういうのってやっぱり、日々現場で作業をしている人じゃないと見つけられないんですよね。そういう現場の人たちから直接聞いたことも、モノづくりには活かされたりもします。
エルネストの服は、“活動着”という言い方もしているんです。活動着として機能させるには、デザイン+実用性が必要性なんですけど、その実用性の部分は撮影現場やNGAPとの作業で学ぶことが出来ました。
あとは自分で実際にフィールドワークや登山をして、無駄な部分を削って、使いやすいところをもっと伸ばすっていう作業をしないと分からないですね。机の上で書いているだけの作業は楽しくないし、それだけじゃモノづくりって出来ないですよ。実際に着て、使ってどうなのかって試さないと。
— 先ほどのコラボレーションのお話で少し国内ブランドについての話題が出ましたが、2000年代以降に出てきたクリエイターでARATAさんが注目している人物はいますか?
ARATA:正直、僕は今の洋服屋さんのことを全然知らないんですよ。ファッション雑誌も今じゃ全然読まなくて(苦笑)。世の中にどんなブランドがあるかっていうことを全然知らないんです。仲間がやっている服しか知らない。だから先ほど話した『アイリーライフ』には注目しています。
自然と出会っていった仲間たちが洋服をやっていたら見たいと思いますし、とにかく人から入るんです。興味を持った人が洋服を作っていたら見たいと思うし、その人が表現するものってどういうものなんだろうと。今はそういう風に洋服を見ているので、ファッション業界的なことは本当に分からないんですよね(笑)。
でも、アイリーライフのプロダクトは面白いですよ!ミュージシャンとしての活動が活かされたクリエーションになっているし、実際に音楽がどっぷりと落とし込まれていて。ライフスタイルと創るモノがしっかりとリンクしている。
あとは洋服屋、ブランドというよりも動向が気になって仕方ないのが、スコロクト(SKOLOCT)というアーティストですね。スコロクトというアーティストの生き様というか、動向というか、とにかく、彼からは目が離せない!
今、スコロクトは色々なブランドからオファーを受けて、絵を描きまくっているんですけど、スコロクトが絡んだプロダクトは必ず何かがある。そこを探すのも面白い。スコロクトの活動を通して、初めて知ったブランドもあります。
でも僕が知らないだけで、2000年以降、面白いブランドなんて山ほどあるはずなんですよ。今、僕が語らせてもらったような、いわゆる80、90年代を体感してきた人が作っているモノのほかに、20代の人たちが作っているモノも、もちろんあるわけで。20代の人たちは、僕達のような30代の人間とは全く違うものを見て育ってきているんだから、それはその時代だからこそ存在する感覚になっているはずなんで。間違いなく面白い感覚だと思うんですよ。面白くなきゃダメだし。
— 確かにそうですね。ブランドの事に話を戻すと、展示会ごとにストーリーを紡ぐというお話がありましたが、そのストーリーのインスピレーションはどこから来るものなのでしょうか?
ARATA:旅ですね。でも、旅だけではなくて、運が良いことに僕は役者という仕事でさまざまな現場を経験させてもらって、作品ごとにさまざまな人物を演じています。それって、ものすごく頭と心の切り替えになるんですよ。もちろん、一番は旅で、時間があったら旅をして、興味のあるところをどんどん攻めて、興味のあるものをたくさん感じて、っていうのがインスピレーションの根源なんですが、休みの日にみんなでフィールドワークをして、キャンプに行って、っていうだけでも充分。それプラス、役者の仕事はイメージの切り替えや心のスイッチングにすごく活かされるし、映像の現場は撮影する場所が日々変わっていくので色々なところを見ることも出来ますし、同時に色々な人と逢うことが出来ます。
言ってみればエルネストのモノづくりにしても、役者の仕事にしても、僕の中ではひとつになってしまっていて、全てが自分の日常というか、仕事は仕事なんですけど、今ではどちらも自分が望んで、楽しくやっている仕事で、それがライフスタイルになっちゃっているんです。役者と、モノづくりと、それこそ家族と一緒にいる時間っていうのも、全てがいっしょくたになっていて(笑)。
若い頃はそこに全て境界線を作っていたんですけど、段々その境目を作る必要がなくなって、今は自分の活動全てがライフスタイルになっています。オンとオフがある意味いらないというか、常にオンのまま生きていれば、いつ死んでも悔いはないと。
— 今、ご家族の話が少し出ましたが、父親になって何かご自身の中で変わったと思うことはありますか?
ARATA:もう少し子供と共に育っていかないと簡単に言えないですけど、変化というより、自分が子供から学ぶんですよね。当然のように責任だとかってのはあるんですけど、そんなのは当たり前で、そこじゃない気がしています。
例えば、自分の子供から、自分が1歳とか2歳だった時の空白の記憶を学ぶんですよ。そこで初めて自分の空白だった時間が埋まっていくんです。人間らしい、人間の根源みたいなものをもう一度取り戻すような感覚ですね。そういうのが子供が出来て、今自分が感じていることです。変わるというか学ぶんですよ。
— ちなみに、今後、子供服を展開する予定とかはあるんでしょうか?
ARATA:今は少しですけどやっています。今後、色々と増やしていきたいです。作りたいものはたくさんありますから(笑)。
— レディースについてはいかがでしょう?
ARATA:エルネストにはレディースのラインだけは無いんです。それはやっぱり自分がしっかりと勉強しないと出来ないので。女性の洋服の見方っていうのは、男性とまた違うので、きちんと練っていかないと。
でも勉強をしても、フルラインでは出来ないでしょうね。アイテム単位で、例えば、「キャンプに行った時、女性がこういう服を着ていたら絶対良いな」とか、「美しくて、且つ機能的なものってこうだろうな」とかってアイデアは浮かぶんですけど、それをすぐにはカタチに出来ないので。今後も勉強していきたいなと思います。
— 楽しみですね。それでは最後の質問になるのですが、今後のARATAさんのデザイナーとしてのビジョンや、お店の展開について教えていただけますか?
ARATA:ようやく自分たちの楽しめる実験場というか、秘密基地みたいなものが出来たので、このマイトリーという空間を、今の状態から、日々それ以上のものにしていく事が目の前にある一番の目標です。5年後、10年後のビジョンについて、今語ることは出来ない。
なんでかというと3.11のあの大地震があって、一瞬にして全てが無くなってしまうということがわかってしまった。放射能のこともあり、まだまだ問題は山積みだと思います。そういう社会情勢の中で5年後、10年後の話をするのは少しリアリティが無いような気がするんです。昔なら堂々と語ってたと思うんですけど、今の状況を受け止めた時には、それは出来ないです。嘘をつくことになるので。
それよりも、本当に大切なのは、今何をするかっていう事ですよね。昔から「今をどれだけ充実させるか」に重きをおいてきましたが、実際に地震が起きてみて、その意識を呼び覚されたというか。だから、ひとまずは自分の目の前にあるマイトリーという空間を活かして、たんたんと面白いことをしていくしか、今は考えられないですね。マイトリーを日々成長させて、活きた空間にすることです。
例えば今日みたいにたこ焼き屋さんがいたりとか(笑)。色々なイベントを毎週出来るようなベースを一刻も早く作っていきたいですね。1週間後、1ヵ月後、2ヵ月後っていう目の前の未来ですけど、そこをどんどん詰めていくことのほうがやりがいになって、それを続けたときに自然と1年、2年と大きな未来につながっていけばいいかなと思っています。
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