EYESCREAM×CLUSTER特別企画VOL2. 【映画『モテキ』公開記念! 原作者 久保ミツロウ ロングインタビュー(前編)】

by Mastered編集部

前回スター・ウォーズシリーズのブルーレイディスク版リリースに合わせて実施し、大きな反響を呼んだライフスタイル・マガジン「EYESCREAM」とClusterによる特別企画。第2弾となる今回は、去る9月23日(金)に公開された映画『モテキ』の原作者である漫画家、久保ミツロウ氏へのEYESCREAM本誌には掲載されなかった幻のロングインタビューを前・後編、2回に分けて掲載する。
昨年11月、テレビドラマ版のDVD化を記念して当Clusterで行った大根仁監督×カンパニー松尾氏の対談の効果もあり、Clusterユーザーからも絶大な支持を受ける『モテキ』。このロングインタビューではEYESCREAMの編集長である稲田浩氏が、本作品の生みの親である久保ミツロウ氏の話を通し、突如として決定した映画化の真相に迫った。

インタビュー:稲田 浩

4人の美女にモテる話を作ってと言われて描いたわけではなく、ボーイ・ミーツ・ガールの話を丁寧に作りたかった。

— 久保さんは映画の完成版を3回ご覧になってますよね?

久保ミツロウ:イマジカで初号から2回、あと完成披露試写会ですね。でも取材は観る前に受けたり、公開前でネタバレできないものばかりで、今映画を観て色々思うことあるんですが、案外話す場所がないと思ってました。

— 1、2回目はフィルムで観ていて、3回目はTOHOシネマズ六本木の完成披露試写会でデジタル上映でした。やっぱりあれだけの大画面で観ると情報量がぜんぜん違いましたね。

ドラマ版『モテキ』のDVD BOX

久保ミツロウ:最初観た時に、面白いだろうという予想の上をいっていたし、ただ、ただ泣きながら笑ってました。他の人とは泣き所が違って、ちゃんと映像になった感動だったり、色々報われたなって思いだったり……。今回、『映画原作のネーム描いたならマンガ描けばいいのに』って色んな人に言われるんですが、マンガで描くには未消化のネタをたくさん入れていて、描きたくないから映画原作を描いたんです。それをみんなは普通に見れるだろうけど、私は映像で観ることによってやっと客観的に見れました。それに映画とマンガを比べてほしくなかったんです。ドラマの時に一番ストレスだったのは表現自体が違うから変わるものなのに、ドラマとマンガを比較されて、『どっちがいい』とかって言われることで。『マンガの方が面白い』と言われたいのではなく、『マンガはマンガ、ドラマはドラマでいいじゃん』って思うんです。

でも創作物を作る仕事はどうしても過去の作品と比べられたり、同じ作品の中でもどこまでは面白いけど、どこからは面白くない、どのキャラはいいけど、このキャラはイヤと言われてしまう。そのストレスなしに映像に関わるには原作を発表せずに、作品の原作をネームとして描き下ろすーーつまり、私を踏み台にして大根さんが作ればいいと思って描きました。原作に関わりながらどっちが一番探しをされないのはストレスもなく、楽でしたね。

— 今回久保さんはマンガを発表しないって決めてたわけですが、そうすることで比較されず、楽だったっていうのは結果論ですか?

久保ミツロウ:結果論です。映画は元の原作の方が先に出ていたらヒット作ではないと思うんです。最終的に原作の方が良かったとかでなく、映画自体が評価されなきゃ意味がないと思ってたので、自己主張はするけど、『映画として良かったね』と言われるものにしたかった。マンガだと編集と打ち合わせして、スタッフと描いてるんですけど、原稿を描く時は机に向かってひとりで最終決断をくだしてく。っていうことは、誰ともセッションができていない。原作を誰かが描くっていう形であっても描いてる時は一人。でも今回、映画のために作品をネームで描いて、脚本になったものをもう一回直したりという共同作業をやらせてもらった。そのことで、自分の描いたものをそのまま変えずに表現するのが大事なことではなく、映画として一番まとまりができるために私も力になれたっていうのを俯瞰で見れたのが貴重な経験でした。
多分これまでのコミック原作の映画化は、マンガ家さんは原作を預けたら勝手に映画が完成するっていう流れが多かったと思うんですが、こんなに細部まで関わってセッションできたのはなかなかないケースじゃないですか。それはやる前からできると思っていたし、出来上がった後もそれが出来たというのが嬉しかったです。

大根仁、久保ミツロウ、川村元気の3者による鼎談も掲載された「EYESCREAM2011年1月号」

— 話は遡りますが、去年の11月に大根(仁)さんと川村(元気/プロデューサー)さんと鼎談(ドラマ版DVD BOXの発売に際してEYESCREAM11年1月号の日本映画特集内で掲載)していただいて。あの時が久保さんと川村さんの初対面だったにもかかわらず、大根さんから映画化の話があったのはあの直後だった。多少予想してた部分はありました?

久保ミツロウ:無かったですね。私がマンガで完結させた物語の先を描いてないのに映画化なんてできないじゃんって思ったので。東宝の会議に通ってキャストも決まっていてレールに乗ってれば映画ができるというものではなく、まず話を作ってから会議に通さなくてはいけないというものだったし。映画化が嬉しいのではなく、映画化するためにこれから努力をしなくてはいけないって言われたのが最初だったので、少年誌の週刊連載も控えていてそんな暇ないから、協力ではなく、完全に手を引こう位に思ってました。当初は大根さんが脚本を書いてそれを叩き台に私が話を考える予定だったんですが、ある時、最初の掴みをふっと見つけられたんです。誰もどんな映画になるのかイメージしにくいだろうし、私が先にネームでマンガにしたほうが一番じゃないかと思って描いて見せたら、大根さんに褒められて。結局私のネームを大根さんが脚本にしていくっていう形になったんです。

最後の方は大根さんが先に書き始めて、それを私が直したり。大根さんが脚本を書く前の土台を私が作るという作業も後半多かったです。私の考えるセリフとかのキレを大事にしてくれて、『このセリフいいよ』とか『このシチュエーション出してくれて良かったよ』って事あるごとに褒めてくれたし、出来上がった脚本も事細かに見せてくれて。それでも最後が決まってなかったのでこれでいいのかなって色々思いつつ、大根さんも何度も脚本直して。あとは役者の力かなって思うところもありながらやって、トータル3ヶ月費やしました。

— かなり費やしたんですね。でも最初に幸世とみゆきが下北沢で出会って盛り上がるまでの50ページくらいを一気に描いたそうですね。『モテキ』という作品に関しては一度納得して完結させてたのにそれだけ思いついたってすごいですね。

森山未來演じる“幸世”と長澤まさみ演じる“みゆき”による1シーン。

久保ミツロウ:納得というかネタがなかったんです。あれから先の恋愛ネタなんて私の知らない世界だからって思ってたのが、『就職させる話?』とか『一人の人を好きになる話?』とか『好きになった人の友達とゴタゴタする話?』とか、前とは違う形の話が見えてきたので、ドラマで出来なかったことをやってるつもりなんです。

だから原作のマンガの女性たちとは一切関わりのない世界で描きたかったんですが、大根さんが前のキャラクターを出そうと言い始めて。大根さんの『モテ記』という本に、土井亜紀を再登場させてたり、最後にみんなを再登場させるというネームが掲載されてるんですが、大根さんにリクエストされて描いたものなんです。言ってしまえば、自分のマンガだったら死んでも描かないシーンですが、競作なのであえて叩き台として描いたんですけど、そういうシーンは結局必要ないってことでボツになったり。そういう自分の意思ではない部分もあるからマンガ化もしたくないし、ネームも発表したくないんです。大根さんにも『こんだけちゃんと描いてるんだから発表したら?』って言われたんですが、ネームは私にとって落書きなので未完成品でお金取ることはできなかったです。

— 映画のためというのは大前提ですが、久保さんはまずなにより一人のマンガ家なわけで。作品として成り立つほどのネームを描き切ったにもかかわらず、あえて発表しないというのは作家として納得できることなんですか?

久保ミツロウ:うーん。ネームまでは描けたにせよ、そこからペン入れをするというモチベーションがないんです。ネームからマンガにする時はそのまま描くのではなく、もう一回話を編集して、演技も直して、さらに舞台化するくらいの労力がかかる上に、見せ方や情報量のアップデートをするとなると、膨大な手間隙がかかるので。しかも映画で一度こういう話ですって出したものを後だしでマンガで出せば、読者は答え合わせの目線になり、映画と比較され続けるのは心がもたない。人はネームあるなら簡単にできるでしょって言うんだけど、いやそんな簡単にできないんです。

— ミュージシャンで言うとネームは自分のためのコードで、ペン入れはレコーディングみたいなもので全然違うっていうことなんですね。なおかつ今回は自分じゃなく大根さんのために描いた曲ってことですね?

久保ミツロウ:そうです。それを自分で歌えばって言われると、また新しく読み聞かせる物語として新鮮な見せ方をしなくてはいけないというのはすごく疲れるんです。それがまだ発表されてない作品ならいいですけど、発表されてるものなら尚更モチベーションが沸かない。週刊連載とかで毎回新しいものを見せられることがモチベーションだから、一度映画や小説になった話をマンガで描くのはキツイ。それをやってる作家さんもいますが、それにはすごく努力してると思います

— それを自分の話でやるというのはたしかに違いますね。

漫画『モテキ』のコミックセット

久保ミツロウ:あとは個人的なネタを入れすぎたので恥ずかしくて描けない。単行本のネタは過去の話が多いから好き勝手描けたけど、今回は今も関わってる人が多いので。(漫画/ドラマまでの)『モテキ』は自分の心の棚卸しって思ってたので、恋愛マンガのネタとしてはどうかな?っていう自分のネタまで形を整えて出してたんですが、今回は取って出しに近いネタも多いんです。

— ドラマ版までの「撮って出し」からさらに突き進んだ“生感”も画面から伝わってきて、観たことがない新らしい映画になってる感じがしましたね。

久保ミツロウ:4人の美女にモテる話を作ってと言われて描いたわけではなく、ボーイ・ミーツ・ガールの話を丁寧に作りたかった。幸世くんの上手くいかない恋愛を丁寧に追ってるだけの話なので、これから美人な女優を4人集めて簡単にシリーズ化できるでしょ?って言われても、どんだけこっちが身を削って血を吐きながら描いてるんだって話で。王道だと思って描いてるわけでもないし、私の中でやっと必然性が見えたから描いただけ。タイミングが良かったんです。だから続編があるか?って聞かれても、今決める話ではない。ただこういう瞬間的な運の良さがこの映画にはいっぱい入ってるから嬉しいです。自分の好きなものもいっぱい入ってるし。

— 相当入ってますよね? クライマックスの“N´夙川BOYS”も久保さんのアイデアだそうですね。

劇中に使用されている曲を収録したアルバム「モテキ的音楽のススメ 映画盤」

久保ミツロウ:今回映画で使いたい曲をみんなで持ち寄った時に入れてたんです。エンディングの話も描けなかったので、どの曲が合うか分からなかったんですけど、大根さんがいつの間にか“N´夙川BOYS”にしていて。追いかけっこするところまでは描けてたので、そこにハマる力強い曲が乗るといいなとは思ってたので、夙川はハマってましたね。とりあえず力技で音楽かけて、よく分からなくても説得力ある、みたいなことは漫画だとできないので新鮮でしたね。

— とはいえ、これまでそういう日本映画はなかなかなかったと思います。

久保ミツロウ:そうなんですかね。同年代の人があれで喜ぶのかさえ分からないのに、若い子や年上の方はどう思うのかなって。ただ東宝やテレビ東京、講談社の偉い人たちが、すごい良かったよって話してるのを見て、『あれ? 結構共通すること描けたのかな』ってびっくりしました。作ってる方はこれしかないと思って作ったんですが、オーソドックスだって言われて意外でした。

— フジくんみたいなキャラクターって実際いるんですが、これまで日の目を見ないというか物語の主人公になりえなかった。それを『モテキ』はスタンダードで普遍的な青春ドラマとして、ド真ん中までもっていった。マンガ、ドラマ、映画でオルタナティブな流れができた気がします。

久保ミツロウ:ハズし感が『モテキ』っぽい。音楽に関してもコンピレーションを発売してますが、私は選んでないんです。ただみんなが藤本幸世だったらこうだろうっていう共通認識でできてるのが面白いなと。私が作った藤本幸世は多分自分自身なんですけど、他の人が描かないだろうから自分が一番上手く描けるキャラを描こうと思って藤本幸世が生まれたんです。ファッションでも文化でも何が王道かとかではなく、どこかにしっかり根を置いて、これが王道だってそれぞれ決めてるわけだから。昔より今は文化がバラつきが出てきてるので、サブカルって言っても十分メジャーだからみたいなことがいっぱいあったり。例えば壊れた時計でも1日2回は正しい時間を示すみたいな感じで、どの時間を示していても1日2回は誰かにとって正しい時間になる。ファッションだって自分がこれだと思ったら、それが流行のファッションになる時期が来たりすると思うんです。今の王道って何かって言ったら、もちろん時代感はあるんですが、今自分がここにあるんだってポイントを細かく描写することでーー相対的なものの中から『みんなこうだよね』ではなくーーまず自分がこうだっていうのを明確に示すってことを『モテキ』ではしてきました。

恋愛感に関しても『どういう人がモテるのか?』って、相対的なことを訊かれても全然分からない。でも自分は表現の手段を持っているので、『自分はこう思う』ってことを思い切り表現しようと思ったのが『モテキ』です。そのリアクションとして、大根さんや他のスタッフも、ドラマや映画でわざわざ表現することじゃないだろうなってとこまで突っ込んできてくれて。そしたら意外に共感してもらえたり、新たな世界の発見をしてくれたり。自信を持って自分の世界を描く経験ってなかなかないと思うんですが、『モテキ』ではみんなそれが出来てると思う。

しかも誰かのおかげではなく、自分が頑張れたからこの作品が出来たってみんな言ってるんですよ。音楽の岩崎(太整)さんも、伊賀(大介)さんも、大根さんも、森山(未來)くんも誰もやらされた感がない。伊賀さんも『今回の俺、いい仕事したと思う』とか、岩崎さんも『大学で自主映画作ってる感覚だった』とか。私も『私の原作があったからこの映画はよくなったんだよ』って自信を持って言えるんです。誰かのおかげという部分はもちろんありますが、まずは自分が頑張れたことがこの作品の力になってるってみんなが共通認識で持ってる映画ってすごいと思う。今それをどう批判されようとも、『これしかできなかった』って思えるくらい自分たちはブレてないので、何言われても傷つかない。むしろブレないことをネタにしてるのが面白い。自分一人だったらこんなこと言えないんですが、大根さんがいて、助監督さんや伊賀さん、森山くんなど、『モテキ』を通すと、現場の人と話せるんです。東宝の偉い方とも上手に話せるし、芸能人やミュージシャンとも『モテキ』を間に挟むと肩肘張らずに『モテキ』の話で盛り上がれる。だからお客さんにも、この映画を利用して新しい繋がり方を発見してもらったり、新たな楽しみ方を開発してもらいたいなと。私たちはそれが出来たから早くみんなのものになるといいなと思います

— そう考えると奇跡的ですね。

久保ミツロウ:個人的な世界を描いた先に、そういう風に思えるものが待っていたのは不思議です。最初からそれを目指していたわけではなく、結果的にそうなったんです。それをまとめた大根さんがすごいと思う。

後編に続きます。