『ナイキ ウインドランナー』の軌跡。
続いてここからは、『ナイキ ウインドランナー』がこれまで歩んできた軌跡について解説。『ナイキ ウインドランナー』の誕生について語るには、同アイテムが誕生した1970年代後半より少し前、1970年代初頭のジョギングブームについて触れなければならない。[NIKE]の創業者であるビル・バウワーマンが先駆けとなり、ナイキ フットウェアも後押しした、このジョギングブームはたちまち全米を席巻。しかし、当時の社会に機能的なランニングアパレルは存在しなかったのである。
1975年、ジョギングブームは更に勢いを増し、ランナーが成績を伸ばそうとする中、快適性に欠け、動きにくい洋服は彼らのトレーニングを邪魔するものとなっていた。
そこで[NIKE]はランナーのためにトレーニング用アパレルを展開することを決定する。大きな人気を博したワッフルトレーナーと同様、ランナーの成功を支え、業界を一新させることを目論んだのである。
1978年、目標達成のため、[NIKE]は社内にアパレル部門を立ち上げ、ランナーが晴れの日も雨の日も練習しやすく、自然な動きの邪魔にならないアパレルコレクションのデザインを開始する。
チームは小さいながらも総合的なアパレルラインを開発。当時の[NIKE]のシューズに合わせたカラーリングのランニングショーツ、タンクトップ、パンツ、そして間もなくしてナイキ ウインドランナーと呼ばれることとなるジャケットも製作された。
1979年、[NIKE]の役員の意見を元に、ナイキデザインの持ち味である最高の機能性と美しさの基準を満たすものになるよう、オリジナルのナイキ ウインドランナーのスケッチに改良が加えられた。
アスリート達はこうして誕生したジャケットの試作品でトレーニングを行い、その感想を元にさらなる微調整が重ねられた。なお、今日でも[NIKE]のフットウェアとアパレルにはかつてと同様、厳しい機能テストが課されている。
1980年、ナイキ ウインドランナーがアメリカオリンピック陸上予選で初めて大きな大会に登場することとなる。この試合はオレゴン州ユージーンのヘイワードフィールドで行われた。
前述した大会への登場もあり、ナイキ ウインドランナーの進化と人気はさらに加速。素材も進化して様々な天候にも適応できるようになり、エリートランナー、一般ランナー、双方にとって必須のジャケットとなっていく。