結成20周年記念アルバム『全て光』をリリースしたTOKYO No.1 SOUL SETにインタビューを実施。自らが語る20年の足跡とは?

by Mastered編集部

top2月9日に結成から(約)20周年を記念したカヴァー企画盤『全て光』をリリース。この作品に参加した小泉今日子、紗羅マリー、中納良恵(EGO-WRAPPIN’)、原田郁子(clammbon)、土岐麻子、小島麻由美、HALCALIからなる女性ヴォーカリストをフィーチャーしたスペシャルライヴを、渋谷O-EASTにて行ったばかりのTOKYO No.1 SOUL SET。クラブ・カルチャーとストリート・カルチャーの黎明期に活動を開始し、レゲエやヒップホップを土台に、オリジナルな作風を熟成させてきた彼らの(約)20年の足跡をBIKKE、渡辺俊美、川辺ヒロシの3人が語ります。

インタビュー・文:小野田 雄
写真:浅田 直也

ここに居続けるのはダメだ。ここじゃないどこかにいきたいんだ(川辺ヒロシ)

— ソウルセット結成20周年ということなんですけど、よくよく調べると、ソウルセットの結成って正式にはいつなのか、よく分からなかったりするんですけど。

川辺ヒロシ(以下川辺):うん。だから、まぁ、今年をはさんで、前後プラス1年を20周年ってことにして、来年辺りまで結成20周年って言おうかな、と(笑)。だって、うちらの始まりは2、3年くらいぼんやりしてたから。

渡辺俊美(以下俊美):だから、去年は間違えて、20周年って言っちゃったってことでいいんじゃない?(笑)。

BIKKE:それに今回の『全て光』だって、ホントは去年出てなきゃいけない作品だったし。

俊美:厄年にしたって、前厄、本厄、後厄ってあるでしょ。そんな感じ。

川辺:それそれ、後厄!

— いきなりトリッキーな発言ですねー。

川辺:だって俺たち、「バンド組もうぜ!」って言って始めたわけじゃないし、そもそも俊美くんが入ってからはまだ20年経ってないんじゃない?

俊美:出会って20年。

川辺:焼肉屋に連れてかれて20年(笑)。

BIKKE:ホントに俊美くんには色んなものを食わしてもらったよ。

川辺:それはホントなんだけどね。大体、22、3の頃なんて、焼肉の食い方なんて知らないじゃん? で、当時、社長だった俊美くんに焼肉屋に連れてかれて、「何でも食え食え。でも、網が汚れる前にタン塩頼むんだぞ」って。で、こっちは「へぇ?」って。MUROとかBOY-KENも俊美くんからそうやって焼肉の食い方を教わったんだよね。で、「最後にもう1回タン塩いい?」って聞いたら、「そんな無粋なことするんじゃない!」って怒られたりして。

俊美:それをやったのはエドツワキ

BIKKE:エドはお酒を飲まないからね。

俊美:デザートにタン塩を食うヤツですから。

— (笑)それから、(下北沢のクラブ、ZOO/SLITSのドキュメント本)『LIFE AT SLITS』のなかで、かせきさいだぁ≡の話として、川辺さんが「おれは俊美くんをメンバーにした記憶がない。それは今でも(笑)。ギターだって勝手にもってきてさ」と語ってたことになってますよね。

川辺:ああ、それ誤解なんだよ(笑)。俊美くんが来ることははっきりしてたんだけど、ギターを持ってくるとは思わなかったってこと。だって、急にギター持って、ステージに入ってきたら、それはホントに頭のおかしい人でしょ(笑)。

BIKKE:一応、来ることは分かってたんだけど、一度もリハやったことないのに、当日になって、まさかギターを持ってくるとはね。というか、当時はリハなんてやらずに、どっか飲みに行ってたくらいだから。

俊美:僕が覚えてる一番最初のリハは、小沢(健二)くんの野音ライヴ(93年6月19日)用にBIKKEと2人でスタジオに入ったやつ。覚えてない?

BIKKE:さぁ。覚えてないなぁ。

俊美:「さすがに野音に出るんだから、ちょっとやっておこうよ」って。それ以前にリハやった記憶はないね。

川辺:大体、その頃、ソウルセットが始まってたことに自分たちが気付いてなかったからね。(シングル)『黄昏’95?太陽の季節』を出した頃、さすがの俺もようやく「もう始まってるな」ってことが分かったというか、「これはもう後戻り出来ないぞ」って。

俊美:3人揃って、初めてアーティスト写真を撮った時にそう思った。

川辺:寒いところで平間至さんに写真撮られて、「はは?ん」って。それ以前は動いてるって感じじゃなく、行き当たりばったりだったから。まぁ、でも、94年に江戸屋レコードに所属した時点でソウルセットが始まったってことにすれば、もう1回、20周年出来るよね。やっぱり、そうだよ。ソウルセットが始まったのはあのタイミングだよ(笑)。だから、2014、15年にもう一回20周年だな。

— それ以前の……

俊美:ナツメグ時代はなしってことで。

BIKKE:ないよね。

川辺:ないよ。ふざけてただけだもん。

— はははは。それから、ソウルセットというと、3人ともかつては洋服屋の店員だったという。

川辺:うん。店員というか、俺とBIKKEはバイトだよ。ちゃんと洋服をやろうと頑張ってたのは俊美くんだけ。

BIKKE:そう、時給600円もしないバイト。

川辺:ちなみにうちは950円くらい。その前はレコード屋のバイトで600円とか。あれは食えなかった。

BIKKE:でも、僕、パリコレに行ったことある。荒川眞一郎くんのショウを観に行った後、洋服を買って、代官山で売ってたよ。


渡辺俊美のソロユニット、THE ZOOT16の
最新アルバム『ヒズミカル』。
2010年リリース。
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川辺:じゃあ、ちゃんとファッション業界の人間だったってことじゃん。俺がバイトしてた頃は、ジョニオとかNIGOもまだ学生で、DAIGOとかTHE ZOOT16を手伝ってるショウジとかとつるんでウロウロしてたり、カレー屋のギーでバイトしてたNIGOをチエコ・ビューティーが店に連れてきたり、ボーちゃん(BOSE)とかANIもまだファイル・レコードでバイトしてて、もうすぐ出来るスチャダラのアルバムのデモテープを店でかけたり。当時、TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRAのリーダーだったASA-CHANGが「こういうバンドをやってるんで、このデモテープをかけてください」って、やって来たり。

— 川辺さんにしても、レコード・ジャケットのアートワークを勝手に使ったTシャツを作ってたんですよね?

川辺:俺の金にはならなかったけど、すげえ売れてたよ。あ、でも、それが売れてたから、嗅ぎつけた俊美くんが店に来たのか。

俊美:あの頃のことを振り返ると、ストリート・ファッションもクラブ・ファッションも、自分たちでは意識しなくて、後付けでそう呼ばれることになるんだけど、当時、クラブに行くことが一番お洒落だったっていうか、僕が東京に来た時にはツバキハウスとか、そういうものがあったし、ディスコからクラブに移行していくなかで、当時、僕の場合はクラブに行く時に着るような服が売りたかったって感じ。

川辺:レコード屋以前、東急ストアで社員として働いてた頃、ピカソ(P.Picasso。西麻布にあったクラブ)に行ったら、藤井悟を筆頭に「もう、なんて格好いいクラブなんだ。こんな格好いい人たちがいるのか、この世には」って死ぬかと思ったもん(笑)。だから、ファッションと音楽に同時にやられたって感じ。

俊美:しかも、悟くんは面白い格好してたんだよね。で、(松岡)徹くんは、どっちかと言えば、定番ものを着つつ、ジーンズを切ったり、ちょっとしたディティールの変化を付けることでオリジナルに見せてた。だから、高いDCブランドを着て遊びに行くっていうよりは、DIY的なファッションってことだよね。そういうものがおもしろかったというか、そういう人たちと出会えたのがホント面白かった。

— ピカソはダサい格好で行くと、中に入れなかったんでしたっけ?

川辺:ダサいっていうのは、「DCで固めたら入れないよ」っていう意味ね。

BIKKE:でも、俺、初めて行った時、入れなかったよ。友達2人で行ったら、「ダメ!」って言われたんだけど、どうしても入りたかったから、近くの雑居ビルでお互いの着てるものを交換して混ぜて、もう一回チャレンジしたら、また「ダメ!」って言われた。結局、その後入れたのは、中にいる人を呼んでようやく、って感じだったなー。

俊美:でも、音楽って、ホントに好きな人は全部レコード代とか、とことんつぎ込むじゃないですか。そっち方向に行くのもいかがなものかなって思ったりして。喋った時に音楽の話しかしなかったら、なんかつまらないじゃないですか。そうじゃなく、映画の話が出来たり、そういうバランスの取れてる人が僕らの周りにはいっぱいいたんですよ。

— 藤井悟さん、松岡徹さんの何でもミックスするというDJスタイルはソウルセットにも当然影響はあったわけですよね。

俊美:うん、そうやって一回好きになったものは嫌いにはならないよね。今回のカヴァー・アルバムでやった「Champion Lover」は、それこそ20年くらい前はライヴ前にかけて、出ていく時に使ってた曲だし、(川辺)ヒロシくんなんかはレコード捨てないからね。

川辺:当時聴いてた音楽、例えば、チャック・ブラウンとかフラワーゴン、トレヴァー・スパークスなんかは、誰も聴いてなかったけど、20年経った今、「昔は誰も聴いてなかったけど、俺らは聴いてたからね。ほら、良かったでしょ」とか、そういうことを証明しているような気分でもあるというか。

俊美:(笑)フラワーゴン!

川辺:でも、その頃、みんなは当時、大ヒットしてた曲を聴いてたわけでしょ。まぁ、だから、そうじゃないものを選んだ者として、色んな音楽を吸収しつつ、さっき話した服の話と同じく、それをそのまま真似したわけじゃないからね。当時、プライマル・スクリームっぽかったり、ハッピー・マンデーズっぽかったりするバンドがいっぱいいたんだけど、それはもうホントにキツイと思ってたから。あとはモロにジャマイカンみたいな音楽? まぁ、コスプレみたいなことだよね。そういう音楽は、なぜか照れて出来なかったというか、逆に出来る人はすげえなって思ってた。「どういう心境でなりきれるのかな?」って。

俊美:すごい物真似上手というかね。

— ソウルセットはヒップホップに対する接し方、自分たちなりの発信の仕方もひねりがありましたよね。


ヒップホップ史上に名を残す名盤、パブリック・エネミー『It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back』。1988年リリース。
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川辺:うん。だから、当時、スチャはスゴいなって。そもそも、当時、ライターでもヒップホップが分かってるやつなんか一人もいなかったし、大御所評論家に至っては、パプリック・エネミーのアルバムに0点付けて、『リズム感が悪い』って(笑)。マジで!? って思ったよ。

俊美:DJが何なのかってことから説明が必要だったというか、ヒロシくんなんかは取材の時に『ライヴでは何をやってるんですか?』って訊かれてたよね(笑)。

— BIKKEさんに至っては「あれは歌なのか何なのか」って、よく言われてましたよね?

川辺:そうそう。ヒップホップを知らない人には理解不能だっただろうね。

— BIKKEさんはヒップホップの定型を崩していった先に今のスタイルがあるわけで、当時は理解の難易度が高かったというか。

BIKKE:ラップに決まってんのにね(笑)。

俊美:BIKKEは、レゲエからア・トライブ・コールド・クエストとかジャングル・ブラザーズが好きになっていって、ちょうど、その頃、今の3人になったっていう。

— そのひねりはラップだけでなく、サンプル・フレーズが独特な音質でうずまいてるトラックもしかり。

川辺:ひねりがあるとはいっても、XTC的な高度なひねりじゃなく、もうちょっとプリミティヴ、原始人的なレベルなんですよ。やり方がよく分からないまま、音楽を作っていたわけだし、かといって、ドラムループの上にジャズのサンプリングを被せて、「さあ、どうぞ」って。そんな恥ずかしいことは出来ないというか、そんなことはあっという間に出来るわけだから、そうじゃない何か、「これはホントに誰もやってなくて、誰の真似でもないよね」ってことを破綻のないレベル、ポップソングとして成立している音楽をやりたいなって思いながら、七転八倒しながら作ってたんですよ。

俊美:アフリカ人がテクノ作るみたいなね(笑)。

— じゃあ、95年の『TRIPLE BARREL』と96年の『Jr.』をリリースした江戸屋レコード時代は、作り方が分からないながら音楽を作っていた、と。

川辺:そうそう。だから、今もKONONO NO.1みたいな「指ピアノをアンプに突っ込んじゃった!」っていう無理矢理な音楽に反応しちゃうっていう。

俊美:そうやって作ったものを、時間が経った今になって聴いてみると、「これでよかったんだな」って思えるというか。ただ、その当時、ヒロシくんは不安でしょうがなかったと思うんですよ。俺とBIKKEのリリックにしても、日本語で歌いつつ、まともなことを敢えてやらなかったわけで、それは不安でしたよ。近いニュアンスでいうと、お寿司を出す時に鮮度のいいマグロを使えば、それは美味いに決まってるじゃないですか。でも、そこまで高級じゃなくても、漬けマグロみたいに一つ手を加えることで美味くなるお寿司もあって、それこそがソウルセットの作ってた音楽なんじゃないかなって。つまり、鮮度で勝負するんじゃなく、日持ちして長く食えそうなものってことですよね。

— ちなみにレゲエとともにソウルセットのルーツであるヒップホップに関して、当時、3人のアンテナに引っかかったものは?

川辺:それはいっぱいいるよ。ウータン・クランのRZAが一番最初に出てきた時、ヤバいと思ったし、もちろん、トライブにジャンブラ、ピート・ロックにプレミア……みんながヤバいと思ってるトラック・メイカーは俺も同じように好きだよ(笑)。今度、5月にピート・ロックがC.L.スムースと一緒に来るんでしょ? それは絶対行こうと思ってる。ソウルセットではいわゆるヒップホップやレゲエの真似をしてないだけで、そういう音楽は死ぬほど聴いてるし、逆に真似にならないようにするためには、ものすごく聴いてないといけないっていう。

俊美:俺とか、いまだに料理しながら、ガイとかボビー・ブラウンとか、一連のテディ・ライリー仕事を聴いたりするんだけど、あの辺の音楽は聴いてるとアガるんですよね。自分のなかの青春時代っていうか、ダンサーにはなってないけど、パンクからRUN DMC、ビースティーズっていう流れを受けつつ、かといって、ロンドン・ナイトはそこまで踊るって感じではないじゃないですか。だから、当時、踊りに行くとなったら、テディ・ライリーとか、そっちの方ですよ。だから、俺はヒップホップよりそっちの方を聴いてしまうかな。

BIKKE:俺は……Qティップとか? 僕はあんまり音楽を聴いてないから、そんなにお手本にするアーティストもいなかったんですよね。今だったら、フローひとつとっても、お手本になりそうなものが沢山あるじゃないですか。しかも、日本人が開拓したフローが一つの定番となれば、それをみんなが真似したりする。でも、自分が始めた時、そんなに音楽を聴いてなかったし、もちろん、日本人ラッパーも沢山はいなかったから、自分のスタイルがどうやって生まれたかはよく分からないんだけど、どこかで違うことはしたいなとは思っていたんじゃないかな。スチャダラはスチャダラで確立していたし、一つの考え方として、スチャダラとは違うことをしようとはしてましたよね。

— 完全な手探りだったと?


「Too Drink To Live」が収録された『隠せない明日を連れて』。1999年リリース。
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BIKKE:うん。手探りってことで思い出すのは、まだ、ライヴをやったことがなかった頃、「Too Drink To Live」(のちにシングル『隠せない明日を連れて』に初収録された)って曲を作ったんだけど、自分たちでそれがいいのかどうなのかよく分からなくて。でも、それを聴いた小沢(健二)くんが「いい」って言ってくれたんですよ。「小沢くんがいいって言ってくれたんだったらありなんじゃん?」って(笑)。それで「よし!」って思って、ライヴをするようになったんだよね。

川辺:だから、今、自分がちょっといいなと思った音楽を作ってる若者には「いいよ、それ!」って言うようにしてますよ。だって、自分が何者でもない時って、シカトされてたら、いいかどうか、自分たちでは全然分からないし、そういう時にかけられた言葉ってスゴくデカいと思うのね。だから、自分たちがかつてそうだったように、若者には声をかけるっていう。

— それから90年代のソウルセットといった時に真っ先に浮かぶのは、川辺さんや俊美さんが回してた下北沢のZOOやSLITS、青山のMIXといった今はなきクラブなんですけど、閉店してからしばらく経って、そうしたクラブから受けた影響は改めて振り返ってみていかがですか?

俊美:ああいうクラブがあったら、今でも遊びに行くと思うんですけどね。ただ、今挙がった店は閉店してしまったけど、当時遊んでた人が自分の店を持ったり、パーティをやったりして、大きくはないけど、個々にやってる感じじゃないですか? 前はそういう箱もパーティもなかったから、みんなが同じ場所に集まってただけというか。だから、当時と比べて、今はつまらないと感じたことはないですよ。

川辺:今挙がったクラブの影響はもちろん受けてるし、自分を形成するにあたっては、その辺がほぼ全てなんだけど、同時に思ってたのは「ここに居続けるのはダメだ。ここじゃないどこかに行きたいんだ」ってこと。それは今でも思ってることなんだけど、同じところに居続けてると、ここじゃないどこかに行きたくなる。だから、最後、店が閉まる頃、自分を取り巻く状況はずっと同じ感じだったから、みんなが悲しむほど、悲しくはなかった。

俊美:逆に「自分はあとここに10年いるのかな」って想像したら、ゾッとしません? そう思った時、「ここにいちゃダメだな」って思うだろうし、自分たちの周りではスチャダラがCDを出しながら活動しているのを見て、少なからず羨ましい部分と大変だなっていう部分があったから、「じゃあ、僕らはそのいい部分をやりたいな」って思いましたね。だから、江戸屋に所属していた頃は何度となくヒロシくんと話をして、「どうする?」って。だから、現場で楽しんではいたけど、同時に不安もいっぱいあった時期だったと思いますね。まして今ここにこうしていることも不思議だったりするし、「この20年、ソウルセットはこんな感じでやってきましたよね?」って言われれば、まぁ、その通りなんですけど、自分としては、振り返ると不思議な気がするんですよね。

— そして、1999年にアルバム『9 9/9』 を出した後、ソウルセットは恒例の年末ライヴを除いて、実質的に活動休止状態が続いていくわけですが、時を同じくして、世界一のレコード屋街だった渋谷からレコード屋が少しずつ消えていったり、日本のCDセールスもピークを超えていきますよね。

川辺:とはいえ、今はネットで色んな音楽が聴けるようになってるからね。当時、レコード屋に通ってた人は、今、酔っ払って、YouTube観たりしてるわけでしょ。そういう意味では能動的だし、一概にお店がなくなったからといって……とは思うんだけど。ただ、音楽業界の状況は極端すぎたよね。

BIKKE:だから、いま考えると、90年代はちょっと特別な時代だったんだよね。だって、「当時は楽チンな商売だな」って思ったもん。そりゃ、作る時は大変ですけど、「他の仕事をするんじゃなく、音楽やりながら生活出来るんだ」って思ったし、江戸屋の時にリリースした『Triple Barrel』と『Jr.』がまぁまぁ売れたから、気持ち的には江戸屋以前の延長のまま、「酒飲んでワーッてやって、お金もらって生活出来るならラッキー!」って感じで。まさか、それが特別な時代だったとは思わずに(笑)。

— その後、川辺さんは『DUBMOSPHERE』のミックステープを出して、テクノやハウスをかけるようになったり、俊美さんは『INTERPLAY』のミックステープやコンピCD、THE ZOOT16の始動、BIKKEさんはナタリー・ワイズの活動と、個人活動が精力的になっていきます。

BIKKE:あの頃、事務所はなかったんだよね。

俊美:うん。しかも、事務所がなかったから、誰も連絡してこない、みたいな(笑)。

BIKKE:だから、そこがソウルセットってことなんですよね。いつ始まって、いつ終わったんだか、よく分からないっていう。

— この時期、ソウルセットの解散ということは頭にあったりしました?

俊美:なかったですね。終わるっていう感じはなかったし、解散していく他のバンドと比べられるのもイヤだった。「そうじゃねぇだろ」って。で、たまにMIXへ遊びに行って、3人が揃うと、「わ、揃ってる!」って周りが気を使うっていう。そう、当時は僕らより周りの方が気を使ってたんですよ。

BIKKE:だから、最近こそ前向きに仕事をしてますが、当時は「事務所がなくなったのか……」って思いつつ、ぷらっとしてて、あとは個人で出来ることをやってたっていう。

川辺:俺は俺で、ハナちゃん(笹沼位吉:SLY MONGOOSE)と毎週MIXでDJをやりながら音楽の話をしてたし。


活動休止状態の後、2005年にリリースされたTOKYO No.1 SOUL SET通算4枚目となるフルアルバム『OUTSET』。
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俊美:僕も自分でレコード屋さんを出したり、自分でも「何だろうな?」って思ってましたよ。かといって、レコード屋さんにしたって、周りにぷらぷらしてた人がいたから始めたところがあったし、でも、しばらく経って、「やっぱり、自分のためにやりたいな」と思って、レコード屋を止めて。ただ、2005年に『OUTSET』を作って良かったなっていうのはすごいありますけどね。BIKKEにしてもナタリー・ワイズで全てをやり遂げたわけでもないし、ヒロシくんもDJスタイルが4つ打ちにちょっとずつ変わっていって、みんな発展途上のなか、実験的な『OUTSET』を作ることが出来て。で、この前、作ったことを忘れてて、ヒロシくんに「これ、何の曲だっけ?」って聞いたら、「『OUTSET』の曲だよ。もう一回聴き直してみなよ」って。で、聴き直してみたら、すごい面白かった。あのアルバムは「また、やろう」って感じで作ったものじゃなく、気持ち次第で作ることが出来た作品だったというか、そういう気持ちの部分を再確認出来たんですよ。

— 『OUTSET』以降の作品では打ち込みと生楽器の比重が一気に高まりましたが、海外のヒップホップもサンプリングのクリアランスの問題等の理由から打ち込みにシフト・チェンジしていきましたよね?

川辺:あ、でも、うちらの場合、サンプリングのクリアランスはあんまり関係ないんだけどね。今でもサンプリングはしてて、前はそこで終わりだったのが、今は作業が増えて、サンプリングを生音に差し替えたりしてるから表向きには分からなかったりするとは思うんだけど。サンプリングに関しては、そこまで売れてないから、あんなにモロ使ってるのに一度も怒られたことないし。そうじゃなく、音の質感とか俊美くんのプレイヤーとしての成長があって、もっと面白いことが出来るなって。それにサンプリングし続けることが「これじゃ、まるでソウルセットのパロディじゃないか」って思うようになって、もっと違う組み立て方をしたくなったというか、「これじゃ、詰め込みすぎだな」とか(笑)。ガツガツしたセックスじゃなく、もっとエロいセックス、なかなか入れないセックスをした方がいいんじゃないかって(笑)。まぁ、そういう揺り戻しはいつでもあるだろうし、次はどんな作品が出来るのかはさっぱり分からないんだけど。

— 川辺さんが2000年あたりからハウスやテクノに傾倒していったというのは?

川辺:古い曲をかけてると、そんなに玉数が増えるわけじゃないから、ルーティーンみたいなことになってくる瞬間があって。それが平気なクボタ(タケシ)とか大貫(憲章)さんもいるんだろうけど、俺の場合はダメになるっていう。だから、「ここにいちゃダメだな」って思って、またいちからどこかでやろうかなって。もうね、常に「ここにいちゃダメだ」って気分になる。これは病気なの(笑)。生音セットは……毎週やるのは無理だけど、今は頼まれればいつでもやるし、全然オッケー。楽しくやれてます。あの頃は、クボタと一緒にやってたっていうのがよくなかったんだろうな(笑)。

— はははは。そして、俊美さんは『INTERPLAY』でジャズをプレイする一方で、THE ZOOT16やコンピレーション『MUSICA INOCENTE?罪のない音楽』ではスペインの混血音楽の影響が色濃くなっていってますよね。


渡辺俊美選曲による、日本初のメスティーソミュージック・コンピレーション『MUSICA INOCENTE?罪のない音楽』。
2008年リリース。
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俊美:その2つは自分のなかで分けてますけどね。いま「INTERPLAY」はDJというか、公開ラジオみたいな感じでやってて、そこではジャズについて話すわけじゃなく、自分の失敗談を話して、曲にいったり、そういう人間味が出ればいいかなっていうイベントなんですよね。ジャズって、1曲4〜5分あるからDJするのも楽だし、酒飲みながら自分でも楽しみつつ、どんな場所でも出来るのがよくて。DJに関しては、悟くんとかTHE ZOOT16で一緒にやってるホテイの方がやっぱりスゴいというか、DJで食ってる人と対等にやるのはいかがなものかなって、いつも思うから、「INTERPLAY」では自分にしか出来ないことをやってるんですけどね。スペインのミクスチャー音楽は単純に趣味というか、好きな音楽なので、THE ZOOT16はそういう好きなものをそのまま演奏出来たらいいかなって。

— ただ、ジャズにしても、もともとは夜の盛り場の不良のための音楽ですし、スペインの混血音楽も血の気の多さにも同じものを感じるというか、そういう意味では一貫したもの、包み隠すことがない正直さみたいなものを感じるんですけどね。

俊美:全然健康的じゃないっていうね(笑)。そういう自分の筋みたいなものは昔と比べると明確になってきたというか、今はなまり100%で喋ってる感じというか。格好付けてばっかりじゃなく、自分のダメな部分、格好悪い部分も出さないと面白くないんですよね。だから、そういうものを敢えてやってる感じですね。

— BIKKEさんはBIKKEさんで、『OUTSET』以降、リリックがよりシンプルになっていってます。

BIKKE:そうっすねー。いわゆる一つの変化ですよね。

俊美:「CHANGE MY MIND」ね。

BIKKE:そうしたいと思うから、そうしてるっていうだけ。そこには特に理由はないですね。まぁ、強いて言うなら、お酒を飲まなくても詞が書けるようになったっていう。

— 書くスピードも早くなったとか。

BIKKE:早いです。もちろん、時間がかかるものもありますが、早いものは早いです。まぁ、そういう時期なんですよね。なんか、より考えなくなりましたよ。感じるものが出るまでは時間があるかもしれませんが、ぱっと思いつけば、作業はすごく早いですよね。

俊美:個人的にいうなら、前は長編小説だったけど、今は短編になってきたっていう印象を受けますけどね。

— 以前のBIKKEさんの詞は念みたいなものが膨大に渦巻いてる感じでしたもんね。

俊美:だから、何を言いたいのか、もう一回読み返すみたいな。前は説明してもらうまで分からなかったですもん。でも、酔っ払うまで説明してくれないから、ずっと待ってて、酔っ払った瞬間に「ねぇねぇ、これってどういう意味?」って聞くと、ようやく話してくれるっていう。

— 今日も口が異常に重いですもんね(笑)。

BIKKE:まぁ、年齢的なものもあるんですよね。かつてはそういうものが自分でも面白いと思ったし、何回も聴いて、ようやく分かってくるような歌詞が好きだったと思うんですよ。でも、年齢を重ねるごとにそういうものが面倒臭いなって(笑)。だから、聴いて、すぐ分かるものになっていってるんじゃない?

— 2005年の『OUTSET』、2008年の『No.1』、2009年の『BEYOND THE WORLD』と作品を重ねながら、サウンドもリリックもよりシンプルなものになっていってますよね。

俊美:今回のアルバム『全て光』は、自分たちの曲も入ってますけど、人の曲が中心だったりするから、早く、そういうシンプルなモードに立ち返って、オリジナルを作りたいですよね。今回は今回で、今までやってこなかったカヴァー集をやってみたという意味で楽しかったし、企画盤ではあるんだけど、「普通のバンドにはこういうものが絶対出来ないだろう」ってことも分かったりして。選曲はみんなで決めたんですけど、参加してもらったヴォーカリストも個々に知り合いだった人にお願いしたり。

川辺:スチャとかLB以外では、誰かとコラボレーションをやるのは今回が初めてになるんじゃないかな。でも、意外に平気でしたよ。「あ、やれるんだ」って(笑)。今回、取り上げた昔の歌謡曲にしても、うちらは歌謡曲っぽいとも言われてたから、「じゃあ、やれるじゃない? みんなやれないでしょ?」って感じだったし。

俊美:歌謡曲っぽいのは僕が作るメロディだけですけどね(笑)。

BIKKE:でも、俺、悪いけど、数年前までソウルセットはスピッツとかミスチルと同じラインにいると思ってたよ。でも、ある時、誰かに違うって言われて、「俺たち違うんだ!?」って(笑)。ちょっと前まで自分がサブカルだとは気付きませんでした。

— はははは。しかし、今回の約20周年を記念するソウルセットのインタビューをあちこちで呼んだ限りでは、「基本的には変わってません」ってことを語ってますよね。

BIKKE:表面は変わったかもしれませんけど、やってることの内容、その根本はそんなに変わってないと思うんですよ。ただ、ここ最近、色んなものの取り組み方は変わった。まぁまぁ、まぁまぁ締め切りを守るとか。

俊美:(笑)集合時間を守るとか。昔は3時間来ないとかありましたからね。ただ、まぁ、俺ら、サラリーマンじゃないから転勤もないし。

BIKKE:出世もしなかったけど……

俊美:『釣りバカ日誌』のハマちゃんみたいな感じじゃない? ずっと、こう、好きなことだけやって(笑)

TOKYO No.1 SOUL SET『全て光』

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