出会いは中学1年の秋に同級生の兄貴から渡されたCD。Green Dayの『Dookie』をコピーしたMDと共に「今、日本で一番格好良いバンドだから。」と渡されたのがHi-STANDARDの『ANGRY FIST』だった。彼らのサウンドを耳にした瞬間からその虜になり、13歳の少年はパンクロックに夢中になった。PIZZA OF DEATH RECORDSのオフィシャルサイトで今でも連載されている『横山健の別に危なくないコラム』は欠かさずチェックしていたし、Ken Yokoyama名義でリリースされた初のフルアルバム『The Cost Of My Freedom』の楽曲は今でも全曲そらで歌える。
これは筆者の個人的な「横山健の思い出」だが、僕らの年代にとってのHi-STANDARD、そして横山健という存在の影響力は、筆舌尽くしがたいほどに絶大なものである。健全な男子ならば、誰しもがそれぞれに横山健に対する想いを持っており、彼はいつでも最高のヒーローだった。そんな横山健を被写体とした初の写真集『横山健- 岸田哲平編-』が3月27日(金)、スペースシャワーブックスより刊行された。
EYESCREAM.JPでは今回この発売を記念し、本書の著者であるカメラマン岸田哲平と横山健によるエクスクルーシヴな対談を実施。『横山健 -岸田哲平編-』をリリースするに至った経緯、そして旧知の仲である2人のカメラマンとミュージシャンという枠を超えた不思議な関係性に迫った。
Interview、Text、Edit:Keita Miki
「美少年」っていう日本酒をずっと飲まされるんですよ。1本空くと、健さんが店員さんを呼んで「僕の友達に美少年を」って言うんです。(岸田哲平)
— まず本格的に対談をスタートする前に、軽く今回の対談の主旨を説明させて頂ければと。いきなり自分の話をして大変恐縮なんですが、僕らの世代にとって、やっぱり”横山健”っていう存在は神様みたいなものなんですよ。
横山:いやいや、とんでもないです。神様は遅刻しないから(笑)。(横山はこの日、インタビューに1時間の遅刻)
— でまぁ、今回岸田さんとの対談をさせて頂くにあたって、僕もお2人に何を聞こうかと色々考えたんです。それこそ過去の雑誌のインタビューや、インターネット上に落ちている横山さんのインタビューを読みかえして、色々と考えを巡らせたんですけど、基本的に「インターネットで話題になりそうなこと」っていうのは全部横山さんの単独インタビューで既に聞かれてしまっているんですよね。良くも悪くも、インターネットの世界では「お金」とか「政治」とか「震災」、「原発」っていう分かりやすいキーワードが注目を集めるので、それらの話題は全て過去のインタビューでフォローされてしまっているし、しかも、そのインタビューを担当しているインタビュアーは横山さんにすごく近しい存在の人たちで。PVの事だけを考えれば、それでも再度ここでそういう話題を出すのが正しいのかもしれないんですが、それではあまり意味が無いものになってしまうような気がしたので、この対談ではお2人のパーソナルな話をして頂けないかなと。今回の写真集『横山健 -岸田哲平編-』の中で横山さんが岸田さんにあてた手紙「てっちゃんへ」を読んで、この写真集は横山さんの写真集であると同時に、横山さんと岸田さんのストーリーでもあるんだなと強く感じました。少し説明が長くなってしまいましたが、とにかく今日は難しい話は無しにして、「てっちゃんへ」のような良い意味で他愛もない、でも、すごく愛しい話が出来たらなと。こういう機会じゃないと、岸田さんから横山さんに聞けないことっていうのも沢山あると思うんですよ。
岸田:はっ、はい!
横山:今完璧にボサーっとしてたでしょ。いきなり威嚇された動物みたいな顔になってるよ(笑)。
岸田:いやー、質問用意しとけば良かったなと思って…………
一同笑
— ひとまず、こちらから質問を投げていきますね(笑)。「てっちゃんへ」の中では横山さんサイドからの岸田さんとの出会いが描かれていますが、岸田さん目線での横山さんとの出会いというのはどんなものだったのでしょうか?
岸田:一番最初は大阪のベイサイドジェニーというライブハウスに普通にHi-STANDARDを見に行ったんですよ。今回の写真集にも収められている、ベイサイドジェニーの象徴のような螺旋階段があるんですが、そこに健さんが座ってて。僕は観客席から「あっ! 健がいる!!」と思ってガン見してました。その時はただのファンなんで、もちろん呼び捨てなんですけど(笑)。
横山:Dance Hall Crashersとか、Ten Foot Poleをハイスタが呼んで、一緒にライブをやった時だよね。
岸田:そうです。ステージの下から見てましたよ。当時は健さん、まだ髪が長かったですよね?
横山:いや、今も長いけどね。
岸田:おっしゃる通りです。今も長いです、はい。
一同笑
— そこからどういう流れで岸田さんが横山さんに写真を見せることになるのでしょうか?
岸田:僕は広島が地元なんですが、ある時、広島にハイスタがライブで来ることになったんです。僕はどうしてもハイスタが撮りたかったので、広島のレコード屋さんの知り合いに無理を言って、プレスパスを出してもらいました。そのライブの時、健さんに「写真を撮らせてください」って言うのと一緒に写真を見てもらったのが初めてですかね。
— それから定期的に横山さんの写真を撮るようになったと。
岸田:当時僕は大阪の専門学校に行っていて、大阪にハイスタが来るって時は撮らせてもらっていましたね。
横山:さっき話してた広島のライブの時に意外と仲良くなったんですよ。自分の作品集を持って来て、「写真を撮らせてください! 僕はこういうものです!」って言ってくるカメラマンの子って当時はすごくたくさんいたんですけど、何故だが哲平とは特別仲良くなって。良く分からないけど、ツネ(Hi-STANDARDのドラムを担当するドラマー、恒岡章)ともすごい仲良くなってて(笑)。愛嬌があるって言うんですかね。まぁ、俺は大阪のライブには誘ってないけどね。ツネから誘われたの?
岸田:そうです。ツネさんが「大阪来ても良いよ」って………。
横山:そんな感じで、気付けば大阪のライブにはいつも哲平がいるようになっていました。
岸田:最近になって聞いたんですが、健さんは当時、僕のことを「なんか気持ち悪い奴だな」って思ってたらしいです………
一同笑
横山:だってKORNみたいな格好してんだもん(笑)! ドレッドで上下アディダスのジャージ着てさ。
岸田:たしかにコスプレみたいなもんでしたね。だけど、なんだかんだ健さんも「撮って良いよ」って言ってくれて。
横山:そりゃ、「なんでニューメタルな奴が俺らの写真撮るんだよ!」って思うじゃん。「俺がメタル好きなの知ってて、KORNみたいな格好してるのかな」とか、そんなことを考えていた記憶があります(笑)。
— 当時から一般的なカメラマンとミュージシャンの関係性では無かった訳ですね。
横山:カメラマンもなにも、ただの専門学生だったもんな。
岸田:そうですね、撮った写真をプリントして、お渡ししたことは何度かありましたけど。1回、フィルムを健さんに直接送ったことありましたよね? 「家に送ったんですけど………」、「いや、届いてないよ?」みたいなことになって、結局「お前、ネガは普通の郵便で送るなよ、馬鹿!」って怒られました(笑)。
横山:もう、ほんと人生の基礎から教えた感じですよ。
— その後、専門学校を卒業してすぐにカメラマンとして活動を始めたんですか?
岸田:多少グズグズはしてましたけど、卒業して1年半後くらいにWarped Tourがありまして、
横山:1年半も何してたの?
岸田:えー………。ごめんなさい、半年の間違いでした。
横山:なら分かるけど(笑)。Warped Tourにハイスタが出るってことを大阪のライブの打ち上げで哲平に話したんですよ。そしたら「行きたいです!」って言うから、「自腹で来るなら良いよ」って話をして。当時、あの大阪の居酒屋では本当に良く飲んだよね。
岸田:もう「美少年」っていう日本酒をずっと飲まされるんですよ。1本空けて、話して、また1本空けてのエンドレスループ。1本空くと、健さんが店員さんを呼んで「僕の友達に美少年を」って言うんです。
一同笑
岸田:それで、最終的には御堂筋のゴミ箱に僕を置いて帰っちゃうんです。
横山:もう定番っていうか、お決まりのパターンだったもんね。