対談:田中宗一郎(the sign magazine) × 西村浩平(DIGAWEL)

by Mastered編集部

数あるブランドの中でも僕らの心を熱くさせる特別な存在としてEYESCREAM.JPでも幾度となく紹介してきた[DIGAWEL(ディガウェル)]。先にニュースとしてもお伝えした通り、彼らと、今は無き伝説の音楽誌『snoozer』の編集長であった田中宗一郎がクリエイティヴ・ディレクターを担当するThe Sign Magazineによるコラボレーションライン『THE CHUMS OF CHANCE』が去る6月より始動した。

トマス・ピンチョンの小説から引用した言葉を冠した、この"偶然の仲間たち(THE CHUMS OF CHANCE)"の邂逅は果たして本当に偶然か、はたまた必然か。今回EYESCREAM.JPがエクスクルーシヴでお届けする、田中宗一郎と[DIGAWEL]のデザイナーである西村浩平の対談から、各々がその答えを導き出してみて欲しい。

なお、この対談と同時に掲載している『DIGAWEL 2015FW taxiing』のルックはAKIO HASEGAWA ASSOCIATESがヴィジュアル制作を担当したものであり、今回は特別に使用カットの一部を掲載。正式なルックブックの配布および、2015年秋冬コレクションのデリバリーは7月15日(水)より、[DIGAWEL]の直営店にてスタートするとのことなので、対談とあわせて、こちらの方もぜひともチェックを。

Text&Edit:Keita Miki

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多分、ポップ音楽のジャーナリストとして、この20年でかなりの部分で影響力があって、もっとも愛され、もっともバカにされてた書き手が”田中宗一郎”なんですよ。

— まずはスタンダードな質問からしていきますが、お2人が知り合った経緯について教えて頂けますか。

西村:若い頃から個人的にタナソーさんに影響を受けていまして、今、僕が洋服を作っているのにも少なからずタナソーさんの影響があるので、一度展示会にお呼びしたいなと思って、うちのプレスからthe sign magazineさん宛に招待のメールを出させたんです。そうしたら本当に展示会に来てくれて。もう結構前の話ですよね?

田中:2年近く前の話ですね。でも、その時にいただいたメールが実にクレイジーで(笑)。僕は以前に『snoozer』という音楽雑誌をやっていて、2002年に”ROCK’N’ROLL ISSUE”と銘打った号を作ったんですけれど。その号で初めて甲本ヒロトくんにインタビューしたんですよ。で、そのメールには「”ROCK’N’ROLL ISSUE”に甲本ヒロトさんのインタビューが不可欠だったように、今回の[DIGAWEL]の展示会には田中宗一郎さんが不可欠なんです」と書いてあった。もう、意味が分からないですよね(笑)。正直、「これはヤバい人からメールが来た」とも思ったんだけど、勇気を振り絞って会いに行きました。

— そこからは継続的にお付き合いを?

田中:いや、単純にそうならないのが、また僕らの面倒臭いところで。

西村:なんとなく付かず、離れずな距離感で話をしていましたね。

田中:とにかく僕が捕まらないんですよ。

西村:ほんとにその通り。突然何ヵ月か失踪していらっしゃったりもしまして(笑)。ただ”田中宗一郎”をモチーフにしたコレクションを僕はどうしても今のタイミングで出したかったから、秋冬シーズンの準備を始めてからはまめにいろいろとやり取りをするようになって、今に至ると。

— 秋冬コレクションそして、『THE CHUMS OF CHANCE』の計画はいつ頃、田中さんに話したのでしょうか?

西村:きちんと話をしたのは半年ぐらい前かな。構想自体はずっと僕の頭の中にあったんですけど、タナソーさんに会ったこともなかったし、『snoozer』のイメージしかなかったので、実際にお会いする前は「果たして、どこまでまともな話が出来ることやら………」と心配していた部分もあります。

田中:まったくまともな話が出来ないヤバい奴って可能性も十分にあるからね(笑)。

西村:「タナソーさん、ずっと涎垂らしてる………」みたいなね(笑)。まぁ、本当はもう少し小規模のコレクションになる予定だったんですけど、タナソーさんにお会いする度に僕の中でアイディアが膨らんでいって、結果的に今回の秋冬コレクションと『THE CHUMS OF CHANCE』が生まれたというわけです。

— 田中さんとしては、自分自身がモチーフになった洋服が世の中に出回るっていうのはどういう感覚なんでしょうか?

田中:一言で言えば、「意味わかんない」ですよ(笑)。一般的に存命している人をモチーフにして作品を作ることって少ないじゃないですか。しかも、そのモチーフが自分だって言われた時に、それをどう受け止めて良いのかまったくわからない(笑)。特に僕の場合、自分のことをあまり客観視しようともしてないというか、自分がどんな人間なのかとか、わりとどうでもいいと思ってるところがある。もちろん、ポジティブなものからネガティブなものまで、僕自身に対する一般的なパブリックイメージがあるっていうのは理解出来るんです。多分、ポップ音楽のジャーナリストとして、この20年でかなりの部分で影響力があって、もっとも愛され、もっともバカにされてた書き手が”田中宗一郎”なんですよ。それに関しては意識的にそうしてきた部分もある。常に意識的にパフォーマンスしてきたし。要するに、”田中宗一郎”というブランドは、言ってみれば、ジギー・スターダストとか、アラジン・セインみたいなのものなんです。自分自身のパーソナリティも確かに介在してはいるけれど、メディアを通して何かを発信する時にはある種のペルソナを作ってきた。だからこそ、何でも出来る。自分が微塵も思っていないことだって書こうと思えば書けるわけです。なので、どれだけバックラッシュがあっても構わないし、それで出来上がったパブリックイメージがアラジン・セインであれ、シン・ホワイト・デュークであれ、それはそれで構わない。

でも不思議なもので、20年もやってると、自然とペルソナの方がデカくなってくるんですよ。自分自身のアイデンティティがそいつに侵食されてくる。そういう意味では、今回、西村くんがアイデンティティが崩壊しかけている田中宗一郎という人間をモチーフにした時に、どんな作品が出来上がるのか。西村くんという1人のクリエイターを通すことによって、どんな新しいペルソナが出来上がるのか。それは非常に興味深かった。なんか他人事のようですけど。でも、自分自身の問題としては、まったく意味がわからない(笑)。

西村:これはクリエーションですからね。実際に本人に会っているとか、友達だからとかは関係なくて、大事なのは「今の田中宗一郎を表現しているか、どうか」。表現しているつもりだけど、同時にあくまでも「自分の中の田中宗一郎」を表現しただけでもあるから、こういう感じにはなっています。

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— 素朴な疑問なんですが、お2人でいる時はいつもどんな話をしているんですか?

田中:表現と批評の話。75年のブルース・スプリングスティーンがいかにクールか。それを批評がどんな風にさらに別なものに変えていったのか。同時代のアル・パチーノがどんな風にスプリングスティーンとか、ザ・クラッシュに影響を与えたのか。それが批評なんだ、とか。

西村:基本的にそればっかりですね(笑)。

田中:自分がモチーフになったってことを除けば、西村くんがやったことはすごく面白いと思ってるんです。僕らはいっつも、表現と批評の話をしてるんだけど、それって、実は今の世の中にもっとも必要とされているはずなのに、もっともないがしろにされて、もっともその効力がなくなりつつあるのが「表現と批評」だからなんですよ。今回、西村くんがやったことは、それに対しての挑戦とも言えるんじゃないか。さっき西村くんが話していたみたいに、本来、モチーフと出来上がったものっていうのはまったく別物じゃないですか。ところが、今の世の中ではそれがごっちゃになっている気がするし、引用と剽窃の違いを誰も考えなくなった。

音楽の世界でもすぐに「パクりだ!」とかいう話が出るんだけど、そもそもポップミュージックの世界は引用で成り立っているわけで。何をどう引用するか、それをどうオリジナルなものにするのかっていう部分がポイントなわけです。逆に言えば、引用のないものにオリジナリティなんて生まれないんですよ。でも、「クリエイターの魂の叫びとしてクリエイションが出来上がるんだ」みたいな誤解っていまだにありますからね。だから、実際に西村くんに会う前は、もし彼がそういうタイプのクリエイターだったらどうしよう?なんて心配もなくはなくて(笑)。冗談はさておき、今回のコレクションというのは、西村くんの内側から出てきた表現と引用のバランスがとにかく面白かったんですよ。実は、展示会の時に、それぞれの洋服について全曲解説までしてくれたんだけど。

西村:今まで誰にもそんなことはしたことなかったんですけど、タナソーさんだけに特別に。本来自分の作ったものに対して何か解説を加えることさえも僕は嫌なんですけど、モチーフにした本人に対してだったら、むしろそれを出来ることは結構嬉しいことで。これから先もきっとずっと物を作り続けていくと思うんですけど、その上での重要なターニングポイントになった気はしますね。少し話は戻りますけど、僕は”批評”というものがファッションの世界にはほとんど存在しないと思っています。[DIGAWEL]というブランドとして、それを一時期すごく渇望していたりもしました。批評のテクニック云々の前に、批評と感想の区別すらファッションの世界にはないような気がしますね。それこそ、好き嫌いだけの世界というか。コンビニに並んでいるファッション雑誌なんて、ほとんどそうだと思うんだけど。やっぱり批評はいらないんですかね?

変な話をしますけど、例えばジョン・レノンと田中宗一郎っていうのは、自分の中ではほぼ同等の扱いなんですよ。田中宗一郎が現れる前にビートルズはいたけど、その時のビートルズは僕の中ではモノクロでしかなかった。だけど田中宗一郎がビートルズを批評して、その批評の中の引用としてのビートルズがあることによって、僕の中のビートルズはカラーになった。批評からロックンロールの歴史や文化が見えて来て、それは今のアーティスト達にも脈々と受け継がれている。そういう部分が楽しくて、僕はどんどん音楽にのめり込んでいったんです。でもファッションにそういう部分はあまりないんですかね?

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