対談:国井栄之(mita sneakers) × セルジオ・ロザーノ(NIKE)
「スニーカー番長」と「産みの親」が語る『AIR MAX 95』。

by Mastered編集部

先に特集としてたっぷりとお伝えした新たなエア マックス 95の登場、OGの復刻、"Greedy"、そしてエア マックス 95 アニバーサリーと、まさしく20周年を飾るに相応しいバズを、世界中に巻き起こしてきた『ナイキ エア マックス 95』。その産みの親であるデザイナー、セルジオ・ロザーノが先日大盛況のうちに幕を閉じた期間限定のエキシビションスペース『STUDIO 95』の開催に合わせて来日を果たした。

この千載一遇のチャンスを逃すまいと今回、EYESCREAM.JPでは我らのスニーカー番長こと、mita sneakersのクリエイティブディレクターである国井栄之氏を緊急招集し、セルジオ氏とのエクスクルーシヴな対談を敢行。国籍こそ違えど、世界のスニーカー史にその名を刻むセルジオ氏と国井栄之氏に、たっぷりとエア マックス 95の魅力を語ってもらった。

Photo:Takuya Murata、Text&Edit:Keita Miki

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エア マックス 95が、もしも存在しなかったら、東京にスニーカーカルチャーは存在しなかっただろうし、もしかしたらmita sneakersのようなスニーカーショップも生まれなかったのかもしれないと思うんですよね。(国井栄之)

国井:[NIKE]のデザイナーには様々な方がいらっしゃいますが、エア マックス 95を作ったデザイナーとしてセルジオさんの名前は日本でも広く知られています。エア マックス 95を開発する前はACGやテニスカテゴリーのデザインを手掛けていたと伺ったのですが、具体的に制作に携わったモデルを教えて頂けますか?

セルジオ:テニスカテゴリーでは[NIKE]初のキャンバスシューズとなったGTS。当時、キャンバス素材のシューズを作りたがる人はなかなかいなくて、[NIKE]もキャンバスシューズに積極的では無かったのですが、私たちがアイディアを出し、実現しました。

国井:ACGはいかがでしょうか?

セルジオ:ACGに関してはかなり色々なアイテムに関わったのですが、オリジナルのエアマーダは私がデザインしたものですし、ポケットナイフも同様です。サンダルもいくつか手掛けましたね。

国井:エア マックス 95が出た後、その派生系とも言えるシューズがたくさん生まれたと思うのですが、オリジナルを作ったセルジオさんとしてはそういった現象をどう感じていますか?

セルジオ:素晴らしいことだと思っていますよ。オリジナルに色々な人が手を加えたくなるというのは、オリジナルのデザインが褒められていることと同義だと感じています。自分のアイディアを他人に開放し、そこに異なる意見が加わっていくことは個人的には全く問題無いと思っていますし、私が作ったモノがオリジナルであるという事実に変わりは無い訳ですからね。発売から20年が経過した2015年現在でも、このような形でエア マックス 95が進化しているのは本当に素晴らしいことです。

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国井:エア マックス 95が、もしも存在しなかったら、東京にスニーカーカルチャーは存在しなかっただろうし、もしかしたらmita sneakersのようなスニーカーショップも生まれなかったのかもしれないと思うんですよね。ランニングシューズとして生み出したモノが、日本でファッションとして広がっていった時の状況を当時、ご存知でしたか?

セルジオ:もちろん耳にはしていましたが、そこまでの影響力を持つことは正直、予想外でした。[NIKE]のランニングカテゴリーの次元を高めたいと思って作ったモノではあったのですが、世界中でここまで大きな反応が得られるとは思いもしなかったんです。なので、日本では非常に入手が困難で、日本のユーザーが高価なお金を出してエア マックス 95を買っていると知った時には驚きました。ただ子供を産んで、子供が親元を離れたら、親に出来ることはきちんと育ってくれるように祈る事ぐらいですからね。丁度、そんな心境でした。

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