『天然素材をとことん楽しむ』小林節正(.......リサーチ デザイナー)

by Mastered編集部

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『.......リサーチ(....... RESEARCH)』を手掛け、多くのファッション関係者から敬愛される小林節正氏。最近は毎週末訪れる山を生活の中心に据えているらしく、それにまつわる面白い話を聞かせてくれました。
小林さんらしいスタンスでの山やモノへのアプローチ、視点や考え方など、今回もいつもどおり長めですが、他では絶対に読むことが出来ない内容になっていると思います。では、どうぞ。

小林さんが紹介してくれたモノ一覧を先に見る >>

写真:浅田 直也

「山」との出会い

― 小林さんの気になっているモノやコトについてお聞かせいただけますか?

小林氏(以下敬称略):やっぱり山関係のモノが気になってます。なかでも天然素材のモノがイイんじゃないかなぁって。

― 天然素材ですか?

小林:例えば、あそこに掛かってる赤いリュックは、70年代のナイロン製のモノなんだけど、表側の生地は生きてても、裏のコーティングとかは劣化して剥がれちゃってる。でもこっちのバッグは赤いヤツよりやや古いんだけど、あれはコットン製だから剥離したりダメになったりする部分がほとんどないわけ。
こういう天然素材とか有機的な素材に何か新しいテクノロジーをうまく融合させて、ただ昔のやり方に戻るんじゃなくて、もうちょっとひと味足すことによって素材感はキープしながらおもしろいことが出来るんじゃないかと。
要するに、昔のプロダクトを今の眼で見ながら僕らなりの答えを探して行く、そういったコトに興味がある。それで毛布も集めてる。これは馬の背中に掛けるためのモノなんだけど、どれも1900年代頭のモノだからおよそ100年くらい経ってるんだよね。

― すごく古いんですね。どうやって集めてるんですか? 海外からですか?

小林:そう。全部アメリカのモノなの。何人かのディーラーに頼んであって、モノが出ると写真送ってもらってます。

― 元々はどんな経緯で集め出したんですか?

小林:キャンプに行くと基本的にナイロンのテントで寝てるんだけど、そこにもうひとつ何か違う素材・質感が欲しくて下に敷きはじめたのが最初かな。
それから、山に入るときにいろいろゴテゴテ着ていくのもアリなんだけど、なにかガッチリしたものを一枚着て、あとはこういう毛布で調整したりってのもなんとなくイイかなあって思うようになって。風にも強いし、たき火の横で火の粉が掛かっても平気だし。素材的にも綿の分厚いモノとかウールとか、洋服の方にも色々と応用できる部分もあるんだよね。

― なるほど。

小林:テンポラリーな場所に行って、一晩とか二晩とかの野外生活をする故に、みんなナイロンとかアルミのモノとかで遊ぶようになってきたじゃない。そういうテクノロジーの進化でどんどん軽量化されていったりするのももちろん楽しいんだけど、ずっと屋外で使うにはそういう素材じゃダメだっていうのが何となく想像つきだして。それで「頼りがいのある質感っていうのは何なんだろう?」って自分の興味がそっちに振れてきたんだよね。ただ単純に「丈夫」とか「分厚い」ってことだけじゃなく。
ということで、野外生活と天然素材っていうモノをもう一回自分なりに考えてみて、何かを我慢してつらいとかじゃなくて、それを楽しむところに辿り着きたいなっていう感じかな。

― やはり毎週山に行く(編集部注:小林氏は長野の山に土地を所有)ようになってから、そういったことを考えるようになったのでしょうか?

小林:毎週行ってると、その一回一回の重みも軽くなるから、「今回は寒い思いとか冷たい思いをしてもイイかなって」っていう気になってくるんだよね。色々と実験が出来る。それが例えば「月に一度の待ちに待ったキャンプ!」の場合は楽しく過ごせないと嫌だけど…。

― その頻度なら気持ち的な余裕もあるし、リサーチも出来るわけですね。

小林:そうだね。もっとシンプルなコトも出来るようになってくると面白いかな。例えばテントを使わずにたき火の横で寝てみたりとか。で、たき火の横で寝るには今までのナイロンのシェラフだけでじゃなくて、その上にかぶせるキャンバスのヤツがないと火で穴が空いてキツいな、とか。で、いざ探してみるとそういう思考で製品を作ってる人がいるんだよね。だから冒頭に言った「ナイロンとアルミ」っていうのは、あくまで日本的な景色においてのステレオタイプなイメージに過ぎなくて、実際アメリカには天然素材で作られたモノにしか身を任せない野外生活者っていうのがまだ随分いる。猟をやってる人とかカヌーをやってる人とか。そういう人たちがやっぱりいるっていうのが最近分かってきて。
そういう製品から、まだ知らない隙間が見えてきたかな。

― かなり掘り下げていらっしゃるんですね。

小林:「これは科学的にこうで、これだけ軽くて…」っていう話も楽しいんだけど、そうじゃないパートもちゃんとあって。でも、それは最初言ったような新しい目線で見る有機的な天然素材じゃなくて、綿々と受け継がれているモノになるんだけど。

― 変わらないままずっと残ってる部分っていうコトですよね。

小林:そう。だからそれを自分たちのスタイルで使えばイイんじゃないかな、って思ってる。

― 脈々と受け継がれるモノを新しい視点で使ってみたり、それをソースに新たなアレンジを加えてみる。まさに小林さんの服作りにも通じるところですよね。
では、そもそも小林さんが山にハマったきっかけは何だったんですか? 子どもの頃から山登りが好きだったんですか?

小林:三重県の鈴鹿山脈にある朝明(あさけ)渓谷っていう場所に、幼稚園の頃から毎年正月と夏に連れて行かれてて。ウチは浅草の工場だったんで、学校が長い休みになるとおばあちゃんの家に預けられてたんだよね。終業式のあとそのまま東京駅に連れられて、ひとりで名古屋まで行かされて。で、着くとホームにおばあちゃんが迎えに来てて、帰るときはその逆っていう感じで。休みの間はカッチリ朝明にいるような環境だったの。
母親の親戚はみんな鉄砲打ちだったので、冬の間その基地になる山荘があったんだけど、夏は子どもたちが集まって共同生活をする場所だった。大人たちにとっては狩り場の基地だから、そこでつねにいろいろと作業をしてるわけじゃない。だからなんとなく山のイメージは、大人たちが何かしら作業をしているところ、っていう感じ。子どものおもちゃみたいのは何もなくて、ナタがあったり木引きの大きなノコギリがあったり。あと買い置かれてる油の匂いとか、東京では見られないモノがいっぱいある、流行りの言葉でいうならいわゆる「ラギッド」な場所で夏と冬の一時期を10年ちょっと過ごしてたんだよね。

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