『サスクワァッチファブリックス』のリミテッドショップを徹底解剖!(後編)

by Mastered編集部

サスクワァッチファブリックス(SASQUATCHfabrix.)を追いかける特集企画の後編(前編はこちら)では、今期のテーマ「TOKYO AIR RUNNERS」に至った経緯を、デザイナー「Wonder Worker Guerrilla Band」の横山・荒木両名に 『TAR(現 サブマージ)』の関智行氏を交えてクロスインタビュー。 90年代初頭の東京ストリートシーンに対する彼らの憧憬、そしてあの空気感を復活させるべく精励する姿勢を感じ取れるこの話は、当時を体験してない方にとっても興味深いものだと思います。 相変わらずユーモアたっぷりの彼らのトーク、ぜひご堪能ください。

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写真:浅田 直也

「FUCK TAR」って書かれたとしても…

— まず『TAR』と一緒にやろうと思ったきっかけは何だったんですか?

横山大介氏(以下 横山):まず今季は「90年代初期の東京」というテーマでやろうと決めたんですけど、いざ始めてみたら、その代表的なモチーフって何なんだろう?っていう壁にいきなり当たっちゃったんですよ。70年代ならヒッピーカルチャーを象徴するピースマークとか、パンクだったらアナーキーマークとか、それぞれの時代やカルチャーを代表するアイコン的なものってあるじゃないですか? でもそういうのが、90年代の東京にはなかなか見当たらなくて。

— 確かにそうかもしれませんね。

横山:それで悩んでたら、荒木から「関さんがいるじゃん!」と。

荒木克記氏(以下 荒木):90年代の東京が面白かったのって、ストリートキッズだった人たちが自分たちで洋服を作り始めたパワーとかムードで、そういうのが象徴的だったな、と。その頃僕らは買い手で、やっぱりそういうのに惹かれてたから、ああいう熱さをもう一回巻き起こしたいなって。

横山:それで、僕らにとって90年代を象徴するものって言ったら、完全に『TOKYO AIR RUNNERS』だろうと。地元が新潟だからっていうのもあると思うですけど。

関智行氏

関智行氏

— なるほど、関さんも早いうちから活動のベースを新潟に移していましたもんね。

横山:でも、小千谷(TARの旗艦店『TARラボ』のある)ってメッチャ田舎なんですよ(笑)よくもここで!って感じで。

(一同笑)

横山:僕らが大学生の頃って、いわゆる裏原系が大爆発してたんですが、そのくくりから外れて関さんは勝手にやってる感じで。

(一同笑)

荒木:超独自ですよ。TARとかが好きなコたちも。なかなかイメージ伝わらないかもしれないけど…

横山:ホント「TARコミュニケーションズ」っていう感じで。そのコミュニティのなかで、独自の価値観とかスタイルを共有してるんですよね。で、そういう当時の話で荒木と盛り上がっちゃっちゃって、とりあえずダメ元で関さんにお願いしてみようか?っていう話になって。

— その最初のキッカケはどうやって作ったんですか?

横山:直接荒木が電話して、ですね。

— 以前から面識はあったんですか?

荒木:面識はありましたね。

関智行氏(以下 関):彼らが学生の頃、よく僕のお店に来てくれてたんですよ。

— なるほど。お店とお客さんっていう関係からのスタートなんですね。

荒木:そうなんです。

横山:だからホントに恐れ多い(笑)

:でも自分は上下関係とかが苦手だったし、彼らはお客さんでありながらすごく面白いコだったんで、こちらも色々吸収したいなって。お客さんで来てるときも結構長話したりとか。ほとんど洋服の話でしたけど。
うちのお客さんは「何か名前を付けて服を売りたい」っていう衝動的なものを持ってる人が多かったんですがけど、なかでも彼らはそれが強かった印象ですね。

横山:TARラボのある小千谷にしても僕らが住んでた長岡にしても、新潟市の街から比べたらやっぱり田舎な分、そういう都会に対しての反骨精神っていうか、「やってやるぜ!」的な思いが強い人が多かったんですよね。

WWGB 荒木克記氏

WWGB 荒木克記氏

— 関さんは連絡が来たとき、彼らがサスクワァッチファブリクスを手掛けていることはご存知だったんですか?

:はい、もう知ってました。僕、本当に服を作るのは好きなんですけど、かなりファッション音痴で。編集者さんを目の前にして失礼かもしれないんですが、雑誌も読まないしウェブも見ないんです。なので基本的にそういう情報は入ってこないんですが、ウチのスタッフから「お店に来てくれてた人がやってるサスクワァッチファブリックスっていうブランドがあって、今すごいんですよ」っていう感じで教えてもらってたんで、認識はしてました。

— では二人と継続的に連絡を取り合ったりということは無かったということですか?

:そうですね。お客さんで来てもらってるときは顔馴染みだったんですが、やっぱり彼らが都内に出てからは疎遠になってしまって。だけど、TARが20周年を迎えたときに、KLFのスピーカー(編集部注:1991年作「The White Room」のジャケットに使われたもの)をモチーフにしたシルバーのペンダントを、彼らが作って送ってきてくれたんです。

— また粋なことをしますね。

:そのお礼の電話から、少し交流が復活しましたね。既にお互いが知ってるから、話を始めちゃうと早かった感じはするよね。

荒木:すぐやりたいことの話に進みました。

横山:すぐ細かい話になった(笑)でも、電話ですべての内容を伝えるのがイヤだったんで「とりあえず小千谷に行きます」って。そしたら関さんが「何しに来んの?」って。

(一同笑)

:ウチはもうメディアにも出てなくて、世間からは忘れられた存在。昔から応援してくれる人のみが知ってるっていう感じなので、いくら昔から知ってるからとはいえ、「そんな勢いのあるブランドがウチに何の用?」って。ウチに何の力を頼るの?って思ったから。

(一同笑)

荒木:電話でも確認されましたもんね。「小千谷へ行って話させてください」って一回電話切っても、すぐに折り返しが掛かってきて「やっぱり何の話か教えて。何?」って。

(一同笑)

:内容によっては、小千谷まで来るのが無駄になるんじゃないかと思って。実際来て相談されても、ウチは何のヒントにもならないよ、と。むしろせっかくここまで頑張ってきたのに、それで評価が落ちる可能性だってあるわけだし。「とにかくウチは絡みづらいから気をつけてください」って話をしました。

(一同笑)

WWGB 横山大介氏

WWGB 横山大介氏

— 実際やってみてどうでしたか?

荒木:最高。

横山:ホント最高に面白かったです。往年の僕らの憧れてたモノを、リミックスみたいにいじる感じで。過去の名曲を4つ打ちにアレンジする、みたいな。
荒木と一緒にデザインしてても、「このロゴを置くだけで安心するよね」みたいな。「名曲、イイね!」って。

荒木:そのリミックス具合も、関さんは「俺は口出さないから好きにやって」って言ってくれたし。そういうところも尊重してもらえて。

横山:ホントは半袖Tシャツとかスウェットパーカとかもやろうと思ったんですけど、それじゃリミックスにならないんですよね。関さんがずっとやってきたものだし。それになかなかオリジナル部分を変えられないっていうか、どうしても新しくできなくって。だからやめときました(笑)

荒木:誰に対して作ってるかって言ったら、その一番はやっぱり関さんだったんで。

横山:あとTARをずっと見てる方々から「クソみてぇなリミックスやめろよ」って言われないように、というプレッシャーはつねにあって。

— 原曲を台無しにするようなことだけはしないように、と。

横山:そうそう、そこだけは気をつけて。だから今までで一番時間かかりましたもん。

— 出来上がってきたアイテムを見て、関さん的にはいかがでしたか?

:もう「あ、これは予想通り」っていうモノがひとつもなかったんですよね。

— 月並みないい方ですが、良い意味での裏切り、みたいな?

:そうですね、全部新鮮で。自分だったら作れないようなモノばっかりで。
僕が彼らに口出しせず好きにやってもらったのって、KLFの姿勢がヒントになっているんです。彼らは規制のシステムを破壊して、でもただグチャグチャにする訳ではなくて、いかに面白くするか、ということを考えていて。相手が腹を立てたとしても面白くしてしまおう、っていう部分にすごく頭を使ってる人たちで。KLFの由来である「Kopyright Liberation Front」を日本語にすると「著作権解放戦線」っていう名前になるんですが、「すべての著作権を解放しましょう」と彼らが先陣を切って、真っ先に訴えてきそうなアーティストの作品を積極的にサンプリング、リビルドするような活動をずっとしてきてたんです。
自分はその姿勢が好きで、TARの服にもそういった手法を反映させていまして。だから自分がKLFから学んだ手法で作ってきた服を、さらに自由にいじってもらうのはすごく面白かったですね。

— なるほど。

:だからどう料理されても…たとえ「FUCK TAR」って書かれたとしても、全部愛情だと思えるので、すべてOKだった感じですね。

横山:そういう関さんがやってたみたいな、音楽ネタを洋服でアウトプットする、みたいなことが90年代の東京っていう感じするんですよね。パクリではないんですよ。パクリじゃなくて、新しいモノを作るっていうか。元ネタを愛情込めてサンプリングして、それをそのままじゃなく違うジャンルで取り組むのが90年代だった気がして。そういうところを今回改めて勉強させてもらいましたね。
だから僕らも「怒られるかな」って思いながらも、どうしても止められないものもあったりして。

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