オルタナティブロックバンド・GEZANとソロで展開するサウンドには大きな振り幅があり、その一方で着るものに対しては“赤”という色彩への強烈なこだわりを感じる。その自由なスタンスから、マヒトゥ・ザ・ピーポーには捉えどころのないアーティストといった印象を抱かせるが、彼自身のなかにはどのようなスタンダードが存在しているのだろう。
— この特集はLeeの『101』にちなんで”スタンダード”をテーマにしているのですが、マヒトさんにとってのスタンダードな音楽はどういったものですか?
マヒト:少なくとも、家でGEZANみたいな音楽は聴かないですね(笑)。歪みとか聴きたくないし。普段聴くのはKaren Dalton(カレン・ダルトン)とかJudee Sill(ジュディ・シル)とか、”やさしいあきらめ”みたいな感じの。あとはJonathan Richman(ジョナサン・リッチマン)とかNeil Young(ニール・ヤング)みたいな、聴いていて溜息が漏れちゃうような音楽ですかね。
— ソロアルバムにはそういった雰囲気を感じますね。
マヒト:そうかもしれないですね。でも、あれはGEZANをやってないとできないかなぁ。自分のなかのひとつのパートを使って、GEZANの対岸みたいな感じでやってますね。
— 詞がとても印象的なのですが、言葉の持つ意味や重要性をどのように捉えていますか?
マヒト:今の時代、言葉に対して期待しすぎ……というか、集中力が高すぎですよね。言葉って、平気で人の人生を変えられるじゃないですか。だからすごく危険な道具だと思うんですけど、今って感覚がエクストリームに研ぎ澄まされすぎて、一言の失敗も許されないような状態を感じる。だから、個人的にはもっと雑な使い方をしたいんですよ。自分の本を編集した方って、以前、町田康さんの本を担当したらしいのですが、町田さんって言葉の組み合わせのバグみたいなものをスタイルとして持っているから、校正できないらしいんですよ。言葉が正しいとか間違っているとかではないから校正が入る隙がないみたいで。でも、これって健全ですよね。世の中が混乱して壊れてるんだから、本当は文章も壊れていないとおかしいわけだし。
— ソロアルバムには失われていくものへの悲しさや郷愁をテーマにした楽曲が多いと感じたのですが、今はそういった感覚が強いのでしょうか?
マヒト:すべての人に共通しているのは”もれなく死ぬ”っていうこと。それは事実だし、避けられないものですよね。だから、自分のなかにあるスタンダードのひとつでしょうね。
— 作品を作るうえで、死は意識するんですか?
マヒト:意識はしないけれど、避けられないものになってる。自分は、生命力とか、生き物としてプリミティブな部分にいちばん惹かれているけど、そういった”生きる”ことをテーマにしたときに、どうしても死をないものとして描けないんですよ。決して死を描きたいわけではないけれど、今生きている時間の流れを表現するうえで死は避けられない。死を感じさせないようにフィルターをかけるような表現もあるとは思いますよ。でも、自分にはそれができない。
— 普段のファッションについて聞きたいのですが、赤い服へのこだわりはありますか?
マヒト:なんで赤なんでしょうね? 無意識にグリーンを避けることはあるんですけど……。以前、知り合いの映画監督に「画角の中に緑が入ると保護色で目が落ち着いて画がつまらなくなるから、入れなくていい場面なら極力緑を使わない」って聞いたことがあるのですが、そういうことなのかも……。落ち着きたくないのかもしれませんね。逆に、独裁者が演説のときに赤い幕を張るのは言葉が強く入るからという話もありますよね。遊郭の女性も赤い着物を着たり。赤って血の色だから生命を感じるのかもしれないですよね。
— デニムについてはどのように捉えていますか?
マヒト:この『101』みたいにスタンダードで100年ほぼ同じシルエットが続いているって、やっぱり体の作りに合っているんでしょうね。音楽もどんどん進化しているけど「スタンダードなドラム、ベース、ギターのバンドアンサンブルってやっぱりいいよなぁ」って感じるのに近いかもしれない。でも、むしろ最近はそういったスタンダードなものの方がオルタナティブに思えますね。あまりにも色物が多く出たり、壊し尽くされた結果、普通のことをやっている方が響くというか。だから、GEZANとか小説で書いていることも普通のことだと思うのですが、今は普通のことを言っている方がオルタナティブに感じられるタームに入っている気がしますね。でも、こういった流れは時代とかタイミングと結びついているから、ずっと変わり続けていくんでしょうね。同じことをやっていても、何回かの周期を経るとまた戻ってきて正解になるというか。