NYのオルタナティヴなディスコ・デュオ、ラブンタグ(Rub N Tug)の一翼を担い、最新作「Spaghetti Circus」がワールドワイドなアンセムとなったスティル・ゴーイング(Still Going)の一員でもあるDJ・クリエイターのエリック・D(Eric D.)。そして、自身のブランド、『サキャスティック(Sarcastic)』を主宰するクローズ・デザイナーにして、LAで行われているDJハーヴィー(DJ Harvey)とのパーティ「Harvey Sarcastic Disco」のオーガナイザー/DJでもあるポール・T(Paul T.)。
アメリカの東西海岸を拠点に、ストリート・カルチャーとしてのダンス・ミュージックを現在進行形で進化させてきた2人のアンダーグラウンド・ヒーローが来日。エリックがR.M.N.のWatarudeと共同で主宰するリエディット・レーベル、C.O.M.B.i.のサブ・ディヴィジョン、Keep It Cheapの設立を記念したパーティーでプレイした彼らが、今まで明かされることがなかった2人の出会いとパーソナルなLAダンス・ミュージックのナウ&ゼン、そして変わることのないストリート・カルチャーへの愛情を語ってくれた。なかなかメディアに登場することがない彼らのインタビューは必見!
初めて体験したハーヴィーのDJには衝撃を受けたし、すごく共感できた
— エリックの来日は今年3回目、ポールは2回目だよね。二人とも来日の機会が多いけど、日本のどういった点に惹かれてるの?
エリック:日本にはもうずっと前から遊びに来てるから、仲のいい友達がたくさんいるんだ。1年に1回ぐらいはみんなに会いに来たいと思っているし、パーティーも楽しいし、それが一番大きな理由かな。
— 2人がDJとして日本に初めて来たのは?
ポール:いつだったっけ?
エリック:96年に一緒に来たのは覚えてるけど、その時はDJしたっけ?
ポール:ちょっと覚えてないな。六本木の地下にあって、アナログのサウンドシステムが入ってたJUNO LOUNGEって店でやってたパーティーへ遊びに行ったのは覚えてるけど。Mist The PartyのKEIとかTAKASHIがいて。あれいつだったけなあ。でも、僕には別に本業があるし、プロのDJじゃなく、趣味って感じだからね。日本でも、他の国でもよっぽどのことがなければDJしたいとは思わないんだ。DJよりも仕事の繋がりとか、エリックがDJとして繋がった人とか、日本には友達が大勢いることが大事というか、日本は自分にとって第2の故郷みたいなものなんだ。
— 最近は一緒に日本に来ることが多い2人が初めて会ったのは84年だと聞いているんだけど。
エリック:最初はスケート繋がりだね。2人ともロサンゼルスの同じ地域に住んでいたんだけど、近所にスケートしてるやつらが結構いて、共通の友達を通して知り合ったんだ。
ポール:住んでるエリアが隣同士だったんだけど、そこのやつらはみんな同じ高校に行くんだ。知り合ったのは高校に入る1年前かな。エリックとはその時以来、ずっと友達付き合いしてるね。
— その頃、2人が聴いてたのはヒップホップ?
エリック:そうだね。好きだったのは、ヒップホップ、ディスコ、フリースタイルとかエレクトロだね。当時、ポールは自宅にDJのセットを持ってたんだよね?
ポール:そうそう。14歳ぐらいかな。その頃はすでにDJやってたね。よく聴いてたのは、ヒップホップとかハイエナジー、アーティストでいうとトリニア、デビー・デブ、ミッドナイト・スターみたいな感じかな。当時のエリックはDJしてたわけじゃなかったけど音楽好きだったから、すぐに仲良くなったんだ。その頃、LAのクラブでやってたヒップホップのライブは2人で全部行ったよ。白人、アジア人の僕ら以外、みんな黒人っていうアウェイな環境だったけど、本当に一つ残らずね。
エリック:87年以降かな。誇張じゃなく、LAでやってたヒップホップのライヴは全部観に行ったよね。
ポール:クラブに行くと「お前ら何やってんだ??」みたいな目で見られるんだ(笑)。中に入る前にOLDE ENGLISHの40オンスを飲んで酔っぱらってね。あれは楽しかった。LAでは酒が買えるのは21歳からなんだけど、何軒か未成年にも売ってくれる酒屋があって、そういう店でこっそり買って隠れて飲んでたんだ。考えてみると、うちらはもともと踊るのが好きだったんだよね。だから、今もダンスミュージックが好きなんじゃない?
エリック:そうだね。ヒップホップのパーティーにもたくさんダンサーがいたしね。
— 80年代後半のLAにはユナイテッド・ネイションズというクラブがあって、そこがヤバかったとか。
エリック:オー・シット!(笑) ユナイテッド・ネイションズ(以下UN)! 確かにあそこはヤバかった。UNはアイス・Tとアフリカ・イスラムが始めた店だったんだけど、もともとレディオトロンって店で、それがウォーターブッシュに変わって、その次がUN。UNではDJユタカと知り合ったんだ。
— へぇー。そのつながりは意外だね。
ポール:エリックと一緒にUNへ行き始めたのは2人が17歳の時。誰でも入れるクラブだったんだけど、酒を買うにはID持ってなきゃいけなかった。幸い僕には兄がいたから、そのIDを借りてたんだ。アジア人だから同じ顔に見えるでしょ?(笑)。UNでユタカに話しかけたのは、なんか日本人っぽい人がいるなと思ったから。というのも、他は全員黒人で、白人やアジア人はホントに珍しかったしね。ユタカはその頃、全く英語が話せなくて、僕の日本語も大したことなかったんだけど、「おー日本語話せるんだ?」ってことになって、知り合ってからはいつもリストに載せてもらってタダで入れてもらってた。ユタカにはすごいよくしてもらったよ。自分にとっては兄貴みたいな人だね。
— エリックがDJを始めたのは?
エリック:一番最初はポールの家で遊んでた頃だね。自分で機材買って始めたのは94年かな。一時期、オーストラリアに引っ越したんだけど、LAで知り合ったビースティ・ボーイズのマリオ・カルダートが遊びに来て、僕が住んでた家に泊まってたんだ。2、3週間毎日一緒に遊んだのかな。その時に彼からいろいろ教えてもらって、そこからまた音楽にのめり込むようになったんだ。当時はヒップホップが全くピンとこなくて、何を聴いたらいいか分からないような状態だったんだけど、マリオやポールがいい音楽教えてくれて、自分でもターンテーブルとミキサーを買ったんだけど、本格的にDJとして活動し始めたのはニューヨークに移ってからだから、96年ぐらいかな。
— そうやってヒップホップカルチャーからハウスやテクノに足を踏み入れたDJって珍しいんじゃない? だって、当時のヒップホップ・シーンでは、ハウスはゲイの音楽だからっていう理由で嫌う人も多かったでしょ?
エリック:まあそうだよね(笑)。
ポール:僕らが好きだったヒップホップはBPMは120くらいの踊れる感じで、ダンスミュージックとして捉えていたし、そのルーツはソウルなんだ。その後、みんながウィードを吸うようになって、ヒップホップのBPMはスロウになっていくんだけど、僕らが聴いてた頃はもっとBPMが早かった。UNの話に戻るけど、僕らが遊びに行ってる時、LAにハウスが入ってきて、ヒップホップとのクロスオーバーでヒップハウスも出てきた。UNの後期にはヒップホップがかかるメインルームとは別に、ハウスルームもあったんだ。だから、ヒップホップが廃れていくなかで新しい音楽が入ってきた時、僕らはやっぱりパーティが好きだったから、ハウス・ルームで踊ってたんだ。僕らはもっとディスコっぽい音が好きっていうか、こう…ソウルフルなね、JBとかジミー・キャスター・バンチとか、ああいうファンクも好きだし、テクノもディープな、ソウルを感じるものが好きなんだ。別にベースラインがなくても、電子音楽にもソウルはあると思うしね。ソウル、ファンク、そういうものが感じられれば、ヒップホップでもハウスでも、なんでもいいんだよ。
— そんななか、2人はサンフランシスコのウィキッド(イギリスから移住したガース、イエノ、トーマス、マーキーが主宰していた伝説的なオープン・エア・パーティ)でハーヴィーのプレイを体験したんだよね?
エリック:96年の初めだね。まだLAに住んでて、ポールに「イギリスからDJが来るんだけど、格好良さそうだからサンフランシスコに行こうぜ」って誘われたんだ。そのイギリスから来たDJがハーヴィーだったってわけ。
ポール:当時、僕はめちゃくちゃダンスミュージックにハマってたんだけど、LAのシーンは本当につまらなかった。あれは最悪の時期だった。そんな時にストリート・コーナー・シンフォニーみたいなNU HOUSEと言われるような音が出始めて、ハーヴィーが来るっていう情報を知った時、「あ、あの曲作ってる人だったら聴きに行きたいな」って。なにせパーティーに飢えてたからね。
エリック:その頃もLAでやってるパーティーには遊びに行ってて、音楽はホント最悪だったけど、とりあえずパーティーに行ければいいやって感じだったんだよね。だから、ポールに「ハーヴィーを聴きに行こう!」って誘われた時もどうせそんな感じなんだろうなって思ってたんだけど。
ポール:エリックの姉貴がホテルで働いてたから、サンフランシスコでは結構いい部屋に泊まれたんだけど、「俺は遠慮しとくよ」って言ってたエリックを「とりあえず行こうよ」って引っ張り出して。だから、そのまま部屋にいたら、2人ともハーヴィーのプレイを聴けてなかった。でも、ウィキッドに行って、ハーヴィーの一曲目から「おお!?」ってなって、二曲目でまた「おお!?」ってなって(笑)。「なんだこれは! こんな音楽があったのか、すげえ!」って。LAで行ってたパーティーは一晩中ずっと同じ四つ打ちだったけど、ハーヴィーはヒップホップのDJみたいにレコードかけてた。だから、「こんなかけかたしていいんだ!」って衝撃を受けたよ。当時はインターネットを使ってなかったから、パラダイス・ガラージとかロフトのことなんか全然知らなかったし、カリフォルニアに住んでて、ニューヨークとかフィラデルフィア、シカゴで何がかかってるのか全く分からず、トリニアのハイエナジーだけだったからね。
エリック:だからこそ、初めて体験したハーヴィーのDJには衝撃を受けたし、すごい共感出来たんだ。
ポール:そうそう。ダンスミュージックは四つ打ちの同じテンポじゃなくてもいいんだ。もっと自由なものなんだっていうことを知ったよね。もちろん、ウィキッドは他のDJもすごい良くて、その中の一人がトーマスだった。
— そのあとエリックはNYに移って、トーマスとラブンタグを結成するだよね?
エリック:移住したのはハーヴィーのパーティー直後だね。パーティー96年の4月で、NYに引っ越したのが6月だよ。
— NYに引っ越したのは?
エリック:理由はいくつかあって、LAに飽きてたし、そのころ働いてた会社がニューヨークに部屋を持ってたり。あとLAのルームメイトにニューヨークから来たやつがいて、そいつを通してNYに知り合いも沢山いたから移りやすかったんだ。
— ポールはその後、ダニエル・ウォンやデビッド・マンキューソをLAに初めて呼んだり、自分でパーティー始めるんだよね。
ポール:そう。繰り返しになるけど、以前はすごく楽しかったし、そういうパーティ経験があったからこそ、ダンス・ミュージックが好きになったのに、当時のLAのダンス・ミュージックはひどかったんだ。ただ、自分にとってラッキーだったのは、仕事の関係でいろんな国に行けたこと。東京とかロンドンとか、LAの外でいい音楽に触れることができた。でもLAに戻ると何も面白いことがなかったから、「もういいや、自分でパーティーやろう」って思い立ったんだ。別にビジネスとして始めたわけでも、DJがしたかったわけでもなく、ただただいいパーティで遊びたかっただけ。ダニエルもトーマスから紹介してもらって、向こうが僕のことを気に入ってくれたから呼べたし、マンキューソはA-1レコードでエリックと一緒に働いてたトシオ(・カジワラ aka BING)を通じて知り合ったんだ。マンキューソはビッグネームだから、ギャラも結構かかるじゃない? でも、僕らがパーティーを始めた頃って、LAのダンスミュージックはビジネスとして成り立たなかったし、アンダーグラウンドなものだったから、呼ぶお金もなかったんだ。そんな状況だったから、マンキューソを呼ぶには丸々1年かかったよ。でも、いいパーティーをやりたいっていう一心で1年間ずっとやり取りを続けてたら、ある日「君のダンスミュージックに対する情熱は分かった。DJしよう」って言ってもらえたんだ。
— エリックはニューヨークに移ってからもう13年とか14年になるけど、ニューヨークはエリックにとってどんな街?
エリック:自分の家みたいなものだよね。離れてるとさびしいよ。出身はLAだけど、NYには何かがあるんだ。その何かについては、うまく言えないんだけど。
— ポールは LAでパーティを始めるようになって、ハーヴィーが移住してきたり、(ダンス・ミュージックの老舗ショップ)WAX RECORDがなくなったりといったこともありつつ、長い目で見ると、LAのシーンには厚みが出てきていると思うんだけど、この13年ぐらいの変化をどう感じてる?
ポール:分かりにくいかもしれないけど、LAは他の街とは全然違うんだ。一応都市ってことになってるけど、ニューヨークや東京みたいにヴェニューが一ヶ所に集中してて、パーティーにもすぐ行けるという感じではないんだ。やってるパーティーに関しては、あれは僕だけではなく、僕とハーヴィーのパーティーなんだよ。以前は彼を呼んでやってたんだけど、97年にハーヴィーがLAへ移住してからはパートナーとして、一緒にパーティーをやるようになって、もう10年以上になるよ。
— そのパーティーが、現在の「Harvey Sarcastic Disco」へ発展していったんだね。僕はまだ遊びに行ったことがないんだけど、2004年に瀧見(憲司 クルーエル・レコード代表)さんやCHIDA(ene代表)くんと遊びに行ったポールのウェアハウス・パーティは朝方からハーヴィーがDJを始めて、夕方までプレイしながらフロアでブレイクダンスしたり、バイクを乗り回したり、あのワイルドなパーティは自分にとって、いい意味でのトラウマ体験になっているんだけど、今はどんなことになってるの?
ポール:いい感じだよ。お客さんの人数ってことじゃなく、内容的にはかなり成功してると思う。動員は、始めた時が300人から500人ぐらい、今は800人くらいかな。僕らの音楽はアンダーグラウンドなもので、広く一般に受け入れられる感じじゃないから、それ以上は大きくならないね。LAには例えば、パリス・ヒルトンとか、セレブが来て云々ってパーティーもあるんだけど、そういうところに行くような人は僕らのパーティーには来ない。状況はいい意味でずっと変わってないし、音楽的には今がベストだと思うよ。エリックもDJとして成功してるし、シーンとしては今が一番いい状態なんじゃないかな。ただ、昔に比べて規模が大きくなったおかげでトラブルも増えたよ。前回のパーティーは消防局が来て、やめさせられたんだ。僕らは海外とか、LAの外にもたくさん友達がいて「次はいつやるの?」ってよく訊かれるんだけど、あんまり言いたくないんだ。もちろん来て欲しいんだけど、基本的にホームタウンパーティーだし、うちらのパーティーは100パーセント違法だから、そのために予定を合わせてもらっても、予定通り出来るっていう保証もないし、そもそも許可を取る金もないしね。だから、別にアンダーグラウンド至上主義っていうことではなく、これ以上、規模を大きく出来ないんだ。ただ、日本のみんなみたいにサポートしてくれてる人も沢山いるし、そういう姿勢でパーティを続けてきたからこそ、今の状況があると思ってるね。
— それから、重要なのは、二人ともストリートファッションと密接な関係があるということ。エリックはエーロン(・ボンダロフ:Stussy NY, Supremeを経て、自身のブランド、aNYthingを設立。ダウンタウンのストリート・アイコン的存在)とのつながりでaNYthingからミックスCDを出しているし(THOMAS AND ERIC名義の2004年作『Rub N Tug Volume 1』とRub N Tug名義の2006年作『Better With A Spoonful Of Leather』、Dr.DUNKS aka ERIC DUNCAN名義の2009年作『HOW WE DO IN NY』)、ポールは自分のブランド、サキャスティックを運営しながら、今はステューシーのデザインも手掛けてるよね。そんななか、音楽がファッションに与える影響、逆にファッションが音楽に与える影響についてはどう思う? 個人的には、ポールやエリック、ハーヴィーやトーマスはダンス・ミュージックとストリート・ファッションを融合させた先駆者だと思ってるんだけど。
ポール:昔はパーティーに行ってもファッションとの絡みは薄かったし、そう言ってもらえて光栄だよ。日本でのファッションブランドは、僕が前にいたX-ラージや今やってるサキャスティックも含めて、ライフスタイル・ブランドだと思うんだ。例えばSOPH.の人たちはサッカーが好きだけど、僕らの場合はそれがダンスミュージック、そこから大きなインスピレーションを得ているのは確かだね。あと、今はダンスミュージックが一つの新しいトレンドになってるじゃない? 前はそうじゃなかったし、何年か経ったらまた変わるかもしれないけど、今はディスコとファッションがいい関係にある時期だと思うよ。エーロンとも、彼がまだ16歳とかそれぐらいの頃からの知り合いで、彼も音楽は何でも好きなんだけど、僕らが好きなものをリスペクトしてくれて、エリックがCD出す時もサポートしてくれたし、彼もやっぱりライフスタイル中心なんだよね。
— 出会ってから26年。いま話を聞いてきたように、エリックは音楽の世界で、ポールはファッションの世界で身を立てているわけだけど、お互い、変わった部分は?
エリック:年を取ったってことくらいだよ。僕らはずっと一緒に遊んでるし、84年に比べれば、体つきとか服のスタイルは当然違うけど、あとは同じだよね。
ポール:そうだね。まあ今は実際に会うのは1年に1、2回、あとはiChatで話してるんだけどね。スケートはストリート・カルチャーのルーツだし、僕らのルーツでもあって、スケートと音楽で繋がっているところも昔からずっと変わないね。そう、ホントに昔から好きなものは変わらないんだ。ヒップホップ、レアグルーヴ、ハウス、テクノ、それが全部ソウルとファンクに繋がってて。友達もほとんど共通してて、みんなストリートファッションが好きっていう。
— 今回二人が来日したのは、エリックとWatarudeのレーベル、C.O.M.B.i.がKeep It Cheapっていうサブレーベルを作った記念パーティのためでもあるわけだけど、それぞれどういうレーベルなのか説明してもらえるかな?
エリック:C.O.M.B.i.はディスコのリエディット・レーベルだね。PCの使い方を覚えながら作ってリリースしてる感じかな。かつてはレコードを2枚使いしてマニュアルでエディットしないといけなかったけど、いまはPCでできるからいいよね。エディットする時は、曲を聴いて自分がパーティーでかけてるところをイメージしてるんだけど、実際にプレイしてみて、調子よさそうだったらリリースすることにしてる。それからKeep It Cheapの方は、C.O.M.B.i.とは違ったこともやるかって感じで始めたんだけど、特にレアな曲じゃなくて、DJが持ってたら使えそうなパーティー向きの曲を選んでリエディットしてるね。だからKeep It Cheapっていうんだけど。
— ポールから見たC.O.M.B.i.やKeep It Cheapのクオリティは?
ポール:もちろん、みんな好きだよ。エリックのエディットは他のエディットと比べても個性的だと思うな。それにエリックはDJをたくさんやってるし、リリース前に現場で試してるから確かだよね。時には、ずっと同じ曲をいじってるといいのかどうか分からなくなることもあって、僕が作業中のトラックを聴いて、こうしたらいいんじゃないってアドヴァイスすることもあるんだけど。
— エリックはスティル・ゴーイングやソロ名義でのリリースが最近続いてるけど、今後の予定を聞かせてもらえるかな? 特にラブンタグのアルバムは待ってる人も多いと思うんだけど。
エリック:スティル・ゴーイングでやったブライアン・フェリーのリミックスがそろそろ出るよ。彼はいまソロアルバムを作ってるんだ。それからラブンタグのアルバムは、レコーディングが終わって、今は仕上げの段階だね。かなり時間がかかっちゃってるけど、その分いいものが出せると思うよ。まずは9月の終わり頃に12インチを出すんだけど、アルバムを出す前にもう一枚シングルを切れたらいいね。
— そういえば、グレース・ジョーンズ「William’s Blood」のスティル・ゴーイング・リミックスはどうなったの?
エリック:お蔵入りなんだ。結局、彼女からゴー・サインが出なかった。僕はすごい気に入ってたんだけど、あれ聴いたの?
— もちろん。ゴスペル・ハウスが一転して、ダブになる構成だよね。曲の意味合いとか彼女の存在とか、全てをくみ取った最高のリミックスだと思ったんだけど。
エリック:へえー。あれ、僕も持ってないんだよ(笑)。どこにいったのかすら忘れたな。ただ、スティル・ゴーイングではこれまで12曲ぐらいリミックス作ったんだけど、それをまとめて出そうかって話もしてる。ロビー・ウィリアムス「Last Days Of Disco」のリミックスとか、未発表のものも含めて。グレース・ジョーンズのリミックスもライセンスが取れるといいんだけどね。
— これからも最高の作品とプレイで、また日本のフロアを盛り上げに来てよ!
エリック:もちろん! 僕らもそう思ってるよ。