特別インタビュー:高橋盾(UNDER COVER)

by Mastered編集部

4 / 4
ページ

IMG_8178

— そういうのも含めてショーの流れがまた始まったわけですが、ショーに対する見方が以前と違ってきているのを感じますか?

高橋:アプローチの仕方になってくるのかなって。それをどこまで次で入れ込むかっていうのは、まだ分からない。あまり入れ込んじゃうと“舞台”になっちゃうんで、あくまでもファッションショーっていう中でそれをやるっていうのが次の課題。でも何らか少しはそういう要素が出せればなっていうのは思ってる。

— さっきも話したとおり、この間のショーで何か一つ立ち上がってる感じがしたんですけど、やっぱり次も物語を引き継ぐようなイメージがあるんですか?

高橋:この間のから次の物語が繋がってるってわけじゃなくて、また全く違うものになると思う。まだ全然漠然としかないんだけども。抽象的なものを具体的に洋服に落としこんでいかないといけなくて。洋服って具体的じゃないですか。そこのギャップをどうショーで表現するかっていう。だから本当に相反するものなんだけど、それをうまく伝えるっていうか表現できたらいいかなって。難しいですよね。

— はい、難しいことをやってるなって思いますよ。表現するうえでもそうなんでしょうけど、伝えることってまたすごい難しいじゃないですか。

高橋:だから伝わるっていうのは、主旨が伝わることじゃなくて感じ取ってもらう部分っていうか、正解はないので。たとえちょっと違うんじゃないかなっていう意見が出てきたとしても、それは勿論その人の見方だから説明したくない分答えもない。だから感じ取ってもらいたいかな。それは何でもいいんですよ。「ああ一生懸命やったんだな」とかでもいいし、「ここはこの方が面白かったんじゃないかな」とかでもいいし。サラーっと見終わって、はい、次のショーっていうんじゃなくて気持ちに残るようなもの。分かって欲しいってことじゃなくて、感じ取ってもらえればなって。そう思う反面、振り返っていくと結局自分は洋服でしか見ていないっていうのも不思議。あのときのショーが良かったじゃなくてあのときの服が好きだっていう、結局はやっぱり服なんだよ。だからそこすごく矛盾してるというか。

— 矛盾してるし共存してるって面白いですね。デザイナーであり、ショーをやる表現者であり、重なりながら進んできてる。

高橋:ショーとしてよかった、世界観としてよかったっていうショーもあるんだけど、そういうのより洋服が良かったショーのほうが残っちゃってる。だから、そのバランスが両方「ああよかった」っていうものが一番いいはずなのかなって。

— それが理想型だったことってありました?

高橋:バランスが良かったなってショーはいくつかありますね。それはやっぱりすごく残ってるし。EYESCREAMにも来てもらった、ニットのコレクション(2007年秋冬/EYESCREAM 07年5月号[UNDER COVER]特集にてパリコレ密着取材を掲載)。あれ俺はすごく好きで。あの時はなんかあんまりだったんだけど、やっぱり服がいいし、あのPhilip Glassの音と。

— ミニマルなね。

高橋:その感じ。反復の音と、ソリッドな会場と、ああいう服っていう一体感。俺の中では世界観が一致していて、すごくいいショーの一つ。他には『but beautiful(2004年秋冬)』。パティ・スミスみたいなモデルの、あのショーもすごく好きだし、なんかいくつかあって。そうするとやっぱり……。ああ、でもショーとしてのイメージっていうのも結構強いな。服だけじゃないな。

— やっぱり両方あるんですね。

高橋:両方あるわ(笑)。

— やっぱりショーってたった15分なのに相当情報量が多いじゃないですか。多面的というかいろんな見方ができるし、やっぱりそこが他にない表現の在り方だと思うんですよね。

高橋:しかもただ服を見せるショーじゃないんで、世界観っていうことまで表現しようとしてるから、そこがまたね。感覚ってそれぞれあるので、服だけ見てる人にとっては多分あんまり刺さらないのかもしれないし。だからすごく難しいですよね。でも逆にすごく面白い。

— やっぱり難しいしなかなか正解は見えないけど、だからこそ面白いんでしょうね。

高橋:ショーを始めて19年なんだけど、始めたのが1994年でしょ。

— 来年20年?

高橋:ショーを始めて来年で20年です。だからそう考えると最低でも38回シーズンがあって、いろんな表現をしてきてるわけじゃないですか。それでも”次”っていうのがあるので。まあ答えはないまま終わるのはもう分かってるからもうしょうがないし。それでも何かこう「ああいいもの作ったな」って思える感覚でいたいなっていうか。もうそれしかないですよね。ショーやってお祭り騒ぎしたいとかじゃないし。でもファッションショーっていうものに対しての捉え方っていうのが、東コレでやってる若い子たちがどう考えてるかは分からないけど、何か一つでも、自分の思ってることを表現するエンターテインメントとしての手段であってほしいし。商業的なだけの物、それでもいいのかもしれないけど、そこに夢があるような感じのものであってほしい。ファッションショーってそういうものであってほしいって思います。だからそういうのを感じられないショーを見たときに結構「全然面白くなかったな」って思う。やっぱりそういう意気込みというか気持ちを持ってるデザイナーのショーというのは感動するし。15分でも5分でも、そういう気持ちが入ったものをやるんだったら–まあその表現方法とかはもうその人の感覚だからそれぞれだし–でも自分が観に行く立場だとしたら気持ちがこもったものを見たいなっていう。まあそんな偉そうなこと言っても自分がまだ完成できてないからなんとも言えないけど、気持ちとしてはそういう気持ちでやってるから。そういう新しい20代30代の人たちも、そうじゃないと消えてっちゃうんですよね、実際に。だからそういう気持ちでやってないと残らないなってのはある。それは厳しい。

— 残すために作るわけじゃないけど、結果的に残るものを作るためにはやっぱり相当エネルギー使いますよね。

高橋:でもそれが好きだったら絶対みんなできるはずだし。それぞれそのパワーも違うし、性格も違うし。でも基本的には絶対同じ気持ちのはずなんで。だから東コレいくつかあるでしょ、まだ多分。シンちゃん(SK8THING)もやるでしょ?

— そうですよね。面白そうですね。[C.E]ね。

高橋:[C.E]とか。結局俺が見たいのって、シンちゃんなんですよね。俺のショー見に来るのも俺の何かが見たいと思ってる人たちだと思うんです。だからシンちゃんが何かすごくこう、どういう感覚でもいいんだけど、シンちゃん自身を出しててほしいなって思う。その本人、パーソナリティーが見たい。服を通してそれが見たいなっていう。それって結局その人の世界観だと思うので。自分が好きなデザイナーのショーを見ると、今何を考えてるかとか、それがやっぱり服から出てるんですよね。それが見えないショーっていうのはあまり何も感じないっていうか、残念だなって。俺今回ハイダー(アッカーマン)のコレクション見たけどやっぱりそれがすごく出てるし、ああ、すごいなって思った。なんかそういうものが見たいな。そういうものが見えないとあんまり入ってこないっていうか。

— いるはいるんですよね、そういう人は。

高橋:いやたくさんいますよ。やっぱりすごいなって人もたくさんいるから、それはすごいなと思う。特に地震があってああいう状況があったからこそそういう表現が出る時期だし。それはすごく思う。ああいう場面を乗り越えて、でもやるよって。ああいうシチュエーションがあった上でそれを通過した人のクリエーションって、世界的にこんな状況って日本ぐらいしか今ないじゃないですか。そこで何をみんな作っているのかなっていうのは、そういう目で見ちゃうかもしれない。そういう風であってほしいなって。