知る人ぞ知るデニムのリプロダクト・マスター。
Shawn Joswickによる話題の新ブランド[JOSWICK]。

by Mastered編集部

Shawn Joswick(ショーン・ジョスウィック)はNYではちょいとその名を知られた存在だ。知る人ぞ知るデニムのリプロダクト・マスターであるShawnが趣味の延長線上として始めた[JOSWICK DENIM(ジョスウィック デニム)]という名のリプロダクトレーベルは、NYのセレブリティを中心に爆発的な支持を獲得。しかし、いつしかオーダー過多が原因でブランドを休止することとなる。言わば、NYのストリートシーンにおける、"伝説"のようなものだ。

そんなShawn Joswickが長い時を経て、遂にこの春夏シーズンより、新たなシグネチャーブランド[JOSWICK(ジョスウィック)]をスタートさせた。Alex Olsonのルームメイトであり、日本でもおなじみのJ.Sabatinoの親友でもある、Shawn Joswickの新ブランドとあって、デビュー前から大きな注目を浴びる[JOSWICK]に迫る。

Photo:Takuya Murata、Text&Edit:Keita Miki

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J.Sabatinoに日本のデニム工場を紹介してもらったことで、岡山産のデニムに出会い、もう一度ブランドをやってみようと思ったんだよ。

— 現在の拠点はニューヨークとのことですが、そもそも生まれはどちらなんですか?

Joswick:故郷はニューヨークのアップステート、Uticaという場所だね。

— どんな家庭環境で育ったのでしょうか?

Joswick:姉が2人、兄が1人いて、僕は末っ子なんだ。父はもう定年退職しているけど、電子工学のエンジニアをしていたよ。幼いころはプロ野球選手になるのが夢でさ(笑)。その後、BMXにハマって、スケートボードへという流れだね。

— ファッションに興味を持ち始めたのはいつ頃から?

Joswick:祖母が針仕事をしていたから、小さい時から興味はあったよ。BMXやスケートの雑誌から自分が格好良いと思うモノを見つけては、「おばあちゃん、これ作って!」と無理なお願いをしていたね。洋服を作りはじめたキッカケは16歳になった時、友人の母親にミシンを貰ったことかな。

— では、基本的には全て独学なんですね。

Joswick:そうだね、自分の故郷であるUticaはとても小さな街だから、雑誌やミュージックビデオがある意味ではファッションの参考書だったかな。

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— 当時はどんなスタイルが好きだったんですか?

Joswick:誰もがそうだとは思うんだけど、思春期は影響を受けやすくて、色々なスタイルに興味を持っていたよ。けど、やっぱりヒップホップとハードコアの影響が一番大きいかな。あとはカリフォルニアのスタイル。

— その頃に好きだったスタイルと、今の好みは異なりますか?

Joswick:不思議なもので、大きくは変わらないね。その時の気分で好きなテイストは変わるけど、根本的な部分はいつも同じ。

— 最初はヴィンテージデニムのリペアから始めたそうですが、古着を好きになったキッカケは?

Joswick:ヴィンテージ業界では名を知られた、Bobby Garnettという人物がいるんだけど、彼がやっているBobby from Bostonというお店でJ.Sabatinoと一緒に働いたことが入り口と言えるかな。

— Sabatinoと働いていたというのは面白いストーリーですね。それはいつ頃のこと?

Joswick:1994年から96年までの2年間。Bobby From Bostonは今でもボストンにあって、すごく良いお店なので、機会があったらぜひ行ってみて欲しいな。90年代前半のボストンやフィラデルフィア、そしてニューヨークはスケートシティとしての側面があったので、自分にとってはすごく刺激的な街だったよ。

— 自分でデニムのリメイクを始めたのはいつ頃から?

Joswick:それは1998年にNYに来てからだね。NYではStrong Arm、Stockという2軒のヴィンテージショップで働いていたんだけど、そこで友達のデニムのリペアを請け負ったのが始まり。当時はまだブランド名もなかったんだけど、ある時バーニーズ(BARNEYS NEW YORK)のバイヤーに自分のデニムを「すごくクールなジーンズだね」って褒められて、彼らの為にリメイクアイテムを作ることになったんだ。でもリメイクってのは、みんなが思っているよりも遥かに大変な作業でさ(笑)、実際に売り始めたら、予想以上に注文が来てしまって、一時期リメイク自体が嫌になったりもしたよ。僕の場合、リメイクの時にそれぞれのパーツをどこに配置するかは、完全に自分の思い付きだから、誰かに手伝ってもらうのも難しくて。だから、今でもリメイクは全て自分1人でやっているんだ。誰かに任せてしまえば、すごく楽になるのは分かっているんだけどね(笑)。

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— 今でもヴィンテージショップに足を運ぶことはある?

Joswick:日本やLAには良いヴィンテージショップが沢山あるから、機会があれば足を運んでいるよ。

— 数え切れないくらいのヴィンテージデニムを所有されていると思いますが、中でもお気に入りのモデルは?

Joswick:みんなもそうだと思うけど、[Levi’s®]の『501®』はずっと好きなモデルだよ。[Lee]のデニムの色も好きだけど、1本選べと言われたらやっぱり1947年の『501®』かな。自分にとって、ベストなデニムだね。

— 今回新たに[JOSWICK]としてブランドを再始動させたのはどうして?

Joswick:先ほども話したように、仕事量が自分のキャパシティを大きく超えてしまったからブランドとしての活動は休止したんだけど、休んでいる間もずっとリメイクやハンドメイドは続けていたんだ。今回、[JOSWICK]を再始動するにあたって、実際に動き始めたのは昨年の6月くらい。J.Sabatinoに日本のデニム工場を紹介してもらったことで、岡山産のデニムに出会い、もう一度ブランドをやってみようと思ったんだよ。

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— 岡山産のデニムに出会う以前、日本のデニムについてはどんな印象を抱いていましたか?

Joswick:日本のデニムは基本的に品質が良いから、アメリカでもファンは多いよ。日本人はマニア気質だから、デニムに関しても独自のこだわりを感じるね。初めて岡山の工場に足を運んだ時には、たくさんの機械を目の当たりにして子供の様にはしゃいだよ(笑)。

— [JOSWICK]ではどういったアイテムを展開していくのですか?

Joswick:バーニーズで展開していた時の僕のデニムは、ほとんどが1点もので値段も600~700ドルぐらいの比較的高価なものだったんだけど、そうなってくると価格的にお客さんの「履きたい」、「買いたい」という声に応えられない事も多くて。今回はそういった消費者の声に応えるために、日本の工場に色々と協力してもらって、2万円台のアイテムが中心になっているよ。基本的にはオリジナルでパターンから作成し、自分自身で縫ったアイテムを日本に送り、それを日本の工場の技術で忠実に再現してもらっているんだ。量産しやすいように(オリジナルの)シングルステッチをダブルステッチに変えたりはしているけど、結果的に素晴らしい品質のものに仕上がったと思うし、満足しているよ。

— 実際にファーストシーズンの製作を終えてみて、どんな感想でしょうか?

Joswick:新しいスタッフとのコミュニケーションも難しかったし、日本とアメリカという距離的な問題もあったから大変だったけど、今はコミュニケーションも上手く取れるようになったし、日本のデニム工場のことも良く分かったから、次のシーズンが楽しみで仕方ないね。ブランド自体がこれからもっと成長していくし、さらに良いものを作り上げることが出来ると思うんだ。

— デニム以外の素材のアイテムを展開する可能性は?

Joswick:もちろん考えているよ。日本の街を歩いているとインスピレーションを受けることが多くて、既に落とし込みたい素材や要素がいくつか頭の中に浮かんでいる。素材に限らず、新しいものはどんどん取り入れていきたいね。

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— そういえばAlex Olsonとルームメイトなんだそうですね。

Joswick:僕は15年同じアパートに住んでいるんだけど、Alexが来てから丁度2年ぐらいかな。彼は忙しいから、最近全然家に帰ってこないけどね(笑)。だけど、とても良い奴だし、素晴らしいマインドを持っているよ。トレンドを気にせず、フィーリングで行動するところが好きだ。Alexは子供の時から知っているから、未だに携帯の電話帳には「Littel Alex」という名前で登録しているよ(笑)。

— 昔と比較して、NYの街に何か変化はありましたか?

Joswick:そんなに変わってはいないと思うけれど、不思議と若い時に見たものの方がクールに思えるんだよね。John Lurie、Tom Waits、Jim Jarmusch、1980年代のNYが一番格好良かった。けど、それは僕が歳を取ったからで、今でもNYはクールな街だと思うよ。

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