2007年のサード・アルバム『LIFE STORY』リリースを機にスタートしたザ・ブルーハーブ(THA BLUE HERB)の活動第3段階にあたる“PHASE 3”。この3年半の間に1MC1DJのスタイルで全国47都道府県を全て回り、計179回のライヴを行ってきた彼らが“PHASE 3”を締めくくるべく2枚組ライヴ/ドキュメンタリーDVD『PHASE 3.9』(監督は『77BOADRUM』や『kocorono』を手がけた川口潤)を発表。さらにその1ヶ月後には、MCのILL-BOSSTINOが創作活動を行ううえでインスピレーションを受けたというディスコやハウスを中心とする楽曲をセレクトしたコンピレーション・アルバム『INSPIRATIONS』をリリースする。
そして、この一連のリリースをより深く楽しんでいただくために、ClusterではMCのILL-BOSSTINOとDJ NORIの対談をセッティング。2009年にキャリア30周年を迎えた日本のダンス・ミュージック界の至宝と評されるDJ NORIは、ザ・ブルーハーブと同郷の北海道出身にして、重要な局面で何度か共演をしていることもあり、そんな2人の対談からは様々なことを読み取っていただけるはず。作品についてはもちろんのこと、ホームタウンである札幌に根を張る音楽とその歴史、ILL-BOSSTINOとダンス・ミュージックの出会いなど、話題が多岐に渡った今回の対談を前編・後編の2回に分けてお届けします。
楽しいし、怖さにも似た感覚、畏怖にも似た、なんとも不思議な感覚。それを知りたくて、ダンス・フロアに通い続けている。(ILL-BOSSTINO)
— まず、BOSSさんがNORIさんのことを知ったのはいつ頃のことなんですか?
ILL-BOSSTINO(以下BOSS):僕は高校卒業後に札幌へ出て、そのまま、すすきののクラブで遊びはじめたんですけど、名前は知っていたものの、その頃、NORIさんは札幌にはいなかったし、僕自身、ヒップホップにはまってた期間が長かったので、それ以外のダンス・ミュージックを好きになったのも、そういうパーティで遊ぶようになったのもすごく遅くて。
実際にDJを聴かせてもらうようになったのは10年くらい前かな。自然な流れで「NORIさんがプレシャスホール(札幌を代表するクラブ)に来るから遊びに行こう」ってことになっていったんですよ。ちょうど、その頃、CISCOの人たちがザ・ブルーハーブをサポートしてくれてたんですけど、そのなかに僕と同い年で、ダンス・ミュージックに詳しい人がいて。2002年8月31日に新宿のリキッドルームでワンマンのライヴをやることになった時、「ライヴ後、誰かにDJをやってもらおう」って話になったんですけど、その人がNORIさんを推薦してくれて、やってもらうことになったんです。それ以前までは一人のダンサーだった僕が、そこで始めて同じ音楽をやってる者同士としてNORIさんと話が出来るようになったんですよ。
— 今から8年前になりますが、NORIさんはザ・ブルーハーブと初めて共演した時のことを覚えていらっしゃいますか?
DJ NORI:鮮明に覚えてますよ。ザ・ブルーハーブのライヴをまともに全部観たのもその時が始めてだったし、その場の空気感も今まで味わったことがないもので、お客さんのテンションがいい感じで高かったし、自分のDJがどこまで通用するのかなって不安に思ったりもしながら、ゆっくりゆっくりやっていったら、みんなもちゃんと付いてきてくれて、あれは忘れられない最高の一夜だったよね。
BOSS:そうですね。そのライヴは、オープニングをDJクワイエットストームが担当してくれて、その後に僕らのライヴ、最後にNORIさんが締めるっていう構成だったんですけど、クワイエットストームから僕らの流れはイメージ出来たものの、僕らの後にNORIさんが続く流れはCISCOの人にとっても、僕らにとっても、どうなるか分からないチャレンジであると同時に、そこがハマれば、絶対にパーティは成功するっていうポイントだったんですよ。その日のお客さんはヒップホップしか聴かない人が多かったと思うんですけど、そういう人たちもNORIさんがかける懐の深い音楽をオープンに楽しんで、アガってくれた。だから、かつて僕が通ってきた音楽体験のマジックがお客さんにも起きたってことですよね。あの時のフロアの光景はホント忘れられないですよ。
— ヒップホップとダンス・ミュージックが共存していたあのイベントは、つまり、BOSSさんの音楽性を体現したものだったということですよね。
BOSS:まさにそういう感じ。僕の個人的な音楽遍歴を投影したものですよね。
— そこでお訊きしたいのは、ストロング・スタイルなイメージがあるザ・ブルーハーブとダンス・ミュージックのしなやかさがBOSSさんのなかでどのように共存しているのか?ということなんですけど。
BOSS:僕はストロング・スタイルな音楽、ヒップホップがずっと好きだったんですけど、結局、暴力とお金ばかりが取り沙汰される世界に僕自身が行き詰まりを感じていたのは事実としてあって。その時にちょうどタイミングよくジェフテ・ギヨームの「ザ・プレイヤー」(ミックスはジョー・クラウゼル)を聴いて、「ああ、こういう世界があるんだ」って思ったことで、自分の中で何かが広くなったんです。そうしたら、ジョー・クラウゼルがプレシャスホールに来るという情報をもらって、札幌に10年以上住んでいたのに行ってみたことがなかったプレシャスホールに足を踏み入れたら、そこで踊っている人のヴァイブスだとか、あと、もちろん、「ザ・プレイヤー」もかかったけど、それ以外の曲のフィーリングを知った時、一気に自分のなかの何か、壁のような何かが壊れた瞬間があったんです。自分が音楽を表現するうえでは1時間半のライヴのうち、やっぱり1時間はストロング・スタイルでいくんだけど、ストロング・スタイルでは伝えきれないものが自分のなかでフィーリングとして出来てしまったので、それを伝えるために色んな音楽のフレーヴァーを取り入れるようになったのが自分のなかでの自然な変化ですね。
— 今、お話に出てきたプレシャスホール、そして北海道という土地はダンス・ミュージックが独自な進化、深化を遂げた街として、ダンス・ミュージック好きにとっては特別な場所として知られています。70年代のディスコ時代から札幌の流れをよく知るNORIさんから見て、あの街の特異性についてはどう思われますか?
DJ NORI:僕が高校を卒業して、札幌のディスコに通い始めた時点で、札幌のディスコは独特なものがあったというか、札幌を離れて、レベルがかなり高かったことを改めて実感するような、そんな街だったんですね。だから、話の合うダンス・ミュージック好きが沢山いて、そういう人たちから色んな影響を受けたり、学んだり、その人たちも未だにDJを続けていたり、未だに音楽を聴き続けて楽しんでいるんですよね。そういう意味では、僕たちのもっと先輩たちが築いた土台が自然な流れで今も継続しているんじゃないかなって思いますね。札幌って、寒い街なので、冬は長いし、そんな季節を楽しむためには音楽とお酒が切に求められるというか、そういう環境が北海道の音楽シーンにおいては大きいんじゃないかな。70年代から80年代頭にかけて、レコードのセールスは北海道が抜きに出ていたので、ゴールド・ディスクが札幌だけに届いたり、そういう時代が確かにあったし、ディスコの時代が終わりつつ、クラブの時代になっていくんですけど、音楽を追究している人間が多いので、音がよく聞こえるクラブの環境はその初期段階から整っていたし、そのレベルをみんなでどんどん上げていくという流れが今現在あるんですけど、現在はさらにまたかなりレベルの高いところに環境があって、そういう意味で北海道のお客さんはかなり幸せだと思いますよ。
BOSS:札幌だけにとどまっていたら、そのことになかなか気付かないかもしれないですね。俺もそうですよ。色んな街のクラブに呼ばれても、もちろんそこにいる人たちの空気感は変わらないけれど、音だけで言うと、自分が北海道で普通に遊びに行ってるクラブ以上に音のいいクラブに一度も出会ってないというか。北海道の外へ出るまでは、そういうことすら知らなかったですからね。だから、北海道に生まれて純粋に幸運だったと思う。
— 札幌には日本人DJで初めてパラダイス・ガラージに行ったといわれているTOKさん(THE HAKATAのオーナー)、その後にNORIさんやHEITAさんが続いて、アメリカでの体験を日本に持ち帰ったことが知られていますし、YAKKOさん(Realize)やSEIJIさん(Melting Pot)といったキャリア30年以上のDJもいらっしゃったり、脈々と続いているものがあるんですね。
DJ NORI:そう。北海道ではそれが自然なのかなって思いますね。
BOSS:沖縄もそんな感じですよね。
DJ NORI:そうだね。DJで地方に行ったりすると、俺なんかより年上の人が築いたもの、それを受け継いだ流れのある街は未だにいいですよね。沖縄もそうだし、群馬の高崎、新潟もそうだし、今もいい感じの街は音楽の歴史がある街なんだと思いますよ。
BOSS:街の規模が大きくないってことも条件としてあるんじゃないかと思うんですよね。東京にもアンダーグラウンドで音楽を愛する人達やシーンはしっかりある。でも、東京だと色んな人が出たり入ったりして、広がる時は広がるんだけど、そのコミュニケーションが希薄になった瞬間、音楽的には別の音楽の誘惑もあるだろうし。色々提示される街ですし、サイクルが早いと感じる面はありますね。でも、北海道で俺が踊ってるダンス・フロアでいうと、あちこちに昔からいる先輩ばっかりですよ。でも、先輩がいて、怖くて、あんまり調子こいたことやってるとシメられちゃったりするのが俺にとってのクラブ経験だったし、それってワクワクするというか、すごい面白いじゃないですか。それがだんだん年取って、27、8になると、「オス!」なんて感じでどこでも入れたりとか、「ビールくれや」とか、ブースに入ったり出来るようになるのがよくあるクラブだと思うんですけど、プレシャスホールには俺より年下の店員は一人しかいないですからね。そんなクラブは日本中で一度も見たことがない。
DJ NORI:ないね。ないない。
BOSS:そういう意味で、自分が謙虚になれる。プレシャスホールでは、ブースに入っていく行為一つにしても、神聖な場所っていう意識がもちろんあるし、スローな時はその空気を壊してはいけないっていうムードが常に保たれているから、音楽が音楽として聴こえてくる。ダンスフロアでざわざわくっちゃべってるようなガキは大晦日しかいねえし。そういうモラルが保たれているところも他にはないですね。
— NORIさんにとっての、プレシャスホールとは?
DJ NORI:音と人と、やっぱり全てだと思いますよ。別にプレシャスは最初から今の状態だったわけじゃないし、17年っていう歴史のなかで変化していって、みんなも成長していくっていうヒストリーがちゃんとあるんで、それは僕も行くたびに感じるし、スゴいなって思いますね。ここで終わりじゃない、もっともっと、その先があるっていう常に前向きな姿勢は他との大きな違いだと思いますね。
— プレシャスホールは2007年に「フィルモアノース」をオープンしましたけど、その音の素晴らしさが噂が噂を呼んでいますし。
DJ NORI:フィルモアはオープンの頃に行って、また、こないだも行ったんですけど、オープンから3年という長い年月を経て、「その3年があったから、今があるんだな」ってことをすごい感じたりとか。お客さんもそうだし、音もそうだし、全てがレベル・アップしてる。自分は東京にいるので、札幌に帰るたびに「みんなスゴい!」って思うし、そこで自分もエネルギーをもらって、「またがんばろう」っていう気になるというか。
BOSS:向上心がスゴいっすよね。ホントにスゴい。
DJ NORI:お世辞抜きでスゴい。
BOSS:そういう話になると、どうしてもスゴいスゴいとしか言えなくなってしまうし、こういう字面で見ると、伝わり方が難しいというか、雑誌でプレシャスのことを「聖地」って書いてある記事を読むと、ちょっと不思議な違和感を覚えることもある。プレシャスのことは簡単に触れることができない、ある意味で自分の音楽の核心の部分なんだけど……でも、ホントにスゴいし、ホントに頭が下がる。
DJ NORI:言葉じゃないないんだよ。もし、ホントにね、そこを追求したいんだったら、絶対に行くべきだね。行ってみて、感じた方がいいよ。
— そして、話を戻しますが、ジェフテ・ギヨームの「ザ・プレイヤー」をきっかけとして、フロアでの体験を重ねていくなかで、BOSSさんのなかで何が変わっていったんですか?
BOSS:最初ははっきり言って、アップだけ、アガりだけだったな。それはジョーのプレイがそうだったっていう意味じゃなく、俺が何にも知らなかったから。イコライジングやアイソレーターをああいう風に使って、感情を煽られることすら知らなかったんで。僕がそういう世界に入った時はニューヨークのBODY & SOULがドンって来た時だったんで、あのスタイルに僕はスゴいヤラれて。でも、いつからかね、「これだけじゃないんだ!」って気付いた時があって。同じニューヨークのDJでキム・ライトフットのプレイを聴きに行ったんですけど、それまで聴いてた人とは何かが違ったというか、自分のなかで変化が起きたというか。で、その頃、プレシャスの土曜日のスケジュールでNORIさんもSEIJIさんもYAKKOさんも名前は見かけていものの、俺の経験のキャパが狭くて、ニューヨークのDJを聴きに行くってことしか自分のベクトルがなかったんですけど、キムのDJを経て、初めて、DJ YAKKOって人を聴きに行って。そこで次の段階が始まって、NORIさんとSEIJIさんを知ることになるんですけど、そんな体験を経て、自分の好きなDJだったり、考え方がさらに変わっていったんですよ。
— なるほど。
BOSS:よく話すのは、僕、ダンサーなんですけど、ダンサーのフィーリングとして、一方的に励まされたり、一方的に愛を注がれるだけでは自分的に物足りなくなったんですよ。で、キムの時に感じたのは、僕からも掛け声だったり、手拍子を返した時、彼のプレイに何かプラスになってるのかもしれないっていう感触ですね。そして、そんな経験を経て、YAKKOさんのプレイを聴いた時、その感触が確信に変わったというか、ダンサーもDJに対して、与えられたものと同じものを与えて、その交換でパーティがとてつもない世界に行けちゃうんだってことを知って、そういう交換や会話が出来るDJがもう一段階深いところで好きになっていったんですよ。もちろん最初に聴いたジョーのプレイにそれを感じなかったってわけじゃなく、なんていうか、華やかなパーティじゃなくて、自分の日常生活に無理なくフィットするDJに出会えたって感じです。でも、昨年末にジョーのプレイを久々に聴いて、最高にアゲられましたけどね。
DJ NORI:それが一番なんじゃないですか。お客さんからもらうもので、こちらのマインドも変わるし、頭の中に出てくる曲もその瞬間、リアルに選曲されるし、プレイする側からしても、そういう交換がなければ、つまらないですよ。1時間、2時間でプレイをし終えるなら、そうじゃないこともあるかもしれないけど、長い一日の流れのなかでそういう交換があったりすると、自分も予想しなかった、誰も予想しなかった空気がそこに出来るというか。それこそがパーティの面白いところですよ。
BOSS:NORIさんのパーティに行き始めると、年上のダンサーが沢山いて、みんな、かっこいいんですよ、ホントに。みんな、それぞれの表現っていうか、ダンサーそれぞれが発していくエネルギー、それがまたニューヨークに行くとさらにスゴいんですけど、「私を見て!」って言わんばかりのエネルギーがね。
DJ NORI:僕がパラダイス・ガラージに行った時、それが一番だったといか、みんな一番なんですよ。さらにそんなエネルギーを一手に受けてるラリー(・レヴァン)のスゴさはその点にもあったりとか。もちろん、ザ・ロフトのデヴィット(・マンキューソ)もそうだし、ニューヨークの神髄ですよね。
BOSS:DJ NORIっていう人に気付いて、パーティに通い始めた頃は、僕と僕の彼女が一番年下で、一番前で遊ばせてもらってるって感覚で、最高にハッピーでしたね。周りにはシリアスなダンサーが沢山いて、何も知らない僕らが「スゴいね、今の曲」って感じで遊んでるんですけど、彼らや彼女らがもっと先に進んでることは顔で分かるっていう。そういう場所に自分が居合わせてるっていう感覚はすごい楽しいですよね。楽しいし、怖さにも似た感覚、畏怖にも似た、なんとも不思議な感覚ですよね。
— 分かります。
BOSS:それを知りたくて、プレシャスに通い続けているし、僕は未だにそんなダンサーですわ。そして、毎回知らない曲を探求して、自分のなかでアーカイヴを増やしていってる過程ですね。だから、NORIさん、YAKKOさん、SEIJIさんっていう3人のDJにはそういうつもりで接しているというか。いつも知らない曲を教えてくれるし、知ってる曲でもかける順番とか雰囲気で全く知らない風にも聞こえるし。最初に僕が知ったダンス・ミュージックの華やかな世界とは……確かに華やかではあるんだけど、またちょっと違う感覚を感じるし、やっぱり、NORIさんやYAKKOさん、SEIJIさんくらいの年までいくと、プレイにそれぞれの性格や個性が出ているというか、仮に同じ曲を順番にかけてもそれぞれが作る景色は3人とも違うというか。DJでそこまで表現出来るまでには時間がかかりますよね。歳が全てだとは思わないですけど、DJに関しては、歳っていうのは大切だなって。
DJ NORI:普段、東京だったり、色んなところでもやってるんだけど、やっぱり、札幌が特別なのは、自分が生まれた場所だし、自分のルーツだったりするんで、そういうところでプレイすると、独特な気持ちにもなるし、どんどん解放されるんですよ。
BOSS:どんどん行きますもんね、NORIさんも(笑)。朝の9時、10時、11時と末広がりにどんどんスゴくなってくる。
DJ NORI:体調もあるし、その時のコンディションにもよるんだけど、自分もすごい元気にコミュニケーションをして、気付いたら、もう昼になってたとか。時間軸が崩れていく時はスゴいことになるし、体調が悪かったりすると、そうならない時もあるので、毎回毎回ではないんですけど、そこもまた面白いっていうかね。
2011年2月16日発売予定
TBHR-DVD-004 / 4,500円
(THA BLUE HERB RECORDINGS)
『INSPIRATIONS COMPILED BY ILL-BOSSTINO from THA BLUE HERB』
2011年3月2日発売予定
OTCD-2210 / 2,500円
(ULTRA-VYBE, INC.)