2人の写真家“鈴木親×笠井爾示”のスペシャルトークセッション

by Mastered編集部

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日本と海外の写真界の現状

左/笠井爾示 右/鈴木親

左/笠井爾示 右/鈴木親

—なんかちょっと似てますね。一番究極の人に一番最初に出会うという。

鈴木:1つ思うのが、下積みじゃないけど、何か仕事を回してもらって我慢して仕事をやっていると、すごく妥協していかないといけないと思うし、妥協することから覚えちゃうと思うんです。でも、いきなりフックアップされて表に出れると、自分が強かったら、自分のことを上手くコントロールできるようになるというか。所謂、作家の考え方でやっていけると思うんですよね。簡単に言うと、ニック・ナイト(イギリス出身のフォトグラファー)がヨーガン・テラー(ドイツ出身のフォトグラファー)をフックアップしたように、まったくタイプの違うフォトグラファーだけど、フックアップされたが故に、彼は最初から自由に良い仕事が出来たというか。海外だとそういう発想で。日本みたいに弟子とかの感覚とかはないですよね。例えば、海外誌のクレジットを見れば分かると思うんですけど、アシスタントでもクレジット入るから、1つの人格として認めてるところがある。そういう面も含めて、海外はポンと才能がある人が出てきたりするんですけどね。日本で最初からやっちゃうと、全部が全部そうじゃないですけど、ちょっと違ってきますよね。日本のトップのフォトグラファーは広告のカメラマンなんです。そこのカメラマンになるためにファッション誌だったり、グラビアの仕事をするのが日本のシステムだけど、海外ではコマーシャル・フォトグラファーが作家にはなれない。大成功した人が写真集を出す場合はあるけど。でも、ちょっと舐められる部分っていうのがあるんですよね。そうすると、日本の場合は、エディトリアルで腕を磨いて、広告をやっていくのが理想形になっていくんですよね。そうすると、作家性のあるフォトグラファーがほとんど育たないというか。やっぱり、お金が稼げたりとか、尊敬されるというのが曲がりなりにも要素として必要なところになってくるからね。それがまったくないままに、広告のフォトグラファーが上と言われたら、モチベーションも下がる。本来、日本は色んなカメラを作る国だから色んなことが起きるはずなんですけど、そこがトップって教えられちゃうと、言い方悪いですけど、アヴェドン(リチャード・アヴェドン/アメリカ出身のフォトグラファー)のコピーを上手くできる人がトップになっちゃう。で、ナン・ゴールディンみたいに自分が良いと思った人を持ち上げるということが少なくなっちゃいますよね。いきなり、技術がなくセンスがいいだけで出てくるということが、広告だとリスキー過ぎるから。そうすると、安定した撮影をできる人しか残れなくなっちゃいますよね。だから、僕とかはすごく運が良かったし、笠井さんとかも良い人に出会えたというか。もし普通に始めてしまったら、広告が上って思っちゃうかもしれなかったですよね。

—もしくは誰かのアシスタントとして、少しずつ積み上げていくということですよね。

笠井:なんか前に『EYESCREAM』で90年代特集をやったと思うんですけど(『EYESCREAM4月号(2013年)』特集「90年代カルチャー」)、俺が始めた時はそういう所から外れた時期だったんだよね。それはもう運かもしれないし、たまたまその90年代に20〜30代で居合わせたというのも大きいかもしれないんだけど。今はちょっとその前に戻りつつあるというか、分かり易く言えば、写真家でやるというよりかは、どっかのアシスタントに付くとかっていうのがどちらかというと主流になってきてて。だって、ちかしくんとか、大橋仁くん(フォトグラファー)とか、HIROMIX(フォトグラファー)とか、佐内(佐内正史/フォトグラファー)ってそういうまったく関係ないところから出て来てるでしょ?

—ほぼ同じ時期ですよね。

笠井:あれって、もしかしたらブームという言葉で括られちゃうかもしれないけど、同じ空気を感じ取って出てきた人達だからさ。良い悪いの話じゃなくて、少なくとも今、そういう空気は流れてないじゃない?

—裾野がすごく広がってるということですよね。

鈴木:デジカメですごい裾野が広がってる分、逆に言うとエクストリームなのがなかなか出づらくなってるのかもしれない。本当は、デジカメの種類がこれだけあるから、色々と試せるんですけど。悪く言うと、デジカメから始めた人でもフィルムの方に流れていっちゃうじゃないですか。そうすると、結局フィルムに敵わないっていう風になっちゃうし。前にフランス行った時にマグナムが出資してる本屋で展覧会がやっていて、そこで1つ面白いのが展示してあったんです。すごくデジタルな考えなんですけど、フルサイズのカメラだったらブローアップして寄ってトリミングすればある程度は見れるじゃないですか。で、それをすごく高感度で夜に車を停車してる人を上からフラッシュ焚いて撮ると、すごく嫌な顔してるのが写るんですよ(笑)。それはフィルムだと絶対できないでしょ。だから、デジタルの良さをすごく活かしてて。雑に撮ってるんだけど、トリミングが上手い、コンセプトも上手い。だから、逆に言うとそういう発想だったら、新しいものが生まれたりするのかなと。日本だと、さすがにそれは難しかったりするから。そういう風にテクノロジーを活かしてそういう発想もある。ソフトを使ってフィルムに似せようっていうのもあるから、じゃあ、結局それだとフィルムで良いんじゃないのってなっちゃう。

—これだけカメラのテクノロジーが進んでるのに、これを駆使してやろうっていう空気があまりないですよね。

鈴木:ないですね。僕はデジを使う時は、コンパクトのクイックフォーカスのカメラで、フィルムにはないくらいに早いですよね。だから、瞬間を切り取るものだったら、すごく強いものなんです。ただ、それをどう使うかによってすごく新鮮に見える。

ネガフィルムとポジフィルム

—時代がどんどんデジタルが進化していってる中で、20代の人とか意外とフィルムだけで撮るっていう流れもあって、そこは面白いと思うんです。フィルムとデジタル両方ある中で、フィルムを選ぶ傾向がありますね。

鈴木:それが僕からすると、90年代の焼き回しに見えちゃうんです。例えば、雰囲気があるからネガを使う感じの写真はすごく多いんですよ。90年代のフォトグラファーってすごくネガフィルム(以下:ネガ)が多かったんですよ。カラーの写真はほとんどネガなんです。でも、笠井さんとか、荒木さんとか80年代の要素が微妙に残るポジフィルム(以下:ポジ)なんです。

笠井:ポジっていうのは荒木さんの影響もあるんだけど、ナン・ゴールディンもポジなんだよね。最初の頃は暗室が好きでモノクロしかやってなかったんだけど、彼女と知り合って、モノクロも良いけどカラーも撮りなさいって言われて。で、そん時に2、3本ベルビア(富士フィルム製のフィルム)を貰ったの。で、カラーで撮って、それがたまたまポジだったの。だから、そん時に彼女がネガを渡してたら、ネガで撮ってたかもしれない(笑)。でもね、結果的にネガが悪い訳じゃないからあれなんだけど、ポジって現場で全部完結させないとできないから、ものすごい現場主義になるんだよね。本当に真剣になるというか、ぶれちゃいけないとか。今のは、技術的な話だけど、ポジにはネガにはない生々しさがあって、女の子撮る時もそうだし。それがね、自分にはすごい合ってたんだよね。

鈴木:ネガだと、失敗した時にある程度の修正が効くんですよ。雑に撮ってた時に、写ってたり。ポジに関しては、すごくリスキー。昔の80年代のフォトグラファーとかはカラーを撮る時はみんなポジだったんです。でも、色が出ないポジだったので、すごく撮る技術が上手くなったのはそこですよね。俺とかは、お金なくて若い頃はポジで、プリントする時はネガに戻って、今はデジも使いつつで。カラーを撮る時はポジが多いんです。逆に言うとデジタルより手離れが早いですよね。現像してすぐだし。

笠井:そう! ポジってそうなんだよね。俺いつも思うんだけど、仕事の流れで言うと、「締め切り早いんで、デジでお願いします」って言われる時があるんだけど、いやいやポジが一番早いよって(笑)

一同:(笑)

鈴木:2時間くらい待って、だーって渡してそれでOKだからね。

笠井:でも、これどうやって見るんですか?って言われちゃうからね。

—ビュワーとか無かったりしますからね。

笠井:だから、“ポジ入稿”とか分からないと思う。でも、ポジ入稿って一番ダイレクトじゃん? プリントして、スキャンしてじゃないから。

鈴木:案外、デジタルよりも(写りが)シャープで圧倒的にクリアですよね。どうしても、海外誌とかで(細かい所まで)写さなきゃいけない時は、ポジで撮ってる。デジタルで修正しなきゃいけないっていうことがないからいい。だから、結構ポジ率が多い。

—それってすごい鍛えられますよね。

笠井:鍛えられると思うよ。

鈴木:すごいリスクも高いし。それで撮って写ってなかったら…。

笠井:だから、ラボで見る瞬間って一番ドッキドキだよね。

鈴木:昔、フィルムしかなかった時は、確認ができないじゃないですか。でも、最後の責任はフォトグラファーだから、写ってなかったらシャレにならない。100%写ってるって分かってても、それの確認はできないから、そうするとすごい不安なもので。

笠井:そう。すごい不安。嫌な時間。

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