2人の写真家“鈴木親×笠井爾示”のスペシャルトークセッション

by Mastered編集部

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左/稲田浩 中/鈴木親 右/笠井爾示

左/稲田浩 中/鈴木親 右/笠井爾示


11月30日(土)12月1日(日)に開催されるEYESCREAMプロデュースの「Good Buy Photo!(グッバイフォト!)」展に連動し、去る11月25日(月)、青山ブックセンター本店にて、同展に参加している写真家の鈴木親と笠井爾示、そして本誌編集長の稲田浩が進行のもと1時間以上にわたって、ときに笑いも交えながら、写真に対する熱き想い溢れるトークセッションが行なわれた。その“二人の「ちかし」の出会い”はどのような様相を呈したのか。写真をテーマに、様々な角度から会話が広がっていったそのセッションをできるだけ原文に近いまま掲載。2人のキャリアのスタートやそれぞれの写真論、そして今後、写真に携わる人々への想いを語り合った16,000字以上にも及ぶ3人の会話を味わいつつも、是非BA-TSU ART GALLERYにて2人の作品に酔いしれたい。

Interview:Hiroshi Inada(EYESCREAM)
Text:Kensho Machida(EYESCREAM)

—お二人は完全に初対面なんですよね。

笠井爾示(以下:笠井):完全に初めましてですね。

—お二人で“ちかし”という珍しいお名前なんですけれども、生まれた年代も同じくらいですよね?

笠井:僕は1970年生まれですね。

鈴木親(以下:鈴木):僕は1972年ですね。

—そして、ほぼ同じ頃に写真家としてデビューされて。

笠井:たま〜に間違えられますね(笑)。なんかどこかに行った時に、「笠井爾示(ちかし)です〜」、「あ〜、知ってます〜!」って色々と話を聞いてても、“あ、これ鈴木の方だな”って思ったり。

一同:(爆笑)

—ちかしさん(鈴木親)はありますか?

鈴木:いや、僕は全然ないですね。僕は仲良くならないと会話しないので、ほとんど間違われないです。だから、1回もないかもしれないです。

—不思議ですよね。この業界にいたら、普通どこかで会うと思うんですよ。なので、そういった出会いも含めて、今回演出させていただいたんですけれども。先ほど、打ち合わせさせていただいた時、既にかなり面白いお話が出てましたね。

笠井:むっちゃ良いですよ。本当に。ついつい、僕飲んじゃいました(笑)。

一同:(笑)

—写真家同士っていうのは、付き合いとかどうなんですか?

笠井:僕は結構付き合いますね。鈴木さんはどうですか?

鈴木:僕は全然。嫌われているのか分からないですけど、どこにも呼ばれなく(笑)。外国人のフォトグラファーの人が来ると、なぜか呼び出されるんですけど。だから、もう日本中、皆仲悪いと思ってました。

一同:(笑)

笠井:夜遊びとかはするんですか?

鈴木:夜遊びも行かないですね。基本ファッションの仕事をする時も、ほとんどスタイリストの人を入れなかったりすることが多いので。だから、ほとんどツルまないかもしれないですね。ヘアメイクとかもメイクだけ必要だったら、ヘアやらずにメイクだけやったりとか。だから、交流がないかも(笑)。だから、余計に会わないのかもしれないです。

笠井:でも、写真家とか会いたいと思います?

鈴木:あまり……ないですね(笑)。

一同:(笑)

鈴木:なんとなく、こういうことやってるからこういう人なのかなとか。あとは篠山さん(篠山紀信/フォトグラファー)いじったりとか(笑)。被写体として面白いとかはすごく興味があるんですけど、それ以外はあんまりですね。逆に言うと、フォトグラファーの方のポートレートとかを撮るのは大好きなんです。

—今まで、どなたを撮られたんですか?

鈴木:荒木さん(荒木経惟/フォトグラファー)、篠山さんもそうだし。そういえば、この間篠山さんとフランス行った時に、フランスで受勲したベティーナ・ランス(フランス出身のフォトグラファー)とか、アメリカ人の小難しいフォトグラファーのテリー・ワイフェンバック(米国人フォトグラファー)とか。あと、マグナム(世界を代表する国際的な写真家のグループ)のフォトグラファー達を一網打尽にいじりまくって。

一同:(笑)

鈴木:だから、結構いじわるな視点で…。笠井さんとかはいじわるとかは?

笠井:僕はあんまりしないかもですね(笑)。

鈴木:本当ですか? 僕結構、そういう側面があって。篠山さんとか撮る時も、彼が宮沢りえを撮った『Santa Fe』(1991年/朝日出版社)の有名なポーズがあるんですけど、それと同じポーズをさせたり。

一同:(爆笑)

—(笑)。よくやってくれましたね。

鈴木:そういうのが大好きなんですよね。やっぱり作家さんが好きだから。その人に会って、その人の特徴じゃない、パブリック・イメージじゃない部分を撮りたいと思っていて。逆に言うと、言い方悪いですけど、普通のエディトリアルでやってるフォトグラファーとかは別に会いたいとかは思わないですね。所謂、作家さんのフォトグラファーは、会ってポートレートを撮りたいです。

鈴木親はどのようにフォトグラファーとしてスタートしたのか

—お二人が写真に向かっていったきっかけについてなんですが。お二人で共通しているのが、いきなり写真ではなくて、現代アートや建築から写真に進んで行きましたよね。鈴木さんの写真を始めたきっかけというのは?

鈴木:僕は、もともと現代美術が大好きなんです。ヨーゼフ・ボイス(ドイツ出身の現代芸術家)っていうキャピタリズムみたいなのをテーマにした人がいまして。

笠井:それ、ドイツいた時によく見てた!

鈴木:所謂、美術という考え方だと、資本主義の上澄みをかすめ取るのが美術だから、美大に行くよりは経済を学んだ方がロジックとして良いと思ったんです。美術は数が少ないとか、希少性に価値を付ける訳じゃないですか? それが資本主義の最たるものですよね。ゴミみたいなものに価値があると言い切る人がいたら、もしかしたらそれに価値が付くかもしれないじゃないですか。それを勉強するには美大だと学べないから、経済を勉強できて、尚且つ遊べるような所ということでそういう大学に行ったんですよ。その時にたまたま知り合いになった人が『Purple』の編集の人達がやってた「ポンピドゥ」っていうフランスの美術館とニューヨークの「PS1」っていう美術館でやった展覧会のカタログをくれたんですよ。それにティルマンズ(ウォルフガング・ティルマンズ/ドイツ出身のフォトグラファー)も出てて、それの表紙になってたのが、[Maison Martin Margiela](以下:マルジェラ)を撮ってたアンダース(アンダース・エドストローム/スウェーデン出身のフォトグラファー)が撮ってて。で、それをアートディレクションしてるのが、ドミニク・ゴンザレス=フォスター(フランス出身の現代美術作家)だったんですね。それには、写真の要素——ドキュメンタリーとファッションショーの裏側—−を取り入れつつって感じで。その頃の[マルジェラ]は、モデルとかプロではない素人を使ってるから、ポートレートみたいなものだったんです。で、美術家がレイアウトしてるので、結構ぐちゃぐちゃな感じなんですけど、そこに芸術の要素もあって。ファッションもキャピタリズムの一部なんですけど、それのアンチみたいなのを[マルジェラ]はやってたんですよ。それでなんか面白いなと思ったんです。で、アンダースがフランスに住んでるということだったので、大学でフランス語を勉強しつつも、フランスに行って。フランスの学校の友達同士で、なんでフランスに来たんだという話をした時に、こういう理由で来たと説明したら、その人の奥さんがアンダースの知り合いで連絡先もらって。

笠井:へぇ〜。

鈴木:その時は、フォトグラファーになろうと完全には思ってなかったんですけど、取り敢えず行ってみようということで。それで彼に自分のブックを見せたら「そのままフォトグラファーになりなさい」って言われて。

—その時点で、色々撮り溜めてて、見せられるものはあったんですね。

鈴木:すごい雑な写真だったんですけど。で、彼から「技術が学びたいのか、それとも自分の写真を撮りたいのか」と訊かれて、「自分の写真を撮りたいんです」と言ったら、アンダースは80年代のバリバリのフォトグラファー、セダヌイ(ステファン・セダヌイ/フランス出身のフォトグラファー)に付いてたので、「変な癖が付いちゃって、自分の写真が撮れなくなっちゃたから、僕に付かない方がいい」って言うんです。で、彼は「僕は既に良いと思ってるから、僕の知ってる所に紹介してあげる」っていってくれて。そのまんま『Purple』(フランスのファッション誌)に連れていってもらえて、そのまま仕事を貰ったって感じです。すごい偶然な感じです。

笠井爾示のフォトグラファーとしてのスタート

—笠井さんはいかがですか?

笠井:僕は建築からなんですけど、細かく言うと環境デザイン科に在籍してたんです。その大学に入学した時は写真を一切やってなかった。

—写真は趣味としてやってたんですか? それとも建築物を撮ってたんですか?

笠井:もともとの根本は、美大って1年生の時に一通りやらされるんですよ。暗室講座とか、そういうのがあって。別に僕から自発的にやるものではなくて、やれって言われてやるものだったんです。それで、暗室に興味を持ち始めて。その頃、建築事務所でアルバイトしてて、どっちかというと建築の道に行きたいかなって思ってたんです。

—大学入る前はドイツにいたんですよね? その頃は写真とかは?

笠井:まったくです。

鈴木:写真は誰にも教わってない?

笠井:教わってないですね。大学時代に建築事務所でアルバイトしてるって言ったけど、夜は夜で六本木のクラブで働いてたんです。今はあんまりないんですけど、小っちゃいサロン寄りなクラブで働いてたんですよ。そこでは壁に写真を掛けて、常に展覧会をやってる状態だったんです。飾られてるのはアート作品が多かったんですけど、多目的スペースみたいな役割をしてたんですよね。それで、ある時にたまたま展覧会やる人がいなかったんですよ。そしたら、店長が「お前、写真やってるだろ。壁に何も掛かってないのはつまらないから、なんでもいいから壁になんか貼っとけ」って言われて。で、学校でモノクロ写真をプリントして、平日のお店の終了時に、ばーっと貼ったんです。で貼り終わったら、外国人の女性が数人と日本人がばーっと入ってきたんですよ。で、パッと振り返ったら、「あれ? ナン・ゴールディン(アメリカ出身のフォトグラファー)じゃね?」って思ったんだけど、まさかナン・ゴールディンがいる訳ないなと思ってた(笑)。で、何でおれがナン・ゴールディンを知ってたかというと、たまたま当時、東京都写真美術館で女性のセルフポートレート展をやってたんだよね。で、ナン・ゴールディンの作品——彼氏にぶん殴られたような写真——を見て、すごいインパクトあるなと思ってて。で、クラブに来てる女性が「これ誰が撮ったの?」と尋ねてきてそれでなんか確信したんだよね。それで、「僕が撮りました。あなたはナン・ゴールディンですよね?」って言ったら、「そうよ。私はあなたの写真、すごい気に入ったし、あなたの写真を撮りたい」って言ってくれて、そこから彼女と遊ぶようになった。それで、当時は日本で、後藤繁雄さん(編集者/クリエイティブディレクター)とか荒木さんとかとも色々やってて。その荒木さんとナン・ゴールディン共作の写真集に僕が出てるんですよ。

『TOKYO LOVE』

『TOKYO LOVE』

—『TOKYO LOVE』(1994年・太田出版/撮影・荒木経惟、ナン・ゴールディン)ですよね。

笠井「そうそう。あと長島有里枝ちゃん(フォトグラファー)もそれに出てて。有里枝ちゃんもそのクラブによく来てたんだよね。だから、ナン・ゴールディンに荒木さんを紹介してもらえて。

—ナン・ゴールディンに荒木さんを紹介してもらったんですか?

笠井:そう! 彼女が『この展覧会を荒木さんに見せたいから、私が荒木さんを連れてくる』って言って(笑)。最初は冗談だと思ってたんだけど、本当に連れてきちゃって(笑)。

—それはやるしかないですよね。

笠井:荒木さん、本当に“うぇ〜”って言いながら来て、帰って行っちゃった(笑)。でも、その後に、会う機会があって、「あの時の荒木さん達の写真集の時に撮られた者です」って言ったら覚えてくれていて。そっから、そういう交流ができた。

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