— 高校卒業後はどんな活動を?
Disk Nagataki:大阪にある音楽の専門学校に進学しました。チームメンバーと時間を合わせてダンスの練習をすることが苦手だったし、元々ダンスの音源の編集が好きだったので音楽とダンスを分けて考えようと思ってダンスは卒業して、それからは音楽を作ったり、紹介するような仕事をしたいと考えるようになりました。
— では、音楽に関する基本的な知識は専門学校で学んだんですね。
Disk Nagataki:それが僕、本当にその学校に馴染めなくて、3年間通ったんですけど、全然友達が出来なくて……。次第に通うのも面倒になっちゃって。卒業はしたんですけど、ほんとお金を払って学校を卒業しただけって感じになってしまいました。
— その空白の3年間は何をしていたんですか(笑)。
Disk Nagataki:主に楽曲の制作やDJ MIXの販売をやっていましたね。
— DJとしてのデビューもその頃になるのでしょうか。
Disk Nagataki:そうですね、ちゃんとTechnicsのターンテーブルを買って。大阪から岡山って、新幹線だと45分ぐらいなんですよ。先ほどお話した通り、学校にはほとんど通っていなかったので、途中から1人暮らしを辞めて、実家に戻りました。そこから大阪と岡山を行き来して、DJの仕事を増やしていきました。卒業してからもしばらくは地元でバイトをしながら過ごしていて、その当時付き合っていた子と一緒に東京に出てきたって流れですね。
— 特別何かをしたいから東京に出てきたって感じでも無いんですね。
Disk Nagataki:行けるチャンスがあるなら行ってみたいなってぐらいで。何かを東京でやり切るって想いは地元を出るまでありませんでしたね。ただ、結果的に東京に出てきて、自分の視野の狭さや考え方の甘さを痛いほど思い知らされました。
— それは何歳ごろの話?
Disk Nagataki:21歳くらいですかね。東京に出てきてすぐは仕事もせずダラダラ、流石に彼女に「仕事しろ」って言われて、空港の荷物の積み込みのバイトをやったんですが、バイトの休憩所の話題がパチンコとスマホゲームしかないのに結構食らっちゃって……。「俺、東京に何しに来たんだろう」って。それですぐにそのバイトを辞めて、何かしら音楽に関わる仕事をやろうと思って、bonjour recordsで働き始めたんです。
— その頃はDJなどの音楽活動は?
Disk Nagataki:家で音楽を聴いたりたまに制作をしたりするくらいで全くしていなかったですね。地元で繋がった人たちに連絡してみたり、色々と試してはみたんですけど、当時は自分の実績や作品も無いので相手にはされず。当然と言えば当然で、そんなに甘い世界では無かったです。DJも全くしなくなって、でも、bonjour recordsで取り扱っていた、海外の雑誌や写真集が本当に面白くて、その間はずっとそういう事を調べていました。
— bonjour recordsで働き始めて、何か状況は変わりましたか?
Disk Nagataki:音楽で生活が出来るようになるにはまだまだって感じでした。状況が変わったのは、bonjour recordsの後、DOVER STREET MARKET GINZAで働くようになった時ですかね。それまでは英語も喋れなかったし、tokyovitaminの存在も知らなかったのですが。海外からも沢山来るお客さんと音楽や日本のファッションやアートの話をしているうちに仲良くなって爆発的に知り合いが増えました。そこで知り合った人が、また面白いことをやっている人達と引き合わせてくれて、という繰り返しでtokyovitaminとも繋がることが出来たんです。雑誌や写真集、アートブックなどを知る事が出来たからこそ、コミュニケーションの幅が広がって状況を変える事が出来たと思います。