インタビュー:DJ EMMA〜THE KING OF HOUSEが語る「アシッドハウス」、そして「elevenの閉店」

by Mastered編集部

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何にせよ、僕にとっては今がアシッドの一番面白い時なんです。

— でもEDMの流行だとか一般的な流れは置いておいて、アンテナの敏感な人たちの間で、「今はアシッドが良い」って感覚があるのは、なんとなく分かる気がします。

DJ EMMA:やっぱり、分かっちゃいます?

— 最近気になるというか、洋服の分野でも良く聞くキーワードではありますよ、アシッド。

DJ EMMA:まぁリバイバル的な意味でのアシッドとはまた異なるんですが、何にせよ、僕にとっては今がアシッドの一番面白い時なんです。世界的な流行の後に流行るのが東京の特徴としてあるんですが、アシッドに関してはどうしてもそういう風にはしたくない。前回のインタビュー時のクラブの話にも通じている部分ですが、一般的になることが絶対的に良いかと言えば、実はそういうことでも無いんですよね。一般的になったが故に壊れてしまうものを、ここ数年だけでも嫌と言うほど見てきたし。だから、これは今自分が単純に一番面白いと思うものを提案しているだけであって、「売れないよ」と言われても既に自分で損を被る覚悟は出来ているので、全然気にならないです。参加してくれたアーティスト達には絶対損をさせないつもりでやっているし、最初こそみんな困ってましたけど、最終的にはみんな「やって良かった」と言ってくれました。それが一番嬉しかったことですね。普通コンピレーションの曲を発注しても、アーティスト側からそういう言葉を貰えることはなかなか無いので。あとは、周りのDJたちが自分のセットに段々とアシッドハウスを組み込んでいく姿を見るのが、地味な喜びだったりとか(笑)。
そういう時は「今なんだよな! 今だけなんだよ、この面白さは!」って心の中で納得しながら見ています。

— 前回のインタビュー時には「まだアシッドハウスの正体を自分の中で掴みきれていない」とお話されていましたが、このコンピレーションアルバムを作り終えた今、その姿は見えてきているのでしょうか?

DJ EMMA:はい、少しづつですが、実際に曲を作ってみて気付くことも多くありました。あえて具体的な例を1つあげるならば、最近忘れかけていたベースラインの重要性っていうのを今回で思い知りましたね。そういう意味では、今回のアルバムを通して、自分の気持ちがGOLDとか、コニーズ・パーティとか、DEEPをやる以前の、本当に初期の状態に戻ったのかもしれないです。DJをやり始めの頃に、夜な夜なプレイしたいクラブを探したり、勉強のために四つ打ちが掛かっているクラブを探し回ったりした気持ちを取り戻せたのは大いなる収穫だと思います。自分が何のためにDJをやりたかったのか、そういう原点を忘れないでいるべきだなと再認識しました。

— これまでにもNITELIST MUSICからは何枚かコンピレーションアルバムをリリースされていますが、ここまで1つのジャンルに特化したコンピレーションは無かったように思います。そういった意味では、制作の上で、何か大きな違いはありましたか?

DJ EMMA:基本的にやっていることはそんなに変わらないのですが、今までのコンピレーションアルバムはNITELIST MUSICからリリースしたアナログをコンパイルして出すという意味合いが強かった。でも、今回はアシッドありきで話が進んでいるので、元々の始まりということで言えば、全く異なるアプローチにはなります。

DJ Pierre『The Essence Files Vol 1』

DJ Pierre
『The Essence Files Vol 1』

— アシッドハウスと言えば、前回のインタビューでのDJ Pierreの話が非常に印象的でした。『Acid City』の制作に際して、更にDJ Pierreの音源を聴き込んだのでは無いですか?

DJ EMMA:聴きましたねぇ~。改めて、先生は偉大だなと思いました。

一同笑

DJ EMMA:アーティストに「アシッドを作って」って話をすると大抵、「アシッドって、勉強するのに何を聴けば良いですか?」って聞かれるんですけど、僕の答えとしては「まずは先生のやつを聴いてくれ」と。すると、やっぱりみんな口を揃えて「………すごいです」って言うんです

一同笑

DJ EMMA:前回も言いましたけど、その凄さが何かと言えば、徹底している凄さなんですよね。まるで、「これが私の生きる道!」とでも思っているかのような徹底ぶり(笑)。
良くわからないけど、魅力的ですよ。DJのスタイルとして普通に考えれば、アシッドハウスに、DJ Pierreのもう1つの十八番であるワイルドピッチスタイルを融合させたって良い訳じゃないですか? だけど、頑なにそれをしない。そういう先生の後ろ姿から「実はアシッドのコンピレーションって格好良いんじゃないの?」って発想が生まれて、曲がたまっていく内にその発想が間違いじゃ無かったことを確信しました。しかも、これはお金の為にやっている訳でもないし、次のブレイクを狙っている訳でも無い。次のブレイクを狙う人は素直にEDMに行くべきだし、そういう流れみたいなものも、世間一般の価値観で考えれば決して悪いものでは無いと思うんです。ただ、僕個人として考えた時には、そこには決していたくないし、正直格好悪いなと思う。で、こういう流れの中でふと一生懸命アシッドに打ち込んでいる自分たちを俯瞰で見てみると「なんて輝きを増すんだろう、この時代に」という…

一同笑

DJ EMMA:いやいや、でもこの時代だからこそ輝きを増すなっていう感覚はすごくあるんですよ! 実際作った後に、こんなに充実感がある作品って久しぶりかもしれない。制作期間中、とにかく楽しくて仕方が無かったんです。曲を作るという行為自体は難しく、苦しい部分も多かったけど、全体として見れば、今後自分の中で忘れられない1枚になることは間違いないと思います。

— 少しアルバムから話はそれますが、この1年の間でEMMAさんが新たにスタートさせたことと言うと『EMMA HOUSE興』がまず挙げられるかと思います。このイベントについても少しお話を伺えますか?

DJ EMMA:「困っている人たちを助けたい」とか「東北地方を元気にしたい」というよりは、「もう後悔するのは嫌だな」と思ったんです。あの震災をきっかけに自分が出来なかったこととか、やろうとは思いつつも先延ばしにしてきたことがいっぱい蘇ってきて。3.11以降、自分の中でも色々なことが変わったんですが、そういうやり残したことを埋めたい衝動から生まれたのが『EMMA HOUSE興』というイベントです。もちろん、東京と比較すれば絶対数も圧倒的に少ないけれど、それでも頑張ってクラブを続けたり、DJをやろうとしている人たちがいて、そういう人達と”地方でもちゃんと出来るんだ”ってことを一緒に示したかった。

— 場所的な意味も含めて、色々な選択肢があったとは思うのですが、仙台でやることを選んだのには何か特別な理由があったのでしょうか?

DJ EMMA:インフラ的な意味において、単純に東北地方の中で仙台が中心地であるというのもありますが、既存のもの以外の”中心地になる要素”を、自分でも何か作れないかなと思ったんです。そうすることで仙台以外に住んでいる人たちも、その場所に来てくれるようなもの。実際、今も何人か仙台まで足を運んでくれている人たちがいますけど、そういう部分から活性化を図って、次の世代に渡したいというのが根本にはありますね。僕自身、生きている間にあと何回DJを出来るかって考えたら、きっとそんなに多くはないんですよ。その少ない中で自分には何が出来るのか、別に自分が正しいとかそういうことではなく、もしも何か次の世代に教えられることがあるならば、今のうちにやっておきたいんです。多少でも求心力というものを持っている間に。「残さなきゃいけないものはこういうもので、新しくしなきゃいけないのはこういうことなんだ」というか、伝えること自体は僕の主観で全然構わないから、こういう生き方もあるってことを提示しておきたいんですよ。

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