世界中のアンダーグラウンドシーンを熱狂の渦に巻き込む謎のユニット、COS/MESに世界初の単独インタビューを敢行! その全貌に迫る!!

by Mastered編集部

top2010年の日本の音楽シーンにあって、海外で特筆すべき活躍を見せたFlaticと5iveからなるレフトフィールド・デュオ、COS/MES。謎が謎を呼ぶ彼らのセカンド・アルバム『GOZMEZ LAND – CHAOSEXOTICA』はニューヨークのレーベル、ESP Instituteからリリースされると、ディスコ/バレアリックの文脈において、あるいはサンプリング・アートの極北として、海外のDJ/クリエイターやメディアから高く評価され、その名を一躍世界に知らしめることとなった。
サンプリング・ピースを緻密に組み合わせ、無国籍かつハイファイな亜熱帯サウンド・ジャングルを描き出す彼らは、しかし、これまでインタビューに応じることなく、その正体は未知のまま。そんなわけで、単独インタビューとしては世界初となる今回の貴重なインタビューを通じて、日本のリスナーに改めて驚異のCOS/MESランドを発見していただきたい。

インタビュー・文:小野田 雄

(COS/MESの音楽は)レフトフィールド・ミュージックだよね。レコード・ショップ店員の性、聴いたことのない音楽を聴きたいっていう。(Flatic)

— 2010年のCOS/MESは、最新アルバム『GOZMEZ LAND – CHAOSEXOTICA』がBeatportと並ぶ音楽配信サイト、Junoの2010年ベスト・アルバム・トップ10と世界中で数万人が聴いているというラジオ番組、Beats In Spaceの年間ベスト・アルバム・トップ6に選ばれるなど、海外で大活躍の年でしたね。

Flatic:音源自体は古い曲が多いんですけどね(笑)。2010年にLovefingersが主宰するNYのレーベル、ESP Instituteからリリースした『GOZMEZ LAND – CHAOSEXOTICA』は2009年にSWCから出した日本盤のライセンス盤だし、コンピレーション『Concentration Vol.1』に提供した「Mateki」は2008年作。それから今話題のユニット、Seahawksをやってるジョン・タイ主宰のLo Recordingsから出たコンピレーション『Milky Disco 3 – To The Stars』に提供した「Iron Deck」も作ったのは2006年ですしね。

5ive:だから、2010年に作ってリリースされたのはEne Recordsから出たTiago「Rider」のリミックスとRONNY & RENZO主宰のKing Kung Fooから今月出る「Naruto」だけってことになるんですよ。まぁ、でも、作ってからリリースまでのタイムラグが長いのは、Internasjonalからのリリースが3年かかったTRAKS BOYS→関連記事しかり、ダンス・ミュージックでは当たり前のことというか。

Flatic:それに好きな海外アーティストから連絡が来るっていうのは、すごく面白いというか、うれしいことですしね。

— なかでも、ニューヨークのESP Instituteからは去年だけで4枚の12インチ・シングルがリリースされて、世界的に高い評価と好セールスを収めたわけですけど、レーベル・オーナーのLovefingersとの出会いは?

Flatic:2008年にDISCOSSESSIONのジョニー・ナッシュから「Lovefingersがコンピレーションを作るんだけど、参加しないか?」ってもちかけられて、その後、Lovefingersからメールが来たのが最初かな。

5ive:それがさっきも話に出た『Concentration Vol.1』っていうコンピレーションなんですけどね。そうしたら、今度はEneのCHIDAくんが『GOZMEZ LAND – CHAOSEXOTICA』の音源をLovefingersに送ってくれて、「ぜひともライセンスしたい」って話になったんです。

Flatic:アナログのリリースもそうだし、リミキサーの人選も、僕らがアメリカの音楽が好きってことで、TBD(シングル「Gozmez Land」)だったり、Rub N Tugのトーマス(シングル「CHAOSEXOTICA」)だったり、ニューヨーク勢を挙げたんですけど、彼は僕らの希望をほぼ叶えてくれて。

— Lovefingersは、2003年にDJハーヴィーが出したミックスCD『The Freshjive Mad Dog Chronicles』(スケーター、トニー・アルヴァのトリビュート)の制作を手がけたかなりの目利きな人ですけど、ESP Instituteのアートワークにベックなんかを手がけてるイラストレーター/アートディレクターのマリオ・ヒューゴを起用しているところがまた素晴らしいですよね。

Flatic:Lovefingersが「レーベルのイメージはマリオに任せてるから」って言ってて、ホームページを見たら絶妙なセンスだった。僕らとしてもそういうコラボレーションは願ったり叶ったりだし、あのアートワークはモノとしても最高ですよね。

— そんな世界も注目するCOS/MESなんですけど、単独インタビューは今回が世界初ということで、ユニットの成り立ちから聞いていきたいと思います。まず、5iveくんはThe Mind Giftを前身とするヒップホップ・グループ、ザマギのトラック・メイカーでもあるんですよね。

5ive:はい。僕がThe Mind Giftに参加したのは99年なんですよ。メンバーは全員徳島が地元なんですけど、最初、MCの2人は40&79って名前でやってて、僕はそのライヴを渋谷のASIAとか六本木NUTSへ観に行ってたんです。当時は一代目のDJでDJ DAI a.k.a. D-Originuって人がいたんですけど、活動してるうちに「俺、アーバリアン・ジム(ZEEBRAやDJ KEN-BOを中心としたヒップホップクルー。昨年解散)へ行くけど、お前らも行く?」って話になって。でも40と79はジムに通わなかったので、2代目のDJとして僕が加入したんです。

Flatic:ごっちゃん(5iveのこと)と最初に話したのはその頃だよね。お店が地下にあった頃のDMRでアンダーグラウンドヒップホップをチェックしてる時によく出くわしたり。ある日、池袋のクラブ、BEDの外で、「よく会うよね!」って。で、話したらお互いビートフェチなマジなB-BOYだったっていう(笑)。

5ive:ECDさん監修の『The Perfect Beats』を読んで、レコードを掘りに行ってましたから(笑)。

Flatic:僕は雑誌のBOONで90年代前半、MUROさんがレコードを紹介するコーナーがあって、それを読んで「ムロ、ハンパねぇ!スティルディギンに行かなきゃ!」みたいな(笑)。スヌープをジャングルベース(六本木にあったクラブ)に見に行ったり、サイプレスヒルのチケットを電話で取ったら1番だったりね(笑)。

— The Mind Giftの一番最初の作品は2001年にリリースした7インチ・シングル「LIKE A 12 INCH」でいいんでしたっけ?

5ive:そうそう。あれ持ってるんですか。マジで? いきなりヤバいっすねー(笑)。

Flatic:あのレコードにはエピソードがあるんですよ。2001年、僕は渋谷にあるSOUND OF BLACKNESSの支店、33/45っていう幻の中古レコード屋で働いていたんですけど、5iveから「7インチを作ったのに、卸すところがない」って相談されたので店で扱うことにしたんですね。そうしたら、数日後、いきなりDJシャドウとカット・ケミストが店に入ってきて、「この7インチは何だ?」ってことで試聴して、「おお!」って反応して2枚買っていったんですよ。

— そのレコードが新宿リキッドルームでやったDJシャドウとカット・ケミストの「Product Placement」ライヴでプレイされたんですよね。


DJシャドウとカット・ケミストによる伝説のターンテーブルライブツアー「Product Placement」の様子を収めたDVD。
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5ive:そうそう。そうしたら、今はなきCISCOから「全部買います」ってオーダーが入ったんですけど、プレイされる前は営業しても全然スルーされてたんですよ。だから、その一連のやり取りを通じてThe Mind Giftはグレたっていう(笑)。

Flatic:しかも、そのレコードでごっちゃんが使ってたネタは(今はなき高円寺のレコード・ショップ)Franklinのウラさんに「これ、レア・ファンクの再発だよ」って教えられたレコードだったんですけど、実は全くの嘘で、カット・ケミストの友達がやってる今のバンドだったっていう(笑)。だから、カット・ケミストからしたら「出たばっかりのレコードをサンプリングしてやがる!」って思ったんじゃないかな(笑)。

— はははは。それからFlaticくんは高円寺のレコード屋でも働いてましたよね。

Flatic:そう、CIRCLEDELIC。ごっちゃんに最初に会ったのもそこだよね!かなりのカオスショップだった。レアパンクからAOR、サントラまで相当覚えちゃったよ(笑)。主要なDJはほとんど来ましたね。藤原ヒロシさん、ヤン冨田さん、EYEさん、KENSEIさん、DJ KIYO、MUROさん……あとワッくん(WATARUDE)!あと俵孝太郎が間違って入ってきて、「ここ、CDは置いてないの?」って(笑)。あと高円寺ではMANUAL OF ERRORSでもたまに店番してましたよ。

— レコード・ショップ店員として働きつつ、2003年にMPC3000(AKAIのサンプラー)だけで作ったFlatic名義のソロ・アルバム『NANO/YOUTH』をリリースしてますよね。


Flaticのソロアルバム『Nano/Youth』。
2003年リリース。
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Flatic:あと、あの作品ではおもちゃのキーボードも使ってるんですけど、plopってレーベルから出したほぼサンプリングで作ったエレクトロニカ・アルバムですね。

— それ以前にもO.N.OさんとかNumbなんかに混じってO-PARTSのコンピレーションにトラックを提供していたり、Flaticくんのトラック・メイカーとしての経歴は?

Flatic:一番最初はね、聡(satasat)くんっていう当時SP-1200(E-MU社の伝説的なサンプラー/ドラムマシーン)を使わせたら、日本で5本の指に入ること間違いなしっていう、パル・ジョイ、ショウビズ(同じくSP-1200の名手)命なヤバいビートメーカーが豊橋にいて、その人がCIRCLEDELICに来た時、「店のレコード・セレクションがヤバい」ってことで盛り上がって、「僕もトラック作ってるんですよ」ってことでトラックをやり取りするようになって。98年に『in all modesty』ってコンピに参加したのが最初かな。DOBINSKIっていうMCのオケと、ギャラクティックなワン・ループのインスト。一応ヒップホップだけど、大分アブストラクト(笑)。いま振り返ると、90年代後半はヒップホップに飽きて、MO’WAXに代表されるアブストラクトにヤラれるっていうよくあるパターンですね。

5ive:その後、デトロイトなんでしたっけ?

Flatic:そうだね、「この流行、何周目?」って感じで旧譜はずっと掘りつつ、新譜はMO’WAXの流れで、Planet E、カール・クレイグ、アーバン・トライブとかカーク・ディジョージオのアズ・ワンとかドレクシアとかね。当時は俺の家とごっちゃんの家、それからFranklinが同じ高円寺の通りにあったので、みんなで集まってはレコードを聴いていたんですけど、それが2000年を超えたあたりで、電気グルーヴと宇川(直宏)さんのヤバさをごっちゃんに教わって(笑)。

5ive:その頃、Flaticを新宿リキッドルームでやっていたHOUSE OF LIQUIDに連れて行ったんです。

Flatic:それまでの僕のハウス体験といえば、1994年、激B-BOY期に体験したYELLOWのデヴィッド・モラレスで、DJブースにワインが運ばれてくるみたいな感じだったんですけど(笑)、MOODMANのDJを聴いて初めてヤバいって思った。

5ive:7年越しのハウス体験はかなりオルタナティヴだったっていう(笑)。当時のFlaticが作っていたエレクトロニカって、ヘッド・ミュージック過ぎたのでそれを壊したかったんですよね。ハウスってボディ・ミュージックだし、B-BOYライクなトラックもあったりしたから、連れて行ったら気に入るんじゃないかなって。だから、HOUSE OF LIQUIDを経て、よりハング・アウト出来るようになったっていう(笑)。そこから、Franklinが僕らにとって大事な場所になって、閉店後に集まっては中古レコード屋で買ってきたレコードを夜な夜な聴き漁っていました。

— ハウスを通過しつつもヒップホップ的な手法は変わらなかったんですか?

Flatic:そう、何気に手法は変わってないんですよね。ただ、黒人のノリを出すのは僕らには無理(笑)。だから、一時、エレクトロニカに向かったのもヒップホップから脱却したかったっていうことだったりして。ヒップホップは最高な音楽だと思うけど、ワン・ループを延々に聴く感じじゃないですか?? 2000年代にその道を突き進むのは厳しいぞって思ってた時期にハウスを聴いて、2004年に初めてパソコンを買ったっていう(笑)。

5ive:僕も買ったのは2004年。遅すぎますよね(笑)。

Flatic:COS/MESの作品はやっぱりPCがなければ出来なかった。なんせサンプラーは30秒くらいしかサンプリングが出来ないわけだから、「パソコンだったら何時間でも録れるね?」って(笑)。 で、話はちょっと飛ぶんですけど、そんなこんなでアナログな製作を熱くやりながら夜遊びに専念しつつ、そのまま、宇川さんが他社比社と運営してたMixroofficeでフロア担当として働くようになるっていう(笑)。ここでもまた色々勉強させてもらいました。あと、COS/MES以前、以降も、一つ言えるのは、2人とも恐ろしく研究熱心ってことかな?DJプレミア、ピート・ロック、J.ディラ、セオ・パリッシュ……これはどうやったら作れるんだろう?って。DJについても色々研究してるよね(笑)

— COS/MESを語るうえでは長年の研究の蓄積はかなり作品に反映されていますよね。そんなお二人が共同作業を始めるのは、The Mind Gift改めザマギのトラックを作ったのが最初なんですよね?


ザマギのファースト・アルバム
『All Bonus Tracks』。
2004年リリース。
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5ive:2004年に出した『ALL BONUS TRACKS』っていうファースト・アルバムに「PAST」って曲があって、その曲が最初に2人で作ったトラックです。

Flatic:僕らが所属している他社比社(複数のクリエーターからなるアート集団)のBGM担当というか、レコード試聴会の延長線上で「これ、ループしてみようか?」って感じで、勝手に音源を作り始めるようになったのがCOS/MESですね。コズミックもバレアリックもよく知らないまま、気付いたらそこに辿り着いていたっていう。

— 要するに2人は90年代後半からヒップホップで廃れていくサンプリング・カルチャーの延長線上にイタロ・ディスコやコズミック、バレアリックがあったというか、Force Of Natureしかり、レコードを掘るのが好きな人たちにとって、ダンス・ミュージックはディグのニュー・フロンティアだったというか。

Flatic:確かに。90年代、オランダのユトレヒトでやってる世界最大のレコード・フェアへ買い付けに行ったことがあるんですけど、そこでレコード・ディーラーのニック(・ザ・レコード)がいたのを覚えてます。ヨーロッパ各国から全く見切れないほどのレコードが集まるフェアなんで、あの頃、イタロ・ディスコとかコズミック、バレアリックを知ってたら、超買えたのになぁ(笑)。00年代初頭は知らずにそういうレコードを聴いてたよね。

5ive:そういう意味では、高円寺バレアリックなんですかね?

Flatic:というより、レフトフィールド・ミュージックだよね。レコード・ショップ店員の性、聴いたことのない音楽を聴きたいっていう。

5ive:キラキラした感じ、リバーヴが利いてて、空間がある遅めのトランスとかを僕らは「寿」って呼んでたんですけど(笑)、それが後にバレアリックとかコズミックと呼ばれてることに気付いたり。

— それから5iveくんの場合、ザマギってグループはハウス/テクノの影響を受けて、正統派ヒップホップの枠から外れてしまった世代のヒップホップですよね。

5ive:そういう意味では当時今はなき(クラブ)恵比寿みるくがあった頃の文化は大きかった。気になるパーティーが毎週やっていました。今はLUVRAW & BTBのBTBとして知られる特攻とMCしゅんたと現TRAKS BOYSのK404がやってたレッキンクルー、あとアルファなんかは全員同い年です。

— 今のアメリカのヒップホップ/R&Bがエクスタシーの影響下にあるトランシーな方向に向かってることを考えると、個人的にはあの世代のヒップホップは5年早かった気がします。

5ive:そうですね。みんな斜に構えたところがあって、当時のステレオタイプなものとは違うものをやりたいと思って表現していたと思います。進化でも退化でもない、結局のところ、レフトフィールドなものになってしまった。

Flatic:そうだね。当時はなかなか理解しづらかったかもしれないけど、今のご時世だったらジャストだろうね。そこがまた東京っぽいというか。

5ive:しかも、BTBだったり、TRAKS BOYSだったり、みんな現役で違うことをやってますからね。

Flatic:若いからねー(笑)。

5ive:(笑)COS/MESは年が違うから上手くいくんですよ。

Flatic:僕は中古バカってスタンスで、5iveは若いなりにもうちょっとお洒落な感じ?(笑)。

5ive:それプラス、このディガーおじさんに喰らわせるものを新旧問わず掘ってくるという気概もありつつ(笑)。

— そんな2人がファースト・アルバム『SADISTIC SKATEPARK』をリリースしたのは2007年ですよね。

Flatic:今、Discogsで145ポンドの値段が付いてる→参考、万越えのアルバムですね(笑)。これは他社比社が作ったアート・ピースというか、滑ると危ない鉄のスケートランプが四国にあって、そのインスタレーション用に作ったサウンドトラックなんです。もともと持ってたストック曲を僕が篭って編集しまくって、さらにごっちゃんのトンチを被せて、1ヶ月で作ったアルバムだよね。

5ive:ザマギでちゃんとしたスタジオが使えてた時にUREIとALLEN & HEATHのミキサーにターンテーブル2台をもちこんで、いい音で取り込ませてもらった音源をもとに作ったリエディット・アルバムです。

Flatic:完全に自腹で作ったアルバムだったんで予算の都合上、思いのほかいい音にはならなかったですけど(笑)、実験してみることは大事ですよね。ちなみにこのアルバムはFlanklinでしょっちゅう会ってたDLさん(デヴ・ラージ)に聴かせたら、ごっちゃんがわざと入れた針ノイズを「あの針ノイズわざと入れてるでしょ?狂ってるね!!!」って褒めてくれたんですけど、他の部分には触れてなかったんで、喜んでいいのかどうなのか(笑)。

5ive:2006年当時、何かやらなきゃってすごく焦ってて、高円寺のラジカセ・ショップ、Turbosonicのコンピレーション『Turbosonic Vol.1』への参加を皮切りに、『SADISTIC SKATEPARK』の制作へ突入したのを思い出しますね。

Flatic:そういう意味では、高円寺南4丁目の限られた範囲内で作られたアルバムって感じだったんですけど(笑)、このアルバムを出した翌年の2008年にスウェーデンのKOOL DJ DUSTが主宰のHigh Feelingってレーベルがmyspace経由で連絡をくれて、250枚限定で7インチ「SADISTIC SKATEPARK」を出したという。

— いきなり高円寺からスウェーデンって、すごい飛びですね。

Flatic:しかも、その後、僕の夢だったディスクユニオンのレア盤放出で売られることになるっていう(笑)。もうディガー冥利に尽きますよ。

5ive:しかも、ディスクユニオン柏店(笑)。

— はははは。COS/MESのトラックって、フロア・ユースというよりも、音からどんな絵が浮かんでくるか、いかに見たことのない音像を作り上げていくかっていうトライアルに大きな特徴がありますよね。

Flatic:その通り。2007、8年はフロアで機能するトラックものに進むべきか、アート・フォームとして作品を出すべきか、すごく悩んだんですよ。一時は「トラックもので当ててやろう」って思ってたんですけど、正直な話をするとそういうものが作れなくて(笑)、結局、面白い音像を追求することになったっていう。

— そして、2009年にセカンド・アルバム『GOZMEZ LAND – CHAOSEXOTICA』がリリースされます。

Flatic:このアルバムの制作期間は半年だったんですけど、今言ったようなジレンマと戦いつつ、構想は2年以上かかっちゃいましたね。

5ive:そんななか、個人的にMungolian Jet Setの音に出会えたことは大きかったかもしれないですね。色んなアイディアを詰め込んでいいんだなって思ったし、音も良かったし、1曲の中で様々な所に飛ばされるジャーニー感が当時新鮮でした。

Flatic:このアルバムでは日本人っぽい間違った異国情緒感を出したいと思ったんですよね。

— コーネリアスもそうだと思うんですけど、日本人らしいミックス感覚のユニークさを自覚した作品は海外のリスナーにとって面白く響くみたいですね。

Flatic:それをちゃんとした完成形に仕上げたかったんですよ。それで真夏の暑さにヤラれながら、9時間、10時間レベルで顔をつきあわせたナード感満載の作業(笑)。作業途中でDISCOSSESSIONのDR.NISHIMURA先輩にヤバいディグの成果を持ち寄ってもらって、氷結で酔っ払いながら作ったのが「☆D.F.G☆」って曲(笑)。

5ive:我ながら狂った制作期間だったなって思いますけど、そういう時じゃないとこういうアルバムは出来ないですからね(笑)。

— あと、この作品はサンプリング中心で作られているのに、ものすごくハイファイで音がいいし、すごく緻密に作られているじゃないですか? これ、かなりスゴいですよね。

Flatic:そうそう。僕らは基本的にリエディットの延長で作ってるんですけど、『GOZMEZ LAND – CHAOSEXOTICA』に関して言えば、サンプリングだけだと弱いから、そこを補う部分、ごっちゃんのライヴ音源を上手く被せるスキルがここ数年で進歩してるんだと思いますね。あとは作った音源をマスタリングでどう変えていくか。その辺の知識と経験値も積んできてるし、今後の作品は自分でも楽しみなんですよね。ちなみに今月、RONNY & RENZO主宰のKing Kung Fooってレーベルから出る「Naruto」っていう12インチ・シングルは、ドイツのSchnittstelleっていうマスタリング・スタジオでやってくれたんですよ。海外のレーベルは僕らが音フェチなのを知ってて、そういう提案をしてくれるから、そのやり取りも面白いんですよ。まぁ、僕らは楽器が出来ないし、昔の音楽の質感が好きだから、今後もサンプリング中心なんですけど、色々サンプリングしてみたものの、異なる質感の音を一つにまとめるのが毎回大変だったりして(笑)。でも、そうやって苦労しながら無国籍料理を作り上げていくのが僕らのやり方なんですよね。

5ive:やっぱり作品は残るものだからそれくらい凝って作り込んでいかないと。自分らが納得出来る状態になるまでには時間はかかりますね。そしてリリースされた後にレコード屋さん各々が試聴トラックをどの場所を選んでいるのかを聞いた時に、世に出た実感や、客観視が出来たり、曲の発見があったりします。ステレオのLRが逆だったことに気付いたことを含めてね(笑)。

Flatic:今はすごい量の作品が出てるから、そんななか残る作品を作るのは本当に難しいと思うんですよ。Eneから出したTiago「Rider」のリミックスにしても、最初の1ヶ月でほぼ出来たんですけど、そこから「あれはいらない、これはいる」ってことを延々とやって、強度を求めて結局、5ヶ月くらい寝かせてますからね。今はPCを使えば、誰でもある程度の音楽が作れるようにはなっていますけど、そこから先、どこが完成かも分からないし、でも個人的にも突き抜けたものが聴きたいんですよね。

Funikiレーベル最新作は、ザマギとWorld Invadersの5人による警察ラップユニット、POLICEMANの『KEISATSU』。
試聴は公式サイトから。

— 今後の予定に関しては?

Flatic:いやぁ、なかなかね(笑)。海外からちょこちょこ話もあるんですけど、乗れるか乗れないかってことが結構大きくて。安易にオファーを出してくる人が多いから。ただ、今のところ、僕らがファンだったアーティストから話が来てうれしい限りですよ。

5ive:ファンといえば、僕らはCHIDAくんのファンでもあるんですけど、2011年は僕らがやってるレーベルのFunikiとCHIDAくんのEneとのダブルネーム、Funiki Eneって名前で12インチ・シングルを出そうって話になっているので(笑)、まずはそのシングルの制作に取りかかってます。あとは、邦レフトフィールドヒップホップグループのリミックスなんかもありますし、FunikiからはPolicemanのアルバムが2月23日にリリース予定です。

COS/MES『Naruto』

1月24日発売予定

KKFR74007
(King Kung Foo)

http://underground.jp/

※12インチシングルの他、Amazon等でのダウンロード販売を予定
→Amazonのダウンロードページはこちら

BONUS BEATS & PIECES

音のみならず、刺激的なアートワークと映像も、所属するアート集団「他社比社」の内部で制作するのがCOS/MESのスタイル。映像ディレクションはShinto GOD Film、LEDヴィジュアル演出はTHE BLUE-RAYS(ともに他社比社の制作ディヴィジョン)が担当している。
海外に誇るべきカッティング・エッジな彼らの表現世界を映像でもお楽しみあれ。