— KiliKiliVillaが出来てからまだ半年も経っていないと思うんですが、一番の根幹にあるのはどんな部分なんですか?
安孫子: そもそもは最初はレーベルをやろうなんて思いもしなかったんですよ。銀杏BOYZを脱退してから嫁さんの実家がある群馬に引っ越して、「今まで音楽でたくさん良い経験をさせてもらったな~、これからは田舎で音楽とは関係無い生活を1から頑張って始めよう」とか考えていて。パニック障害というか鬱みたいなところもあったのでしばらくは静養していたんですけど、環境が変われば症状も良くなるもので、調子が良い時は東京に行ったりも出来るようになりました。正直その頃はパンクってものに少し飽きている気持ちもあったんですよ。でもふとしたきっかけからここ最近のパンクをチェックしたら超楽しくなっちゃって。それで久々に飲んでる時に「今、日本のパンクってすごく面白いですよね」なんて話をしたら、「じゃあ、レーベルやろうよ」って盛り上がっちゃって。ある意味では好事家の世界でもあるので勝手に楽しみます。
角張:今の音楽シーンでは「売れる」と「面白い」は同義語じゃないもんね。さっきのNOT WONKじゃないけど、フェスに出るのがダサいみたいな価値観もあるし、人それぞれで差異があるから。
— 庄司さんの音楽遍歴はどんな感じなんですか?
庄司: 僕も一番最初に好きになったのはパンクだったんです。「バンドやろうぜ」っていう雑誌に血まみれのシド・ヴィシャスが出ているのをみて、「なんでこの人は血まみれなんだろう?」って疑問に思ったのが最初。東北の何にもない場所が地元だから、なんかパンクを好きっていうのが悪いことのような感覚もあってお母さんには言えなかった(笑)。80年代のハードコアシーンのピンクのモヒカンの人とかを、ほとんどSF的、スター・ウォーズ的に見ていて、その見た目にハートをがっちりと掴まれましたね。
— そこからアパレルの仕事を始めるのにはどんな経緯があったのでしょうか?
庄司: それに関しては、本当に全部たまたまなんですよね。とにかく東京に行きたいって気持ちが自分の中にあったんですよ。で、文化服装学院ってところなら試験無しで推薦でいけるってことで文化に入って。1年ぐらいは真面目に通ってたんですけど、結局東京に行く=ライブハウスに行ける、レコードもたくさん買えるって頭で上京しているんで、お酒の味とか、そういうものを覚えていくうちに段々と学校には行かなくなりまして(笑)。そんな時にミスターハリウッドってブランドをやっている先輩から声をかけてもらって、たまたま上の人にも気に入られて、働くようになりました。今にしてみれば恥ずかしい話なんですけど、当時はビート・ジェネレーションに感化されていた時期で、ジャズとかアメリカンルーツのロックにはまってましたね。
— 当時のミスターハリウッドはものすごく勢いがあったと記憶していますが、上り調子のブランドを辞めたのにはどんな理由があったんでしょうか?
庄司: この連載風に言えば、自分の中にあるパンクの存在が邪魔したんでしょうね(笑)。ミスハリの運営に関われて、それはそれでとてもありがたい出会いではあったのですが、つい流れで始めてしまった仕事をこなしているその様を、17歳の自分がその当時の自分を見てなんて言うかを考えたら、完全に「FUCK」だなと思って。それで自分にしか出来ないことってなんだろうって考えた時に、やっぱり音楽の仕事をやりたいって思ったんです。
— なるほど。それでは全員の音楽遍歴にも触れることが出来たので初回はこんな感じで。タイトルは『レコ道 ~ 音楽トキワ荘 2015 ~』。次回からはゲストをお招きしてお送りします。