そもそも、ボウリングとは、倒すピンを災いや悪魔に見立てて、それを沢山倒すことが出来たならば、その災いなどから逃れることが出来る、という名目で紀元前5000年頃の古代エジプトで行われていた”宗教儀式”にルーツがあるとされている。
17世紀頃になると、多数の宗教家(清教徒)たちが移住したことで、アメリカでもボウリングが盛んになったが、この頃は、現在の10ピン形式ではなく、”ナインピン・ボウリング”と呼ばれ、菱形に配置された9ピンでの実施が主流だった。
やがて、西部開拓時代のアメリカの禁酒法下において、酒をめぐる賭け事に利用されたことから”ナインピン・ボウリング”は禁止となり、「じゃあ、ピンを1本増やせばOKでしょ」という、あまりにも華麗な法律の掻い潜りによって、現在の10ピン形式にメインストリームがシフトしていった。
宗教儀式、賭け事と、意外にも”アングラ出身”だったボウリングだが、ここ日本における事始めは1861年にまで遡る。長崎居留地のインターナショナル・ボウリング・サロンのオープンを皮切りに、開港されていた横浜や神戸にも次々とオープンし、その後、じわじわと市民権を獲得。そして、1970年前後には中山律子らをはじめとするスタープレイヤーの台頭によって、1度目のブームを迎える。
今回訪れた中野サンプラザボウルも、この頃にオープンし、ブームの一端を担ったボウリングサロンのうちのひとつだ。
中野サンプラザの創業と時を同じくしてオープンした本ボウリングサロンは、サンプラザボウリング、C-BICサンプラザと、経営母体の変遷に伴う2度の名称変更を経て、2014年の12月より、現在の名称となった。
14レーンの2フロア構造、計28レーンからなるここ中野サンプラザボウルだが、B1Fフロアは一般ユーザー向け、B2Fフロアはプロユーザー向けとなっており、大会やプロボウラーによる講習会も盛んに行われている。
また、桑田佳祐ゆかりのボウリング場であり、同人物主催の『KUWATA CUP 2019』では当然のことながら会場として選出されていることは、ボウリング愛好家には周知だろう。