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— そして、ADAMS CAMPのリミックス”We Got”でFebbのラップに衝撃を受けたことから、2人の制作が始まると。
JJJ:当初は、Febbのソロを作るつもりで、俺がトラックだけ作って、Febbに全部ラップしてもらうのがいいなと思っていたんですけど、Febbが「Jさんもラップしてくださいよ」って、すごい言ってきたから、「じゃあ、やるか」って。で、ある時、突然、メールを送ってきたんですよ。「俺らの名前はFla$hBackSでいきましょう」って。「DJはこっちで探しておきます」って書いてあって、それが佐々木だった(笑)。
Fujita:めっちゃ近いところから(笑)。
JJJ:(笑)。まぁ、佐々木しかありえないんだけど。振り返ってみると、『FL$8KS』の曲はFebbがラップを始めて、まだ、3曲目とか、そういう段階でレコーディングに取りかかったものなんですよ。だから、ホントとんでもないやつだなって思ってたし、最初に取り掛かった”G3 -GIN GREEN GLOBAL-”から”OIL MUSIK”と、録るたびに成長していって、それを見るのが好きでしたね。
— Jくんのビートはラップを乗せるのが簡単ではなかったりしますからね。
JJJ:そう。自分で作っておきながら、自分でラップするつもりもなく、誰にやらせるのかも全く考えていなかったので、Febbがやることになったのは偶然の成り行きだったんですけど、それがよかったんですよね。
Fujita:その頃、僕はアメリカに1年留学していて、1、2週間帰ってきたタイミングで会ったFebbから「俺、今、JJJってやつとアルバム作ってるんだよね」って言われて。自分にとってはNO STYLEで観たJJJの印象しかなかったから、「あいつ大丈夫なのか?」って言ったんですよ。
JJJ:はははは。止めとけよって?
Fujita:そこまでは言わなかったけど、「今、レコーディングやってるから遊びに来なよ」って話になったから、上野にあったスタジオに行って、初めてJと話したんですけど、そこで聞かされたトラックに驚きましたね。「えっ!? 前と全然違うじゃん」って。
JJJ:その時、作ってたトラックは以前とは全然違うものだったし、その時はFebbに寄せたものを作っていましたからね。作風が変わっちゃうくらい、俺はFebbに食らってたというか、佐々木にトラックをあげた時もそうなんですけど、「こいつにもっと好かれたい。その能力をもっと引き出したい」って思ってトラックを作るというか、自然とそういうものを作らされる感じなんですよ。
— Febbの方からトラックに関して、何か要望はあったんですか?
JJJ:あんまり言ってこなかったですね。あと、トラックを作った後、その時の雰囲気でトラックにタイトルを付けることが多いんですけど、Febbと佐々木はそのタイトルに沿ったテーマでよくラップしてくれて、ビートの雰囲気や感覚を何も言わずに共有できてたことがすごい嬉しかったですね。ただ、アルバムが出来てからリリースまで1年くらいかかっちゃったんですよ。当時は2人とも金がなくて、当時、17歳だったFebbから「Jさん、サラ金でキャッシングしてきてくださいよ」って言われたりして(笑)、結局、それぞれの親から借りた金を持って、CDを自主制作してくれる秋葉原の会社に行って。その帰りに焼き肉を食ったことも覚えてますね(笑)。