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Photo:Daiky(TOSATUSMA FILMS) | Interview&Text : Yu Onoda | Edit:Keita Miki
※ミックス音源はこちら!(ストリーミングのみ)
— まず、Febbとの出会いについて教えてください。
Fujita:出会ったのは、全世界的にブログカルチャーが流行っていた時ですね。当時、僕はヒップホップを聴き始めたばかりで、Boot Camp Clikだったり、その周辺のNYヒップホップに感化されて、Heltah Skeltahのことをネットで調べていたら、Febbがやってたブログが引っかかったんです。そのブログは好きなYouTube動画を貼って、ちょっと文章が書いてある体裁だったんですけど、その内容は当時自分が聴いていた音楽そのまま。自分がこのブログをやっているんじゃないかっていうシンクロ具合だったんです。それで毎日チェックしていたら、自分もよく出かけていた池袋BEDに遊びに行ってることが分かって。もしかしたら会うかもな、くらいに思っていたんですけど、ある日のブログに「今日、BEDに遊びに行きます。Smif-N-WessunのTシャツを着てるから、見かけたら声をかけてください」って書いてあって、仲間を探してる感じがすごいしたんですよ。その時、僕も将来的に好きなことで食べていきたいと考えているやつを探していたんですけど、自分の周りにはいなくて、そんななか見つけたブログ主のFebbは、当時、中3で、自分よりだいぶ若いけど、この子とは話が合うだろうなと思っていたので、その投稿を読んで、自分もBEDへ出かけて、現場で声を掛けたのが最初の出会いですね。
— その後、頻繁に連絡を取り合うようになった、と。
Fujita:そうですね。2回目に会ったのが、5lackが出ていた代々木公園のB-BOY PARK(2009年)。その時にFebbが連れてきたのが佐々木(KID FRESINO)でした。当時のFebbは何かやりたい気持ちはあるけど、持っていたのはターンテーブルくらいで、それ以外の機材は持ってなかったので、好きな音楽の話をひたすらしてましたね。NYヒップホップに70’sのソウルミュージック、R&Bも現行のものだけじゃなく、90’sのものもめちゃめちゃ詳しくて、ひたすら話が合うし、あいつが薦めてくる曲は全部いい、みたいな感じ。それでB-BOY PARKの時にFebbから「今度、俺、DJやるので、遊びに来てください」って言われて、3度目に遊びに行ったのが、渋谷のNO STYLEでやってたFive Star Recordsのイベント。そこで初めて会ったJJJがライブの1番手で、FebbはDJのクローザーだったんですよ。JJJはまだ今みたいな感じのビートじゃなく、すごい若いなって思ったし、ライブやってる時、客が2人くらいしかいなかった(笑)。
JJJ:はははは。そのイベントは毎月やってて、来てたのは周りの友達だけだったからね。話を戻すと、そのB-BOY PARKは俺も行ってたんですよ。横町(Fujita)とは話してないかもしれないけど、Febbと佐々木はスケボーに乗って現れて、5lackのライブの時にみんなでスケボーを頭上に掲げてた(笑)。
— その時、JくんはFebbのことを知ってたんですか?
JJJ:そうですね。俺は俺で、代々木にあったFive Star Recordsの狭いスタジオに、俺の先輩が「若いやつでイベントをやりたがってるやつがいる」ってことで、Febbと佐々木を連れてきたんですよ。
Fujita:NO STYLEのイベントが終わった後、クラブの前で溜まってて、俺はFebbとJJJが話しているのを黙って真横で見るっていう謎の時間があったのを覚えてますね。その頃のFebbは色んな人に会っていたんだろうし、人生が急に動き始めた時期ですよね。
— Febbは年上に物怖じせず、行動力がありましたよね。だから、交友関係もとにかく広くて、その全貌は本人にしか分からない。
JJJ:コミュニケーション能力が異常に高いんですよ。名刺代わりにビート集を渡してきて、会う度にそれをアップデートしていたから、その成長具合が分かって、面白かったんですよね。
Fujita:全然、家に帰ってなかった……というか、帰りたがらなくて、友達の家から別の友達の家を渡り歩く感じ。
JJJ:最寄りの駅に来てるのに、“今から行っていいですか?”って電話してきたり、終電が終わった時間に“今日泊まっていいですか?”って言ったり。
Fujita:基本的にその場の空気を自分の方に持っていったら、何でも話は通るとずっと思っていたんじゃないかな。
— 話が前後しますが、Fujitaくんはまだ音楽をやってなかった時代のFebbと出会って、その後の彼はどんな感じで音楽を始めたのかご存じですよね?
Fujita:最初はDJだった気がしますね。それで「ミックスっていうものを作りたいんだよね」っていうところから会う度に変な文字と顔の絵が描いてある謎のCD-Rを渡されるようになって、それを愛聴してましたね。入っていたのはヒップホップとR&B、ネタもののソウル、ファンク……。
JJJ:レゲエとかも入ってたよね。その辺は16FLIPの影響だと思うけど。
Fujita:あとは、Sun Raみたいな宇宙っぽいジャズとか。そういう曲をあれこれ入れながら、1枚通して雰囲気があって、それがちゃんとパッケージされていて、14、15歳の選曲としては突き抜けたものがありましたよ。当時はShazamがなかったので、誰かがDJしていて、いい曲がかかったら、ブースまですぐに聴きに行ってましたし、当時、あいつと佐々木はめちゃめちゃデカいCDプレイヤーを持ち歩いていて、BEDの先輩からもらったミックスCDを常にそれで聴いていました。次にその先輩に会った時、「この前もらったあのCDの4曲目に入ってた曲は何なんですか?」って訊いて、情報をインプットしていたから、知識的には大人顔負けですよ。
— そして、DJから次はビートメイク?
Fujita:そうですね。レコードはすでにめちゃめちゃ聴いてたから、MPCが手に入った段階でミックスを作る遊びから今度は延々とトラックを作り始める遊びに変わって。家に遊びに行くたびにトラックを聴かされてたんですけど、MPCの電源を切ってないことでFebbのお母さんから毎回怒られてたことを思い出しますね(笑)。あいつは英語が完璧に聴き取れるわけじゃないし、喋れるわけでもないんですけど、その曲が持っている本当の意味や感情は自然と音楽に表れるじゃないですか。それをつかまえるのに長けていたんですよ。だから、当時、一緒に音楽を聴いていた時、Febbが「母親って感じの曲ですよね」って、何気なく言ってた曲を今聴き直してみるとその曲のリリックでも同じようなことを言ってたりして、そういう意味でも耳がよかったんだと思います。
— Febbが言うところの”心がある”、ソウルに触れる音楽の聴き方というか。
Fujita:そう。そうやって聴いて、心を動かされた音楽をサンプリングして、音楽が作りたかったんだと思います。その際に大きかったのは、BEDでやってた先輩たち。音楽を愛する人たちが多かったから、あいつはかなり影響を受けたんじゃないかなって。