Photo:Takuya Murata | Interview&Text : Yu Onoda | Edit:Keita Miki
※ミックス音源はこちら!(ストリーミングのみ)
— オンラインのレコードショップ、ONDASは、海外のDJやディガーの間で話題となり、海外のカルチャー誌でたびたび取り上げられていますが、まず、ショップを立ち上げた経緯を教えていただけますか?
DUBBY:僕はもともと(今は無きレコードショップ)CISCOの上野店やアルタ店、ハウス店で10年近く働きながら、DJとして活動していたんですけど、2008年に閉店して。これから先どうしようかなと考えた時、ワーキングホリデーの年齢制限ギリギリだったこともあって海外に行こうと思ったんです。DJでは、ディスコやバレアリック、イタロやコズミックをプレイしていて、Idjut BoysのパーティでオープニングDJをやらせてもらったり、音楽的にはアメリカよりヨーロッパのダンスミュージックに向いていたので、行くのはロンドンかなって。そして、行った先には、以前、日本に住んでいて、(DR.NISHIMURA、CHEE SHIMIZUらを要するディガー集団)Discossessionの一員として活動していた(レーベル、Melody As Truth主宰)ジョニー・ナッシュがいて、彼のつてでロンドンのファッション通販サイト、OKI-NIの日本語サイト立ち上げに参加させてもらったんです……って、こんな話からでも大丈夫ですか?(笑)
— (笑)気にせず続けてください。
DUBBY:そのOKI-NIでは、当時、円高ということもあって、ロンドンを始めヨーロッパのハイブランドのアイテムを日本向けに販売することに力を入れていて、日本語の出来る僕がその担当に抜擢されたんです。しかも、その職場が魅力的だったのは、ジョニーや(現在はインドネシア・バリ島在住でレーベル、Island Of The Godsを主宰する)ダン・ミッチェルといったDJ、プロデューサーも同僚として働いていて、音楽に理解がある職場だったこと。だから、MasteredのこのMIX企画のように、HPで毎月アップしていたDJ MIXのキュレーションだったり、服と一緒に売っていたレコードの買い付けも担当させてもらったんです。
— OKI-NIのDJ MIXというと、アンドリュー・ウェザオールのDJ MIXとか、当時、DJ MIXを提供するファッション通販サイト自体、珍しかったですよね。
DUBBY:そうですね。ただ、僕を誘ってくれたジョニーやダンは、その後、退社して、LN-CCというセレクトショップを立ち上げて。自分はそのままOKI-NIに残って以前と同じような仕事をしていたんですけど、彼らとはその後も交流が続いていたんです。
— 個人的にLN-CCはロンドンに行った時に一度おうかがいしたことがあって、映画『2001年宇宙の旅』みたいな内装がものすごく格好良くて、小部屋にハイブランドのアイテムがディスプレーされていたかと思えば、別の部屋にはヴィンテージの写真集やアートブックと並んでメガレア級のレコードが売っていたり、クラブスペースもあって、サウンドシステムもびっくりするくらい音が良かったですよね。個人的に、ファッションと音楽、カルチャーがあそこまで髙いレベルで融合したお店は初めてでしたね。
DUBBY:彼らはレーベルもやっていて、Roxy Musicのギタリスト、フィル・マンザネラのリミックスを瀧見(憲司)さんやCOS/MES、セオ・パリッシュにお願いしたり。あと、このお店の立ち上げに繋がる話としては、2011年だったかな。僕が東京に戻ってからCHEEさんと一緒に、次なる仕掛けとして細野晴臣さんやYMOをはじめ、今、日本のニューエイジ、アンビエントとして注目されている70、80年代のレコードをLN-CCでまとめて販売して。それが耳の早いディガーやDJの間で話題になったんですよ。
— ONDAS立ち上げの流れが見えてきました。
DUBBY:日本に戻ってからも引き続き、OKI-NIの仕事を続けていたんですけど、為替が円高から円安に変わって、海外通販が低調になり、日本からのコントロールも難しくなったところで退社しました。さて、また何をやろうかなと考えた時、OKI-NIやLN-CCと同じことを音楽でやってみたら面白いんじゃないかなって。つまり、日本の中古レコードを海外に向けて販売するサイトですよね。LN-CCで販売した日本のレコードはものすごく反響を呼びましたし、そこでの仕事を通じて知り合った全世界のハードコアなディガーやDJが顧客になってくれるだろうと思ったので、まずは、CHEE SHIMIZUさんのオンラインショップ、ORGANIC MUSICの手伝いから始めて、中南米やヨーロッパに一緒に買い付けに行ったりしながら、2014年にONDASをオープンしたんです。
— なるほど! DUBBYくんのこれまでの経験が全て凝縮されたお店なんですね。お店では、近年、ジャパニーズ・ニューエイジ/アンビエントと呼ばれている70、80年代のレコードをORGANIC MUSICと並んで、いち早く販売されていましたけど、そうしたレコードが注目されたのは、日本で独自に始まった2000年代のオルタナティヴ・ディスコ・シーンに源流があると思うんですよ。
DUBBY:そうですね。DJの時にディスコのテンポにハマるサイケロックだったり、プログレだったり、それまでダンスミュージックとして扱われてこなかった音楽を掘る流れが、イタロやコズミックのブームで加速して、45回転のシングルを33回転の低速でプレイしたり、音楽の捉え方が広がった先でジャパニーズ・ニューエイジ/アンビエントと呼ばれる音楽が再発見されたんだと思います。
— DUBBYくんはどういったレコードがその取っかかりになったんですか?
DUBBY:細野さん関連のYMO以降の作品であるとか、昨年再発になりましたけど、高田みどりさんの『鏡の向こう側』、INOYAMALANDやTEST PATTERNとかですかね。その辺のレコードはいま数万円に高騰しちゃっているんですけど、僕が出会った当時は二束三文で売られていたので、ONDASの仕入れのために、日本全国30県以上のレコード屋を回りましたね。ただ、地方はレコードがあまり回転しないし、その後、レコードが高騰していったので、今の仕入れ先は東京中心ですね。
— ONDASの顧客は海外のDJが多いとか?
DUBBY:名前は明かせませんが、ベテランから若手まで幅広いですね。あと、僕は2015年にベンUFOがRINSE FMでやってるラジオ番組『Hessle Audio Show』にDJ MIXを提供させてもらったんですけど、ベンは素性を明かさず、本名で通販してくれていたんですね。で、あるタイミングで「実は僕はベンUFOという名前でDJをやっているんだけど……」って連絡をくれて、彼がRINSE FMでやってるラジオ番組に僕のDJ MIXを提供して欲しい、と。こういう店をやってると面白い繋がりも生まれるんだなって。あと、日本に来日するDJって、滞在時間に限りがあって、ずっとレコード屋を回っていられないので、いいレコードが手っ取り早く欲しいじゃないですか? だから、「家にレコードを観に行きたいんだけど……」って連絡をくれて、わざわざうちまで来るんですよ(笑)。
— しかし、ベンUFOは、普段、ベースミュージックから派生したテクノ、ハウスをプレイしているじゃないですか? だから、日本のニューエイジ/アンビエントを聴いているのは意外ですね。
DUBBY:そうなんですよ。パブリックイメージではそうかもしれないですけど、プライベートではうちで売ってるようなレコードを聴いてるDJは結構いるというか、DJのプライベートな側面が知れるところはONDASをやっていて面白いところですね。みんな、ダンスミュージックだけじゃなく、広い意味での音楽が好きなんだなって、うれしくなりますね。あと、面白いのは、うちの顧客は後に自分のお店を始める人が多いんですよ。
— というと?
DUBBY:つまり、ONDASと同じことを自分の国でも始めようと考える人が多いんですよ。今の流れとして、アメリカやイギリスから新たな発見がなかなか生まれていなくて、日本のニューエイジ/アンビエントもそうだし、今まで日の当たっていない他の国のディスコや電子音楽、ニューエイジ/アンビエントが注目されていて、アムステルダムのレコードショップ、Redlight Recordsと彼らがやってるレーベル、Music From Memoryの成功がいい例だと思うんですけど、各国で自分たちの国の面白い音楽を海外に向けて輸出するディーラーが増えていて、ONDASもそのきっかけの1つとしてインスピレーションになったり、エデュケーションの場所になったりもしているみたいです。ただ、そうなると、海外に買い付けに行っても掘り出し物は少なくなりますし、値段も上がっちゃったりしているんですけどね(笑)。あと、レコードを買ってくれる人は海外の人が多いんですけど、うちのホームページのアクセスを見ると日本からのアクセスが一番多いんですよ。どういうことかというと、うちで売ってるレコードの情報だけチェックして、他で買うのか、それとも自分のレコードを高値で売るのか。まぁ、ネット全盛のご時世、仕方ないと思ってますけどね。
— レコード・ディールにまつわるよく聞く話ではありますけど、うーん……。ただ、1つ言えるのは、ダンスミュージックや再発のトレンドは元を辿っていくと、レコード・ディーラーがDJに提供する取っておきのレコードだったりしますよね。
DUBBY:そうですね。ディーラーとしては、DJ経由でトレンドを作り出すことで、自分の商売にも繋げていると思うんですけど(笑)、自分としては、ONDASでもそういうことが出来たらいいなと思っているんです。ただ、その流れを盛り上げるためには現行シーンの音楽の流れや再発と連動させる必要があるんですけど、日本のレコード会社はなかなか動いてくれなくて。というのも、海外だと作品の権利はそのアーティストが持っていることが多くて、話がつけやすいんですけど、日本の場合は権利が複雑でなかなか許可が下りなかったりしますし、現行シーンの流れを見ていない日本のレコード会社は状況が過熱して、ある程度の売れる見込みが立たないと、なかなか再発に動いてくれないんですよ。その腰の重さが現行シーンの盛り上がりとタイミングがズレて、注目のされ方が不完全燃焼で終わってしまうんです。
— 大阪のEM Recordsの再発は、そのタイミングが絶妙というか、再発が先んじていて、現行シーンに対する新たな提案になっているからこそ、世界的に評価されているんだと思うんですけど、現状はなかなか厳しいですね。そうかと思えば、海外レーベルから出したいというオファーがあったりすると、今まで動かなかった再発の話が簡単に動いたり、江戸時代の黒船の話と同じというか、自分の国の音楽の価値が自分たちでは分からなくて、海外に持っていかれてしまうというのは情けないというか、悔しい話ですよね。
DUBBY:全くその通りですね。かといって、うちのお店では、新しいトレンドになればいいわけではなく、扱うレコードのストーリー性や流れを大切にしていて、扱うレコードの幅を広げすぎないようにも心がけていて、今年7月にSTUDIO MULEからリリースしたコンピレーションアルバム『MIDNIGHT IN TOKYO VOL.2』では、そのことを念頭に選曲監修させてもらいました。
— レーベルオーナーの河崎俊哉さんが手がけた『MIDNIGHT IN TOKYO VOL.1』は日本のディスコ、ブギーを中心にした内容でしたが、DUBBYくんが手がけた続編は70、80年代の日本のエレクトリックなフュージョンを軸に、選曲されていますよね。
DUBBY:日本の音楽に特化したSTUDIO MULEでは、ATLASの『Breeze』や再レコーディングは河崎さんのアイディアなんですけど、濱瀬元彦さんの『intaglio』と『Reminiscence』の再発を提案させてもらった流れもあって、『MIDNIGHT IN TOKYO VOL.2』ではある程度の制限がある中でエレクトリックなフュージョンを軸に選曲させてもらいました。
— 映画を観ているような、ある種のムードにどっぷり浸れて、なおかつ、洗練されたオリエンタルなテイストがありますし、尖った部分もある。絶妙な選曲だと思いました。
DUBBY:選曲家としてはいつか映画音楽の選曲なんかも手がけてみたいと思っていたので、そう言ってもらえてうれしいですね。選んだ曲はレア度だけで選んだわけではなく、東京の真夜中に聴くサウンドトラックとして、通して楽しめるもの、なおかつ、海外のリスナーにも楽しんでもらえることを意識しました。フュージョンは、いなたくなってしまいがちな音楽ですし、日本ではライセンスの許諾がなかなか降りないこともあって、選曲はかなり難航したんですけど、リリース後、海外からいい反応や次に繋がる話もあったりして、頑張った甲斐があったな、と(笑)。
— そんなDubbyくんに今回制作をお願いしたDJミックスは『MIDNIGHT IN TOKYO VOL.2』のエレクトリックなフュージョンから一転して、ハウスミュージックでまとめられていますよね。最後にこのミックスのテーマや聴き所を一言お願いいたします。
DUBBY:テーマはバレアリックでしょうかね。やはりこのテーマは自分からは外せないのかな(笑)。約10年ほど前に出したミックスCDがあって、それの続編的な意味合いもあるというか。現行のトレンドを辿るとブレイクビーツハウスみたいな音が流行ってる流れもあり、これは今面白いのかなって、当時こっそりプレイしていたレコードを引っ張り出して、新しいものをブレンドした感じです。中にはオブスキュアな和製ハウスやテクノなんかも収録していて、この辺の音は店頭では販売してませんが、DJがうちに来るたびに紹介しているんです。まぁ、でも、何はともあれ楽しんで聴いてみてもらえると嬉しいです。