Vol.76 KEITA SANO feat. サモハンキンポー(Mad Love / 思い出野郎Aチーム) – 人気DJのMIX音源を毎月配信!『Mastered Mix Archives』

by Yu Onoda and Yugo Shiokawa

MasteredがレコメンドするDJのインタビューとエクスクルーシヴ・ミックスを紹介する「Mastered Mix Archives」。今回ご紹介するのは、地元岡山を拠点に、国内外のダンスミュージックシーンで注目度が急速に高まっている若きプロデューサー、KEITA SANO。

2014年にニューヨークの人気レーベル、Mister Saturday Nightよりリリースしたシングル「People Are Changing」によって、世界中のハウスミュージックフリークにその名を知らしめたKEITA SANOは、多彩な作風と抜群の出音を共存させながら、その後も世界各地のレーベルから作品を発表。さらに2016年にはCRUE-Lより『The Sun Child』、プリンス・トーマスの新レーベル、Rett|Flettaより『Keita Sano』という2枚のアルバムをリリースし、怒濤の勢いで行っている作品制作やライヴを通じ、目覚ましい進化を遂げてきた。

そんな彼が今年6月、思い出野郎Aチームのパーカッションにして、DJのサモハンキンポー a.k.a. 松下源と新レーベル、Mad Loveを設立。今回は2人に行ったインタビューとKEITA SANOによる最新ライヴミックス音源を通じて、日本のダンスミュージックシーンに新たな潮流を生み出しつつある20代の才能をここに紹介する。

Interview & Text : Yu Onoda | Photo:Takuya Murata

※ミックス音源はこちら!(ストリーミングのみ)

「2017年の僕の音は、日本人離れしたデトロイト・サウンドにかなり触発されていて。自分の作風をよりフォーカスしているところなんですよ」(KEITA SANO)

— SANOくんは2015年辺りから海外レーベルからかなりのタイトル数をリリースしていますよね。

KEITA SANO(以下、SANO):そうですね。僕は2008年に陶芸を学ぶため沖縄の芸大に入ったんですけど、その頃から本格的に曲を作りはじめて。最初のうちはデッサンをするように、理想とするアーティストの曲を波形図で分析して、それに近づけるように曲を作っては人に渡したりしていたんですけど、真似じゃない、自分なりの黄金の周波数帯を確立できた2014年、15年辺りから、人に渡した曲が一気にリリースされるようになったんです。

— ディスコリエディットからロウハウス、テクノまで作風が幅広いのは、レーベルのカラーに合わせて音源を作って送っていたから?

SANO:見抜かれた!そういうことです(笑)。

— 聞いたところによると、英語ができるお父さんにメールの書き方を教えてもらって、海外のレーベルに音源を送っていたとか。

SANO:うわー、そんなところまでリサーチされてるんですか(笑)。英語を教えてもらってるうちに父ちゃんもクラブミュージックにどハマりしてて、この間「DIXONはよく分からんけど、The Black Madonnaって、でえれぇエエな」っていう話になりました。親父はジャズをめっちゃ聴いている人なんで、やっぱりすげえなって思いましたね。

サモハンキンポー(以下、松下):お父さんには曲についてもいろいろ言われるんでしょ?。

SANO:言われる。「もっとアッパーな曲作らんとお客さんダラダラするんじゃね?」って(笑)。

— ははは。でも、あれだけいろんなレーベルから作品を出してるということは、相当な数の曲を作っているということでしょ?

SANO:そうですね。去年1年間は毎日曲作りをして、1日1曲、遅くても3日に1曲のペースで作ってましたね。じっくり作る時期も必要なんですけど、早くどこまでできるか、スピード感も必要だと思うんですよ。それは芸大に行く前、画塾で学んだデッサンの上達方法を参考にしてて……まぁ、こう見えてもいろいろ考えてるんですよ(笑)。

— そこまで曲作りに駆り立てられるモチベーションは?

SANO:その時ハマっている音楽を作る、ということですかね。ディスコのこの辺にハマってる、とか、デトロイトテクノのこの辺にハマってる、とか、そういう部分を追求していって、「自分でもこういう曲が作りたい」っていう、その達成感のためだけに日々曲を作ってますね。

松下:以前、岡山でSANOくんと2日ぐらい一緒にいた時、だんだんソワソワしはじめて、「アシッドハウス作りてぇ!」っていきなり言いはじめて(笑)。それで「今から作るわ」って、走って帰っていきましたからね。

SANO:あるある。よくある(笑)。そして、一番のモチベーションは(岡山のクラブ、YEBISU YA PROのオーナー)丹正さんのおかげで、毎週クラブで遊ばせてもらえるようになって、踊ったり、酒飲んだり、そこで得た体験も大きくて。それこそ、2014~15年頃はリリースがあれだけ続いていたのに、創造力が枯渇してしまって、曲はできても、納得できるものが作れなくて。そういうキツい時期を乗り越えて、スランプの乗り越え方を学んだり、修行みたいなところもありますね。

— 昨年8月にCRUE-Lからリリースしたアルバム『The Sun Child』も、それこそYEBISU YA PROでやってた瀧見さんのパーティが制作のきっかけになったんですよね?

SANO:そう。遊んでいるうちに、「やべぇ、曲作りてぇ」って盛り上がって、そのパーティ後の土日で2〜3曲作ったんですよ。それを瀧見さんのPAをやっていたエンジニアの得さん(得能直也)に聴いてもらったら、「その勢いでアルバム作ったら? うちに来なよ」って言われて、そのまま車で京都にある彼の家に行って、1~2週間で作り上げたんです。あの時は瀧見さんのDJが衝撃的だったんで、自分の曲作りもかなり冴えてましたね。

KEITA SANO『The Sun Child』
CRUE-Lから2016年にリリースされた実質的なファースト・アルバム。地元岡山のクラブ、Yebisu Ya Proで体験したCRUE-Lオーナー、瀧見憲司のDJプレイに触発され、エンジニア得能直也のもと、約1週間という短期間で完成。濃密なエネルギーがはじけ飛ぶロウハウスからサンプルを活かしたディスコトラックまで、ダンスミュージックの自由な表現を謳歌した作品だ。

— 瀧見さんのDJに触発されたものを、曲作りにどう変換していったんですか?

SANO:瀧見さんのDJは、6年くらい前から体験するようになったんですけど、あの人のプレイには独特な高揚感があるじゃないですか?
そして、去年のアルバムを作るきっかけになったパーティは、創造力が枯渇していた2015年が明けたタイミングとばっちり合ったのか、ずっと踊ってて、自分にとっては、2009年に広島で体験したDJハーヴィー以来の衝撃だったんですよね。そこで体験した高揚感を僕なりにもっと弾けさせるというか、あのテンションをいろんな方向に持っていって曲に落とし込みました。だから、僕が衝撃を受けたあの日の瀧見さんのDJを、アルバム1枚に変換した感じなんですよ。

— そして、『The Sun Child』から3ヵ月後にプリンス・トーマスのレーベル、Rett|Flettaからリリースしたアルバム『Keita Sano』は、前年に江ノ島のOPPA-LAでやったライヴがきっかけになったとか。

松下:思い出野郎Aチームと横浜のパーティ“HEY Mr.MELODY”が組んだ“SOUL OLYMPIC”っていうパーティを、僕が体育の日にOPPA-LAでやってて、そこにハードコアバンドのロンリーだったり、SANOくんだったり、岡山勢を呼んだんです。

SANO:そうしたら、前日のOPPA-LAで瀧見さんとパーティをやった流れでプリンス・トーマスが翌日も遊びに来ていて。

松下:で、SANOくんのライヴを観て、激アガりして、それがあのアルバムのリリースに繋がったんですよ。

— そのライヴもOPPA-LAのためにわざわざ組んだライヴセットだったんですよね?

SANO:そうですね。周りから聞いていた話をもとに、行ったこともなかったOPPA-LAのオーシャン・ビューをイメージしながら、その時のライヴはパソコンだけで作った曲、実機とパソコンで作った曲、そして実機だけで作った曲を混在させたセットを披露したんですけど、トーマスはそこが面白かったみたいですね。

KEITA SANO『KEITA SANO』
ノルウェーのディスコ大使、プリンス・トーマスの新レーベル、Rett|Flettaよりリリースされた2016年のセカンド・アルバム。2015年に江ノ島OPPA-LAでのライヴに向けて制作したライヴトラックをトーマスが偶然耳にし、リリースの運びとなった現場感あふれる1枚だ。

— SANOくんはレーベルカラーに合わせてトラックを作ったり、1曲のなかにアイデアを詰め込んだり、ものすごく器用じゃないですか。その器用さこそが日本人らしいし、海外の人が評価するポイントだったりするんですけど、器用なトラックはパンチが足りない場合も多くて。でも、SANOくんのトラックは出音も素晴らしいんですよね。

SANO:海外の人からまさに同じことを言われているんですけど、俺それであと何年いけますかね?(笑)。じつはそこから今またシフトチェンジしつつあって、制作時の探求がはじまっているんです。先ほどおっしゃっていただいた繊細な部分、細かいギミックを施したトラックと比べると、(デトロイト・ハウス/テクノのプロデューサー)OMAR-Sの昔の音源は、はるかに突き抜けているじゃないですか。だから2017年の僕の音は、日本人離れしたデトロイト・サウンドにかなり触発されていて。自分の作風をよりフォーカスしているところなんですよ。パソコンをメインで使って、波形を見ながらトラックを作っていたところから、実機をメインにどこまでできるのか。今まで築き上げたセオリーが通用しない世界なので、そこで自分らしい音が出せたら評価してもらえるのかなって。

— 去年から今年にかけて、ドイツのパノラマバーをはじめ、海外でライヴする機会が飛躍的に増えたと思うんですけど、そうした経験を通じて感じたことは?

SANO:どこの地域、現場もローカルのDJがいてこそのゲストだなって思いますね。出番前に自分が飯を食ってる間もDJやってくれてるし、そういう人たちがいるからこそ、パーティが成立しているわけで、パーティはみんなで作っていかんといけんなって再認識しているところですね。

— 日本に来る海外のDJって、ピークタイムでプレイすることが多いけど、そのDJの地元で聴くと違ったプレイをしていたり、海外から来るDJがすべてではなく、ローカルでやってる名前も知らない最高のDJもたくさんいるし、そういう体験はその土地に行かないと分からないんですよね。

SANO:ポスト・インターネット世代のDJ云々と言われたりもしてますけど、結局は現場なんですよね。2枚のシングルを出させてもらったMister Saturday Nightのジャスティンとイーモンもそうですもん。現場で実際に会って話してみて分かったこともたくさんあったし、実際、いま、ローカルがめちゃめちゃおもしろくて。俺が住んでる岡山では、フランスのAntinoteから作品を出している井上調、それからALTZさんのレーベル、Altzmusicaから5月にシングルを出したDaisuke Kondoという2人のプロデューサーには注目して欲しいですね。

— 岡山はそれこそBALの江田くんやMONKEY TIMERSのTakeを輩出していたり、クラブだと瀧見さんや石野卓球さんが愛してやまないYEBISU YA PRO、ライブハウスだと70年代から続く老舗のPEPPERLANDとか、ローカルシーンが充実している、そんな印象がありますね。

松下:以前、ペパーランドでDJしたことがあるんですけど、ライヴハウスのノリのままクラブ営業に切り替わった時、SANOくんのライヴでモッシュが起こってて、あれは衝撃的でしたね。

SANO:(笑)カルチャーなのかなんなのか、岡山には独自の面白さがあるんですよ。EDMやトランスのパーティを含め、いろんな人や音楽がミックスされているし、もっと言えば、自分にとってはYEBISU YA PROの存在が大きいですね。

思い出野郎Aチーム『夜のすべて』
DJのサモハンキンポーこと松下源がパーカッションで在籍する7人組ファンクバンドによる、カクバリズム移籍第一弾となるセカンドアルバム。バンドが生み出すダンスグルーヴと共に週末夜のダンスフロアでの一部始終が鮮やかに描き出されている。

— そうした活動もありつつ、SANOくんとサモハンキンポーの2人で立ち上げたレーベル、Mad Loveから今年6月にSANOくんの12インチシングル「Mad Love」、10月にはオブスキュアなソウルバンド、Wool & The Pantsの7インチシングルがリリースされるわけですが、レーベルを設立することになったきっかけは?

SANO:1年くらい前からレーベルをやりたいっていう話をしてたんですよ。

松下:僕も以前、JET SETでアナログレコードの制作をやってて、企業云々のフィルターなしに自分が出したい、カッコイイ音楽を形にしたいと思っていたんですね。そのタイミングでSANOくんから電話がかかってきて、「一緒にレーベルしようや」って(笑)。自分の話をしたわけじゃないのに、これはそういうタイミングなのかもしれないと運命的なものを感じて、レーベルを立ち上げることにしたんです。ただ、その時点で資金もなかったので、JET SETのライセンスでアナログを切ろうと思ったんですけど、SANOくんの音楽にも通じるジャンル不問のオルタナティヴなダンスミュージックのレーベルをイメージしていたら、SANOくんからもらった曲に“Mad Love”っていうタイトルの曲があって、それをレーベル名にした辺りからどんどん具体化していって。「狂気とか愛をテーマにしたらおもしろいかもね」って。それから「Mood Hutのようなカルトっぽい佇まいのレーベルが日本にもあっていいんじゃない?」とか。

SANO:“Mad Love”っていうのは、佐野元春の「Sugar time」っていう曲のサビに出てくる言葉だったりして。

松下:現場感あふれるダンストラックを作りながら、言葉の引用元が佐野元春っていう、そういうオルタナティヴな感覚がいいなって思ったんですよね。

SANO:僕がレーベルを始めたかったのは、自分はダンスカルチャーに根ざして音楽制作を続けてきたんですけど、かつては芸大に通っていたり、お笑い芸人を目指していたこともあったし、音楽以外のアートフォームも含め、その他の表現も許容する広い器が欲しかったんですよね。源ちゃん(サモハンキンポー)はそういう妄想、構想を相談する相手としてぴったりだったし、そう思って連絡したら、即答でやることになって。だから……すげえ、ありがとな。あとでキスしようや(笑)。

松下:はははは。

— 源ちゃんは思い出野郎Aチームのパーカッションでもあるじゃないですか。ご自分ではトラックを作らないんですか?

松下:僕、パソコンを持ってなくて、レーベルを始めるタイミングでようやく買ったくらいで(笑)。ただ、まぁ、DJはずっとやってて、SANOくんから「曲作れや」って言われるから、そろそろ機材を揃えようかなっていう話を30分前にしてたところです(笑)。

SANO:自分もダンストラックは、そっちはそっちでちゃんとやるし、Mad Loveは振れ幅のあるリリースをイメージしてて。源ちゃんはどちらかといえばバンドの人間だし、自分はダンスミュージックで育っているので、お互いが提案しあいながら、おもしろいことができたらなって。

松下:第2弾リリースはWool & The Pantsっていうエクスペリメンタルなソウルバンドの7インチで、B面はSANOくんにリミックスを作ってもらったんですけど、そのリミックスも意外な作風だったりするし、さらに第3弾、第4弾と進めているところなんですけど、ある程度、形になったら、パーティをやろうと思ってますね。

— 20代の立ち上げた新レーベルに大いに期待してます!では、最後にSANOくんに制作してもらったライヴミックスに関して、一言お願いします。

SANO:この企画の話をもらって、すぐに作りました。基本的にいまハマってるノリですよね。ただ、僕はついつい手を加えすぎてしまうので、できるだけ手を加えず、1曲を聴いてもらえる、そんな音源に仕上げたつもりです。それが上手くいってるかどうかは聴く人に判断して欲しいですね。