Vol.72 DJ NORI – 人気DJのMIX音源を毎月配信!『Mastered Mix Archives』

by Yu Onoda and Yugo Shiokawa

MastereがレコメンドするDJのインタビューとエクスクルーシヴ・ミックスを紹介する「Mastered Mix Archives」。メディア立ち上げを記念した特別企画として今回ご紹介するのは、長きに渡って、ダンスミュージックの変遷に立ち会ってきた日本が世界に誇る至宝、DJ NORI。

1979年に地元北海道でDJの世界に足を踏み入れた彼は、その後、上京し、東京のディスコでの活躍を経て、1986年に渡米。〈Paradise Garage〉でクラブDJの礎を築いたラリー・レヴァンの洗礼を受けたほか、ニューヨークの先進的なダンスカルチャーを吸収し、1990年に帰国すると東京の伝説であるクラブ〈GOLD〉のレジデントDJに就任。その後も長年の経験と音を介したフロアとの対話を通じ、チョイス、プレイする最高のダンスミュージックで現在に至るまでダンサーを魅了し続けてきた。

現在は、LOOPで16年続いた〈SMOKER〉を経て、今年で4周年を迎えるAoyama ZEROの〈Tree〉で毎週水曜日、渋谷〈DJ Bar Bridge〉で毎週金曜日のレジデントを兼任。さらに青山CAYで不定期に行われている〈The LOFT〉スタイルのサンデーアフタヌーンパーティ〈gallery〉に加え、昨年よりMUROとタッグを組んで始まった7インチ・ヴァイナル・オンリーのパーティ〈CAPTAIN VINYL〉が世代を超えた支持を集めている彼にDJミックスの制作を依頼。繋ぎ繋がれ、鳴り止むことがない音楽の源泉についてお話をうかがった。

Special Thanks:AOYAMA Zero

※ミックス音源はこちら!(ストリーミングのみ)

一番はお客さんのパワーですよね。それがなければパーティは続かない

— NORIさんのDJキャリアは1979年にはじまったんですよね。

DJ NORI:そうです。2009年が30周年だったので、今年で38年目になりますね。

— 幾多の時代の変遷に立ち会ってきたNORIさんから見て、近年の音楽シーンをどのようにご覧になっていますか?

DJ NORI:僕は敏感に時代の流れをキャッチしてきたというより、自分なりに音楽の流れを理解しながら今に至るんですけど、この10年の変化は大きくて。便利になった反面、なくちゃいけない部分が消えていっている、そんな状況が加速していますよね。ただ、昔のいい部分が見直されて、基本に立ち返っている流れもあるので、ここ何年かは面白くなってきている気がします。

— その基本というのは?

DJ NORI:音楽の基本はジャズやブルースですよね。今は若手のジャズ・シーンが盛り上がってきていて、その影響がクラブミュージックにも波及している。打ち込みの手法には行き詰まりを感じるんですけど、演奏や生音が新たな表現を生み出しつつある。

— 分かりやすい例だと、ジャズピアニストのロバート・グラスパーとか。

DJ NORI:そうですね。(ディスコ・プロデューサー)ジョルジオ・モロダーが70年代に、1曲目から最後までノンストップでストーリーを展開するミックス形式のアルバム(『From Here To Eternity』)を出していて、当時、斬新に感じたそのスタイルが、自分にとってのDJの基本となっているんですけど、ロバート・グラスパーも曲間をなくして、音楽の流れ、ストーリーを生み出そうとしているじゃないですか。要所要所で基本に立ち返りつつ、新しい音楽は生まれているんだなって思うんです。
ハウスミュージックもそうですよね。最初はミックスすることで何倍もおもしろくなる、DJのための音楽として登場したわけですけど、その後どんどん進化して、90年代には1曲の曲として成立するようになった。それがさらにハードなものになったり、温かみがある生音に近いものになり、そうこうしているうちにディスコがリエディットで復権したり。そうやって時代は巡り、音楽スタイルもアップデートされた形で巡っている。そうかと思えば、ロバート・グラスパーやグレゴリー・ポーターのようなメジャー・アーティストもアナログをリリースする時代になりましたからね。

Robert Glasper & Miles Davis『Everything’s Beautiful』
昨年、生誕90周年を迎えたマイルス・デイヴィスのトリビュートアルバム。音楽監督であるジャズピアニストのロバート・グラスパーのもと、スティーヴィー・ワンダー、エリカ・バドゥ、ビラル、ハイエイタス・カイヨーテ、J.Dilla実弟のIlla Jらが参加。ダンスミュージックの影響はシームレスなアルバムの流れに見て取れる。

Giorgio Moroder『From Here To Eternity』
Daft Punk『Random Access Memories』への参加を経て、2015年にアルバム『Deja Vu』でカムバックを果たしたミュンヘンディスコの父。1977年リリースは、彼のシグネチャーサウンドであるシンセディスコがノンストップで展開。その後のダンスミュージックに多大な影響を与えた1枚だ。

— 2011年にNORIさんと対談したTHA BLUE HERBのBOSSくんは、ヴァイナルが聴かれなくなった現状について語っていましたけど、それから6年経って、全世界で再びヴァイナルが見直されています。

DJ NORI:しかも、一方では目に見えない、手に取れないデータ配信が主流になっているからこそ、今はヴァイナルのアルバムそれ自体がアート・ピースとしても捉えられている側面もある。どちらがいい悪いということではなく、その両方を扱えるのがセンスだと思うし、チョイスがたくさんあるのが今の時代の面白いところなんだなって思いますね。

— DJの現場においては、ヴァイナルがあり、CDやUSB、PCという選択肢がありますけど、NORIさんは一貫してヴァイナルにこだわっていますよね。

DJ NORI:音源がいっぱい入ったUSBを知り合いからいただいて、現場で使うこともあるんですけど、普段はほとんどヴァイナルですね。しかも最近、Technicsからグレードアップしたターンテーブルが登場したり、E&Sから発売された真空管のDJミキサーを使ってる若い子もいるじゃないですか。今、70代、80代の人で、昔はジャズやアナログのオーディオ機材にハマっていた、という人はたくさんいたわけで、その頃から現代の視点を交えてアップデートされたアナログ機材の登場も興味深い現象ですよね。

— NORIさんがヴァイナルにこだわる理由を改めてお聞かせいただけますか?

DJ NORI:まずは形があって残るものだし、出てくる音の空気感がクリアで、他のメディアとはまったく違っていて。CDやデータは、小さい音で聴くぶんにはきれいな音が出るので、それはそれでいいんですけど、長い時間音楽を楽しむパーティになってくると、CDやデータでは何か物足りなく感じることがあるし、ボリュームが大きくなればなるほど、ヴァイナルとの差が歴然と表れるんですよね。

— さらに言うと、NORIさんがMUROさんと主宰しているパーティ〈CAPTAIN VINYL〉では、ヴァイナルのなかでも12インチではなく、7インチシングルだけをプレイしていらっしゃいますよね。

DJ NORI:そうですね。ジュークボックス感覚でプレイしているんですけど、7インチと12インチでは音の鳴り方も違って、7インチがシングルの基本フォーマットだった70年代の7インチは、音のアピールの仕方がストレートなんですよ。76年以降、ディスコミュージックに関しては、12インチの方がスペシャルな録音になっていたり、大きい空間に映える音の作りになっているんですけど、短い時間での表現という意味で7インチはおもしろくて、さらにそれを2人でプレイしていると新しい音楽の流れが生まれるので、すごく楽しいんですよね。ただ、曲が3、4分で終わってしまうのでプレイするのが大変で、グルーヴの作り方も変わってくるし、次にかけるレコードがすぐ見つかるように、基本のレコード整理が大切になってくる。そのことに気づかされたことが僕にとっては衝撃で、「ああ、そうだ。ちゃんとしなきゃな」って(笑)。

DJ NORI『Liquid Loft Mix 1』
2006年にリリースされたDJ NORIのキャリア初となるミックスCD。DJハーヴィーのマップ・オブ・アフリカからダンスクラシックのViola Willis「If You Could Read My Mind」まで、独特の空気感と流れを生み出すミックスの巧みが堪能出来る1枚だ。

— はははは。そして、〈CAPTAIN VINYL〉もそうですし、都内では、AOYAMA Zeroで毎週水曜日に行っているレギュラーパーティ〈TREE〉が今年で4周年を迎えるそうですね。

DJ NORI:〈TREE〉に関しては、お店の音響がグレードアップし続けていて、音の表現が立体的なので、12インチだけでなく、LPや7インチを幅広くプレイしていますね。そして、毎週の帯は僕がレジデントの日もあるし、長谷川賢司とMOOちゃんの2人を呼んで、彼らがメインで僕が最初と最後にプレイする日もあるし、Dimitri From Parisやポール・マーフィーといった海外のDJを呼んだりもしているんですけど、そうやっていろんな人が参加することでパーティが広がっていく、っていうのがおもしろいんじゃないかなって思っているんです。〈TREE〉っていうパーティの名前も、そういうイメージから付けたんですよね。

— 〈TREE〉に加えて、渋谷のDJ Bar Bridgeの毎週金曜日、それからGINZA MUSIC BAR第2木曜日のレギュラー。さらに地方や海外と、近年のNORIさんはとても精力的にプレイされていますが、それだけ頻繁にプレイするとなると、レコードのセレクトや整理はどうされているんですか?

DJ NORI:その都度、レコードを入れ替えているので、部屋が大変なことになってますね(笑)。僕はセレクトの段階で決め込まず、その場に合わせてプレイするので、持っていくレコードの量がどうしても多くなってしまうんですよね。さらに週3でレコード屋を回るのを日課にしてて、そこで新譜をチェックして、常に回転させていますね。

— しかし、今のクラブはワンショットやマンスリーのパーティがほとんどで、NORIさんのように帯でプレイするDJはいなくなってしまいましたよね。

DJ NORI:まぁ、帯でDJするのは大変なんですけど、自分が推したい曲は帯でDJする時、常にレコードバッグに入れて必ずかけるようにしているので、毎週遊びに来てくれる人たちはそれを分かってて、覚えてくれたり、そういうお客さんとのコミュニケーションも増えてくるので、そういう部分が帯のDJの面白さだったりするんです。僕がニューヨークで暮らしていた時、デヴィッド・マンキューソがロフトで毎週プレイしていた時も、ラリー(・レヴァン)がパラダイス・ガラージで毎週プレイしていた時もそういう部分が楽しかったので、そういう帯のDJならではのアピールの仕方を自分も変わらず続けているんです。

映画『MAESTRO』
ラリー・レヴァンやデヴィッド・マンキューソ、ニッキー・シアーノといったDJのパイオニアにスポットライトを当て、ダンスミュージックのルーツとその発展の歴史に迫ったドキュメンタリー映画。DJ NORIはこの作品に世界のダンスミュージックシーンに最も影響を与えたパイオニアの1人として出演を果たしている。

— そして帯のDJのいいところは「その日その場所に行けば、そのDJがやっている」という安心感があるところだな、と。しかも、〈SMOKER〉や〈TREE〉はウィークデイのパーティというところが、遊んでいる身としてはその存在自体、心強いというか。

DJ NORI:自分としては続けさせてもらっているので、ありがたいことですよね。僕も人間なので、当然、波もあるんですけど、みなさんに支えられてここまでやってこられたなって。

— 今はなき青山LOOPで毎週水曜日にやっていた〈SMOKER〉が16年、AOYAMA Zeroの毎週水曜日の〈TREE〉が今年で4年。つまり、20年に渡って、青山の地下で揺るぎないグルーヴを紡ぎ出してきたということになりますよね。

DJ NORI:気づくとヤバいですよね。だから、自分ではそのことになるべく触れないようにしているんですけど(笑)、〈SMOKER〉の前には青山MIXでやっていたし、青山CAYで不定期にやっている〈GALLERY〉も今年で19年目だったりするし、たまたまではあるんですけど、青山という街とは何かと縁があって。そんななか、毎週、帯で担当しているDJは体力的には決して楽な仕事ではないので、ジムに通っていたこともありますし、今は自転車が自分の生活では欠かせないものになっていて、ピストに乗っていたこともあるし、今は太いタイヤの自転車に乗って、あちこち移動してストレス解消がてら楽しんでますね。

— 30周年を記念した30時間のプレイは極端に長時間でしたが、NORIさんのDJは調子がいい時はかなりのロングセットになったりするじゃないですか。あのスタミナはどこから生まれるんでしょうね?

DJ NORI:一番はお客さんのパワーですよね。それがなければパーティは続かないというか、頭が回っていかないというか、お客さんのパワーがミックスされて初めて達することができる高みがあるので。エネルギーの源は体力ではなく、気持ちやコミュニケーションから生まれるんだと思いますし、フロアとのコミュニケーションはDJの基本中の基本ですよね。流れのなかで自分勝手にいく時間もあるのかもしれないですけど、お客さんとキャッチボールができなければ、DJにはなれないと僕は思っているんですけどね。

DJ NORI『Take The N Train -Nori’s Mix-』
彼にとってのダンスクラシックにフォーカスした2015年のミックスCD。長年の経験に育まれた説得力がクラシックを輝かせる、その奇跡的な瞬間に立ち会うことが出来る。なお、7月にはT.K. Recordsの膨大なカタログから選曲したミックスCDのリリースが予定されている。

— 自分には波があるということでしたが、長いキャリアを通じて、NORIさんにとっての転機についてはいかがですか?

DJ NORI:北海道から東京に出てきて、1983年、23歳の時に初めて行ったニューヨークに26、7歳から住み始めたことが最初の転機ですよね。若い頃は放浪癖があって、東京に出てきた後、3、4ヵ月沖縄にいたり、また東京に戻ったら今度は札幌に帰って、その後は熊本、札幌を経て、ニューヨークに3年。90年に東京に戻って、芝浦GOLDのレジデントを任されたんですけど、東京の流れについていけなくて、またニューヨークに戻ったり(笑)。だから、ホントに落ち着いたのは97年頃だったりするんですけど、今にして思えば、様々な土地で経験したことは自分の糧になっていて。音楽の転機は、最初にディスコから入って、10代はソウルミュージックにハマって、DJが職業になってからは様々な音楽を聴くようになったし、ニューヨークではラリーやデヴィッド・マンキューソ、フランソワ・ケヴォーキアンなんかに会って、彼らがDJを通じて表現する音楽世界の幅広さにヤラれて、ニューヨークの街に吸い込まれていったという(笑)。

— 青山CAYで行われている〈GALLERY〉は、昨年末に亡くなったデヴィッド・マンキューソのパーティ〈THE LOFT〉に触発されて始まったパーティなんですよね?

DJ NORI:そうです。ラリーの先生にあたるDJだと聞いていたので、〈THE LOFT〉にプレイを聴きに行ったら、パラダイスガラージとはまた違う、考えられないくらい素晴らしいサウンドシステムで、1曲1曲を大事にする繋がないプレイスタイル、流れで、同じ曲でも違った意味合いに聞こえるんですよ。ただ、あまりに独創的なスタイルだったので、日本に来ることはないだろうなと思っていたら、98年にいきなり来日して、ニューヨークと同じことを日本でもやっていたので、そのことにも感動しましたね。ただ、当時は〈THE LOFT〉のような音響システムはなかったので、2000年に入って、札幌のプレシャスホールがKlipschのホーンスピーカーを揃えたり、みんながハイエンドのサウンドシステムを追求するようになったし、自分たちも札幌に追いつこうとKlipschを購入して、パーティをやってるんですけど、まだまだ追求の余地はあって、彼のスピリットを受け継ぎながらやり続けようと思ってます。

— デヴィッド・マンキューソも愛したプレシャスホールをはじめ、北海道からはNORIさんをはじめ、Tok.Mさんや藤原ヒロシさんの師匠であるHEYTAさんといった、パラダイスガラージを経験したDJが輩出された土地でもあるんですよね。

DJ NORI:そうですね。若い頃からみんなで刺激し合いながらやってた時期があって、みんな、ニューヨークでラリーのプレイを体験して、そのスピリットを忘れずにやり続けてきて。僕と同級生のHEYTAは、色々理由があって今はDJをやっていないですけど、Tokさんはスピーカーを自作したThe HAKATAというお店をやってて、すごいなと思いますし、みんな、時代は変わっても、ずっとやっているので、自分も刺激を受けながら今に至るって感じです。続けていくのはホント大変ですけど、続けていけるんだなって思ったりもする。もちろん、僕がDJをはじめた頃、ここまで続けられるとは考えもしなかったんですけど、続けているうちにその奥深さに気づかされて、その先をどんどん進んでいったら、気づけば10年、20年と経っていて。そういう時間の流れもありつつ、いつの時代も新しい音楽が出てくるじゃないですか。そういうものをどんどん吸収しながら、興味がない音楽が流行っている時は基本に立ち返って学んだりもしてここまで続けてきたら、あれ?もうすぐ40年なのかっていう(笑)。体力的にも、気持ちの上でもめげることはもちろんありましたし、今もありますよ。でも、いいパーティでお客さんからエネルギーをもらうとまたちょっと進めたりもしますし、調子が悪くても、DJをはじめたら、ぱっと切り替わったりもする。ちょっとしたきっかけで変わるのは、DJに限らず、何でもそうなんじゃないかって、今はそう思っていますね。

— 最後に制作をお願いしたDJミックスについてコメントをお願いします。

DJ NORI:毎週プレイしているAOYAMA Zeroで録音したのですが、〈Tree〉でのプレイをベースにしつつ、新しいディスコブギーな選曲でまとめてみました。気に入っていただけたら、ぜひ〈Tree〉にも遊びにきてみてください。