Vol.37 Nick The Record – 人気DJのMIX音源を毎月配信!『Mastered Mix Archives』

by Yu Onoda and Yugo Shiokawa

MasteredレコメンドDJへのインタビューとエクスクルーシヴ・ミックスを紹介する「Mastered Mix Archives」。今回登場するのは、日本を代表するアンダーグラウンド・パーティ、Life ForceのDJとして、そして、TAICO CLUBのクロージングDJとして、20年以上に渡って日本のダンスフロアを支えてきたイギリスのDJ、ニック・ザ・レコード。


驚異的な持久力と驚きに満ちた長時間のプレイを特徴とする彼は、レコード・ディーラーとしても、ハーヴィーをはじめ、世界中のトップDJにシークレット・ウェポンを供給し続けている、その名の通りのヴァイナル・ジャンキーでもある。そして、今回、9月にパーソナルな視点でチョイスしたメガレアなディスコ&ブギー満載のコンピレーション・アルバム『Under The Influence』のリリースを控え、彼の長きに渡るキャリアを紐解くインタビューを敢行。去る5月30日に江ノ島OPPA-LAで録音されたライヴミックスと併せてお楽しみください。

※ミックス音源はこちら!(ストリーミングのみ)

DJのいいところはいろんな音楽の中を旅するように誘って、別の場所へ連れていってくれるところだったりするでしょ。 だから、変な曲をかけて、いたずらしてみたりもするし(笑)、そういう選曲は自分自身への挑戦でもあるんだ。

— ニックはいつ頃からDJを始めたんですか?

ニック:86年ぐらいかな。自分の部屋で練習するようになって、初めて、クラブでプレイしたのは、87年か88年だったと思う。
当時18歳だった僕はロンドンに住み始めていたんだけど、知り合いがあまりいなかったこともあって、ロンドンから少し離れた地元、セント・オールバンズの知り合いに誘ってもらってDJしてたよ。ロンドンでの初めてのギグは、89年〜90年頃だね。

— 当時はどんな音楽を聴いていたんですか?

『Life Force』 日本を代表する老舗アンダーグラウンド・パーティ、Life Forceが1999年にリリースしたオフィシャル・ミックスCD。90年代UKハウスのアナーキックなムードをディープなダンスフロアに注ぎ込んできたニックの手腕がタイムレスな魅力を放っている。

『Life Force』
日本を代表する老舗アンダーグラウンド・パーティ、Life Forceが1999年にリリースしたオフィシャル・ミックスCD。90年代UKハウスのアナーキックなムードをディープなダンスフロアに注ぎ込んできたニックの手腕がタイムレスな魅力を放っている。

ニック:おもにエレクトロやヒップホップだね。11歳か12歳ぐらいの時にエレクトロと出会ったんだ。なかでも、Street Soundレーベルのコンピレーションから受けた影響が大きかったよ。『Street Sounds Electro』が出る前に『Street Sounds』っていうコンピレーションがあって、当時、流行のダンスミュージックの中に、エレクトロの曲が1〜2曲入ってたんだ。例えば、Tyron Brunson & The Smurfとかね。ただ、当時はどういうジャンルなのか、よく解からないまま聴いていたんだ。そして、その後リリースされた『Street Sounds Electro』シリーズの1、2、3で完全に虜になってしまってからは、エレクトロとヒップホップをずっと聴いたり、ミックスするようになったんだけど、自分のターンテーブルを買う86年より前は、よく友達の家のターンテーブルを借りて練習してたんだ。今のようにジャンル分けされていなかったから、大好きだったヒップホップのレコードだけじゃなく、ソウルに繋いだり、当時、最新の音楽だったハウスもハウスと認識せず、ヒップホップとミックスしていたよ。

— そういえば、ニックが運営しているオンラインのレコード・ショップ、DJ Friendly Recordのエレクトロ・セクションのコメントで、自分のことを"Aging B-Boy"(年取ったB-BOY)と形容していますよね?

ニック:昔はブレイクダンスやポッピングなんかをやってたからね。小さなクルーを作って、小箱でよく踊ってたんだ。

— クルーの名前は?

ニック:OCC、Outta City Crew(よそ者軍団)だよ。小さな街に住んでたからね。実は同じクルーに、今、クレアモント56っていうレーベルをやってるポール・マーフィー(a.k.a. Mudd)がいたんだ。彼とは地元が一緒でね、一緒に音楽を聴いたり、ブレイクダンスを踊ったりしていたよ。

— パーティの終わり頃、たまにフロアに出てきて踊ったりしているニックの動きがブレイクダンスっぽいのは、そういうバックグラウンドがあったからなんですね。

ニック:一回、ロンドンの小さな大会で優勝したこともあるしね。メンバーそれぞれはそんなに上手くはなかったんだけど、集まると、いいルーティンが組めたんだ。当時はオックスフォード・ストリートにSpatsという小さなクラブがあって、土曜の昼過ぎに年齢制限なしのヒップホップ・パーティをやってたからよく遊びに行ってたよ。ティム・ウェストウッドやDJポゴなんかがプレイしてたんだけど、そこで踊ってるダンサーのブレイクダンスはみんなすごかったんだ。僕らは恥ずかしいから踊らずに見守るだけだったけどね(笑)。
そして、Spatsに行った後はGroove Records、80年代にあった(伝説的なヒップホップ系)レコード・ショップなんだけど、そこに寄って余裕がある時はUSのインポート盤を1枚買っていたよ。16歳だったから、お金はあまり持ってなかったけど、当時、僕の土曜日の過ごし方はそんな感じだったね。

— 当時、初めて聴いたハウス・ミュージックは、エレクトロ・ヒップホップの進化系として捉えていたんですか?

Life Force - mixed by Nick The Record -  2005年にAVEXよりリリースされたニックのミックスCD最新作。サイケデリック・フィールを溶かし込んだ都会的なスムースネスが堪能出来る極上の1枚。

Life Force – mixed by Nick The Record –
2005年にAVEXよりリリースされたニックのミックスCD最新作。サイケデリック・フィールを溶かし込んだ都会的なスムースネスが堪能出来る極上の1枚。

ニック:まだ、若かったし、そこまでは考えてなかったかな。いいレコードだなっていう程度の認識だよ。ただ、今はこのレコードをかけた後にこれをかけるってルーティーンが決まりがちだけど、当時はジャンルが細分化されていなかったこともあって、柔軟な発想で繋ぎ方にも色んなバリエーションがあったかもしれないね。ハウス・ミュージックをしっかり認知するのはもっと後の話。じつはハウスにどっぷり浸かる前は、レアグルーヴにハマってたんだ。87年から89年頃にかけて、ロンドンではレアグルーヴ・シーンの規模が大きかったんだよ。

— ロンドンのレアグルーヴ・シーンというと、当時、ソウルⅡソウルがウェアハウスでやっていたパーティとか?

ニック:そうそう、ソウルⅡソウルやノーマン・ジェイの「Shake’n’Fingerpop」とかね。僕は一時期、ロイ・ザ・ローチとよく遊んでたよ。後にハウスDJになる彼は、それ以前、レアグルーヴやファンクをプレイしていたんだ。当時、興味深かったのは、アシッドハウスの登場がかなりの大事件だったから、その登場に恐怖を感じたレアグルーヴのDJたちはアンチ・アシッドハウス・パーティを企画してハウスを閉め出してたということ。レアグルーヴ、ソウルやジャズが好きな人たちにとって、アシッドハウスは無機質過ぎる音楽だったから嫌いな人が結構いたんだ。

— ニックもアンチ・アシッドハウス派だったんですか?

ニック:若い時は影響されやすいものだろ?だから、一時期、僕もハウスを避けていたんだけど、レアグルーヴからレアディスコ、ディスコ・クラシックと掘るようになった88年終わりから89年くらいにかけて、ハウス・ミュージックというのは、ディスコをドラムマシーンで再現した音楽だと気づいて、その良さが理解出来るようになったんだ。そして、ウェアハウスのアシッドハウス・パーティに通うようになった。誰がプレイしていたかは思い出せないんだけど、当時は今と違ってひどいハウスのレコードがリリースされていなかったから、ひどいDJもそんなにいなかった。最高とまではいかなくてもみんなそれなりに聴けるレベルだったというか、キッド・バチェラーとかリズム・ドクターといったDJのプレイは実際かなり良かったんだ。

— ハーヴィーが一員だったTonka Sound Systemのパーティに行くようになったのは?

ニック:89年頃、僕はソーホーのレコード屋で働き始めることになるんだけど、そこで色んな人と知り合うなかで、誰かに「Tonkaっていうブライトンでやってるパーティに遊びに来なよ」って誘われたんだ。それで月曜の夜にロンドンからブライトンまで出掛けていったんだけど、ZAPっていうクラブが夜中の2時に締まった後、砂浜にシステムを運んで、朝までパーティさ(笑)。とにかく、クレイジーなパーティだったから、朝になると出勤する人たちや砂浜を散歩する人たちから変な目で見られたりしてたよ(笑)。
当時、ロンドンには海賊放送でディスコやソウル、ハウスをかける良質のラジオ・ステーションがあって、ハーヴィーはそこでディスコをよくプレイしていたんだけど、彼と(レコード・ディーラーにして、伝説的なリエディットレーベル、BLACKCOOKを運営することになる)ジェリー・ルーニーとは見つけたディスコ・レコードの情報を交換してたね。

Soul Ascendants 『Variations』 ニックと盟友のマルチ・インストゥルメンタリスト、ティム・ハットン、そして、伝説的なアフロ・ドラマー、トニー・アレンが集結。1999年のアフロ・ハウス傑作アルバム。

Soul Ascendants 『Variations』
ニックと盟友のマルチ・インストゥルメンタリスト、ティム・ハットン、そして、伝説的なアフロ・ドラマー、トニー・アレンが集結。1999年のアフロ・ハウス傑作アルバム。

— 極めつけのディスコ狂が集まったというわけですね。

ニック:そして、91年には(現在も続くロンドンを代表する大箱クラブ)ミニストリー・オブ・サウンドがオープンして、ジャスティン・バークマンがミュージック・ディレクターを担当することになった。そして、80年代にパラダイスガラージを体験した彼がラリー・レヴァンをはじめとするNYのDJたちを週末のミニストリー・オブ・サウンドに呼んだんだけど、彼らは大抵、金曜日にシークレットでハーヴィーのパーティ、Moistでプレイしていたね。Moistはコヴェント・ガーデンのガーデニング・クラブっていう小箱でやってたから、そこでプレイするNYのDJたちは、ミニストリー・オブ・サウンド用の大箱セットではなく、小箱用のセットだったこともあって、僕らはそこでディスコクラシックを勉強してたんだ。

— 当時働いていたレコード・ショップではどんなレコードを扱っていたんですか?

ニック:昔のブラックミュージックやヒップホップ、ハウスもいっぱいあったね。セカンド・サマー・オブ・ラヴの時期は、土曜日になると、店の前に長い行列が出来たり、いま考えると、熱に浮かされたような、独特なムードがあったよ。

— 当時の経験が今のDJであったり、レコードディーラーとしての下地になってるんでしょうか?

ニック:そうだね。じつは僕が17歳の時に亡くなった父が、遺産を少し残しておいてくれたんだ。だから、そのお金で何年かはたまにバイトして、ひたすらレコードを買うという生活を送ってたね。勉強している自覚はなかったけど、当時の生活が僕にとっての大学生活だったよ。

— 今も続くレコード・ディーラーの仕事は一箱のレコードから始めたとか?

ニック:そうそう。レコードを買う時は大体2枚買いしていて、いいレコードは、さらにもう何枚か買ってたんだ。もともとはそうしたレコードを友達とトレードしてたんだけど、みんな、そこまでレコードを持ってなかったから、売るようになったんだ。レコード市もやったよ。ジェリーと一緒に4箱づつ持ち寄ったんだけど、あまりにも売れないからビックリしたよ。だって、自分がレコードを買うときはいつも山積みだからね(笑)。でも、一箱から少しづつ在庫を増やしていって、今や、三階建ての家がレコードでほとんど埋め尽くされてるっていう。

— 今の時代、インターネットなどでレアなレコードやその情報が簡単に手に入りますけど、当時はレコードや情報を手に入れるためには時間や手間がかかったし、実際に足や手を動かす必要がありましたよね。

ニック:当時は誰かから良いレコードの情報を教えてもらってから手に入れるまで、8年とか10年かかることもあったからね。例えば、1990年にロンドンでディスコのレコードを探してたとする。当時は4人ぐらいしかディスコ専門のレコード・ディーラーがいなかったから、まず彼らに聞くんだ。そこで彼らに「ない」と言われたら、お店に行って探すんだけど、あればラッキーぐらいのものだから、1年探して手に入らなかったら、またディーラーに聞く。そこで見つからなければ、世界を旅して探す。そんな感じだった。でも、自分は主にイギリスで買ってたね。当時、良質な通販専門のレコード・ショップがあって、その店はアメリカの音楽ライターと繋がっていたこともあって、いいレコードが揃ってたんだ。あとはロンドンの中心街でなく、郊外のレコード・ショップやレコード・フェアだね。ショップでよく覚えているのは、レアグルーヴが流行ってた時期のカムデン・マーケット近くの地下にあった店。店主の男はとにかく偏屈で、いつも機嫌が悪いんだけど、売ってるレコードの品揃えは素晴らしくて、7インチは全部5ポンドだった(笑)。そこではいいレコードをたくさん買わせてもらったな。

— レコードディーラーとして、どこかへ掘りに行った際のおもしろいエピソードは?

Various Artists / Disco Juice:The Funky Sound Of Harlem's P&P Records パトリック・アダムスとピーター・ブラウンによる伝説的なディスコ・レーベルに残された膨大なカタログからニックが厳選したコンパイル。続編のVol.2もリリースされた。

Various Artists / Disco Juice:The Funky Sound Of Harlem’s P&P Records
パトリック・アダムスとピーター・ブラウンによる伝説的なディスコ・レーベルに残された膨大なカタログからニックが厳選したコンパイル。続編のVol.2もリリースされた。

ニック:アメリカのイリノイ州にHorizons Musicっていう巨大なメール・オーダー専門店があって、そのカタログは年代の古いものほど高く、新しいものほど安くなる価格設定で、アルバムはいいものほどすぐに売れてしまうんだけど、12インチのシングルは全て6ドルなんだ。確か、そのお店の一番の上客は(今はなき日本のレコードショップ)CISCOだったはずだけど、ある時、その店の倉庫に入れてもらったんだ。アルバムは既に掘り尽くされた後だったんだけど、12インチ・コーナーは僕にとって金鉱だった。一番始めに取りかかった棚には、後に『DISCO JUICE』というコンピレーションを監修することになる(ディスコ・レーベル)P&Pのシングルがぎっしり並んでいたし、狂喜しながら、15,000枚くらいを山積み買わせてもらったんだけど、じつはそのお店にはもう1カ所倉庫があったんだ。

— おお。

ニック:そこは大きなビルの5階にあって、同じフロアに木工所のような工場が入っていたところだったから、店の人はあまり行って欲しくなかったみたいだったけど、なんとか無理を言って入れてもらったよ。それから一週間くらいかけて、その倉庫に通ってはレコードを掘ってたんだけど、初めの2日は掘るのに夢中になりすぎて、入口を閉められて、閉じ込められたり(笑)。あと、一番の問題は、そこにはトイレがなかったんだ。だから、毎日大きなバケツに用を足してたんだよ。そして、1週間後に何十箱ものレコードを台車で運ぶ時、一番上にトイレ代わりに使ってたバケツを置いて、リフトで階を移動しようと思ったら、床とリフトのちょっとした段差に台車が当たって、バケツが落ちてしまったんだ(笑)。あの瞬間は本当に焦ったね。結局、レコードは無事だったんだけど、リフトの床が汚物まみれになっただけでなく、下の階までしたたり落ちてしまったりと散々だったよ。でも、買ったレコードは最高だったから、それでおあいこだね。

— 2年前にも、アメリカで個人所有のものすごい量のコレクションを買ったと言ってましたよね?

ニック:そのコレクションの話は、8年程前に持ち主が亡くなってすぐ聞いていたんだけど、法的な相続手続きの関係ですぐには売ってもらえなかったんだ。そして、8年後に手続きが完了したと連絡があったんだけど、その直後にDJで呼ばれたクロアチアで事故に遭って、背中を痛めてしまったんだ。一時は入院したくらいの状態だったんだけど、ヴァイナル・ジャンキーだから我慢出来なくて、結局、背中の痛みを押して、アメリカに出掛けて行ったよ(笑)。手に入れたコレクションが素晴らしかったのが唯一の救いだったね。『High Fiedelity』っていう映画を観たことあるかい?あの作品では、主人公がずっと探し求めていたコレクションに出会うシーンで「一生に一度出会うか出会わないかのコレクションだ」って台詞があるんだけど、僕はこの何年かの間で一年に一度はそういうコレクションに出会ってるよ。そのほとんどが、60〜70年代に音楽業界にいた人のコレクションなんだ。

— そういったコレクションを手放す人の情報は風の噂で入ってくるものなんですか?

ニック:まず、大きなコレクションを買う時はその人と気前よく取引して、コレクションを持っている新たな人を紹介してもらう。良い取引をすれば、ちゃんと紹介してくれるのでそれを次から次へと数珠繋ぎに続けていくんだ。それから、コレクションを手放そうとしている人を教えてくれた人にも手数料を払ったりするね。たまに人からやり過ぎなんじゃないかと言われるんだけど、僕はアメリカに住んでるわけじゃないから、いいコレクションと出会うにはそうするしかないんだよ。そうした取引を通じて、最近発見したのは、CDが出てきたタイミングで、大半の人がレコードの時代は終ったという言葉を信じて、コレクションを売り飛ばしたということ。最近はそのタイミングで手放さずにずっと持ってた人のコレクションを買ったりしてるんだ。買い取れるまでに友達が2〜3年かけて持ち主を口説いてやっと売ってもらえるんだけどね。

— 長年、培ってきた音楽の豊富な知識を活かしながら、DJの際にはどうやってセットを組み立てていくんですか?

Felix Dickinson & Nick The Record『Unbreakable』 Life ForceのDJとして活躍していたニックとフェリックスが初のタッグを組んで2014年にリリースしたスペシャルなオリジナル・トラックス。

Felix Dickinson & Nick The Record『Unbreakable』
Life ForceのDJとして活躍していたニックとフェリックスが初のタッグを組んで2014年にリリースしたスペシャルなオリジナル・トラックス。

ニック:じっくりゆっくりだね。前座DJの多くはいい時間にプレイしたがって、早い時間に力みすぎた無茶な選曲をしがちだけど、僕はそういうDJが苦手なんだ。だから、じっくりゆっくり、出来れば、パーティーの始めから最後まで時間をかけて、人を引き込んでいきたいんだ。そうすることで、お客さんも長くフロアにいられるんじゃないかな。セットは事前に仕込むというより、色んな種類の音楽を持って行くという感じ。ただ、いいセットを構築するにはレコードを熟知してないとね。その上で、相性のいい曲を感覚的に繋いだり、方向性を瞬時に定めていくんだ。

— ニックはロングセットが特徴であり、大きな魅力でもあるDJだと思うんですけど、最長で何時間ぐらいプレイしたことがあるんですか?

ニック:たしか、16時間だね。20時間以上やったりするティミー・レジスフォードには負けるけど、16時間やったときは終わりに近づくにしたがって、ミックスはさすがに雑になってしまったけど、それよりもプレイ時間が長くなるにつれて、ナチュラルハイでトリップするね(笑)。友達には「ニックは、普段、テンションが決して高い方ではないけど、持久力があるよね」と言われたことがあって、確かに僕は遊びに行っても、大はしゃぎすることはないけど、パーティが終った後でも誰かの家に遊びに行ったり、ずっと力尽きずにいられるんだよね。僕のDJのスタイルもそんな感じかもしれないね。

— 93年の初来日以来、Life ForceというスペシャルなパーティのDJとして、20年以上に渡ってプレイしてきた日本のフロアにはどんな印象をお持ちですか?

ニック:日本のみんなが僕のスタイルを好いてくれているのは、とてもラッキーだと思う。なんせ、僕は自分の好きなものしかプレイしないし、DJとしてはすごくわがままだからね(笑)。逆にヨーロッパでは、日本でやってるような好き勝手なプレイをするのは難しいんだ。どうして、そういう違いが生まれるのか。理由は色々あると思うけど、一つには長い時間をかけて、日本のみんなと築いてきた信頼関係が大きいと思う。僕が変な曲をかけて、初めは戸惑っても、方向性が見えるとみんな結局ついて来てくれるしね。お客さんにはそういう驚きを常に期待していて欲しいんだ。DJのいいところはいろんな音楽の中を旅するように誘って、別の場所へ連れていってくれるところだったりするでしょ。 だから、変な曲をかけて、いたずらしてみたりもするし(笑)、そういう選曲は自分自身への挑戦でもあるんだ。
今の時代、DJになるのはとても簡単な事だし、実際お客さんが喜びそうなレコードはいっぱい作られているから、それを順番にかけてけば、その場はなんとなく成立してしまう。今のヨーロッパのDJも大体そんな感じだよね。でも、僕にとって、そういうDJはとても退屈なんだ。もちろん、お客さんが踊りやすいレコードも少しは持っていくけど、長い時間のプレイで自分が退屈しないように、タイミングやシチュエーションが問われるレコードはこれからも挑戦的にプレイしたいね。

— ニックは、Soul Ascendants名義でリリースしたアフロ・ハウスの名作『Variations』ほか、数々の作品もリリースしていますが、Eneよりリリースした最新シングル「Unbreakable」は、旧友のフェリックス(・ディッキンソン)とキーボーディストでもあるカイディ・テイタムとの共作曲なんですよね。

ニック:最初のきっかけは、フェリックスが僕の家で聴いていた一枚のレアなレコードなんだ。彼がそのレコードをリエディットしたいと言い出してね。それで彼の家で作業を始めたんだけど、そのレコードは、電子ドラムの上でギターやその他の楽器がジャムってて、そこにアフリカンなヴォーカルが乗っている変わった曲で、エディットして使えるところがあまりなかったんだ。ただ、グルーヴ感はすごく良かったから、エディットではなく、この曲をもとにオリジナル曲を作ろうということになったんだけど、僕ら2人では限界があったから、カイディにキーボードを弾いてもらったんだ。フェリックスはヴィンテージのキーボードをたくさん持ってるから、欲しい音を探して弾いてもらった。Aサイドの「Unbreakable」はそうやって作られたんだ。

— リリースのペースを考えると、プロデューサーとしてのニックもDJ同様、ゆっくりじっくり作品をに取り組むタイプということになるんでしょうか?

Various Artists / Under The Influence Vol.4 世界のディスコ・ヴァイナル・ジャンキーがパーソナルな視点でメガ・レアなディスコをピックアップ、リエディットしたシリーズ・コンピレーション。その第4弾はディスコの歴史とフロアを知り尽くしたニックが担当。

Various Artists / Under The Influence Vol.4
世界のディスコ・ヴァイナル・ジャンキーがパーソナルな視点でメガ・レアなディスコをピックアップ、リエディットしたシリーズ・コンピレーション。その第4弾はディスコの歴史とフロアを知り尽くしたニックが担当。

ニック:確かに僕は多作家ではないからね(笑)。売れたいなら、もっと精力的にリリースした方がいいんだろうけど、DJスタイル同様、制作もじっくりゆっくり、1年に1曲作るか作らないかぐらいだね。ただ、制作は今後もマイペースに続けていきたいと思っているし、9月にはジョーイ・ネグロのZレコーズから『Under The Influence』っていう2枚組のコンピレーションを出すよ。レコードを買うようになって35年、DJでプレイしながら、売るようになって25年。そのなかでも極めつけにレアなディスコとブギーを集めた内容だよ。そして、このコンピレーションは僕のDJがそうであるように、自分の幅広いテイストを反映させたパーソナルなものでもあるね。

— それは非常に楽しみです。

ニック:音楽はどれだけ追究しても尽きることはないし、僕の全てだからね。レコード・ディーラーとして、何もせず、3〜4年商売を続けて生活出来るぐらいの在庫を持っていても、頻繁にアメリカへ買い付けに出掛けてしまうのは、ヴァイナル・ジャンキーな体質ゆえだし(笑)、DJは自分のやりたいという気持ちだけではどうしようもなかったりするけど、みんなが僕のプレイを聴きたいと思ってくれる限り、プレイしに行くつもりだよ。

— 最後にニック・ザ・レコードという名前の由来について聞かせてもらいたいのですが、Nickという単語には「盗む」という意味もありますよね。この名前は誰かに付けてもらったんですか?

ニック:ハーヴィーと弟のガイだよ。当時、僕らの周りには何人ものニックがいて、僕はレコード好きのニックってことで“Nick the Record"になったんだよ。

— レコードを万引きしていたわけではないと(笑)。

ニック:ではないよ(笑)。むしろ、ハーヴィーにはレコードを売って、お金をもらってたくらいだからね。ただ、ハーヴィーらしいユーモアがあるネーミングだよね。

— レコードをどこかから抜いてきて、ディールするニックの職業を考えると、ぴったりな名前ですよね。

ニック:少なくとも、“Nick the MP3”よりはマシなんじゃない?(笑)

 

Nick The Record Japan Tour 2014

9月12日(金)
宇都宮 Sound A Base Nest

9月14日(日)
愛知県南知多町 南国キッチンAsia
Open/14:00 Start/15:00 Close/Midnight
Adv 3000yen Door 4000yen

Total Info
Pigeon Records
http://pigeon-records.jp
0522692776

9月16日(火)
京都 Metro