MasteredレコメンドDJへのインタビューとエクスクルーシヴ・ミックスを紹介する「Mastered Mix Archives」。11回目となる今回登場するのは、Latin Quarterです。
DJやトラック・メイカーとして、ブリージンな風を吹かせている彼はハマの音楽集団、Pan Pacific Playaの設立メンバー。サンプリング・メロウなそのプロダクションはダンス・トラックに特化した『Light House』やブレイクビーツ集『LOST』といった自身の作品に加え、トラックを提供したLUVRAW & BTBの『HOTEL PACIFICA』やサイプレス上野とロベルト吉野の『MUSIC EXPRES$』で聴くことが出来ます。
そんな彼がEYESCRAM.JPのために制作してくれたエクスクルーシヴなアフタヌーン・ミックスと共に、その謎めいたキャリアに迫ってみました。レコーディング・アーティストとして、実に16年目を迎えるその歴史が物語るものと果たして?
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音楽じゃない音楽に惹かれているのはずっと変わらない気がしますね。俺はヒップホップが好きっていうより、サンプリングっていう行為がホントに好きなんだって
— もともとは空手サイコとして活動していたんですよね。
Latin Quarter(以下LQ):そうですね。一番最初のリリースは96年の『Turn The Knobs』。Chari ChariやFantastic Plastic Machine、スマーフ男組のマジック・アレックスなんかが参加したコンピレーションなんですけど、それとほぼ同じタイミングで『Craft Works』っていうアルバムを出したんです。
— 当時、高校生でしたよね?
LQ:高三ですね。
— そう考えると、レコーディング・アーティストとしてのキャリアは16年ですよ。
LQ:レコーディングって言えるのかなとも思いつつ(笑)。作品リリースがDJより早かったのは確かですけど。
— 音楽を作り始めたきっかけは?
LQ:もともと音楽は好きじゃないかったというか、電気グルーヴをきっかけにテクノを聴くようになって。テクノに対する「音楽が出来ない人の音楽」っていう認識から、まずはシンセを買ったんですけど、「これ一台持ってても、楽器が出来る人じゃなきゃ無理だな」って。そこでさらにサンプラーを買ったら、「こんな面白い遊びがあるのか!」って、サンプリングにハマるようになって。さらに同じ時期、新宿の(現在は幡ヶ谷にあるレコード・ショップ)LOS APSON?に通うようになって、コラージュ・ミュージックと出会ったりもして。
— 当時はストック・ハウゼン&ウォークマンに代表されるサンプリングのコラージュ・ミュージックに脚光が当たっていましたもんね。
LQ:とはいえ、LOS APSON?で出会ったコラージュは難しくて、よく分からなかったんですけど(笑)、自分なりに解釈してサウンド・コラージュを作るようになったんです。まぁ、作っていたとはいっても、実際買えたのはすごいちっちゃいサンプラーだったし、それと人から借りたドラム・マシーンを同期させて、カセットMTRで録ってただけなんですけど(笑)。おもちゃで遊んでるような感じで作るのが楽しかったし、当時、学校がある横浜から家まで距離があって、ぱっと遊びに出掛けるような感じではなかったので、延々とコラージュを作ってましたね。
— 米国郊外に住む暇な若者がガレージで延々バンドの練習するみたいな、そういうガレージ感覚が当時の作品にはありますもんね。
LQ:そして、自分で作ったカセットテープをLOS APSON?で委託販売させてもらっていたら、それを聴いた人から「CD出さない?」って連絡があったんですよ。
— 当時、ミュージシャンになりたいと思っていたんですか?
LQ:リリースのオファーはすごいうれしかったんですけど、それは全くなかったですね。カセットを出していたのも、後に(((さらうんど)))のアートワークを手がけることになる大原(大次郎)が中高の同級生だったんですけど、大原にコピーの切り貼りでアートワークを作ってもらったり、自分のなかではお店屋さんごっこみたいな感じだったんですよ。それに当時、身近なところにすごい人が沢山いたのも大きかったかもしれないですね。LOS APSON?に行くと、そういう人たちが作った音楽を聴かせてもらえるんですけど、そのクオリティの高さに驚かされつつ、みんな、どうやって生活しているのかよく分からないっていう(笑)。だから、自分で音楽を作ってても、生活出来なそうだなって思ってましたね。
— 達観していたというか、高校生でLOS APSON?に通うセンスもスゴいですけど。
LQ:聴く音楽にしろ、音楽を始めたことにしろ、あのお店がなかったら今はなかったでしょうね。ハウスを聴くようになったのもLOS APSON?がきっかけだし、テクノやコラージュ・ミュージックから音楽らしいソウルやレゲエの名盤に好みが広がったのも、MOODMANやL?K?Oとの出会いも、あの店があってこそですよ。L?K?Oと出会ったことで、俺もスクラッチを練習しましたし、同じように同世代の脳(後に彼とPan Pacific Playaを結成することになる)ともLOS APSON?経由で出会って、ヤツの音楽の買い方、聴き方から受けた衝撃も大きかったですね。脳は、俺が欲しいレコードは全部持ってるうえに、ヒップホップを聴きつつ、DJではスクラッチやピュンピュンマシーンを交えながら、ダンスホールとドラムンベースをミックスしたり、電気グルーヴからテクノだけじゃなく、ジャーマン・ニューウェイヴまでフォローしてましたからね。そして、その後、脳やZEN-LA-ROCKとは恵比寿のみるくでパーティをはじめて、そこでCRYSTALとかユニバーサル・インディアンと知り合いになるっていう。
— そして、空手サイコとしては2000年にシングル「Instant Replay」、2001年にアルバム『Fun Fun Fun』をリリースしますが、当時、くるりのイベント「百鬼夜行」にDJで出演してましたよね。
LQ:そんなこともありましたね。ShakkazombieのTsutchieさんにCO-FUSION、REI HARAKAMIさん……自分以外は音楽で食っている人ばかりのなか、「なんで俺がいるんだろう?」って(笑)。ただ、このDJで食うわけにはいかないだろうとは思ってました。なんせ、当時はかけたいものだけをかけてましたからね。
— その冷静さはすごいですね。だって、当時のCRYSTALくんなんかは、音楽で身を立てたいと虎視眈々と狙っていたわけでしょ?
LQ:いやいや。逆にCRYSTALはあの当時からしっかりしてたから、それを見て、「オトナだなー」って思ってましたよ(笑)。
— DJに関しては、テクノからディスコやハウスに移行していった感じなんですか?
LQ:もともとテクノ好きだったし、クラブ・ミュージックの流行りをずっと追いかけていたってこともありつつ。サンプリング用に買ってた昔のソウルやディスコをしっかり聴くようになったこと。それからDISC WAVEっていう横浜のレコード屋で働くようになったことで、音楽の幅が広がっていったんです。DJとしては、石野卓球さんの影響がずっとデカくて、新宿リキッドルームでやってた卓球さんのパーティ「LOOPA」や夏の7アワーズ、WOMBで始まったパーティ「STERNE」も初期は通ってましたね。
— 卓球さんのDJはどういうところに惹かれていたんですか?
LQ:「LOOPA」の頃は、卓球さんがDMX CREWに代表されるエレクトロをかけたりしてて、ZEN-LA-ROCKとかうちらの周りでもエレクトロが流行ってたんですね。まぁ、卓球さんがかけてたのはドイツのエレクトロだったりしたんですけど、あの時期はテクノに限らず、ダンス・ミュージック・シーンでは昔の音楽がピックアップされた時期だったというか。ハウスでもディスコに触発されたニューハウスが出てきたり、あちこち遊びに行くとかかってる曲も被ってたりして。その時期、すごい面白かったんですね。
— あと、MOODMANのパーティ「SLOWMOTION」とか?
LQ:そうですね。「SLOWMOTION」ではフレンチハウスがよくかかってて、MINODAさんたちはそういうものをよくかけてたんですけど、MOODMANがかけてたものはいつも全く分からなかった。今考えると、古い歌モノハウスだったんじゃないかと思うんですけど、あの人のプレイには独特な説得力があるんですよね。この前、このコーナーで担当したMOODMANのミックスを聴いても、かけてるものは全然違うんですけど、その説得力は昔から全く変わってないんですよね。
— 説得力……言い方を変えれば、王道でもなく、奇をてらったわけでもない独特なセンスというか。
LQ:そうなんですよね。憧れるんだけど、自分には出来ないDJですよね。当時のMOODMANはハウスの人が朝方、ダンス・クラシックをかける感じで、一番最後に変な曲を1、2曲かけてたんですよ。それでMOODMANに聞くと、アスワドのダブだったり、ポール・マッカートニーの打ち込みの曲だったり、自分には全く馴染みのない音楽だったりして。そういう音楽を現場で吸収しつつ、あの頃はレコード屋が沢山あったので、週3、4の頻度で渋谷に行ってましたね。あと、サンプル・ネタとして買ってたディスコを実際にハウスに混ぜてかけてたDJとしては、CRYSTALの存在も大きかったし、周りの同い年にそういう濃いやつが沢山いたんですよね。
— そして、2001年にはCRYSTALくんのレーベル、ALL NIGHT THINGから脳くんとのユニット、XX(チョメチョメ)として2001年に7曲入りのアルバム『NxExWxMxUxSxIxC』をリリース。これはディスコ、ハウスに傾倒した成果ですよね。
LQ:そうですね。音楽的にはイジャット・ボーイズの影響が大きかったと思います。当時、CRYSTALって名前もそうだし、レーベル名もALL NIGHT THINGだし、パーティはみるくでやってたじゃないですか? だから、そういう夜のイメージから「夜といえば、チョメチョメしかないでしょ」って(笑)。その後、Latin Quarterに名義を変えるんですけど、空手サイコとして作った作品とその時のDJの差がだいぶ出てきてしまっていたので、音楽性をDJに寄せるという意味で新しい名前を付けた方がいいなって。
— Latin Quarterという名前は『赤坂ナイトクラブの光と影』っていう本にもなっている赤坂の伝説的なクラブ、ニューラテンクォーターから取ったんですよね?
LQ:そうです。XX(チョメチョメ)、Latin Quarterって流れは、何も変わってねえなっていう気がしますけど(笑)、要は夜遊びが好きってことなんですよね。酒飲んで、バカなことやって……それが楽しいから、ここまで続いたんだろうし、まだ全く飽きないですからね。
— Pan Pacific Playaを結成したのはいつなんでしたっけ?
LQ:2004年にLatin Quarter名義のアルバム『Light House』を出した後ですね。あの作品ではようやくDJと作る音楽が近づいたというか、がんがんレコードを買ってはMPCを使ってサンプリングして、ストックしておいたネタを使って作ったんですよね。そして、そのアルバムを出した後、ホントだったら、俺とKESと大原でやってた16連打っていうユニットのアルバムを出す予定で、そのためにレーベルを作ったのに、その計画がいつのまにかPan Pacific Playaに変わってたっていう(笑)。最初のメンバーは俺と脳とKES。その後、KESが横浜のイベントでMr.MELODYたちと会ったり、脳も横浜に引っ越したり、俺も横浜のレコード屋で働いていたこともあって、そこで初めて横浜っていうキーワードが浮かび上がってきたんです。それ以前、横浜について、改めて考えてみたことはなかったんですけど、音楽でいうとレゲエとヒップホップのイメージ。いまのメロウな感覚を感じるようになったのはPPPを始めた後からですし、PPPの横浜のイメージは、そこに自分が含まれていないというか、実際にはそんな街ではないですからね。
— つまり、架空の街ってことですよね。
LQ:自分のなかではXXをやってた頃、ディスコや夜の街に憧れていたのと近い感覚というか、自分にないものだからこそ、憧れるし、想像がふくらむわけですよ。しかも、PPPのメンバーが横浜に同じものを見ているかというと、それぞれ違いますし、みんなでよく話しているのは「メロウなものが全てじゃないんだよな」ってこと。もちろん、取っかかりとして分かりやすいですし、LUVRAW & BTBがみんなに聴かれるようになったことで、そういうイメージが広がったことはありがたかったりもするんですけど、長らくどこにも馴染めなかった人間が集まっているだけあって、僕らのなかにはメロウなだけじゃない異物感が常にあるんですよね。
— そして、Latin Quarterとしては、2008年に『LOST』という作品を出していますよね。
LQ:あれはミックスCDくらいに捉えて欲しいというか、曲として作った『Light House』に対して、『LOST』はひたすら作ってたサンプル・ループをJ.DILLAの『DONUTS』みたいな感じで出してみようと。
— つまり、空手サイコがそうだったように、サンプリングやコラージュが心底好きってことなんですね。
LQ:音楽じゃない音楽に惹かれているのはずっと変わらない気がしますね。サ上とロ吉のトラックを作っている時にもそう思ったんですけど、俺はヒップホップが好きっていうより、サンプリングっていう行為がホントに好きなんだってこと(笑)。ただ、俺は整理整頓が苦手なので、ヒップホップのトラックを作っている人より時間がかかるというか、サンプリングのパーツが上手く組み合わさるのは運まかせなところもあったりして。
— だから、『LOST』以降、作品が出てないわけですね。
LQ:はははは。制作に時間がかかるうえに、今は週末にDJをやってることが多いので、なかなか制作に時間を割けないんですよね。あと、イギリスにラテン・クォーターっていうバンドがいて、PPPのサイトに「ラテン・クォーターって名前を使ってると訴えるぞ」っていうメールを送ってきたんですよ(笑)。だから、今までの気分を一新する意味で空手サイコで作品を作るのもありかもと思っていて。そういうコラージュっぽいものの方が俺が考える横浜のイメージに合うような気がするんですよ。
— ご自分のDJについてはいかがですか?
LQ:DJに関しては、PPPのメロウなイメージに寄せてプレイすることも多いし、今回のミックスもそういう夜のPPP的なものにしようと思ったんです。でも、こないだ、横浜・黄金町の川沿いで花見をしながらDJする機会があったんですけど、その時のプレイが気持ち良かったので、日が沈む前の時間に合いそうなミックスにしようと思ったんです。あと、僕自身のプレイを客観的に見ると、ディープなところがないというか、そういうどっぷりした音楽は好きなんですけど、恥ずかしさもあって自分では出来なかったりもして(笑)。
— それはLatin Quarterの人間性でもあると思うんですけど、エンターテインメントを提供する昔ながらのDJに近いというか。今回のミックスにもそういう懐の深さに魅力があるように思います。
LQ:やっぱり、ぱっと来てくれた人でも喜んでもらわないと困りますからね。ただ、まぁ、作品を作ることで自分のエゴを表に出していた以前と比較すると、そういう機会がなかなかないので、そろそろ作品を作らなきゃなとは思っているんですけどね。
Latin Quarter Twitter
http://twitter.com/ka_latin
Pan Pacific Playa
http://www.panpacificplaya.jp/
Latin Quarter リリース情報
5月中旬
Pan Pacific Playa 新コンピレーション(フリーダウンロード)
Latin Quarter DJスケジュール
5月11日(金)
「THE OATH」@青山 OATH
5月19日(土)
「dj colaboy and PAN PACIFIC PLAYA presents HOMESICK 10 -A.D.U.L.T. in KYOTO-」@京都 METRO
5月25日(金)
「¡AMIGO!」 @中野 heavysick zero
5月26日(土)
「OUTLOOK FESTIVAL 2012」 @日の出 TABLOID