Vol.08 MOODMAN – 人気DJのMIX音源を毎月配信!『Mastered Mix Archives』

by Yu Onoda and Yugo Shiokawa

MasteredレコメンドDJへのインタビューとエクスクルーシヴ・ミックスを紹介する「Mastered Mix Archives」。通算8回目、2012年第一弾となる今回、満を持して登場するのはムードマンです。

目まぐるしく移り変わり続けている音楽シーンの最前線を全方位に向けられた独自の視点で切り開き、近年はハウス、テクノ・シーンの第一線で活躍している彼の足跡(の一部)を紐解きつつ、現在の彼の耳が捉えている“何か”についておうかがいしました。

さらに、今回はプレイすることが稀なアンビエントとムードマンの名前の由来であるムード・ミュージックをテーマにしたDJミックスの制作を依頼。ネット上でミックスを発表していない彼による、ほかでは聴けない今回のDJミックスははっきり言って一生ものの内容です。長編インタビューと併せて、ゆっくりお楽しみください。

※ダウンロード版の配信は終了しました。

音楽との関わりについては、日々、ハプニングを大事にしているというか。

— ムードマンが音楽にのめり込むことになった最初のきっかけとなったレコードは?

POP GROUP『Y』
1979年、英国ブリストルから届けられたニューウェイヴの名作アルバム。レゲエやダブ、ファンク、フリージャズ、民族音楽といった音楽要素が未分化のまま荒々しく鳴らされている衝撃的な一枚。

ムードマン:中学生の時に聴いたポップ・グループですね。それ以前は音楽にあまり興味がなかったんですけど、ある時、友達に貸レコード屋へ連れていかれたんです。でも、何がなんだかよく分からなかったので、一番変なジャケットのレコードを借りようと思って、飾ってあったポップ・グループの『Y』を手に取ったんです。で、家に帰って聴いてみたら、「こんな音楽があるのか!」ってびっくりしちゃって。そして、彼らの音楽について書かれた文章を読むと、ファンクの要素があったり、民族音楽やフリージャズ、レゲエやダブの要素なんかが入ってる、と。「だから、面白いんだな」って思って、そこから色んな音楽を聴くようになったんです。
後に「ムードマン」という名前の元になった、ムード音楽ってことでいうと、(インダストリアル・ミュージックの先駆的グループ)スロッピング・グリッスルがきっかけなんですよね。マーティン・デニーを知ったのもそうだし(中心人物のジェネシス・P-オリッジはムード音楽好きを公言。1981年作の『Greatest Hits』のアート・ワークはムード音楽のそれを彷彿とさせるもの)、あと、ジャズ・ファンクを知ったのも彼らのアルバム・タイトルが『20 Jazz Funk Greats』だったこともあって、「ジャズ・ファンクって面白いのかな?」って。だから、結局のところ、僕が音楽に興味を持った時期というのは、今でこそポスト・パンクやダーク・ウェイヴとかいって細分化されて呼ばれている音楽がニューウェイヴという名前で混在する状況下で、面白そうだなっていう音楽だけを追っていたので、必然的に色んな音楽を聴かざるを得なかったというか。最初の段階からそうやって色んな音楽に触れてしまったので、今の分裂的な音楽傾向もしょうがないっていう(笑)。

— 確かに80年代当時、ニューウェイヴという名のもとに、実は色んな音楽がミックスされていましたもんね。

ムードマン:そう。一つのバンドでも、色んな音楽の要素が見て取れましたし、そのなかでも両極でいえば、僕はダブとムード音楽が好きになっていったんです。レコードを買っていくなかで、録音の仕方が面白いものに興味が沸いたりするでしょ? そうやって色んな音楽を聴いているうちに気が付いたら、レコード棚にダブとムード音楽が増えていったんです。

— ただ、当時、レゲエやダブはいまほどにポピュラーな音楽ではなかったですよね?

Creation Rebel『Starship Africa』
ニューウェイヴとUKダブをつなぐON-Uの前身レーベル、4D RHYTHMSからリリースされた80年作。エイドリアン・シャーウッドが初めてプロデュースを手がけ、エンジニアのデニス・ボーヴェルの音処理に彼方まで飛ばされる。

ムードマン:だから、レコードが安かったんですよ。しかも、当時、ホントにレゲエが好きだった人はボブ・マーリーやジミー・クリフを聴いていて、そういう王道なレコードは高かったんですけど、僕が興味を持ったON-UサウンドとかARIWAみたいなレーベルのレコードは100円、200円でたたき売り状態だったし(笑)、学生でお金もなかったので、安くて面白いレコードを探していったら、ダブやムード音楽に辿り着いたという(笑)。

— もっといえば、ムード音楽って、スーパーマーケットでかかってるようないものから、マーティン・デニーみたいな名盤まで玉石混淆なジャンルだったというか、当時は完全にうち捨てられた音楽でしたよね?

ムードマン:ですね。だから、その辺は手探りで聴いていましたし、僕が聴くようになったちょっと後からヤン冨田さんが色々紹介し始めて、それに触発されたり、90年代の初頭に宇川(直宏)くんと出会って、同じような聴き方でムード音楽を聴いている人がいるんだなって、びっくりしたり。

— ムード音楽がラウンジ・ミュージックとして再評価されるようになる前の時代ですよね。

Throbbing Gristle『20 Jazz Funk Greats』
英国インダストリアル/アヴァンギャルド・ミュージックの先駆的グループによる1979年のサード・アルバム。ジャズ・ファンク色は一切なく、シンセサイザーやテープ・コラージュ、ノイズの謎めいた世界に誘われる。

ムードマン:わくわくして探してました。1993年に(ラウンジ・ミュージックの火付け役となったサンフランシスコの雑誌)RE/SEARCHの「Incredibly Strange Music」号が出る前ですよね。結局ね、僕の場合、レコードというか、レコード屋が好きになっていって、そのなかで匂いがあるじゃないですか。それはガレージ・パンクであっても、ダブであっても、ムード音楽やニューウェイヴ、ヒップホップなんかにもいえることですけど、自分の好きな匂いがあって、そういうものを探していくうちに自然にセレクトされていって感じ。ムード音楽に関しても、90年代に盛り上がっていくなかで入ってきた情報から自分が聴いてきたものを再確認したり。

— 結果的にその後の盛り上がりを先取りしていたわけですね。

ムードマン:自分としてはあくまでお金をかけずに音楽を楽しもうとしていただけなんですけど(笑)、そういう現象が、ムード音楽だけじゃなくて自分の聴いてきたオール・ジャンルで起きたという。

— 80年代後半から2012年の現在まで、約25年の音楽人生のなかで、ムードマンにとっての重要な転機というのは?

Throbbing Gristle『Throbbing Gristle's Greatest Hits』
ムード・ミュージックの大家、マーティン・デニーに捧げられたアートワークが若き日のムードマンを刺激した81年のコンピレーション・アルバム。メンバーのジェネシス・P-オリッジはその後、結成するPSYCHIC TVでアシッド・ハウスに接近することに。

ムードマン:日本では10代後半に(スタディスト)岸野雄一さんや常盤(響)さん、山口(優)さんをはじめとする京浜兄弟社との出会いがあって、それまで自分が聴いてこなかったもの、特にロックに関してはだいぶ教えてもらいましたよ。最近では、野球DJで有名な中島(勇二)さんとか。そう、同世代では、永田(一直)くんや高井くん(Ahh! Folly Jet) なんかも門下生です(笑)。
外圧的な転機ということでいえば、まずはポップ・グループ、ON-Uに出会って価値感が変わって、同時期にスロッピング・グリッスルをきっかけにムード音楽に出会ったり、スロッピング・グリッスルのジェネシスP-オリッジがやっていたサイキックTVの流れでハウスを聴くようになったり。それからヒップホップに出会った時は、バンバータをはじめとするエレクトロよりのトラックを好きで追いかけていたんですけど、それをジャングル・ブラザーズのファーストに覆されて。

— 要するにそれはサンプリング・アートに衝撃を受けたっていうことですよね?

ムードマン:そう。あのもっこりした音には衝撃を受けましたね。そして、その前後に真逆の音質でロウな感じを出していたデトロイト・テクノのレーベル、トランスマット、メトロプレックスと出会って、これまた衝撃を受けたんです。こっちは、エレクトロが速くなっている!という感覚で受け止めてました。80年代後半、デトロイト・テクノはレコード屋にどかっと入荷してわけではなく、各店にちょっとずつ入ってきたものを買ってたんですけど、周りにほとんど聴いてる人がいないなか、同じように聴いていたケンイシイくん、DR.NISHIMURAくんと出会ったことで、価値の共有ができて、その辺の音楽をかけ始めるんです。
そして、その流れで始めたパーティ「ダブ・レストラン」と同じ名前のレーベルを93年に始めて、その後、レーベルは「M.O.O.D」、「donut」へと発展していくんです。

— テクノであり、ダブであり、音響であり、その他、様々な要素がなんともいえない具合にミックスされた作品をリリースされていましたよね。

Derrick May『Innovator』
デトロイト・テクノのオリジネーターの一人にして、自身のレーベル、トランスマットを主宰していたデリック・メイの2枚組ベスト。「Strings of Life」や「Nude Photo」ほか名曲を多数収録。

ムードマン:レーベルをやるとなったら、そういうことになりますよね。まだまだ出したいものはいっぱいあったんですけど、当時は全然売れなかったし、これ以上続けていたら生活出来ないなってことで止めたんです。

— ただ、ケンイシイさん、FROM TIME TO TIME名義で参加した砂原良徳さん、浅野達彦さんなど、参加アーティストは皆さん今も活躍されていますよね。

ムードマン:あの頃、リリースしていた人たちの作品はいちファンとして、いまだに買って聴いていますよ。

— そして、話を戻しますが、デトロイト・テクノからテクノに足を踏み入れたその先というのは?

ムードマン:ブラック・ドッグ周辺のインテリジェント・テクノと呼ばれる何ともいえないテクノに興味を持ったことで(笑)、ダンス・ミュージックから一旦、離れるんです。構造的にはより複雑というか、ダンスミュージックという崖が有るとするとその崖っぷちに佇んでいるような音楽を好んで聴いていました。いまでも大好きな音楽ですね。できれば、まとめて聞いてもらう機会をつくりたいな。で、ちょうど同じ時期にムード音楽、いまでいうラウンジ・ミュージックを買い集めていたことをカミング・アウトしたこともあって、初期のサバービアを手伝ったり、その流れでクール・スプーンを手伝ったりとか。

— ちなみにムードマンと宇川(直宏)さんの出会いにはどんないきさつがあったんですか?

Black Dog『Bytes』
英国のレーベル、WARPの“Artificial Intelligence”シリーズの重要な一角をなす93年発のインテリジェント・テクノ名作。

ムードマン:90年代頭ぐらいの僕はバーみたいなところでDJをやってたんですけど、ムード音楽とハーシュ・ノイズ、あとダブとか、そういう音楽を混ぜてかけていたら、宇川くんの幼なじみが遊びに来て、「小学校の時の同級生が似たようなDJをやるんだよ」っていう話になって、「誰?」って聞いたら、「宇川っていう名前なんだけど……」って。そこで初めて名前を聞いて、その後、宇川くんがHANATARASHのライヴCDを出すんですね。そのCDはHANATARASHのライヴ音源が終わった後に宇川くんが選曲したムード音楽が延々と収録されていたんですけど、それを買ってきたウチのかみさんが「好きな曲が全く同じ人がいる!」って驚いていたんです。で、そのCDのライナーノーツをその宇川くんの幼なじみが書いていたので、「あ、こないだ言ってた人はこの人だ!」ってことが分かって。実際に宇川くんと会ったのはその直後だから、92、3年ですね。

— なんというか、濃い音楽体験が錯綜してますねー(笑)

ムードマン:こうやって語ると、すごく分かりづらいと思うんですけど(笑)、他にもいろいろあるんですよね。常に分裂的に全く違うことをやっているので。

— ご自分のなかで、そういう分裂的な傾向はつじつまが合っているんですか? それとも全く別ものとして考えているんですか?

ムードマン:つじつまが合ったり、合わせてしまうと、自分のなかでショックを受けないというか、面白くなくなっちゃうんですよね。だから、つじつまが合わない状況でただ面白いものを追っているというか、25年かかっても、自分のなかでまだまとまってない(笑)。音楽との関わりについては、日々、ハプニングを大事にしているというか。ミュージシャンだと、曲を作る時に自分のなかにある要素を合体させていくと思うんですけど、僕はものを作っているわけじゃなく、レコードを並べたり、音楽を語ったりしているだけなので、そういう立場だと身勝手でいられるんです(笑)。もし、音楽を作るとなったら、悩んで何も出来なくなっちゃうと思いますし、一音鳴らした途端に激しい自己嫌悪ですよ(笑)。周りには音作りに関して、天才的な人たちが沢山いるし、特に今はネット社会になったことであらゆる世界の才能が日々アップされてるじゃないですか。そんなの見てたらやる気がしないですよ(笑)。しかも、そういう音源を聴いてるだけで時間が経ってしまって、分裂的な傾向にますます拍車がかかるっていう(笑)。

— ただ、ムードマンはダンス・ミュージックから離れたといっても、芝浦のGOLDで後にGODFATHERで一緒にDJをすることになる高橋透さんのプレイを聴いたり、夜遊びはしていたわけですよね。

ムードマン:そうですね。遊びにはずっと行ってましたけど、僕は90年代後半くらいまで、自分自身がまさかダンスものをかけるDJになるとは思ってなかったんですよ。ただ、インテリジェント・テクノ以降、音響系の流れに興味があった90年代中期を経て、なんだか頭でっかちなことよりも、現場で体験する音楽の身体感覚に近い部分が面白くなっていったんですよ。同じ音響ものでも身体に働きかける要素の強いものが面白くなって、そこでもう一回、がっつりサウンドシステムに戻ったんです。

— マイアミ・ベース、クラブ・ジャマイカのパーティ「低音不敗」。そして、ターンテーブリストとしてQバート(インクレディブル・スクラッチ・ピクルズ)のライヴでオープニング・アクトも務めましたよね。

Jungle Brothers『Straight Out The Jungle』
ア・トライブ・コールド・クエストやデ・ラ・ソウルを要するネイティヴ・タン・コレクティヴを世に知らしめた1989年のニュー・スクール・ヒップホップ名作。

ムードマン:ターンテーブリストとしての活動は、こないだタイに移住したL?K?Oと2年くらい組んでいた時期があって、彼に引っ張られたところがありますね。あと身近なところではDJ Quietstormにも刺激を受けました。面白いこと、一緒にたくさんやりました。
で、僕のスキルではなんとなくやり尽くしたかなというちょうどその頃、ディスコを再解釈したイジャット・ボーイズのレーベル、U-STARをきっかけに、4つ打ちの面白さを再認識するんですね。ディスコミュージックの構造の奇異なところに気づいてしまって、体感的な音楽として探るようになったんです。それが96年くらいかな。
ただ、僕はクラブへ遊びには行ってたんですけど、いきなり王道のクラブでプレイ出来るわけもなく、下北沢のスリッツの流れだったり、90年代後半は恵比寿のミルクだったり、新宿のリキッドルームだったりっていうライヴハウスでのDJがメインで。例外的にはマニアックラブの平日にminodaくんたちと「スローモーション」っていうパーティをやるようになって。お店の人には「テクノをかけろ」って怒られながら、「来週かけますから」って言って、ディープハウスをかけてて、最終的にクビになったっていう(笑)。

— そして、99年に恵比寿のみるくで宇川さん、高橋透さんとのパーティ「ゴッドファーザー」が始まった、と。

Various Artists『U-Star Records 〜 More Or Less』
DJハーヴィーに影響を受け、90年代中期からニューハウスと呼ばれるオリジナル・ディスコのダビーなリエディット、リコンストラクト盤をリリースしていたイジャット・ボーイズ主宰レーベル、U-STAR。そのレーベル・コンピレーションとなる2000年作。

ムードマン:「ゴッドファーザー」ではさっきも触れたU-STAR周辺のディスコっぽい感じ、後にダブハウスと呼ばれる音楽につながっていくものをかけるようになって。僕がそういうレコードをかけると、その元ネタのディスコを透さんがかけて、お互いが新旧のレコードを勉強出来たりして、すごい面白かったんですよ。で、最初はUKのダブハウスをかけてたんだけど、西海岸とか、ヨーロッパでも北の方とか、あるいは南の方とか、世界各地にそういうレコードが出ているのを知って、海外へ行くついでにレコード屋を回って買ってかけるようになって。

— そうやって買われていたレコードをミュージック・マガジンの連載「今夜もシングル」で紹介してましたよね。ただ、毎月チェックさせていただいていたんですが、紹介していたレコードは日本で買えないものが多い相当にハードコアな連載でした。

ムードマン:しかも、美味しいネタは書かなかったですからね(笑)。そして、書かなかったから自分でも忘れちゃったっていう(笑)。いまでも家のレコード棚に埋もれてしまっています。書いて残しておかないと、駄目ですね。あの当時はまだインターネット通販の環境が整ってなかったから、現地に行ってはその土地のダンス・ミュージックを買って。サンフランシスコのDJガースがやってたレーベル、ウィキッド、グレイハウンド周辺の作品とか、その辺のダブハウスをまとめてかけてたのが初期の「ゴッドファーザー」でやってたことですね。

— 初期の『ゴッドファーザー』はいま活躍中のCRYSTALやCMTをはじめとするDJがこぞって遊びに行ってたという。

Tatsuhiko Asano『Spacewatch』
96年にムードマン主宰の7インチ・レーベル、M.O.O.D/donutより「bonjour」でデビューを果たした浅野達彦の2008年作。テクノやエレクトロニカ、アンビエントといったカテゴリーの彼方で鳴らされるサウンドスケープはレイハラカミやアレック・エンパイアなど、国内外のアーティスト、メディアから高く評価されている。

ムードマン:そうですよね。ユニバーサル・インディアンとか。瀧見さんとか、二見さんとか。お客さんがDJしかいなかった(笑)。遊びに来てくれてたみんなが今活躍していて、僕としてもうれしいですし、過去の活動はそうやってつながっていくものなんだな、と。
あと、そういうつながりっていう意味で面白いのは、ここ数年、ベース・カルチャーってことが言われているじゃないですか? 僕はずっとそういう感覚でやってきたので、そういう盛り上がりもうれしいんですよね。大ざっぱな話をするとレゲエ・フィールドの人って、かつてはマイアミ・ベースが好きじゃなかったはずなんですよ。90年代の僕がシステムを借りて、レゲエのクラブでマイアミ・ベースをかけてしばしば怒られていたことを考えると(笑)、そういうことがベース・カルチャーの名のもとに許されている状況は素直にいいと思いますね。しかも、ダブステップになるとデトロイト・テクノの要素もちょっと入ってくるじゃないですか。かつてはレゲエどっぷりの人とデトロイト・テクノどっぷりの人が同じ場にいるなんてことはあり得なかったですからね。ずいぶん前に下北沢のスリッツで、MightyMasaさんのサウンドシステムとDubRestaurantでサウンドクラッシュ的にやらせていただいた一夜のことを先日しみじみと思い出していたんですが、まだ早かったんですね。10年、15年経つとそういうコラボレーションが普通になるっていうのはちょっと面白いですよね。

— そういう意味で、レゲエとテクノを通過してきたムードマンにとって、クロスオーバー化している今のダブステップはいかがですか?

Las Roturas『Las Roturas』
ムードマンのレーベル、M.O.O.DとLos Apson?の共同リリースによる96年作のラテン・ブレイクス・リコンストラクト盤。L?K?O、KUKNACKE、HOI VOODOOらが参加している。

ムードマン:買ってはいたものの、これまでかける機会がなかったんですけど、年末にダブステップ縛りのオーダーをもらえたのでプレイしました。わりと好評でしたよ(笑)。ただ、ダブステップの中でもデジタルすぎる音色のものは苦手なので…苦手というか、うまくかけられないんですよ。U-STARにしても、デトロイト・テクノにしても、微妙な音響の偏りの面白さというか、ローファイだったり、ガレージ・サイケな楽しみが猶予として残されていると思うんですけど、ダブステップの多くは音色がぱっきりデジタルすぎて。ダンスミュージックとして、正解すぎるというか。
同じことがトランスにもいえるんですけど、サイケ・トランスにサイケを感じないのは僕にとっては音色や質感の問題というか、艶っぽい、ちょっと情けないような、切ないような、そういうものが僕は好きだったりするので。

— それはモンド的、ムード音楽的な、あるいはDIY音楽のB級、C級な感覚を愛するムードマン固有の感覚というか。音楽傾向は分裂していても、そういう音の質感を追求しているという意味では一貫しているというか。

ムードマン:そうそう。最終的にはそういうことかもしれないと思うんですよね。

— ムードマンのプレイを聴いていると、意識の配り方、そのバランスが絶妙だなと思うんですけど、DJ中に意識していることは?

Various Artists『低音不敗 キルド・バイ・ベース』
ボディ・ミュージックとしての「低音」音響を追求するべく、スマーフ男組、KUKNAKKEらと西麻布の「クラブ・ジャマイカ」で行っていたベース・パーティ「低音不敗」。その参加メンバーによる97年のコンピレーション・アルバム。ムードマンはこのほかにも『インテリジェント・ベース』ほか、マイアミ・ベースのコンピレーションを監修している。

ムードマン:大きい音で鳴らした方がいいのか、それとも小さい音で鳴らした方がいいのか。スピーカーの位置とか、そういうことを含めて、意識しているのは音の鳴りですね。で、音が鳴らない場合は「なんで思ったように音が鳴らないんだろうな?」ってことを一晩中やってますよ(笑)。

— 地味なようでいて、音の鳴りが全てですもんね。ムードマンは大きいイベントで音の調整がてらのオープニングDJを頼まれることが多いですし(笑)

ムードマン:そうですね。そういう時はエンジニアの人が調整しやすい音をかければいいんですね。で、「この音は大丈夫だな」って思ったら、また毛色の違う音をかけてってことを繰り返して、音域を整えながらのプレイ。そういう整え役、魔界への入口係が好きなんです(笑)。魔物はいっぱいいるわけで、その入口を入りやすくしておかないとね。

— それから、DJというのはサービス業的な側面と自分のエゴの絶妙なバランスで成り立っていると思うんですけど、ムードマンの場合、DJの際に、例えば、ラヴァーズだけ、和モノだけとか、そういうある種のテーマ設定のもとでプレイすることがよくありますし、エゴが前面に押し出されていないのが大きな特徴かな、と。

MOODMAN『Sessions Vol.1 Weekender』
00年代におけるオルタナティヴ・ハウスの潮流を押し進めた傑作ミックスCD。

ムードマン:色んな人がいると思うんですけど、僕の場合、自分がどうのってことは最終的に関係ないというか。僕のDJを観てください、っていう感じじゃないんですよね。DJがこれかけた、あれかけたっていう確認をするのが好きな人もいると思うんですけど、僕がひとりのクラバーとして遊びにいった場合、まずはよく分からないものがかかってていた方が面白い。「なんだこれは、俺はこの曲が好きなのか、どうなんだ、動くのかい?俺の身体は?」と思っているうちについ何時間か居てしまって、気がつくと位相がどんどん変わっている感じ。何日か経って「あれは何だったんだろう?」って思うようなものが理想なんですよ。で、その一晩の入口は、なんらかのテーマがあらかじめ設定されていると、すっと入っていけるじゃないですか。あるお題から安心して始めて、「あれ、変なことになってきたぞ」っていう揺さぶりをかけるのが面白いんですよね。

— 今は、あらかじめ設定した枠内で完成度の高いプレイをする若いDJが増えている印象を受けるんですが、その辺は世代の違い、捉え方の違いなんでしょうね。

MOODMAN『MOTIVATION 6 Adult Oriented Click Nonstop-Mix by MOODMAN』
軽やかにしてまろやかな空間を現出するセレクト、ミックスがミニマルなクリック・ハウスからモダン・ディープハウスへの流れを切り開いた2007年作のミックスCD。

ムードマン:まぁ、Ustreamの影響もあるんでしょうし、ショーケース的な感覚が強まっているのは、それはそれでいいというか、そういう人が沢山いるから、自分はやらなくてもいいかなっていう。
時々、はっと気づくんですけど、最近もなんだか過渡期なきがします。いま20代前半の人たちのアプローチって、面白いですよね。クラブ・ミュージックにクラブ・ミュージックじゃないところで出会える世代というか、今はUstreamで普通にデリック・メイがプレイしているのを観られますからね。僕がデリック・メイを知ったのは86年くらいだと思うんですですけど、誰かも分からなかったし、「こんなレコード、どうやってかけるんだろう」って、ずっと思ってましたからね。その謎がやっと解けたのが、ケンイシイくんたちと遊びにいった東京パーンでの初来日公演だった(笑)。
でも、今はそういう答えが全部出ている状態ですから、そこでクラブへ行こうと思う人もいるでしょうけど、行く以前にエンターテインメントとして完結する人もいっぱいいるはずだから、そういう意味で新しい世代のアプローチや好きな音域が変わるのも当然かな、と。

— 例えば、Ustreamで映える音、テレビから流れる音楽として映える音……そういう接し方の違い、その音楽が作られる環境の違いなんかでアプローチや好きな音域も変わってきますもんね。

MOODMAN『ZZK RECORDS PRESENTS…THE DIGITAL CUMBIA EXPLOSION』
デジタル・クンビアの代表的レーベル、ZZKの音源をムードマンがテクノ、ミニマル解釈でミックスした2010年作。DJ Shhhhh監修によるコンピレーション盤との2枚組。

ムードマン:大体、若い世代は回転するソフトで音楽を聴いてないですからね。信じられないですよ(笑)。僕らは、音楽は回転と一緒にすり込まれているのに、それがないわけだから、そりゃ、価値感は変わりますよ。
あと、90年代にあった都会と地方の情報格差はなくなりましたよね。それは日本に限った話じゃなく、2000年を越えたあたりから世界各都市の音楽の横断が半端ない。しかも、そこにネットが加わったから、全世界的な情報格差はなくなったと思いますね。あとは、その感覚がもっと普通になればいいのになとは思います。まだね、外国の人に対して、異常なまでの期待感を持ってるじゃないですか(笑)。ギャラも下手したら100倍違いますからね(笑)。そういう意味での日本と外国の格差……まぁ、でも、言語の違いがあるからだと思うんですけど、それも何年かしたらなくなるんじゃないですか。

— そんななか、ここ最近のムードマンが気になっているアーティストや作品は?

ムードマン:例えば、身近なところだと昨日見たLUVRAWのライヴが異常に上手くなっていたな、とか、そういう気になるポイントはそれぞれのジャンルで日々あるんですけど(笑)。ここ数年、気になっているアーティスト、本気で集めてる作品といえば、よく分からないもの、誰か分からないものなんですね(笑)。

— といいますと?

MOODMAN(ムードマン)
25年近いキャリアを誇るDJ。某大手代理店でクリエイティブ職につくかたわら、最新のものから古いものまで、ありとあらゆるジャンルの音楽を掘り下げ続けている。盟友・宇川直宏(DOMMUNE)も絶大な信頼を寄せる、東京のクラブシーンを語る上で欠かすことはできない存在。

ムードマン:ある時期からプライベート盤ばっかりを買い集めるようになったんですよ。それはインディペンデントというよりはプライベートなもの。どうして、そういうものに惹かれるのかというと、ネット、特にUstreamなんかで天才、秀才、奇人変人はいっぱい観られるじゃないですか。で、一人のミュージシャンって、どの国であっても、1,000人がフォローすれば、恐らくは食えると思うんですけど、ネットでうまくやれば、1,000人集めることが可能になりましたよね。でも、昔の人はそういう環境がなかったから、客がいない状態、見えない状態でレコーディングしていたわけで。その極端な例であるプライベート盤は、なんだか修行僧のような佇まいでレコード屋の片隅でいまも、ひたすらと自分をまっている。一生に一枚しか出さなかった人も沢山いて、そういう人たちの作る音楽に胸がキュンとなるんです。
今はYouTubeなんかもあって、過去の音源が大体聴けようになったという錯覚に陥るじゃないですか。でもそれは、大体を聞いてはいない。そういうところから漏れているものがたくさんあって、それをちゃんと聴いてみようと思ったら、プライベート盤に辿り着いてしまったというか。そういうレコードはヘヴィーメタルだったり、あらゆるジャンルに存在するんですよ。買って聴いてみると、ダメなものも多いんですけど、素晴らしいものもわりと多いんです。ただ、それは個人的に聴きたいものであって、「注目!」っていうようなものでもなければ、高かったら絶対買わないので、レアだからいいとも思ってなくて。僕は長らく、風景の絵はがきとか昔の写真、あるいはつぶれた料理店のメニューなんかを集めているんですけど、それと同じ感覚ですね。ある過ぎ去った時代を、現実の断片を組み合わせて作っていく時の1ピース、そういうイマジネーションを刺激するものが昔も今も好きですね。

— 最後に今回作っていただいたDJミックスについてなんですけど、個人的なお願いとして、ムードマンの名前の由来であるムード音楽中心、もしくはDJであまり聴く機会がないアンビエント中心のミックスということでオファーさせていただいたわけですが。

ムードマン:アンビエントというテーマでDJをしたのは、94、5年に鎌倉でミックス・マスター・モリスとご一緒した時以来かな。アンビエントか、ムード音楽でというオーダーだったので、いろいろ悩んだんですけど、最終的にはムード音楽でアンビエントをやってみようかなと。ムード音楽というか、ライブラリー音楽のアンビエントっぽいものを中心に、アンビエントの中でもムード音楽っぽいものを混ぜました。普通、ライブラリー音楽って、70年代のジャズっぽい感じだったり、ファンクっぽい感じが多いと思うんですけど、今回使ったのは一番人気がなくて激安のニューエイジっぽいもの(笑)。そのいいところをちょこちょこっとつまみました。

— ただ、入口はそうであったとしても最終的にはよく分からないところに連れていかれるという(笑)。

ムードマン:かなり地味ですけど(笑)、よく寝れますよ。そして、安心して寝ていると途中で起こされたりして(笑)。あと今回は普段やらない組み合わせ、ミックスにしても、あまりつながないようにしたり、誰も気づかないようなところでちょこちょこエディットをしたり(笑)。一応、60年代、70年代、80年代、90年代、00年代、それから去年リリースされた音源を横断的に使って、同じ音質に整えてみたんですけど……話に出てきたインテリジェントテクノも混ぜてます。そういえば、今回のミックスは家でプライベート盤を聴いている感覚に近いものかもしれないですね。