#17 CMT – 人気DJのMIX音源を毎月配信!『Mastered Mix Archives』

by Mastered編集部

MasteredレコメンドDJへのインタビューとエクスクルーシヴ・ミックスを紹介する『Mastered Mix Archives』。今回登場するのはCMTです。

東高円寺GRASSROOTSでの迷宮パーティ「濡れ牧場」や、「FLOWER OF LIFE」、「Future Terror」といった最高のパーティで必ずその名を見かける彼は、池袋、高円寺、大阪、奈良、軽井沢と、各地を移住しながら、現在も精力的に日本全国を回る人気DJです。

オルタナティヴ感覚を内包したディスコ、ハウス、テクノを基調に、ねじれたストーリーやヴィジュアルを喚起するプレイに定評がある彼のDJミックスとそのキャリアを振り返るインタビューを通じて、彼が現出する世界の深層に迫ります。

※ミックス音源はこちら!(ストリーミングのみ)

Interview & Text : Yu Onoda
Editor : Yugo Shiokawa

(テクノには)最初は現代版のシカゴ・ハウスとしての感覚を求めていたんだと思いますね。

— DJ歴は今年でどれくらいになるんですか?

Butthole Surfers『piouhgd』
テキサスから登場したオルタナティヴ世代のアシッド・ロック・バンドによる91年作。ドノヴァン「The Hurdy Gurdy Man」の迷カヴァーを収録。

CMT:始めたのは2000年くらいだから、12年くらいじゃないですね。それ以前に聴いていたのは、パンク・ロック、ハードコアを出発点にバットホール・サーファーズとかマッドハニー、ダイナソーJr、当時、ロウファイと呼ばれてたアメリカのオルタナティヴ・ロック/フォーク、ジャンク・ロックと呼ばれる音楽だったんですよ。グランジはハードロックっぽいのが多かったから、あんまり(笑)。
あと、俺、学生の頃池袋に住んでたんですけど、アートに金がつぎ込まれていたバブルの時代に……。

— 池袋美術館に(芸術書中心の書店)アール・ヴィヴァン、池袋WAVE……セゾン・カルチャーの恩恵を受けた?

CMT:そうそう。そのアール・ヴィヴァンに変なCDがいっぱい置いてあって、そのなかからメルツバウやボアダムスを聴くようになったり、池袋WAVEとか、オープンしたばかりのLOS APSON?にも通うようになるんですけど、その当時、(LOS APSON? 店主)山辺さんは無愛想で怖かったし、ジャンル分けの仕切りもスペイン語で書かれてて、何じゃこりゃって感じで(笑)。

— クラブ・ミュージックの洗礼を受けたのは?

Merzbow『Merzbient』
日本を代表するノイズアーティスト、秋田昌美のプロジェクト、メルツバウ。1987年から1990年にかけて制作されたものの未発表だったアンビエントミュージックをデジタルリマスターし、コンパイルした2010年発のボックスセット。

CMT:たぶん、新宿リキッドルームへ観に行ったエイフェックス・ツインかな。その時、「ああ、これがドラムンベースっていう音楽なのか」って思ったんですけど、じつは全然違ったっていう(笑)。
その後、MOOCHYのドラムンベースのパーティ(Rhythm Freaks)にも行くようになって。

— じゃあ、入口はドラムンベースだったんですね?

CMT:そう。ドラムンベースはラガジャングルだったり、初期の荒々しい感じに結構ハマったんですよね。DJも最初はドラムンベースだったし、DJハイプみたくドラムンベースにスクラッチを入れたりしてましたね。
ただ、DJが面白いなって思った最初のきっかけは、ニンジャチューンのDJフードなんですよ。こすりながら、めちゃくちゃ楽しそうに色んな音楽をかけてて、俺もやってみたいなって。当時はボアダムスもトランスをやってたり、そういうクロスオーバー感覚が面白かったんですよね。もっとも、ゴアパンとかタイダイのシャツがダメだったんで、トランスは全然遊びに行かなかったんですけどね。

— その後は?

DJ Qbert『Wave Twisters』
西海岸を代表するターンテーブリスト集団「インヴィジブル・スクラッチ・ピクルズ」の中核メンバー、Qバートの圧倒的スキルと音楽センスが堪能できる1998年発の傑作アルバム。同名の映像作品も必見。

CMT:友達に誘われて、(東高円寺)グラスルーツでDJやったら、その後、(店主)Qさんからちょこちょこ誘ってもらうようになるんですけど、当時はドラムンベースやアブストラクト・ヒップホップだったり、オールミックスのプレイでしたね。あの頃、Qバートにとにかく影響を受けていたので、相当練習してたんですよ。
で、その後、俺は2人組のユニットをやってたことがあって、一人が骨組みとなるビートを出して、俺が上モノ被せてスクラッチするみたいな形態だったんですけど、そのライヴ後に興奮したKEIHINから声をかけられて(笑)。その時、すでにKEIHINはpeechboy、MUTRON達と代々木公園にシステムを出して、キチガイのリハビリみたいなドエル・サウンド・システムのパーティをやってて。そこでパーティ本来の楽しさを知る、みたいな。

— 当時、高円寺でsunbeam storeっていう古着屋をやってましたよね?

CMT:そうです。高円寺から徒歩数分くらいのボロいビルの2Fに格安物件を見つけて、「じゃあ、古着屋でもやるかな」ってことで、アメリカへ買い付けに行って、お店を始めたんですけど、始めるとはいっても、誰かが遊びに来ちゃったら、営業どころじゃないっていう(笑)。しかも、店内にDJブースもあったから、グラスルーツでパーティやった後、そのまま、俺の店に流れて、そのままパーティ続行っていう(笑)。ちなみにその店内のパーティをネットラジオでオンエアしてたんですけどね。

— あれは、確か、2002年頃くらい? リアル・オーディオを使ったDJのライヴ・ストリーミングとしてはかなり早かったですよね。

CMT:同じ頃、CRYSTALもやってましたけどね。しかも、そのうち、音楽だけじゃなく、トークも入ってきちゃって、亡くなったタケ(ロドリゲス:SONIC PLATE主宰)さんがトークに参加した時は何故か大げんかになって、その様子を垂れ流しで放送したり(笑)。もう、めちゃくちゃでしたね。

— その後、ハウスの面白さに気づいたきっかけは?

Idjut Boys『Saturday Night Live』
DJハーヴィーと共にディスコの折衷性とユーモアをオルタナティヴなダンス・ミュージックとして提示した英国デュオによる2000年作のミックスCD。

CMT:ボンクラ・アシッド感にやられたイジャット・ボーイズだったり(笑)、Yellowで聴いたセオ・パリッシュですね。あと、MOODMANや(高橋)透さんがやってた「GODFATHER」だとか、ドエルでもpeechboyがハウスをかけていたし。

— しかも、2004年に地元東京を離れて、大阪に移住されますよね。東京ネイティヴな人って、あまり地方に出たがらないっていう印象がありますけど。

CMT:もともと、実家が引っ越ししまくっていたり、16、7の頃、スノーボードをやってて長野に住んでいたこともあるし、移動はずっとしてたんですよね。むしろ、同じところに3年以上住めないんですよ。3年以上経つとやってることの調子が悪くなってきて、環境をがらっと変えるとまた調子が良くなるっていう。
大阪に移住したのも、YELLOWでモーリス・フルトンと一緒にDJした時にBetaLandの平野がVJだったんですけど、「パーティ終わったら、そのまま大阪へ遊びに行こうよ」ってことで連れていかれた(大阪・ミナミのレジャービル)味園のマカオでFLOWER OF LIFEの2周年パーティがあったんですね。それが面白くて、ずるずる何日も滞在している間に友達もいっぱい出来たし、高円寺でやってた服屋がつまらなくなっていた時期だったから、それだったら大阪へ行っちゃえって。
それで光熱費込みで月5万円っていう味園ビルのホテルの一室に2年住んだんですけど、その2年は、若くなきゃやらないというか、今やれって言われても無理ですね(笑)。その頃の大阪は面白かったというか、すごかったというか、ボアダムスのEYEさんを含め、当時はディープ・ハウスをやたら早いBPMでかけたりしてて(笑)。

— はははは。危ないなー。CMTの高円寺、大阪時代は、生活とパーティが一体となった壮絶な感じというか(笑)。

CMT:だって、味園に住んでる時は、起きて10分でパーティというか、エレベーターにレコードを乗せて、降りたら会場っていう生活でしたからね(笑)。だから、その後、2年住んだ奈良の生駒では、その反動で生活とパーティをはっきり分けるようになるっていう(笑)。
あと、大阪での2年は、どこか外国にいるような感じだったというか、大阪っていう街自体もアジアのどこかっていう感じだったというか(笑)。

— その頃、アメリカのバーニングマンに毎年行かれてましたよね。

Leo A. Nash『Burning Man:Art In the Desert』
毎年8月に米国ネバダ州のブラックロック砂漠で1週間にわたって行われる奇祭、バーニングマン。そのアート・ドキュメンタリー写真集。

CMT:2004年からFLOWER OF LIFEのみんなと一緒に計4回かな。自分でも情報収集してたし、FLOWER OF LIFE自体、バーニングマンの影響が大きいパーティだったから、それじゃあ、行ってみようって。
当時、自分がよく行ってたコースはサンフランシスコ発でアルケイタの町でゆっくりして、その後、道中のスリフトショップで必要なものを揃えながら会場に向かうっていう。バーニングマン自体は一週間やってるんで、その前後の1週間を含めて、合計3週間の旅なんですけど、アルケイタの町とか、山や自然があるアメリカ北西部の風景や文化は今の自分にも影響を与えているかもしれないですね。。

— バーニングマンでは最初の年から現地でDJやったんですか?

CMT:いや、2年目からですね。サンフランシスコのTweekinってレコード屋をやってるDJのアンソニー(・マンスフィールド)とM3、あと(フーリッシュ)フェリックスがFLOWER OF LIFEクルーの知り合いだったんで、彼らとつるんでパーティやってましたね。
ただ、バーニングマンって、音楽自体はダサくて、音出してるブースは200以上あるのにかかってるのはトランスばっかり。ただ、音楽目当てで行ったというよりも、人だったり、オブジェだったり、本場のサイケデリック・カルチャーを体験してきたって感じですね。
しかも、あのイベントにわざわざ高い金払って、砂漠で一週間過ごせる人なんて、金持ちばっかりなんですよ。だから、現地で友達になったやつに「普段、仕事はなにやってるの?」って聞くと、バレリーナのチュチュを着たオッサンが「国際弁護士です」みたいな(笑)。

— はははは。Adobeも企業研修先がバーニングマンだったり、普段、ストイックに仕事をしている人が新しい発想を得るために、あらゆるものから解放されに行く場というか。

CMT:もちろん、シリコンバレーの根底にあるヒッピーカルチャーの流れも汲んでいるから、そういう人たちもいっぱい来てるし。自分は60年代のヒッピーカルチャーからそこまで影響を受けてないですけど、結局のところ、自分が10代から聴いてきたバットホール・サーファーズやQバートはサイケデリック・カルチャーの延長の音楽ですからね。

— そして、今度は大阪から奈良の生駒に移住へするわけですが。

CMT:生駒はなんばから30分だし、大阪から山一つ超えるど田舎でいいところだったんですよ。ただ、盆地だったんで、夏はクソ暑くて、冬はクソ寒い。おまけに家がボロかったんで、もう最悪っていう(笑)。

— いつだったか、寒いのと暑いのでは、寒い方が全然いいって言ってましたよね。

CMT:そうですね。暑いのは全然無理っすね。今年夏、DJで沖縄に呼んでもらって、すごくいいところだったけど、住むのは無理だなって思いましたね(笑)。

— ユルい土地を求めて、各地を転々としているわけではないところが面白いというか、確かにCMTに海っぽいイメージないですもんね。

CMT『BLOOM』
自身のレーベル、SBM recordingsより記念すべき10作目のリリースである最新ミックスCD。モダンなグルーヴが花咲くディープ・ハウスが展開される1枚。

CMT:ははは。確かに。でも、そういう住環境の変化って、自分のプレイには全く影響してないかもしれない。もちろん、生駒に引っ越して以降、家で聴く音楽は変わりましたよ。DJのことを考えたり、誰かのミックスCDを聴く以外で4つ打ちは一秒も聴かなくなりましたけど、DJはまた別なんですよね。

— 生駒に移った辺りから、ハウス、ディスコから緊張感の張り詰めたテクノへ音の指向性が変わっていきましたよね。

CMT:4つ打ちをプレイするようになってから、一端ハメてから解放するのが自分のスタイルになっていったんですけど、その時に使ってた昔のシカゴ・ハウスが音の解像度という点で満足出来なくなって、その延長線上でテクノをかけるようになったんですね。あと、その頃は千葉のFuture TerrorでNOBUくんと一緒にDJすることが多かったから、その影響もありますし、うん、最初は現代版のシカゴ・ハウスとしての感覚を求めていたんだと思いますね。
しかも、俺は、その頃、初めてテクノを聴いたので、新鮮だったっていうこともあります。トランスはゴアパンがイヤだったんですけど、90年代のテクノも、ガンダムの足みたいなブーツを履いてる人が多かったじゃないですか。ああいうファッションからして全く駄目だったんですよね(笑)。

— はははは。そして、2007年からは現在も続くパーティ、POWWOWがスタートします。

CMT:DJのカマちゃん(DNT aka DONUTS)以下、後にPOWWOWを始めることになる面々と地方でのパーティ帰りに山口県の秋吉台へ行ったんですね。そこは地下がだらーんとした鍾乳洞、地上はずっと続く大平原なんですけど、夜中、みんなでウロウロ歩いてたら展望台があったんです。で、その展望台には使ってないコンセントがあったから、照明のYAMACHANGが車から持ってきたレーザーの機材を使って、誰もいない大平原にレーザーを飛ばして遊びまくってて。こりゃ、すげえやってことで、その面々とパーティをやることになったんです。それがPOWWOWなんですよ(笑)。
当時、FLOWER OF LIFE周りでパーティをやらない空白期間があって、毎月みんなで遊べる場所を作りたかったんです。だから、QOTAROOくんがフライヤーのデザイン、KABAMIXがPAだったり、そのクルーでパーティで必要な要素を持ち寄ったんです。まぁ、でも、今は大阪でパーティが出来なくなってるから、主に名古屋のJB’Sで一年に2、3回くらいの頻度でやってる感じなんですけどね。

— そして、2010年に奈良の生駒から今度は長野の軽井沢へ移住するんですよね。

CMT:次は関西じゃなく、東京になるべく近い場所で居心地がいい場所を探してて、山梨の北杜とか神奈川の藤野とか、候補は色々あったんですけど、軽井沢は何度か遊びに行ったことがあるし、たまに車で通ったりもしたので、試しにネットで探したら、いい物件が見つかったんですよ。
軽井沢は新幹線の駅もあるから東京に出ていきやすいし、避暑地だから夏は過ごしやすいんですけど、冬は雪が余り降らないのにマイナス10度とか(笑)。まわりは別荘ばかりで、コンビニも営業時間は夜の11時までで制限されているし、静かな街だから、そんなに音は出さず、静かに過ごしてる感じです。

— いま、「POWWOW」のほか、CMTのレギュラー・パーティは福岡でやってる「DESIRE」と長野でやってる「TANGO」になるんですよね?

CMT:そう。ただ、いま、風営法で福岡が全部ダメになって、小倉や熊本が面白くなってきてるんです。だから、「DESIRE」は12月に小倉のROCKARROWSって箱でやるんですよ。「TANGO」は長野の上田にあるSHAREっていうDJバーでやってるんですけど、そこではハウスか、4つ打ち以外のゆるい音楽かって感じでプレイしてますね。

— この12年の足跡を振り返ってみて、どんなことを思います?

Various Artists『E.P. vol.1』
2006年のコンピレーション『Nostalgia Of Mad』への参加を皮切りに、オリジナルやリミックスを散発的に発表しているCMTのオリジナルトラック「TECHSTREAM」を収録した2009年のシングル・コンピレーション。

CMT:こうやって話してきて思うのは、まぁ、やりたいようにやってきたなっていう(笑)。でも、その間、FLOWER OF LIFEだったり、Future Terrorだったり、面白い場所でみんなに受け入れてもらってありがたかったですね。
今後の課題としては、トラックを作りたいなって思ってるんですけど、誰かから頼まれることがないとなかなか動かないっていう(笑)。ただ、ようやくここに来て、作り方が分かってきたので、暇な時間を見つけてはちょこちょこやってますね。

— DJとしての変遷は、自分のなかでどう捉えていますか。

CMT:ハメと解放がありつつ、その流れの一部をフォーカスしてプレイしたり、その辺のヴァリエーションの付け方は、自分もようやく大人になってきたって感じですかね。かけるものもパーティに合わせて、テクノだったり、ハウスだったり。DJに関しては完璧主義で臨んでますね。
ただ、いずれにしても、俺はDJにおける自分なりのストーリー性を一番大事にしていて、ミックスCDも、俺は映画が好きなので、映画を一本撮るような感覚で作っているんです。ちなみに今回のミックスに関しては、例年、1、2本だった野外のパーティが今年は異常に多かったんですね。そのなかでやったことをまとめて形にした感じで、明るくなる前の霧がかかって、もやっとした状態から明るくなって、ほんわか着地する、そんなイメージですね。

— 時間だったり、それからヴィジュアル・イメージを喚起させるところにCMTらしさがあるように思いました。

CMT:ヴィジュアルってことでいえば、重要なのは、ジェームス・タレルのようなアートだったり、あとはバーニングマンですね。音楽的な影響は1ミリも受けてないけど(笑)、あそこで見たものから受けるインスピレーションはいまだに大きいかもしれない。
自分はDJの時、非日常の瞬間に連れていきたいと思っているし、その非日常から日常に還っていくまでの話とか、自分にとってDJはそんな表現なんですよね。

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