#13 TAKASHI (MIST THE PARTY) – 人気DJのMIX音源を毎月配信!『Mastered Mix Archives』

by Mastered編集部

MasteredレコメンドDJへのインタビューとエクスクルーシヴ・ミックスを紹介する『Mastered Mix Archives』。2年目に突入した今回登場するのは、TAKASHI氏です。

10年以上前に行っていた自身のパーティDOWNLOW、そしてMIST THE PARTYが未だに語り継がれている彼は、長年に渡ってプロとして活動してきたスノーボードを中心に、スケートボード、サーフィンのバックグラウンドに持つ、知る人ぞ知る最高のDJ。今年に入って、ノルウェーのPRINS THOMASやIDJUT BOYSとの共演を果たすなど、そのプレイは常にインスピレーションに満ちているものの、彼の音楽遍歴を知る者は数少ない。

これまでミックスを作ったのは数回のみという彼がMasteredのために制作してくれた貴重なミックスとともに、90年代のロサンゼルスでのパーティ体験を含め、ボード・カルチャーとダンス・ミュージックが常に共存してきた彼のキャリアを紐解きます。

※ダウンロード版の提供は一週間限定となります。お早めに。

※ダウンロード期間は終了しました。

Interview & Text : Yu Onoda
Sound Mastering : Naoya Tokunou
Editor : Yugo Shiokawa

スケートもサーフィンもスノーボードも自然が相手だし、パーティも自然相手というか、その場がどうなるかまったく分からないじゃない?そうやって状況が変わっていくところがおもしろいし、失敗もいい瞬間もみんなで共有出来るところがパーティの面白さだと思うんだよね。

— まず、TAKASHIくんが本格的に音楽にハマったきっかけというのは?

TAKASHI:幼少の頃、音楽好きな叔母さんの影響で洋楽なるモノを聞き出したような気がしますね。で、そのあとはおそらく世代的に多くの人が見てたと思うんだけど、Best Hit USAっていう、今もたまに夜中に見かけるけど、あのTV番組が大きかった。
ステレオコンポが家にあったので、レコードちょいちょい買ったり、『友&愛』でレンタルしてきたりして音楽聴いて、カセットに録ってなんてしたら、ある日、兄のKEIがテクニクスのターンテーブル2台とベスタックスのミキサーをゲットしたんだよね。イエス!って感じで、わけも分からずいじりだしたのが始まり。

— スケートボードと音楽の出会いはビースティ・ボーイズだったとか

Beastie Boys『Licensed to Ill』
言わずと知れた、1986年リリースのビースティーズ1stアルバム。世界中のキッズ同様、TAKASHI少年も夢中に。

TAKASHI:本格的なスケートボードとの出会いはビースティ・ボーイズですね。高校に入ってからはサッカー部に入るんだけど、えらいスケートにハマっちゃって…。高1の夏休みには原宿でずっとスケートボードばかりやってて、その流れからSTORMYってお店で働くようになって。当然、部活の練習に顔も出さないんで先輩に呼び出されたんだけど(笑)、3年生にたまたまSTORMYのライダーがいて、「お前、これからはサッカーじゃなく、スケートの時代だから。上に言っとくから、部活なんてやめてスケート続けた方がいいよ」って言ってくれて。そこからはスケートボードとレコード収拾に没頭するようになって。
で、高校2年の時だったかな、KEIが今度はハウス・ミュージックっていうのを持ち込んでくるのね。彼の同級生が「東京で初めてハウスがかかった」なんていわれてる六本木のクラブ、ANOTHER WORLDのDJだったこともあって、スケートボードを持った俺は一緒に車で連れて行かれたんだけど、当時の自分にはまったく面白くなくて。だから、ちょっと遊んだ後、当時、六本木通りの高架下にあったスケートパークへ行ったりして、朝まで兄貴たちが遊び終えるのを待っては、学校で寝るっていう生活(笑)。

— はははは。

Tyree『Nation of Hip House』
ヒップハウスの立役者で、シカゴハウスシーンのレジェンドとして知られるタイリー・クーパーが1989年にリリースした、その名も「ヒップハウスの国」。

TAKASHI:それで自分でもヒップハウスとかシカゴハウスなんかを買うようになるんだけど、ヒップホップと混ぜようとしてもテンポが違うから合わないっていう(笑)。でも、当時、ヒップホップ好きの自分をハウスとつなげてくれたのは、タイリー・クーパーとかスティーヴ “シルク” ハーリーみたいなヒップハウスが大きいかな。当時、雑誌でストップウォッチを使ったBPMの計り方を紹介してて、自分でもやってみるんだけど、それが何なのかよく分かってないっていう(笑)。そういうところからターンテーブルに慣れ親しんでいったんだよね。

— TAKASHIくんはその後、スノーボードを始めるんですよね?

TAKASHI:そう。その後、バイトしてたSTORMYがスノーボードを扱うようになるんだけど、KEIがやり始めたこともあって、ホントはスノーボードをやるような年齢ではなかったんだけど、早くから始めたこともあって、高校3年の終わり頃からスポンサーが少しずつ付いたりして、そこから28くらいまでプロとして10年くらいやってたのかな。だから、スケートボードよりスノーボード、夏も海外でやってるっていう生活。その頃買ってたレコードはアシッド・ジャズ、ハウス、ヒップホップ。あとはドアーズ、ピンク・フロイド、グレイトフル・デッドに一時期ハマってたかな。
それから当時、『FINE』って雑誌が早くからスノーボードを取り上げてくれてて、その仲間内の楽しい時間として六本木のEROSって箱で毎週水曜日にパーティをやってて、確か、人前で初めてDJしたのもそのEROSが初めてだと思う。ハウス・オブ・ペインやビースティ・ボーイズなんかが必ずかかるオールミックスのパーティだったんだけど、その一発目にリル・ルイスをかけたら、誰もいなくなっちゃったのを覚えてる(笑)。

Lil' Louis『From the Mind of Lil Louis』
説明不要の大クラシック「French Kiss」収録のファーストアルバム。1989年リリース。

あと、当時、ハマってたのはレゲエかな。三軒茶屋にあったBONGから並木橋に移ったRAGGAMUFFIN JAMっていうレゲエ・バーにはよく行ってたし、スケーターのクリスチャン・ホソイなんかすごいレゲエ好きだったこともあって、レゲエとスケートボードも僕にとっては切り離せないもので。スノーボードをやるにあたっても、そのベースにはスケートボードがあるし、目の前にあるものを絶対に乗りこなしたいっていうスケートボードの精神は、今メチャハマってるサーフィンにも当てはまるっていう。

— それはダンス・ミュージックしかり?

TAKASHI:そうだと思うし、全てにおいてある気がする。自分の好きなDJにしても、そういう感覚は空気に表れると思うし。やっぱり、ダンス・ミュージックも乗り物だと思うから。それをどういう角度で見てるかっていうことがすごく重要で、俺は、朝、サーフィンして、スケートボードして、夜、飲んで遊ぶってことをずっと見てきたというか、それだけでしかなくて。スケートもサーフィンもスノーボードも自然が相手だし、パーティも自然相手というか、その場がどうなるかまったく分からないじゃない?そうやって状況が変わっていくところがおもしろいし、失敗もいい瞬間もみんなで共有出来るところがパーティの面白さだと思うんだよね。

— さらにその後、TAKASHIくんはLAに留学することになるんですよね?

TAKASHI:(SARCASTIC/HARVEY SARCASTIC DISCOの)ポール(・T)と知り合って、その後、95年にLAへ行くことになるんだけど、ヤツと最初に会ったのは、原宿なんだよね。日本語が大してしゃべれない、鼻にピアスした日本人みたいヤツに道で突然話しかけられて、「STORMYってどこですか?」って。その時、ちょうど自分も行くところだったから連れて行ってあげたんだけど、彼は当時、ロサンゼルスのXLARGEで働いていて、(現TILTのデザイナーにしてDJの)EZくんに会いに来てたんだよね。で、その時はそれで終わりだったんだけど、何日か後にスノーボードしに群馬の山へ行ったら、原宿で会った少年も遊びに来てて、「あ、なんだ、みんなつながってるんだね」って話になったんだけど、同じ車で一緒に帰った時、車内で当時、大好きだったビョークを聞いてたら、「プロデューサーのネリー・フーパーはヤバいよね」っていう話で意気投合して。その出会いが、俺が留学で行ったLAでポールにお世話になるきっかけになるんだけど、95年当時のLAって、いわゆる今好きなような、おもしろいハウスのパーティーはなかったんだよね。

— ポール、それから高校の同級生だったラブンタグのエリックも当時はヒップホップを聴いていたと言ってました(→参考記事)。

TAKASHI:そう、思いっきりヒップホップ。当時のスケートボードシーンはすごくヒップホップとの結び付きが強い感じで。でも、同時にハウス、ダンスミュージックにも興味はあったので、ある時、ドック・マーティンのパーティへ遊びに行ったら、一晩で自分が知ってる曲が1曲しかかからなかったのに、まるでよく知ってるかのように心地よい音楽が一晩中鳴ってて、すごく楽しい時間だった。「な?んだ、LAにもメインストリームとは違うおもしろいシーンがあるんだ!」って思って、アメリカ留学時はなるべく身軽にしたかったから当然ターンテーブルやレコードは実家に置いてってたんだけど、結局欲しくなっちゃってダッシュで日本に取りに戻ったりして(笑)。
それからはLAの家でもDJしながら遊んだりできる環境が整って、すっかり加速。ちょうどポールがSARCASTICを始めるのに倉庫を探したんだけど、そこに昔持っていたターンテーブルのセットを持ち出したりして、最高の環境が整って行くんだよね(その倉庫では、後にハーヴィーほか、彼らの友人を招いた数々の伝説的なパーティが行われることになる)。

— 当時、LAで面白かったのは?

Doc Martin『Fabric 10』
TAKASHI氏も絶賛する西海岸の伝説的DJ、ドック・マーティンが手がけた人気ミックスシリーズの第10作。2003年リリース。

TAKASHI:LAに山ほどある倉庫や廃校になった学校でやってる、いわゆるアンダーグラウンドパーティって言われるモノには目がなかったね。アンダーグラウンド・ヒーローだったのはやっぱりドック・マーティンかな。彼なんて日本ではホント過小評価されてると思う。世界ナンバー・ワンっていって良いくらい、スゴいから。なんせ、名前がドック、つまりドクターだから、「そろそろ、処方箋でももらいに行きましょうか?」って感じで参加してた(笑)。向こうでも別格なの。当時、日本で流行ってた歌モノハウスは全くかかってなくて、音と音の組み合わせで何時間かで1曲っていうようなプレイで、とにかく長いうえに、ドックはターンテーブル3台の出し入れがすごく上手くて、「あれ、このフレーズ、30分前くらいに聴いたような……いやいや、でも、そこまで1曲は長くないでしょ」って思わされているうちに、時間感覚が狂っていくという(笑)。ドックもベースにはヒップホップがあるって聞くから、それがまた肌に合ったのかも。

— 90年代のウェストコースト・ハウスはブレイクビーツが土台になってましたもんね。

Map Of Africa『Map Of Africa』
DJハーヴィーと、ラブンタグのトーマス・バロックによるサイケデリックなユニット、Map Of Africaの現時点では唯一となるアルバム。2007年リリース。

TAKASHI:ハーヴィーも元々はヒップホップDJだし、ウィキッドにもそういうところがあったよね。ガース、イェノ、マーキー、それから今はラブンタグのトーマスっていうウィキッドのDJもよく聴きに行ったよ。確か、2周年がフランスワ・ケヴォーキアン、5周年がハーヴィーだったのかな。その合間にはグレイハウンド・バスにターボサウンドのサウンドシステムを積んで、何ヶ月に1回やってくるんだけど、すごい人気があって朝まで入れなかったり。
あとね、あまり日本では知られてないかもだけど、オリジナルのウィキッドってじつは5人いて、もう一人、マーキーの弟でドノヴァンって子がいて、彼が映像をやるの。今と違って、コンピューターでVJはポピュラーではなかったから、フィルムを使ってたんだけど、そのフィルムをよじったり、色をかませて使ったり、それがスーパーサイケデリックなんだよね。俺らの間ではその5人が揃わないとウィキッドとは呼ばない、みたいなね(笑)。
で、ある時、「スノーボードに行こう」ってことになって。LA近郊は当然雪なんてそんなに降るわけではないんで人工雪のパークが多いんだけど、その日はパウダースノーを求めてLAから8時間くらいのところにあるマンモス・マウンテンへ向かうことになって。そうしたら、その車中でポールが「すごいテープがあるから、それ聴いてたら、あっという間に着くよ」って言い出して、流れて来たのがハーヴィーのミックステープだったの。あんまり情報もなかったし、どんなの何だろうってワクワクしてて、そうしたらいきなり1曲目がジェームス・ブラウン! で、色々な世界が次々に流れて行って、あれよあれよと言う間に山に着いてたんだよね(笑)。「えっ、今のDJなんなの?」「これ、すげえだろ?」「すごいっす」「俺、このDJをLAに呼ぼうと思ってるんだ」「やろうよ!」っていう話になった。それが97年かな。

— えっ、ハーヴィーが初めてLAでプレイしたポールのパーティって、TAKASHIくんも一緒にいたんですか?

TAKASHI:遊びに行ってたよ!日本から遊びに来ていたKEIと。その時にパーティーTシャツをSARCASTICが作って、デザインが前面をシンちゃん(SKATETHING)、背面をFUTURA。プロデュースはポールで、DJはメインがハーヴィー、ウォームアップがトーマスっていうなんとも素敵なパーティで(笑)。WAXっていう名のパーティだった。その時、客はそんなに入ってるって感じでもなくガラガラだったんけど、一晩中聴いてたハーヴィーのプレイの印象は、とにかく本人がすげえ楽しそうにしてて、聴いたことのある音楽なのに聴いたことがない感覚にさせられたり、逆も然りで、同時にヨコノリ感覚も感じたというか。ポールはサーフィンもスケートボードもすげえ上手いから、そのポールが惚れる男だから間違いないというか、その時の衝撃は他のDJ、自分が知ってたつもりだった今までの感覚とは全く違うものだったというか、今に通じる、ダンス・ミュージックへよりハマる大きなきっかけになったんだよね。
それ以前の日本のシーンの印象は色々制約があったように感じてて、その時見て体感したパーティーは全ての制約を取っ払った、いってみれば、ただのホームパーティみたいな。サウスセントラルまでトラックでサウンドシステムを借りに行ったり、セッティングしたり、飲み物買いに行ったり、要はみんなで協力して、あるものをかき集めるんだよね。で、LAだと警察にギャング、それからパーティを潰しに来るやつらだったり、そういう色んな外敵がいたりするんだけど、そういう一筋縄では行かないところがみんなで真剣にその日を遊び倒す、メイクするっていう雰囲気に繋がっていたような。絶対乗りこなすぞー!って(笑)。そういう経験を経て、「これだよな?!」って思ったんだけど、日本では環境的にみんなを集める家やバーベキューが出来る庭もないから、結局、家となる箱を借りなきゃいけないと思いつつも、極力制約を取っ払ったパーティをやりたいよねって話してたアイディアが、東京のYellowでKEIを中心に始まった『DOWNLOW』であり、『MIST THE PARTY』に繋がるっていう。

— そして、いよいよ話はDOWNLOWからMIST THE PARTYへ。

TAKASHI(タカシ)
元プロスノーボーダーにして、国内のアンダーグラウンドダンスミュージックシーンでは名の知られた敏腕DJ。国内のDJはもちろん、SARCASTICのポール・Tらも信頼を寄せる。氏の確かな選曲は現在、目黒カラビンカやAOYAMA TUNNELなどで体験することができる。

TAKASHI:俺とKEI、それから友達2人で、ウィキッドで遊んだ感覚を持ち帰ったパーティを日本でやろうってことになったんだけど、俺はその時わけあって帰れなかったので、「3人でやってくれ」ってことになって(笑)、99年に西麻布のYellowで始まったDOWNLOWってパーティは、アートとボードスポーツがコンセプトだったんだけど、1回目をやったらなかなかの好評で、2回目をやることも決まって。そのタイミングでTシャツを作ろうってことになるんだけど、ポールや俺らの周りはLAでパーティをやるとなったら、必ずTシャツを作ってたのね。そういうのも当時の日本にはなかったから、面白いんじゃない?って。そのタイミングで俺も日本に帰ってパーティに合流出来た。DOWNLOWはYellowでやってたからさすがに入場無料には出来なかったんだけど、お店の人の理解と協力で、何日も前から準備させてもらって壁一面にグラフィティを書かせてもらったり、入場料も一律1,000円くらいに抑えたり、自由にやらせてもらって。俺らはスノーボーダーだったから、シーズンの始まりと終わりを山開きと山を閉めるっていう意味で、5月のゴールデンウィークと11月のちょっとした連休のタイミングっていう年2回で、計6回くらい続けたのかな。人もそこそこ入ってくれて、動員とかバーの売り上げの記録なんかも出ちゃったり(笑)、パーティ自体もかなり盛り上がったし、何より自分たちも含め、参加してくれたみんなが楽しんで遊べてたって言うのが一番大きいよ。

— それがMIST THE PARTYへどういう形で発展したんですか?

TAKASHI:DOWNLOWを続けているうちに、自分の感覚として、Yellowって箱はちょっと大きいなって思ったの。だから、KEIに「やりたいことをやるんじゃなく、続けていくために余計な何かをクリアしなきゃならない状況は何か違うんじゃない?」って話をして、それで俺とKEI、それから当時協力してくれてたNAOKIくんの3人で新たに始めたのがMIST THE PARTYなんだよね。それで身の丈にあった100人くらいの収容規模で、その人数を満足させられるサウンドシステムを考えて、場所も変えようということで、2002年に溜池山王の坂の下にあったJUNO LOUNGEってクラブで、今度は日本の伝統でもある四季をお祝いしようと、年4回開催っていうことでスタートして。でも、店がなくなるってことで、やったのは結局1年間の4回のみ…。あとはイレギュラーとして、『FRESHJIVE』のパーティでハーヴィーと一緒に来てたWAXレコードのリトル・クリスをフィーチャーした恵比寿みるくと六本木のSuperDeluxeだね。

— その6回が10年経っても未だにあちこちで言われ続けているって相当なパーティですよね。

TAKASHI:来てくれた人が上手くハマってくれて、今も言ってくれてるのはホントありがたいよね。「またやらないんですか?」って、たまに言われたりもするんだけど、MISTはホームパーティというか、何か祝い事がある時にやるっていうのと、3人が納得した時にやるっていうのが決め事になっているんだけど、俺が思うに、今後やることは多分ないんじゃないかな。でも、クラブにまつわるしがらみや枠組みを抜きに遊びたいというか、それをみんなが知ってくれてたからこそ、これといったバックグラウンドもなく、ミックスCDを出したこともないのに、プリンス・トーマスやイジャット・ボーイズとのパーティでのDJにつながったんだろうし。まぁ、NAOKIくんも地元幡ヶ谷周辺で今もDJしてるし、KEIは原宿BONOBOで隔月のパーティ「SPREAD」、俺は目黒カラビンカの隔週木曜日にやってるからね。また集まる日が来ると良いとは思っているよ。

— 最後に今回、作ってもらったミックスなんですけど、ミックスを録ったのは今までで3回くらいだとか? 引き受けてもらえてホントうれしいんですけど、この音源はどんなテーマを設けたものなんですか?

TAKASHI:話をもらってから1ヶ月くらい考えていたんだけど、考えすぎても答えが出ないから、じゃあ、夏の一つの自分の過ごし方を表現しようと。俺ね、すごいサーフィンにハマってて、春、夏、秋……冬以外はずっとやってるの、ここ最近。で、そのある夏の一日っていうのがテーマ、まだ薄暗い朝4時ごろに起きて、疲れて眠いなか、板とかウェットとかを車に積んで、音楽を聴きながら高速で1時間半くらいドライブ。だんだんと夜が明けてきて、どんな波かな?人はいっぱいいるのかな?水はあったかいかな?何食おうかな?とか色んなことを考えつつ到着し、気分はだんだんとアガって来て、メローな波だったり、勘弁してよっていうぐらいハードな時もあったりして…でもいつも頭のなかには音楽が流れてて。それで3時間、4時間、波乗りして。サーフィンってかなり疲れるんだけど、その疲れが心地良い疲れで、すごい脱力感を感じながら海から上がって、仲間とあーじゃない、こーじゃないとセッションした後、夕日が沈むなか、コースト沿いを走って家路に着くという。そういう、とある夏の僕の一日をミックスと言う形にしてみた感じ。聴いてくれるみんなは色々なシチュエーションで聴くと思うけど、車、オフィス、朝、夜、Mac、iPod…その人なりの生活に良いタイミングでハマってくれる瞬間があってくれればと思っているんだけどね。海に向かわないにしても、何かしている時にふっと音楽が入って来て、「ヨッシャー!やるぞーー!!」みたいなね(笑)。ハマらないタイミングで聴けばハマらないかもしれないけど、少しでもハマってもらえればいいなって思ってます。

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