スニーカーや古着と同じく、男ってやつはとにかく「おっぱい」に弱い。では、そんな僕らが夜な夜なお世話になっている”華麗なるおっぱい”は、一体どのように世に生れ落ち、どのような経緯を辿って我々の目の前に現れることとなったのか。もちろん、それが作中で語られている大人のビデオだって、たくさんあるにはあるのだが、そんなものは大抵早送りして、見もしないってのが男の性である。
けれども、そこには様々な価値観や考え、そして人生とストーリーが詰まっている。EYESCREAMブロガーとしてもおなじみ、我らがハメ撮り隊長ことカンパニー松尾による人気連載『カンパニー松尾の「華麗なるおっぱい」』は、毎回、1人のAV女優にフィーチャーし、文字通りその”華麗なるおっぱい”の真相に迫っていくという、時に楽しく、時にちょっぴり切ないインタビュー企画(巻末にはカンパニー松尾による最近お気に入りの”カレー”を紹介するオマケ付き!)。
第4回となる今回、ゲストとして登場してくれるのは、三原ほのか。
Interview:Company Matsuo
Text&Edit:Keita Miki
Photo:HMJM
Starring:Honoka Mihara
■カンパニー松尾の「華麗なるおっぱい」 三原ほのか編
千葉と埼玉は兎にも角にも飯、カラオケ、セックス。で、カラオケも面倒くさいからカラオケでセックス。(カンパニー松尾)
松尾:皆様、あけましておめでとうございます! では、早速始めていきますね。まずは自己紹介をお願いします。
三原:三原ほのかです。22歳です。
松尾:ご出身はどちらで?
三原:埼玉です。小中高と埼玉の学校に通ってました。
松尾:小さい頃はどんな子だったんでしょう?
三原:保育園に通っていた時は良くしゃべる子だったみたいですけど、小学校に上がってからは人見知りをするようになって、随分と大人しくなりましたね。
松尾:習い事とかはしてたんですか? 部活とか?
三原:いや~、何もないですね。運動は苦手だったし、塾とかにも行ったことなくて。
松尾:あら、じゃあ跳び箱は上に乗るタイプですか?
三原:そうですね(笑)。走るのが一番苦手です。50m走が遅すぎて、先生に「真面目にやってください」って怒られたくらい。
松尾:あぁ、僕も遅かったんですよ。早く走ろうとしてるんだけど、あまりにもそのイメージに自分が辿りつけないから途中で笑っちゃうんですよね。それで良く怒られてました(笑)。ちなみに、その頃、既におっぱいの問題はあったんですか?
三原:いやいや、小学生の時はほとんど無いに等しいですね。
松尾:当時のあだ名、なんでしたっけ?
三原:もやし。
一同笑
三原:そのくらいガリガリだったんですよ。
松尾:いつ頃から変化があったんですか?
三原:中学一年生で生理が来てからですね。カラダも気持ちも一気に大人になった感じで。もやしに全体的にお肉が付いてきて(笑)、おっぱいもCぐらいにはなりました。
松尾:性格は大人しいままだったんですか?
三原:そうですね、大人しいっていうよりは、とにかく地味でした。
松尾:クラスの中では、どんなヒエラルキーにいたんですか?
三原:余裕で一番下ですね(笑)。勉強できない、運動も出来ない、友達もいない。地味だし、ずっと本読んでるし。
松尾:何の本を読んでたの? エロ小説?
三原:……では無いですね(笑)。その頃は本屋さんとか図書館に行くのが好きで、自分の好きな小説とかを読んでました。高校生になったら本屋さんでバイトしたいなって思ってたんですけど、近所の本屋さんは高校生不可で。それがすごく悲しかったくらい、本が好きでした。
松尾:本を好きになったキッカケは何だったんですか?
三原:お父さんの影響ですね。家に推理小説がいっぱいあって。石田衣良とか、好きで良く読んでました。当時、携帯小説がすごく流行ってたんですけど、私はそういうのは読んで無くて、本屋さんに通ってましたね。
松尾:なんかさ、そのヒエラルキーの最下層にいた話をニコニコしながら明るく話すのが面白いよね。でも、愛想が悪かった訳では無いんでしょ?
三原:うん、普通に話しかけられたら答えてましたよ。けど、他人の話を聞くと、中学生の頃、私いじめられてたらしいんですよ。それにも全然気付いてなかったんですけどね(笑)。
松尾:どんないじめだったんですか?
三原:みんなに無視されてたらしいです。
松尾:それに気付かないのは、言い方が悪いですが、かなり幸せな人ですね(笑)。友達は1人もいなかったの?
三原:1人いれば良いかなと思ってて、1人だけはいましたよ。
松尾:学校に行きたくないとか、そういう気持ちは無かったの?
三原:はい。学校は嫌いでしたけど、行きたくないと思ったことは無かったですね。
松尾:でも、高校には進学したんだね。
三原:通信制にしようかとか、色々考えたんですけどね。結局、とりあえず行くかと思って、とりあえず卒業した感じです。内申点が良ければ、面接だけで入れるような学校でしたけど(笑)。共学だったんですけど、男の子との関わりは全く無かったし、もちろん告白されたことも一度も無かったです。
松尾:高校では部活とかバイトはしたの?
三原:何もしてないです!
松尾:え、じゃあ何してたんですか?
三原:結果、何もしてないんですけど、高校生の時は友達もいたので、ファミレスで喋ったりはしてましたよ。
松尾:夜遊びとかはしなかったの?
三原:全くしなかったですね。門限がある訳でも無いし、何しても何も言わなかったと思うんですけど、別に遊びたいって気持ちも無くて。逆に、高校の時ってみんな何してたんですか?
松尾:普通はちょっと悪い遊びを覚えたりとか、彼氏が出来たりとか、色々あるんじゃないですか。
三原:そういう子もいましたけど、すごく嫌だったんですよね。学校っていう狭い世界の中で誰と誰が付き合ってとか、そういうのが馬鹿馬鹿しいというか、なんか嫌で。
松尾:また随分冷めた高校生ですね。ギャルになりたいとか、そういうのも無かったの?
三原:パンツ見せてるギャルはたくさんいましたけど、自分がなろうとは思わなかったですね。
松尾:痴漢とかされたことはあった?
三原:それはありましたよ。
松尾:積極的にされてたの?
三原:いやいや、それはさすがに……(笑)。普通に嫌だったけど、言えませんでしたね。ずっと耐えてました。その瞬間に気持ち良いとかは無かったですけど、後で思い出して……みたいなのはありましたね。
松尾:オナニーのオカズにね。良い話ですね。いや、痴漢は全然良くないですけどね! 学校の先生に憧れたりは?
三原:男性全般が嫌いでした。でも、なぜか体育の先生に犯されちゃう……みたいな妄想はしたりしてましたけど(笑)。
松尾:「跳び箱、飛べねぇのか!」みたいな?
一同笑
三原:そうそう。そういう妄想はすごく楽しかったです。
松尾:けど、総合すると学校はしんどかった訳ですよね。早く卒業したかった?
三原:うーん、でも卒業したらしたで何をしようって迷いもあって。保育園の先生になりたいなとか思った時期もあったんですけど、結局受験もせず、フリーターになりました。
松尾:何のバイトしてたの? キャバクラ?
三原:ケーキ屋さんです(笑)。楽しいことが何も無かったんですよね、したいことも無かったし。
松尾:初体験はいつ頃?
三原:20歳の時ですね。
松尾:つい最近のことじゃないですか! 相手は彼氏? 痴漢の人では無い?
三原:彼氏です(笑)。
松尾:当時、既に君のカラダは仕上がってたの?
三原:いや、若干出来上がりつつはありましたけど、初めてエッチをしてから一気に変わりました。
松尾:じゃあ彼はおっぱい目当てって訳でも無かったんだね。
三原:多分違うと思います。友達の友達だったんですけど、結構グイグイ来る人で。
松尾:良い意味で、彼が自分を変えてくれた部分はあるんじゃない?
三原:そうかもしれないですね。付き合ってからしばらくは意図的にヤラせなかったですけど。
松尾:え、埼玉は普通、付き合った初日にするんでしょ?
三原:なんですか、それ(笑)。
松尾:埼玉は軽いですからね~。僕の中にそういうデータがあるんですよ。千葉と埼玉は兎にも角にも飯、カラオケ、セックス。で、カラオケも面倒くさいからカラオケでセックス。空いてる部屋があれば、とにかくセックス。
三原:ひどい! でも、否めないですね……。
松尾:女の子同士で遊ぶ場合は、飯、カラオケ、カラオケの店員とセックス。
一同笑
三原:さすがにそれは無いですよ(笑)。
松尾:何でしばらくしなかったの? 怖かったってこと?
三原:怖かったし、汚いというか、そういう抵抗感もありました。
松尾:処女特有のやつですね。けど、初体験はちゃんとお付き合いをして、合意の上で、な訳でしょ?
三原:20歳になったタイミングで、そろそろ良いかなと思って。初めては痛かったですけど、2回目からは気持ち良かったです。
松尾:すごい順応性ですね。今までの経験人数は?
三原:5人くらいですね。
松尾:ここまで、三原さんにはあまりAV女優になる資質が無いんですよね。AVに出るキッカケは何だったの?
三原:スカウトですね。スカウトされた時は名刺を貰うだけだったんですけど、そのうちに興味とか好奇心が出てきて。あとは、ものすごく暇だったんですよね(笑)。ケーキ屋さんのアルバイトも全然やりたいことでは無かったし、本当に退屈な毎日だったんです。
松尾:でも、彼氏がいたらAVやりにくくなかった?
三原:ちょうどその頃に別れることになって、一回実家に帰ったんですよ。
松尾:タイミングが全てだったんですね。半年前にスカウトされてたら、やってなかったかもしれないもんね。
三原:本当にその通りだと思います。勢いでしたね。
松尾:モデルの経験も無いし、水商売の経験も無いところからのAVっていうのは中々すごいですよ。自分のカラダに自信はあった?
三原:そんなことは無いですよ。自分が嫌だったし、写真を撮られるのも嫌い、人前に出るのも嫌でした。
松尾:正直、AV女優になるって決断は、どこかネジが1本外れていないと出来なかったりもするじゃないですか? 親にバレて心配をかけるかもしれないとか、色々な不安がよぎると思うんです。
三原:今までの平凡な生活にうんざりしていて、刺激が欲しかったんですよ。先ほどお話したように昔から大人しい性格だったんですけど、どこかに、その平凡な生活を壊したくなる自分もいて。彼氏がいる時も、相手は私を大事にしてくれるけど、なんかつまらなくてフっちゃったりしたし。そういう性格なんでしょうね。
松尾:だからってそういう生活に憧れていた訳でもないでしょ?
三原:どうですかね。Marilyn Mansonとかは聴いてましたけどね(笑)。
松尾:騙されたりとか、嘘をつかれたことはある?
三原:あまり無いですね。嘘をつくことはありますけど(笑)。
松尾:平凡な自分を壊したいって気持ちで脱いだっていうのは良いよね。脱ぐことで壊れるし、生まれる部分もありますから。実際、裸になってからはどうですか?
三原:最初はもっと落ち込んだりとか、後悔するかと思ってたんですよ。でも、若い時しか出来ないし、エッチも好きだし、折角このカラダがあるんだからこれを活かそう! って前向きに思えましたね。
松尾:嫌なことは無かったの? 結構ハードなプレイもやってるよね?
三原:もちろん、ありましたよ。
松尾:デビューしてから割と直ぐにハードなプレイに挑戦していますけど、あれは自分の意思なんですか?
三原:そうですね。前からめちゃくちゃにされたいって願望はあったんですけど、普段の生活でそんなことは出来ないじゃないですか。
松尾:こうやって喋ってると大人しそうなんだけど、あれだよね、すごい変態ですよね。
三原:ハードなプレイがストレス発散になってる部分もあるのかもしれないですね。ボロボロになって泣いたり、叫んだり、なんか解放される感じがあるんですよ。
松尾:不思議なもんですね。
三原:ハードであればあるほど、気持ちは晴れるんです。達成感もあるし、精神的に気持ち良いのかもしれません。
松尾:三原さんは全体的に自分のことを俯瞰で見ているところがありますよね。
三原:そうかもしれないですね。
松尾:皆さん、とにかく三原さんのカラダってすごいんですよ。もう完璧な仕上がりで。仕上がりっていうと作り物っぽく聞こえるけど、全部天然ですから。
三原:ありがとうございます! おっぱい以外のカラダの変化は結構あるんですけど、おっぱいだけは落ちないんですよね。
松尾:本当に素晴らしいカラダなんですよ。近年稀に見る素晴らしさ。表彰したい。額に入れて飾りたい。瞬間冷凍して未来まで持って行きたい。そんなカラダです(笑)。
三原:デビューしてからそうやって褒めてもらえるので、少しは自分の事を好きになれました。
松尾:そんな訳で三原さんのフィギュアみたいなカラダは、『ハミ乳グラマラス リアルラブドールアゲイン 三原ほのか』、『恥ずかしいカラダ リアルラブドール 三原ほのか』の2本でご覧いただければ幸いです。
■今月の”カレー” 「モンスナックのカツカレー(辛口ライス小)」
はい、今回は老舗中の老舗。昭和39年創業、新宿紀ノ国地下1階のモンスナックさんです。
場所が便利だし、注文してから出てくるのも早いし、なんか昔に比べてちょっと味が変わった気がするけど、なんだかんだいって日常で一番食べてるカレーですね。
味の説明は難しいっす。ルウはさらさらといってもスープカレーのそれとは違うし、辛いといってもスパイシーじゃないし、どちらかといえば甘さも感じるし、何だろ? 敢えて言えば中毒性のある味ですね(全然説明になってない!)。
あと、モンスナックはとにかくルウが多い! 別名カレー茶漬けと呼ばれるくらいのルウ余りが実現します(オラはルウ余りが好きだ)。
さらに僕の場合はライス小で食べるので、ルウとライスの比率が驚く程にルウ寄りで、実感としては7割がルウ。そこに揚げたてのカツをひたして食うのがうまいんです。
メニューには書いてないけど辛口もオーダー出来るので、オラの定番はカツカレー小、辛口。カツカレーはカツを揚げる時間待つので無料のコーンサラダもしっかりいただきます。
席が狭くカウンターだけのお店なので、デートには向きませんが(それでもオラは何回もモンスナックデートしてるが!)、ささっと座って、ささっと食べて、出てゆく感じも好きです。とは言いつつも、女性ひとりのお客さんも多いので、ゆっくり食べても問題ないです。
カレー愛好家の中では評価が分かれるそうですが、僕は好きです! このまま一生、食い続けます。
AV監督。1965年愛知県生まれ。1987年、童貞でAVメーカーV&Rプランニングに入社。翌88年、監督デビュー。特技はハメ撮り。趣味はカレーとバイク。1996年、V&Rを退社しフリーとなり、2003年、自身のメーカーHMJM(ハマジム)を立ち上げる。代表作として『私を女優にして下さい』、『テレクラキャノンボール』など。また一般作としてミュージシャン・豊田道倫のPVやライブ撮影を手掛けている。