Photo:UG | Interview & Text : Yu Onoda | Edit:Keita Miki
※ミックス音源はこちら!(ストリーミングのみ)
— MONJUとしてのリリースは2008年のEP『Black de.ep』から長いブランクがあったと思うんですけど、それぞれがソロやレーベル運営を継続的に、精力的に行いながら、MONJUという場をどう捉えていたんでしょうか?
Mr.PUG:前作からの13年間を振り返ると、MONJUとしてライブをやったりもしていますし、ヒデオ(仙人掌)とISSUGIがソロで出るライブに俺もいたり、ISSUGIのライブのバックDJを俺がやったり、コンスタントに顔は合わせてはいて。作品に関しても誰かの曲にMONJUとして参加したり、MONJU名義ではないけど、それぞれのソロ作品に2人がフィーチャリングで参加したりということもあったので、自分のなかではずっと活動していたつもりだったので、そんなに時間が経っちゃっていたんだなっていうのが正直な気持ちです。
— その間にMONJUの制作に入ろうという話にはならなかった?
ISSUGI:13年間の中盤以降は、その年その年で常にそういう話はしていて。かといって、その年に曲が出来なかったからといって、熱が冷めることはなかったんですよね。
— 作品のリリースはなかったにも関わらず、2019年にはKID FRESINOとJJJをバックDJに、福岡の野外フェス・SUNSET LIVEに出演したり、MONJUを取り巻く磁力は曰く言い難い不思議なものを感じるんですよね。
仙人掌:例えるなら、山の入口まで一緒だった3人が「その途中で面白いものを見つけてこよう」ということで、それぞれ違う登山ルートを進んでいって。その後、タイミング的に偶然が重なったり、それぞれの周期が交わって、また合流したような感じなんですよ。そのタイミングを探っていたわけではないんですけど、以前から3人で家に集まって、作業する機会は頻繁にあって。そこから生まれた無数のラフスケッチはストックしていたんですけど、2020年10月にKOJOEくんが立ち上げたJ.Studioを継続的に借りることになったタイミングで、これまでの試行錯誤をまとめてみようということになったんです。
— ということは、3人で話し合っていただけでなく、スタジオで作業する前の準備期間も長かったわけですね。
ISSUGI:そうですね。結構色んなビートを聴いてもらっていて。今回の8曲はそのなかでも3人の気持ちのなかで長い間ずっと残ってものですね。
仙人掌:しかも今回のミニアルバムに入りきらなかったスケッチやアイデアもまだまだ沢山あるんですよ。
— それぞれ自宅で作業して、データをやり取りしながら制作するのが容易な時代ではありますけど、3人が顔を突き合わせて作業することが大事だった?
Mr.PUG:そうですね。2人がいない時、1人でレコーディングしたりもするんですけど、そういう時はいい意味で緊張感が少ないのに対して、3人揃った時は声に勢いや強さが出るんですよね。そして、録ったテイクの善し悪しも1人で作業する時は自分だけの判断になりますけど、3人いる時は違う判断になったりもする。実際、今回のEPを制作するなかで、自分がいいと思っても、2人にとってはそうじゃなかったり、自分が気に入っていなくても、2人から「いや、全然良かったよ」って言われたりすることが何度もあったんですよね。この3人で一緒にやるからこそ、自分の価値観が変わるような、そういう瞬間こそが大事なんだなって思いましたね。
— MONJUというのは、まさに『Proof Of Magnetic Field』というEPタイトルそのものだと。そういう特別な磁場で、PUGくんがラップと向き合う心境というのは?
Mr.PUG:MONJUで曲を作る時は、ISSUGIかヒデオのどちらかが先にリリックを仕上げていて、結局、書くのが遅い自分が一番最後にラップを録ることが多いんですよ。そうなった時、2人と被らない言葉や表現は自ずと意識しますね。
ISSUGI:ヤバい。その話は初めて聞いたかもしれない(笑)。
Mr.PUG:しかも、曲の締めを担う時、ワン・ヴァース目みたいな勢いだったりするとおかしかったりするじゃん? だから、その強弱も考えたりするんだよね。
— 2人に先手を取られたら、バランスを考えると。
Mr.PUG:でも、2人の言葉に触発されたこっちの言葉の方がヤバいでしょっていうこともあるし、逆に自分が最初に入れて、後から2人のラップにヤラレることもあるし、そういう駆け引きが面白いんですよ。
仙人掌:俺もリリックを書く時、録る時は2人のことをずっと意識していますよ。自分ではあまりやらないですけど、スケボーのトリックの応酬に近いというか、ビートにしてもラップにしても、「ウォーッ、ヤベェ」っていう高まりが楽しいし、そういう瞬間をみんなに味わわせたいんですよね。
ISSUGI:あとリリックの方向性として、一番最初に入れたヴァースの色が強くなっていくというのは確かにあって。それぞれがヴァースを録った後、順番を変えようっていう話になったりもするんですけど、意外と録った順番そのままに落ち着くことが多いんですよ。
仙人掌:「後で順番変えてもいいからさ」って、毎回必ず言うよね(笑)。
ISSUGI:でも、絶対に変わらないんだよね(笑)。しかも、変えてもいいよって言っておきながら、3人録り終わった後、順番をどうするか確認は一切しないっていう(笑)。
— ビートのチョイスに関して、それぞれのソロとMONJUで選ぶ基準は別モノという意識?
Mr.PUG:自分の場合、ソロ用に1人で選ぶと、ハードで、ダークなビートを選びがちなんですよ。でも、MONJUでは、騒ぎたいというか、この3人が上手く交われる土俵になりそうなビートが欲しいんですよね。
仙人掌:13年前に『Black de.ep』を出した時、MONJU独自の世界が完全に出来上がって、俺の頭の中で、16FLIPのビートこそがMONJUだと思っているし、気持ち的には実家に帰るような感覚なんですよ。そして、MONJUの世界が出来上がったからこそ、自分のソロでは、MONJUで出来ないビートでもやりたいし、ソロでのトライアルをまたMONJUに還元出来ればいいなとも考えていて。だから、ビートのチョイスに関して、MONJUとソロでも共通する部分もありつつ、大きく違うところもあるという。
— 16FLIPとしては、これまでMONJUとして発表してきた『103LAB.EP』、『Black de.ep』の流れは意識しました?
ISSUGI:ビートを作っている最中はそこまで意識していたわけではないんですけど、出来上がったEPを聴いたら、MONJUとして作るとこういうことになるんだなって。後から実感が湧いてきたんですよね。
— MONJUのリリースパーティでは、ライブ後に16FLIPがDJでヒップホップはもちろん、現代のR&Bやブラジル音楽など、多種多様な曲をプレイしていましたけど、ビートメイクの際には幅広い音楽性を凝縮、濃縮するようなアプローチなんでしょうか?
ISSUGI:ヒップホップを好きにならなかったら、そういう色んな音楽を好きになることはなかっただろうなって、たまに思うんですよ。だから、DJの時は多種多様な音楽をチョイスしながら、気持ちの上ではヒップホップとして、この部分が最高だと思ってかけていて。ビートを作るうえでは、多種多様な音楽の一部を凝縮していくというより、色んな要素を音のレイヤーに散りばめているというか、コラージュとして構成しているような感覚が近いかもしれない。
— 今回の作品でいうと、”13 DEALS”なんかはレイドバックしたファンクをベースにしつつ、点で入ってくるベースは現代的な鳴らし方になっていたり、ディティールに着目すると重層的な作りになっていますもんね。
ISSUGI:ヒップホップのビートは、そういうゲームでもあると思うんですよ。
仙人掌:16FLIPは、その塩梅が絶妙だなって、身内ながら思いますし、それはラップに関しても同じですよ。自分たちのラップにも色んなアプローチがあるし、人の曲を聴いた時、この部分がヒップホップだなと思うポイントがあったりするんですけど、ラップする際にはそういう要素を混在させていく在り方が自分にとってのヒップホップなのかなって。
— 11月23日のリリースライブでは「ヒップホップと出会った時のことを覚えてるか?」ということをしきりに言ってましたけど、新作では3人がヒップホップの初期衝動性に立ち返っているような印象を受けました。
Mr.PUG:考えてそうなったというより、自然とそうなっていたという感じなんですけどね。
ISSUGI:そう。俺らは計算してゴールにたどり着くようなタイプじゃないからね。
仙人掌:仮に自分のなかで作り込んだものを2人に提示しても、絶対恥ずかしくなるだろうし(笑)。
Mr.PUG:そんな感じで来られても、「お、おう」って(笑)。
— ただ、”And To The…”は仙人掌が「この冒険の始まりは96、97」とスピットしているように、3人がヒップホップと出会った時期の衝撃について言及されていますよね。
ISSUGI:出会ったのは、その前後くらいの時期かな。
Mr.PUG:イメージとしては、NASのセカンド『It Was Written』がリアルタイムの世代ですよ。
ISSUGI:それ以前のヒップホップって、ビートもラップも弾けているというか、はつらつとしていたと思うんですけど、96、97年のヒップホップって、初めて聴いた時、気怠いというか、ダウナーなムードが強く印象に残ったんですよね。
— それ以前のネイティブタン系のラップって、今聴くとパーティラップですもんね。
Mr.PUG:そう、MVも人が沢山出てくるイメージだったのに対して、自分らが知った96,97年のMVはラッパーが1人しか出てこないし、プロジェクト(団地)で撮影されていて、ひたすらダークだったんですよね。
仙人掌:でも、当時は一方でPuff Daddyの”No Way Out”みたいな華やかなヒップホップもあって、自分はそういうものも大好きだったんですよね。だから、今も自分のなかには、ダウナーで渋く淡々と1人でラップする格好良さと華やかでキャッチーな感覚がどちらもずっとあるんです。
— さらに仙人掌の場合、高校生の時、初めて出会ったラッパーはYAHIKOくんなんですよね?
仙人掌:そうです。YAHIKOも未だに一緒にやってますからね。あいつも無理して続けているわけじゃないし、そういう音楽の在り方が一番素晴らしいんじゃないかなって。
— 音楽をやっていると、30歳が一つの壁というか、家庭を持ち、子供が出来たり、仕事が忙しくなったりして、音楽を続けようかどうしようか考える人が多いと思うんですよ。そんななか、仙人掌とYAHIKOくんしかり、中高の同級生のISSUGI、PUGしかり、40歳を目前に控えて、変わらずに音楽を続けている関係性は奇跡的な気がするんですよね。
Mr.PUG:ISSUGIとは居酒屋のバイトが一緒だった時期もあって、俺は厨房担当だったんですね。そこにカセットデッキを持っていって、DJ KENSEIさんの(ミックステープ)『CUTS OF THE TIMES』をかけてるなか、俺が料理してISSUGIが厨房とホールを行き来してたんですけど、ずっとその延長でやってる気がします。
— そして、3人それぞれの活動やDogear Recordsの運営が始まり、そして、5lackやFla$hBackSといった後続のアーティストの登場もあり、その後もヒップホップと周りを取り巻く環境は大きく変化し続けていますが、変わりゆく状況をどうご覧になっていますか?
Mr.PUG:こないだも大阪に住んでる若いラッパーと会った時、気になって「最近、格好良いやついる?」って話を聞いたりしたり、ヒデオなんかは国内外の若手ラッパー事情に詳しいので、そういう話になったりすると聞いてみようと思ったり。ラップに限っても、それぞれの時代の格好良さがあるから、俺らは俺らでいいと思ってやっていますけど、それが全てじゃないというか、それぞれの格好良さがあっていいと思うんですよ。
仙人掌:自分も1人のオーディエンスとして見たり聴いたり、ラッパーとして一緒に曲を作ったり、その度に同時に自分も作られていくような感覚があって。MONJUがやってることも、5lackが現れたり、佐々木(KID FRESINO)やJJJ、Febbが出てきたりするなかで自分たちも触発されてきたので、常にヘッズとかオーディエンスの目線で吸収し続けることが自分にとって重要なことなんだと思いますね。この間も、ISSUGIとビートの話になったんですけど、作りたいビートのイメージがあったとしたら、リファレンスとなる音楽を聴いて、そこから学んだ基礎や秩序の上で作ることが大事だよねって。だから、俺たちも新しい音楽、アーティストから学んで、それをもとに新しい自分たちの音楽を作っていく、その繰り返しだと思っていますね。
— ただ、今の作品と比較すると『Black de.ep』は声が若いというか、13年という歳月の隔たりを感じました(笑)。
ISSUGI:さすがに13年前とはだいぶ違いますよね。
仙人掌:声の高さ問題は諸問題のうちの1つです(笑)。この間、飲みの席の話で「昔の作品に自分が追い詰められることはないんですか?」って聞かれたんですけど、作家や漫画家の人たちはデビュー当初にすごいものを作っちゃうと、過去の作品を超えなきゃとか昔のテイストに近づけなきゃ、みたいなことに苦しめられるらしいんですね。正直、自分はそう思うことは全然ないんですけど、唯一、気になることがあるとしたら声の高さかなって答えたんですよ。
ISSUGI:でも、ラッパーもシンガーも声が変わっていくのが面白いですよね。
— 声が高かったり、ラフな勢いが感じられる13年前のラップに対して、今のラップには重みや説得力があるわけで、どちらが良い悪いという話でもなくて。
仙人掌:今の作品がなければ、そう感じることはなかっただろうし、ずっと刻み続けてきたことによって、現在地が分かるんじゃないかなって。
— 最後に特別にDJミックスを制作してくれたDJ SHOEについて一言お願いいします。
ISSUGI:DJ MIXは今年”BOTH BANKS”を一緒に出した福岡に住んでるDJ SHOEです。是非聴いてみてください。